第18話 クルーエル・スカーレット

 少女は笑う。

 その足で骸を踏み締めながら。

 少女は笑う。

 黒い炎のように揺らめく影を纏いながら。

 少女は笑う。少女は笑う。

 それは静かで、清らかで、残酷で、狂えるような。

 ヴィオラはふと、喉元に何かが絡みつくような感覚を覚えた。

 無論、そこには何もない。

 ない、がある。

 呼吸が苦しい。嫌な脂汗が額から滲み出る。

 視線を外せない。

 少女は笑う。

 すとん、と軽やかに地上へ降り立つ彼女は、依然として輝く瞳を大きく開きながら舌舐めずりした。


「あはっ。あははははっ。んー、どうしたの?お姉ちゃんたち、静かにしてるだけだと何がしたいのか分からないよ?」

「あ、あう、く……」


 喉から空気が流れ出す。

 まるで、声帯が振動することを拒絶しているかのようだ。

 唇だけが、脳の奥から湧き立つ言葉に従って上下に動いている。

 状況を消化できない。彼女は何者だ。


「あ、分かった!残念だなぁ、ちょっと脅かしてあげようと思っただけなのになぁ」

「かはっ!」

「はぁ、はぁ、はぁ」


 2人を取り巻いていた漆黒の闇が、彼女の掌の内に収まる。

 途端に、乱れていた呼吸が整っていく。

 そうか。話せないのも当然だ。

 気付かない内に過呼吸になっていたのだから。

 声が出るわけがない。

 ただ、何故?

 どうして、無意識の内に過呼吸になっていたのか。

 理由は誰にも分からない。

 ただし、その原因は一目瞭然だった。


「こんな、たった数人分の重みなのにね。怖かった?それとも、怖いって感じる余裕もなかったのかな」

「……チッ。さっさと、黙れ。ペラペラ喋るのも、そこら辺に、しろ……」

「あー、怖い♡でも、そっちの女の子は大きな口を叩く余裕もないみたいだよ?」

「はぁ、ふぅ、ぐっ……。うるさい、ですね……。何の、これくらい……!」


 サリナは、立膝を突きながら下唇を噛み締める。

 俄かに下顎が暖かい。

 鮮血が垂れてきているのだろうか。

 しかし、この微かな痛みは彼女に覚醒を促してくれる。

 虚空の槍に指先が触れた。

 いつでも。

 いつでも、あの化け物に目掛けて。


「だーめっ♡よくないよー、そういうのはさ。言葉だけなら許せるけど、暴力にまで発展するならイブも手加減できないでしょ?」

「……サリナ」

「……」

「やめておけ。急くな。命あっての物種だぞ」

「……チッ」


 彼女にしては珍しい舌打ち。

 余程悔しいのだろう。

 ただ、現状は明らかに劣勢だ。

 あの、魂の重み、或いは死の重みとでも表現すべき重圧のトリックが割れない限り、2人に勝ち目は無い。


「良い子良い子。人間の偉さの本質って、そーゆー狡猾さだもんね?」

「狡猾だぁ?ちげぇよ、こういうのは賢いって言うんだガキ」

「ふーん。そういう言い方もあるんだ?あなた、物知りだね!」

「皮肉か?」

「えーっと……じゃあ、さ」


 彼女は、トンとひと跳ね。

 一瞬でヴィオラの懐に潜り込むと、覗き込むようにヴィオラと視線を合わせる。


「気が変わったし、少しお話ししよっか。イブの名前は、イブリース。良い名前でしょ?」


 彼女の指が、ヴィオラの唇に重なって震えた。

 死の影を纏いながら、人類を小馬鹿にするように振る舞う少女。

 その名前はイブリース。

 肩の出たドレスの隙間からきめ細やかな肌が見える。

 まるで血が通っていないかのように白い、その地肌が。


「あ?馬鹿言ってんじゃねぇよ。私たちの目的は、オーラムの無事を確認することだけだ。……お前、前にこの部屋で寛いでた、あのガキだろ?」

「うーん。言い方は気に入らないけど、そうだよ。オーラムお姉ちゃんは残念だよね。あれ程忠告したのにさ。勿論、善意で♡」

「濁すな。アイツに何をした?」

「もう分かってるでしょ。誘拐。失踪。どんな言葉でも良いけどさー?ま、そういうこと」

「……」


 ヴィオラは拳を固く握り締めた。

 そう、そうだ。

 命が絶えて仕舞えば、何も成せない。

 オーラムを救うことも、アレキサンドライトの依頼を解決することも。

 そして、クラリアと再会することだって。


「あれー?意外だね。何もしないんだ?」

「ペラペラペラペラよく口が回るな、あ?」

「アハッ。当然でしょ?イブはそういう存在なんだから。それでね、お姉ちゃん」

「……」


 彼女は後ろ手を組みながら、スキップして辺りを跳ね回る。

 その姿はまるで兎のように可愛らしい。

 ただ1つだけ。イブリースの足元から噴き出す暗黒の残影は、彼女の孕む深淵を包み隠さずに教えてくれていた。

 

「不思議だと思わない?」

「何がだ」

「こんなちっぽけな都市に、どうしてこんな沢山の勢力が集まってるんだろうね?」

「知るか。こっちが聞きてぇくらいだ。ナラゴニア教会だけでも厄介だってのにお前みてぇなヤツもいる。モンテドーロに何があるってんだ?何が目的でこんなことをしてる?」

「んー……教えてあげても良いけど、今はダメ。こうやって会ってあげてるだけでも出血大サービスなんだから♡」


 明らかにこの女は、2人を揶揄って遊んでいた。

 歯痒い状況を前にヴィオラは歯軋りする。

 

「でも、お姉ちゃん達は知ってるはずだよ。この都市に何があるのか」

「どうしてそう言える」

「だって、そういうカオしてるもん。そうだなー、誰に教えて貰ったのか当ててあげても良いよ?」

「……いや、いい。お前が物知りなのはよく分かった。お前と話した所で時間の無駄だってこともな」

「あーん、酷いよぉ。でも、そういうトコがお姉ちゃんの良さなんだよね?聞いてるよー?普段はツンケンしてる癖に人眼が無い所じゃ……ってさ」

「あ……?」


 口元に手を当てて笑うイブリース。

 一体誰に聞いたというのか……いや。

 その答えは1人しか思いつかない。


「お前、クラリアと会ったことがあるのか?」

「アハッ♡やっぱり食い付いちゃうんだ?もー、妬けちゃうなぁ。お姉ちゃんってどれだけあの人のことが好きなのさぁ」

「私の質問はイエスかノーだけで答えられるはずだが。簡単な受け答えすらできねぇのか?ガキ」

「うん、イブってば狂ってるから♡でも、その質問には答えたげる」


 多分、それは無意識の内だったのだろう。

 銃を持ったまま固く握られているヴィオラの左手を、彼女は両手で抱き抱えるように頭上に掲げ、その銃口を自らの額へ当てがった。

 かちり、とハンマーが引かれる。

 この間、ヴィオラは微動だにしていなかった。

 全て、イブリースが自ら行った行為である。


「お姉ちゃんの想像通り。イブと彼女は知り合いだよ」

「クロウリーも、か?」

「あー、あの堅苦しいおじいちゃん?まぁ、そうだけどぉ。あんまり話したことは無いかなー」

「あいつは、アレイスター=クロウリーは、クラリアのことを上司扱いしてた。それは、お前にとってもそうなのか?」

「あのおじいちゃんの言いそうなことだねー。イブ的には、上司って感じしないけど。でもでも、彼女のお願いを聞いてあげることは結構多いかなぁ」


 お願い、か。

 見方を変えると、それは命令や指令のようなものなのだろう。

 少し話しただけでも分かる。

 この少女に常識は通用しない。


「お前のその行動を。アイツは容認してるのか」

「んー?その行動ってどの行動?あ、分かった!こうやってお姉ちゃんと話してあげてることでしょー!」

「チッ。無差別な人攫いは、クラリアが命じたことなのか、つってんだよ」

「アハッ。どっちだと思う?イブは、どっちでも良いんだけど」

「……」


 眼前で心の底から楽しそうにしている彼女は、情報の塊だ。

 クラリアのことも。誘拐事件のことも。

 今聞き出すことができたなら、事態は大きく進展する。

 しかし。だが、しかし。

 沸騰する怒りを抑え込み、隣で冷めた瞳を貫いている少女を放置して。

 こうして質問の度に媚びなくてはならない自分に、心底イライラする。


「……ふぅ」


 だから、その時が来るのは時間の問題だった。


「分かった。それならどっちでも良い」

「んー?」


 未だ、銃口は彼女の額に押し付けられている。

 それはイブリース自らの選択だ。

 おちょくる気なのか、威圧する気なのか分からないが。

 ただ、事実として、リボルバーの中の弾を当てるのは赤子の手を捻るようなものだった。


「少し黙ってろ」


 ヴィオラ自ら、指に力を込めて選択する。

 そして、トリガーが弾かれると共に、ハンマーは火花を散らしながら静寂を引き裂いた。


「かっ——」


 彼女の美しい肌に、ぽっかりと赤い穴が空いた。

 後頭部から抜けていった銃弾は、ドリルのように脳内を掻き乱し、鮮血を撒き散らす。

 ソファが、マットが、紅く染まり、辺りに鉄の香りが漂う。

 イブリースの倒れていく身体が机に勢いよく当たって、跳ね上がった。

 それから、耳を劈くような笑い声が部屋中に響き渡る。


「は、ハハッ、アハッ、アハハハハハハッ!」

「お、お前……」


 その光景はサリナはおろか、ヴィオラでさえ後退りしかけるものだった。

 足の指を大きく広げながら紅潮した頬を掻き毟り、乱雑な呼吸を繰り返しながら跳ね回る胸部をそのままに絶頂へ至る。

 あろうことかイブリースは、自らの指で額に空いた穴を乱雑にほじくり、広げ、溢れ出す脳漿と血液を感じながら狂笑していたのだ。


「あああああああああああっ!死ぬっ、死んじゃうっ!気持ち良すぎて死んじゃいそうだよッ、ハッアハハッ!!!」

「……」


 2人は、黙して暴れ狂う少女を見ている他無かった。

 ランプの光を映すブロンドヘアーの煌めきが失われていく。

 赤黒くも半透明な、とろとろとした甘い香りが漂う中、それでもイブリースの緋色の瞳はパックリと見開かれていて。

 少なくとも、そのまま力尽きる素振りは全く見せない。


「ハァッ、はぁ、ハァ……アハッ。ふぅ……」


 ばくん、ばくん、とうねる様に上下していた彼女の胸の動きが、段々と収まっていく。

 そして、それに平行するように荒い息も平静を取り戻しつつあった。

 撃ち抜かれた額の傷は、最早窺い知ることはできない。

 ただ分かることは、アルカヘストやマグリットとはまた別の意味で化け物じみているということだけだ。


「あー、気持ち良かったぁ。そのリボルバーの威力凄いね!弾を感じられたのはたった一瞬だけだったのに、脳味噌と頭蓋と血管をストロベリーシェイクみたいにされるのがよーく分かっちゃった。こんなに興奮したのは久しぶりだよぉ」

「……チッ。銃で殺せねぇ人外なんて、もう飽き飽きだっての」

「そーお?残念。もう少し驚いてるとこ見たかったなぁ。それか、お姉ちゃんの能力を使って切り刻んでくれても良かったんだよ?銃よりずーっと痛いんでしょ?」

「っせぇな。多用したくねぇんだよ」

「ふーん?じゃあ、今度会った時は使ってくれると良いなぁ。あーあ、疼きが治らないよ♡」


 両腕で自らを抱擁しながら、少女は身悶えした。


「っと、良くない癖が出ちゃったね。うん、でも謝るだけじゃ許してくれないでしょ?それなら最後に、2つ良いことを教えてあげる!」

「言ってみろ」

「1つはさっきの質問の答えだよ。誘拐を主導してるのは彼女じゃない。だから、もし心配してるなら安心して♡」

「誰が心配するかよ」

「それと、もう1つなんだけど……よっ、と」


 仰向けで余韻に浸っていた彼女は一転、脚をゆっくり曲げると、伸びる勢いを利用して跳ね起きた。

 それから遅れて、赤に染まったドレスが自重に抗いつつも着地する。


「お姉ちゃん達は、廃坑に行く予定ってもうある?」

「仮にあったとしてどうなんだ?」

「うーん、どちらかと言えば無い方がお姉ちゃん達にとっては不運かも。まぁ、お姉ちゃん達次第だねー?」

「……」

「こんなところかな?ううん、ちょっと話し過ぎちゃったかも」


 少女は2人に歩み寄る。

 ただ、初めと違って敵意は感じられなかった。

 ぺたり、ぺたりと裸足を鳴らしながら、影と共に視線を合わせる。


「じゃ、待ってるね。もし会えたなら、その時は」


 また気持ちよくしてね♡

 その言葉は、まるで呪いのようだ。

 耳に、脳に、記憶にヘドロのように纏わり付くなどと。毒でしかない。

 ただ、得るべき情報は得た。

 立ち上る煙のようにその場から消え去ったイブリースの影法師を天に見ながら、彼女は拳を握る。

 コケにされたならば、その借りをいつかは返してやろう。

 その為に、必要なことをしなければ。



 勢い良く扉が開け放たれ、押し潰された空気という空気が悲鳴を上げる。

 誰か、と問うまでもなくその首謀者に見当は付くが。ここまで乱暴に入ってくるとなると、きっと何かがあったに違いないと思う。

 彼女が出て行ってからは大体、1時間前後が経過していた。

 サリナを連れ戻すのに要した時間と考えるにはあまりにも無理がある。

 彼は紅茶を一口啜りながら、あくまで出迎える者としての態度を堅持した。


「おや。お帰りですか」

「……マグリットは」

「すぐに帰られました。ただ一言、ヴィオラさんとサリナさんが生還すれば、自ずと進むべき方法を示してくれるでしょう、とだけ言い残して」

「そうかよ。チッ、あの野郎。どこまで承知の上だったのか分かったもんじゃねぇな」


 さぞかし高価であろうクリーム色のソファの上に、コイルを押し潰さんばかりの勢いで座り込むヴィオラ。

 またサリナも、小鳥が親鳥の後に続くように、沈鬱な様子で腰を下ろした。


「本来は私が率先して危険な現場に赴くべきだというのに……負担ばかり掛けて大変申し訳ないです」

「良い。これも仕事の一環だろ。それよりも——」

「お話の前に、紅茶かコーヒーを1杯飲んで一息つかれてはいかがですか?大事な会合であればある程求められるのは、冷静さと体力です。急ぎの報告であることは重々理解していますが、今後の為にも」

「……。分かった、コーヒーを」


 渋々、といったところか。

 しかし、彼女は逸る気持ちを押し留めて首を縦に振った。

 一方サリナは、拒絶も受容もしない、といった様子だが。

 アレキサンドライトは構わず、マーキュリーに対してそうしたように、2人の前にも暖かくて蕩けるような甘さの飲み物を差し出す。


「砂糖、入れたのか」

「お嫌いでしたか?」

「ああ……いや。今日は良い。寧ろ、丁度良いくらいだ」


 相変わらず良い香りのする豆だな。

 ヴィオラはカップを傾けてからホッと一息吐くと、眼を閉じたまま静かな声色で口を開いた。


「サリナ」

「……はい」

「お前、オーラムが攫われたのは自分の不手際だって思ってるな?」

「……」

「落ち込む必要は無い、などと言うつもりはねぇ。ま、私はお前のせいじゃねぇって思ってるが、それとこれとは別なんだろ、お前の中じゃな」

「はい。オーラムさんが危険な立ち位置にあることは、昨日の時点で推測できることでした。彼女が失踪事件の被害者になるのは想定外だったとしても、他にやりようがあったはずです……」

「分かった。それなら敢えて、お前のせいだったことにしよう」


 彼女は脚を組みながら右腕をサリナの肩に通し、抱き抱えるようにしながら引き寄せる。


「わっ、わ」

「だったら尚更顔を上げろ。ここ数日でよく分かった、お前の弱点はそのメンタルの弱さだ。失敗を犯したならその後の行動で取り返す。大抵はこれでどうにかなるもんだ。それとも、挽回の機会を先送りにする気か?」

「そんなつもりは……」

「ま、すぐにとは言わねぇ。お前もまだ子供だ。目標は……そうだな。この話し合いが終わるまでに立ち直ること。良いな?」

「……はい」


 少女の背中を優しく2度叩いて、それから解放してやるヴィオラ。

 その表情から、先刻までの焦燥と憤怒に満ちた緊張を見て取ることはできない。


「なんだ、アレキサンドライト。ありがとな、お陰で落ち着いた」

「いえいえ。これ程スムーズに冷静さを取り戻していただけるとは思ってもみませんでした。ヴィオラさんは、類稀なる精神力の持ち主ですね」

「まぁ、場数を踏んでるからな。ただ、そんなことはどうでもいい」

「そうですね。先程起きたことを教えていただかなければ」

「単刀直入に言う。オーラムが攫われた」


 ふと、アレキサンドライトの表情が固まる。

 マグリットの言葉を聞いたのだ。予想の範囲内ではあるだろう。

 その反射行動にどのような意味があるのか、ヴィオラには推し量ることしかできない。


「……彼女は、罪人です。しかし、守るべき市民の1人であることもまた事実。今回の1件に関しては私も、政治的な立場に左右されることなく彼女を扱うつもりです」

「あぁ、それでいい。それで、私とサリナはオーラムの家に辿り着いたところで失踪事件の首謀者を名乗る女に出会ったんだが……コイツはオーラムの同居人らしきガキだった。それも気狂い、ド変態、筋金入りのマゾヒストだ」


 ふらりと、嫌な記憶が蘇った。

 忘れろ。あんな光景は思い出す度に身体を蝕む猛毒だ。


「……チッ」

「そこまで仰るということは相当ですね」

「ま、色々あった。ただ、情報も聞き出せはした。アレキサンドライト、アンタの仮説は大体合ってそうだ」

「仮説、というと鉱山の閉鎖に関わる一件と四獣の遺物なるものの関係性ですか?」

「そうだ。あのガキ、早く廃坑を調査しろ、だなんて宣いやがった。挑発の可能性もあるが、あの言い方じゃその類じゃねぇな。これは挑戦状ってヤツだ」

「挑戦状……」


 調査しないの?

 あー、しないんだー?

 残念♡

 折角教えてあげたのになー?

 脳内のイブリースが狂笑しながらそう囁く。

 無視する手も勿論ある。

 ある、が。アレキサンドライトの仮説が正しいとすれば、やはり放っておくわけにもいかなかった。


「廃坑、ですか」

「なんだ?妙に歯切れが悪いが」

「もしあなた方をすぐにでも廃坑の中に入れて差し上げられるのであれば、悩む必要もないのですが」

「私達の実力を疑ってる……訳じゃあなさそうだな」

「勿論です。確かに廃坑は危険な場所ですが、然るべき準備さえすればあなた方が命を落とすことは無いでしょう。問題はその前なのです」

「その前?」


 つまり、そもそも自由に出入りはできない、ということなのか。

 少なくとも、ジェムストーンマフィアのボスの権限だけでは。


「鉱山は、人間に巨大な活力を与える蠱惑的でどこまでも危険な燃料です。その為、容易に坑道に侵入できないようあらゆるルートに厳重なロックが掛かっているのです」

「厳重ってのはどのくらいだ」

「解除するには、ジェムストーンマフィアの最高会議を招集し、私と5人の役員、そしてアンドレアさんを加えた7人の中から過半数の賛成票を集めなくてはなりません」

「……成る程ね。そりゃ、厳重極まりねぇな」

「ただ、もし皆さんが本気で廃坑を調査すると仰るのであれば。召集するのもやぶさかではありません。そして可決された暁には、私も同行します。やるからには本気で向き合いましょう」


 ヴィオラはふと、彼女の言葉を聞いて顔を上げた。

 アレキサンドライトの眼は、全く動じることなく鋭い光を放っている。

 最初は、正気かと聞くつもりだったのだが。その気はいつの間にか失せていた。


「マーキュリー?」

「答える必要がありますか?」

「サリナ?」

「右に同じく」

「だ、そうだ」

「……分かりました」


 それから、彼女は一息で紅茶を飲み干すと、空になったカップをソーサーに戻してからゆっくり立ち上がった。


「仔細は後日お伝えします。それまでは身体を十分にお休めください。本日はありがとうございました。出口までにはなりますが、お見送りしますよ」


 彼女の雰囲気が変わった。

 もうそこに居るのは、紅茶とコーヒーを好み、お茶菓子を選ぶことに喜びを見出す等身大の女性ではない。

 マフィアのボスとして一癖二癖あるメンバーを率い、ひいては都市全体を牽引する強力なリーダーとしての彼女だ。

 大陸一の治安を誇る大都市を実質的に収める大組織、ジェムストーンマフィアの最高会議か。

 お手並み拝見と行こうではないか。

 ヴィオラは静かに笑うと、釣られるように腰を上げた。

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