第17話 封印事項


「げっ」


 それは、彼女らがカテドラーレ・ジョイエッリに到着してすぐのことだった。

 どういうことだ。

 顔を合わせた瞬間発せられた声とは到底思えない。


「あ?……ってか、お前」


 その男の顔は、サングラスで半分程度覆い尽くされていたが。

 彼女は覚えている。

 この声、この反応。

 いつぞやに同じ場所で出会った、あの愚か者デュエットだ。


「気付かれたか……だから今日だけは門番なんてやりたくなかったんだ」

「言わせておけばお前らなぁ……。自業自得だろ?」

「まぁ、そうなんだが」

「あの時は悪かった。俺たちもまぁ、なんだ。マンネリ化してたんだよ」

「マンネリ?」

「あぁ。俺たちはこうやってかっちりした服装してよ、マフィアなんて大仰な名前も掲げちゃいるが……」


 小太りの男はカテドラーレの尖塔を見上げ、降り注ぐ鳥の囀りに耳を傾ける。


「モンテドーロはいつだって平和そのものだ。門番の仕事も、別に重要なもんじゃない。抗争相手が爆弾担いで、しょっちゅう突っ込んでくるってんなら、話も変わるんだろうがな」

「つまりあれか?お前、暇過ぎて腑抜けた仕事してたってことか?」

「まぁそういうことだ」

「大体合ってるな」

「あっさり認めるんじゃねぇよ……なぁ、殴っていいか?」


 拳を固めながらメンチを切るヴィオラ。

 無論、良いわけがない。

 サリナに両腕を、マーキュリーに右肩をそれぞれ抑えつけられ、手綱を引かれたサラブレッドのように彼女は鼻息を荒くする。


「まぁまぁ。わざわざここまで出向いたのは、何も門番の方と殴り合う為ではないんですから」

「……チッ」

「それで、門番さん。今日は」

「あぁ、皆まで言わんでくれ。ボスと話し合いが在るんだろ」

「おっと。今回は話が早いですね」

「到着次第すぐに通せ、って言われてるからな。実はこうやって無駄話してる時間もねぇんだ」


 どこか困惑気味に、彼は頬を掻いた。


「ふむ。いや、分かりました。場所は前回と同じ部屋ですか?」

「ワイナリーやらボードゲームやらある部屋だろ?それなら同じ部屋だ。あそこに通されるのは賓客だけって決まってる」

「あと、掃除係の構成員な」

「その情報要るか?」

「ありがとうございます。それでは行きましょう」


 マーキュリーが前に立った瞬間、コロコロと坂道を転がる岩のように話が進んだ。

 流石マーキュリー=ヴァレンティヌス!流石月牙泉の誇るバトラー!

 湧き上がってくる彼への賞賛は留まるところを知らない。

 もし、彼の丁寧さだけがこの状況を招いたのであれば、そうなって然るべきだっただろう。

 しかし彼は、微かに眉間に皺を寄せながら顎に手を当てていた。

 カテドラーレの荘厳な門を潜り、小気味良い音を立てるカーペットが敷かれた階段に足を掛けても、それは続いている。

 暫し、ヴィオラとサリナは目配せしながらコミュニケーションを取っていたが。とうとう痺れを切らしたのか、ヴィオラは小走りで彼の隣に身体を寄せると、肩を組みながら溜息を吐いた。


「おいおい。マーキュリーさんよぉ。そんな、1人で悩んでいるようじゃあ私たちは何もできねぇだろ?」

「……おっと。ヴィオラさんでしたか。申し訳ありません、いつもの癖が」

「言い訳は後だ。何が引っ掛かった?」

「門番をしている彼らの反応です。早く通すだけであれば、もう少し円滑な対応ができたでしょう。文字通り、ただ道を開けるだけで良いわけですから」

「そりゃあ今更だろ?考え過ぎじゃねぇか」

「全ての違和感が杞憂で済むのであれば、僕は必要ありませんよ。そうでしょう?」


 彼は真剣な面持ちでヴィオラを見つめる。

 その視線はどこまでも冷たい。ただ、その中に一抹の炎が眠っていた。


「……分かった。ただ、話し合うには時間がねぇぞ?」

「大丈夫です。一言だけお伝えできれば良いので」

「身共にも聞かせてください」

「勿論です。……この扉の向こう。思うに、座っているのはアレキサンドライトさんだけではありません」

「他に誰が居るってんだ?」

「特定することは難しいですが。この部屋に通されるだけの地位を持つ人間である、とは考えた方が良いでしょう」


 なんでもない扉。

 いや、そう表現するには余りに装飾が華美過ぎるか。

 彼の言葉を受けて、ただ当たり前に聳えるそれがヴィオラの視界を埋め尽くす。

 まるでそこにはもう1つの世界が広がっていて、こちらを眺めているかのよう。


「ノックしますよ」


 拒絶するわけにもいかない。

 2人の視線を受け、マーキュリーは4回戸を叩いた。


「ふむ。どうやら交代の時間が来たようですね」


 響いたのは、アレキサンドライトとは明確に違う男の声。

 どうやらマーキュリーの予想は当たっていたらしい。


「通しても問題ありませんか?」

「いえいえ。寧ろ、ワタクシこそこの部屋から出て行くべきなのでしょう。演技を終えた芸者は疾く舞台を去らねば。次に仮面を被るのは彼女らの仕事です」

「……そうですか」

「では。チェスの盤面が動いたその時に、またお伺いしますよ」


 薄皮一枚向こうの空間から響く声。3人は注意深くそれに耳を傾ける。

 ただ、その隙間を縫うようにぬるりと現れた若い男は、一度こちらに会釈をするとそのまま階段を降りて行った。

 微かに漂う香水の残り香が、彼の地位と性格を物語っている。


「誰だ、アイツ」

「ふぅ……。お待たせ致しました。諸々の説明はお部屋の中でしましょう」

「こちらこそ、突然のアポイント依頼となり申し訳ないです」

「そんな、気にしないでください。調査をお願いしているのはこちら側なんですから。仮に事前の相談がなくとも、喜んで話し合いに応じますよ」


 内装はあの時と変わらない。

 ただ、紅茶の入ったティーカップが1つ、机の上に置いてあるだけだ。

 既に湯気は立っていない……どれくらいの間放置されているのだろうか。


「あの男は?」


 ヴィオラは扉を閉めつつ、引き攣った顔で口を開いた。


「ふふっ。見るからに気に入らない、って感じの顔をしてますよ?」

「当然だろ。私は、ああいう人を食ったような態度の男が一番嫌いなんだ」

「あはは……まぁ、今のは聞かなかったことにしておくとして。彼の名前はサイラス=スウェイン。ラグナル王国の外交官です」

「何だって、そんな大国の外交官が?フツー、小国の外交官が大国の方に行ってお伺い立てるもんだろ」

「通常の礼儀としてはそうなのですが。モンテドーロとラグナルの関係はその……少し特殊なのです」

「ふぅん?」


 まぁ、いいか。

 彼女は頬杖を突きながら追求を打ち切る。

 難しい話は避けるに限る。

 それと、国家間の怪しい話題も。


「さて。昨夜トランシーバーで連絡があった時はびっくりしてしまいましたが……」

「夜も遅い時間でしたからね。ただ、危急の事態でしたので、無礼を承知で連絡しました」

「無礼なんてそんな!大事な話があるんですよね?それなら、すぐ本題に入りましょう。昨日は何があったんですか?」

「あー……なんだ、割と色々あった。まずオーラムって女が、私とサリナに接触してきてな」

「……」


 オーラム。

 その名前は、彼女にとって福音か、地雷か。

 眉1つ動かさないその様子から、答えを窺い知ることはできない。


「アンタ、ナラゴニア教会がモンテドーロに入ったことは知ってるか?」

「まさか……いや、成る程。続きをお願いします」

「そのことを、あいつは知ってた。そんで、ナラゴニア教会がアジトにしてる場所に侵入してみようってことになったのが一昨日。決行したのが昨日だ」

「つまり、その作戦でいろいろ情報を手に入れたんですね」

「ま、そんなところだ。結論から言うと、教団の奴らは布教の為に来たわけじゃねぇらしい。何だったか、四獣の遺物、だったかな。それを手に入れる為だとか。私にはとんと分からねぇが、アンタなら心当たりねぇか?」

「四獣の遺物ですか」


 もしそれが、放置していて問題ない程度のものなら深追いする必要などない。

 重要なのは、それがどんなものなのか、という点だ。

 巡り巡って悪影響を与えるようなら見過ごすわけにもいかないだろう。


「ないわけではありません。確固たる証拠はありませんが、ナラゴニアの信者たちがそう呼んでいてもおかしくないもの……恐らくそれは、廃坑の中にあるのだと思います」

「……廃坑?」

「はい。モンテドーロの歴史は先日お話しした通りなのですが……。実は、ゴールドラッシュの源泉となった鉱山は既に閉鎖されているんです。しかも、閉鎖に際しては様々な騒動が起こったようで」

「そりゃあ、なぁ。誰も閉鎖なんてされたくねぇだろ」

「いえ、それ以前の問題です。鉱山の中で、大規模な岩盤の崩落事故が起こったんです。何でも、洞窟内に充満したガスに引火して、連鎖的な爆発を起こしたのだとか」

「それで閉鎖か」

「誰もその原因を特定できなかったんです。可燃性のガスが噴出していることは元より周知の事実であり、危険物の持ち込みも当時から固く禁じられていましたから」

「ただ、それと四獣の遺物とやらに何の関係がある?」


 どう説明したものか、とアレキサンドライトは腕を組む。


「ここだけの話ですが。この騒動、実は半分デマなんです」

「は?」

「私もこの地位に就いてから知ったことですよ。この閉鎖騒動、自然発生的な事故ではなく、何がしかの目的があって引き起こされた人為的な閉鎖劇なんです」

「莫大な富を都市に与えてくれた金山を犠牲にしてでも成し遂げなきゃいけねぇ目的、か。きなクセェな」

「可能性としては2つ考えられると思います。1つ、金山の富を独占する為。2つ、金山を捨ててでも何かを隠蔽する為」


 独占か、隠蔽か。

 どちらにしても常軌を逸した話だが、彼女の口ぶりからして、より濃厚なのは。


「四獣の遺物、もしくはそれに類する厄ネタを隠し通す為ってか」

「元々疑問ではあったんです。どうしてここまでする必要があったのか、と。今まではイマイチその答えが分からないままでしたが……それだけ大きな、それこそ都市の存在そのものを脅かしかねないものの為だったとすれば合点が行きます」

「チッ……これだから政治家ってやつは。何でもかんでも天秤に掛けて測れば答えが分かると思ってやがる」


 彼女は見るからに、心底不満そうだ。

 大の為に小を捨てる。

 拾われた側からすれば英雄であろう。


「ま、私からは以上だな。次、サリナとマーキュリーの番だ」

「サリナさん、上手く説明できますか?」

「やります、大丈夫です。……まず、彼らが根城にしていたのはペリドット区の拝樹教会でした」

「アルバーノ礼拝堂ですね」

「そう、そこです。それで、侵入した際にヴィオラさんが壁の向こうに取り込まれてしまって……」

「ナラゴニアの奴らが使う術式の一種だ。壁が自動的に再生して、侵入者を分断する。恐らく、その発動の為に教会の聖職者は全員生贄になった」

「ふぅ……油断も隙もありませんね。後々献花に伺うとしましょう」


 統治者としては頭を抱えたくなるところだろう。

 正に内憂外患と言うべき惨状だ。


「その後、ペリドットさん、そして等活さんと出逢いまして。少々揉めました」

「それは存じてます。報告にも上がっているので。軽傷、重症含めて50名以上……本当にお強いんですね……」

「申し訳ないです。あの場を切り抜ける為だったので」

「謝るなんてとんでもないです!全てはホストの責任ですから。しかし、ペリドットさん……困った人です」

「トラブルメーカーなんですか?」

「いえ、統治に関しては極めて前向きかつ有能な方です。ただ、能力があるが故に傲慢なところもありまして……」


 サリナは、昨日の記憶を掘り起こしながら彼女の話を聞いていた。

 有能。有能、か。

 どちらかというと成金のバカ息子、といった印象だったが。

 あれでいて、政治には真面目なのだろうか。


「それに、恐らく彼は……いえ、これ以上はペリドットさんの名誉の為に指摘しないでおきましょうか」

「身共からも以上です。その後はマーキュリーさんに助けられ、ヴィオラさんと合流した程度のことで」

「報告ありがとうございます。そうですか、成る程。まさかナラゴニア教会が関わっているとは。しかし、件の失踪事件には無関係なんですよね?」

「あぁ。少なくとも彼方さんの言うことを信じるなら、だが」

「……その場には、旦那様も居たはずです」

「まぁな」

「旦那様が追求しなかったということは、恐らく真実なのでしょう」


 どうやらマーキュリーは、アルカヘストという人物がその場に居たというだけで信じるに値すると考えているらしい。

 まだ付き合いの短いヴィオラからすれば、それでも疑わしいところだ。ただ、実際その場に居た身としては信頼する他ない。


「つまり、失踪事件の犯人探しは膠着したまま、ですか」

「——いや、それは時期尚早な判断でしょう」


 ふと、4人の背中を何か奇妙な感覚が駆け上がった。

 それは針の筵のように鋭く、しかし泥のように生暖かく。

 とても心地良いとは言い難い奇妙な感覚……これは一種の吐き気というものか。

 咽頭が渇く。ひび割れた砂漠のような乾燥と共に、微かな潤いを伴う何かの香りが鼻腔を刺激した。

 これは……の匂い?


「ッ!!!」


 咄嗟に反応できたのは、彼女だけだった。

 既視感に溺れ、窒息し掛けていたのはこの中でただ1人しかいない。

 昨日ぶりだ。2度と顔は見たくなかったが。


「何をしにきた?ゲスが」


 ヴィオラは振り返り、銃を突きつける。

 そう、彼に銃は効かない。

 だが、動きは止められるかもしれない。

 そうでなくとも、足止めにはなるかもしれない。

 少なくとも、こうして構えること自体には意味があった。


「情報提供ですよ。私共も心を痛めていたのです。オストラコン達の思うがままに状況が遷移している現状を」

「……」

「ヴィオラさん。彼は?」


 マーキュリーは、回るりんごに視線を合わせながら問いかけた。

 勿論彼もまた、2丁の拳銃を構えている。


「ルネ=マグリット。ナラゴニア教会の大幹部の1人だ。モンテドーロに侵入した信者どもの統括官でもある」

「そう、恐れる必要はありません。繰り返しますが、私の目的は単なる情報提供なのですから」

「……言ってみろ」


 長時間同じ空間に居るだけで肺が腐ってしまいそうだ。


「オーラムさん、というのですね?そう、アレキサンドライトさんの前任の方です」

「オ……彼女が、どうしたんですか」

「皆さん。最後に彼女と会話をしたのはいつですか?」

「……!」

「お、おい!お前!」


 サリナは、何も言わずに部屋を出て行った。

 理由を聞くまでもない。オーラムが住んでいる、あのスラム街へ向かったのだろう。


「チッ。私が追いかける!」

「分かりました」

「……ふむ。慌ただしいですね」

「……」


 彼女は飛ぶようにカテドラーレを脱出し、あの時のマンホールへと駆け抜ける。

 最後に会ったのはいつか?

 昨日の夜だ。

 サリナとマーキュリーは、オーラムを送り届けてからヴィオラと合流したのだから。

 ただ、その後彼女がどうなったのかは、知る由もない。

 距離にして、どれくらいかは分からないが。

 できるだけ早く、早く。

 筋肉を燃やし、すり減らしてでも辿り着かなくてはならない。

 この予感が、ただの杞憂であったことを確認する為に。


「ミスター・マグリット」

「可能な限り、お答えしましょう」

「僕が聞くべきことはただ1つです。最初に、“時期尚早”と言いましたね?それは何故ですか?」

「簡単なことですよ」


 サリナはそして、オーラムの事務所に辿り着いた。

 相変わらず荷物が散乱しており、至る所に物が転がっている。

 ただ、それは問題ではない。

 ひっくり返った椅子を、机を、ベッドを、かき分けて奥のリビングに腕を伸ばした。

 後ろからは女性の低い声……それは恐らくヴィオラのものが、響いている。

 構っている暇はない。

 視線を、遥か前へと向ける。


「彼女らが向かった場所。そこに、あなた方が追い求めるものがある。それだけのことです」

「……」

「共に祝いましょう。今日、この日より、歴史はまた1つ前に進むのですから」


「おい!サリナ!感情的になるのは分かるが、1人で駆け出すんじゃね……って」


 サリナがようやく立ち止まったところで、ヴィオラは彼女に追い付いた。

 肩を叩き、連れ戻そうと引っ張る。

 ただ、すぐにその目的は失われ、視線もまた奪われてしまった。

 リビングの真ん中。テーブルの上。

 裸足の少女は、綺麗に整えられたドレスをはためかせながら舞っている。

 瞬間、2人の意識は彼女の中に吸い込まれていきそうだったが、何とかその瀬戸際で留まっていた。


「お前は……」

「ん?あっ、ふふっ。やっと来たんだ」


 彼女は柔らかかつ艶やかな所作で、左胸に右手を当てながら一度お辞儀をする。

 まるで、演劇後のカーテンコールのようだ。


「でも、少し遅かったね。もっと早ければ、ちゃんとお話しできたかも」


 ね、お姉ちゃん?

 美しい黄金の長髪を揺らしながら、赤眼の少女は微笑む。

 その周囲では、あらゆる魂を掴んで離さない執拗なる死の影が、歌劇を貪るように踊っていた。

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