第16話 ゴルコンダ

 粉塵が、カーテンのように視界を覆う。

 彼女は轟音と共に倒れ伏した触手の前に立っていた。

 何度か銃弾を打ち込んでみたが、ぴくりとも動かない。

 推し量るに。彼女が放った斬撃を受け、哀れにも命脈が絶たれてしまったのだろう。


「ハッ。ざまぁねぇな。好き勝手暴れたがるお年頃の悪い子には、キツすぎる仕置きだったか?」


 ヴィオラは軽く鼻を鳴らして、舞い上がる煤を払いながら振り返った。

 そして、屈んでその表面をじっくり眺めてみる。

 柔らかくも強靭な紫色の肌。仄かに煌めく虹色の鱗。

 それらは確かに、物珍しく見える。

 特に、叩きつけられた反動で飛び散った魚鱗は、床や天井に深々と突き刺さる程鋭利で、ダマスカス鋼製のナイフもかくや、という切れ味だ。

 ただ、それ以上に奇妙で眼を引くのは、軟体が全身に纏う粘液だろう。

 腐乱臭を漂わせながら、それはじわりじわりと床に大きな溜まり場を形成している。


「触ったところで何も起こらねぇ、か。こんな化け物、見たことねぇが……身体を守るための粘液なのか?それとも……」

「お前が殺した」


 瞬間、彼女の脳髄を痛烈な罵声が貫いた。

 ヴィオラは咄嗟に背後を顧みる。

 いつの間にかそこには、フードを被った人々が10名近く立っていて。


「お前が、殺した」

「あ?当然だろ、周りが見えねぇのか?床が抜けて、倒れた蝋燭からは火が燃え移ってる。ま、床が濡れてるお陰でもう殆ど鎮火したみてぇだが、こんなことになったのはこの化け物の」

「化け物だと!?何と罪深いことを!このお方は、我らが神に託されし御腕なのだぞ!?」

「御腕だぁ?」


 彼女は不快な感情を全面に押し出しながらも、冷静に周囲を観察した。

 数は……6、7、8、9人。

 暗くて見えにくいが、どうやら全員がそれぞれ凶器を持っているらしい。

 そして何よりも。首の辺りから見え隠れする、魚鱗の生えた地肌。

 一瞬だけ、彼らはこの教会の人間なのではないか、と期待したが。

 どうやらそれは現実離れしたものだったようだ。

 これらの人々は、拝樹教の信者などではない。

 ナラゴニア教会の教えに魅せられ、深海の楽園に救済を求めるようになった狂人共だ。


「お前が殺した」

「アンタが殺した」

「殺した」

「殺した」

「殺した」

「殺した」


 じり、じり。

 瞳孔の開き切った人々が、段々と彼女の方に歩み寄る。

 ふと、右足を下げた時、踵が背後の触手に当たった。

 ブーツに粘液が纏わり付く。

 仕方がない。モンテドーロに戻ったらまず、諸々の装備品をメンテナンスに出さなければ。


「はっ。なんだ?くだらねぇ報復の為に私と戦うのか?あぁ、お前ら風に言うなら、聖戦に挑む、か。どちらにしても馬鹿げてるぜ、アンタら」

「神の行いに逆らうばかりか、その玉体を傷つけるなど。あってはならないことだ」

「玉体、御腕、ね。そこまで言うなら、私からも1つ質問だ」

「……」

「この教会。つまり、アルバーノ教会の聖職者たちはどこにやった?」

「聖職者だと?奴らは等しく、偽りの神を信仰し、我らの同胞を殺める悪魔に過ぎん。ただ、その身の尊さは失われていなかった、それだけのことだ」

「良し」


 眼と鼻の先にまで近づいてきた信者たちを前に、彼女は感情を抑えることを諦めた。

 そこまで殺し合いたいのなら、その願いを叶えてやろう。


「お前ら全員、ここで死ね」


 そう言い放つと彼女は、胸の前に持ち出していたナイフを一心に振り下ろした。

 陽炎を映し出す刃は弾け出す血肉で一瞬にして真紅に染め上げられ、獰猛な獣のようにそれを貪る。


「1人」


 1人目は、最も苦しまない死に方であった。

 先頭を歩き、彼女と会話まで交わしていた男は、喉笛から下腹部にかけて一挙に両断され、破裂する風船のように花火を上げながら絶命する。


「2人、3人」


 そこへ、蹲み込んだヴィオラを抑え込もうと2人の女が掴み掛かり、彼女の両腕の関節を外しに掛かる。

 1体2。側から見る限りでは、結果が目に見えた勝負。しかし、例え2人掛かりで襲い掛かろうとも、膂力の差は歴然としたもので。

 ヴィオラは無造作に彼女らの頭部を掴むと、吊し上げるように持ち上げた。

 刹那、彼女の両掌の中でか細い悲鳴が2度響く。

 普通の感性があれば。相手がどれ程憎らしかろうと、ここで踏みとどまっていたかもしれない。

 ただそれは、戦場で生きてきた……否、戦場でしか真に生きていけないような人でなしの前では、逆効果に過ぎなかった。

 トマトの様に脳漿を弾け飛ばしながら床にへたりと倒れ込む2人を彼女は見下ろす。

 その表情は、闇に覆われていて窺い知ることなどできない……唯一分かることは、前方に突き出した両手の鮮血を振り払って次のターゲットに視線を移した、ということだけである。

 まるで。その血が汚れていて、すぐにでも洗い落とさなくてはならないとでも言うように。


「4人、5人、6人」


 ただ、ヴィオラを人でなしとするならば、一方のナラゴニアの狂人たちもまた、凡そ恐怖という感情を持ち合わせていない人外であった。

 眼前で同胞が無惨に絶命させられたとあっても、逃げ出すことは無かったのである。

 例えば、壁に掛けてあった大槌を振るい。

 例えば、粘液の中に埋もれた燭台を投げつけ。

 例えば、机と共に地に臥すシャンデリアを振り回し。

 一人一人が明確な殺意を持って、ヴィオラを襲う。

 ただ、それは皆殺しの選択を取った彼女にとって好機でしか無かった。

 床を蹴り上げ、三角跳びの要領で3人が固まる場所に着地すると、そのまま首を切り裂き、膝を蹴り砕いて頭部を踏み潰し、胸を肘で折り砕く。


「7——」

「騒がしいと思えば。何をしているのですか?」


 それから、最後の3人を手に掛けようと向き直ったその時。大広間を見渡す中地階の踊り場から、くぐもった男の声が反響してこだました。

 瞬時に彼女は、記憶を探ってその声の主人を辿る。

 しかし、それに聞き覚えなど。


「……」


 コツン、コツン。

 階段を下る音が、静寂の中に響いている。

 いつの間にか、ヴィオラの中に宿る怒りの炎はたち消え、関心はその誰かに向かっていた。

 ドアノブが回る。

 扉が、蝶番の悲鳴と共にゆっくりと開く。

 そしてその向こうには。


「!?」


 闇夜に、りんごが浮いていた。

 いや、違う。

 首の無い、スーツ姿の男の上に、山高帽を被ったりんごが浮いている。

 また、白い手袋をした両手の上には、何か大きな球のようなものが乗っており、そこからは水が滴っていた。

 尤も、その上には乳白色の薄布が被せられていて、中身を細かく窺い知ることはできない。

 ただ、その腕の隙間からは真っ黒な髪の毛のようなものが……。


「ふむ」


 喋った。

 しかも、割と若めの男性の声である。

 仮に、その宙に浮くりんごが彼の頭部だとすれば、どこからその声は出ているのだろうか。

 ヴィオラの脳内に浮かぶ疑問は止まるところを知らない。

 男は徐に広間を見渡すと、ゆっくり歩み寄ってピクリとも動かない6人の信者たちと御腕の前で立ち止まった。


「私の外見は、あなたから見て奇異ですか?」

「……。当然だろ。明らかに人間じゃねぇ」

「人間ではない、と。成る程、事実とはいえ悲しいことです。……パトリック?」

「は。パトリック、ここに」

「状況を説明してください」


 りんごが微かに動いて、パトリックと呼ばれた男の方にヘタを傾かせた。

 どういう原理なのかは、さっぱり分からない。


「御身も既に御感触のことと存じますが……我らが神より託された御腕が、息を引き取りました。その下手人こそ、この分を弁えぬ女。我らは、神より齎されし加護と恵みに応えるべく果敢にも聖戦に挑んだのですが」

「彼、彼女らはその犠牲になったのですね?」

「はい。力及ばず……しかし、御身の手を煩わせることはありません!6人は賊による暴虐を前に膝を折りましたが!未だ、我らが」

「パトリック」

「……は」


 りんご頭の男は両手の上に乗せた何かを震わせながら蹲み込んで、脳髄と木屑が混ざり合うクレーターを覗き込む。


「私たちの目的は、可能な限り多くの人々に教えを広め、同胞と共に理想の島へ辿り着くこと。そうですね?」

「仰る通りです」

「神は確かに敬うべきもの。我らの終着点にある救いが彼女によるものであるならば、当然のことです。しかし、そこに横たわる粘体は、果たして我らが畏敬を示す神そのものですか?」

「し、しかし……」

「パトリック、あなたの懸念は理解しているつもりです。この御腕は、神に託されし神の腕の1つ。無論、これを失うのは望ましいことではありません。しかし、今一度我らの目的に立ち返るのです」

「……」

「私を含めた教団幹部も、神も。無為に同胞の命が失われることを、喜びとは思いませんよ」


 パトリックは静かに一礼すると、右手に持つ燭台を机の上に置き、平伏した。


「神に賜った恩寵は、再び再臨する。パトリック、アラン、アントニア。あなた方はこの信心深き9人の内の生き残り。それを努努忘れず、励むように」

「はっ。潮騒の祝福が、貴方様と共に在らんことを」

「ええ、潮騒の祝福が、貴方と共に在らんことを。この後のことは私に任せてください。定例の時間でしょう?」

「ありがとうございます。それでは、我らはこれで」


 アントニアと呼ばれし少女を先頭に、3人は深々と頭を下げると、それぞれ手に持つ凶器を投げ出してこの場を去っていく。

 暗く、暗く、より暗く。

 どろどろとして纏わりつくように濃厚な深海の泥。

 彼らの身につけているローブは、そのような色をしていた。

 微かに漂う潮の香りは、最早ヴィオラに爽やかさを感じさせることはない。

 付随して脳裏に過ぎるのは、惨憺たる儀礼の数々と鉄の臭い、耳を塞ぎたくなるような叫声、逃れ得ぬ絶対的な呪縛の鎖。

 そして、仄かな果実の甘い香り、か。


「……アンタ」


 先刻まで怒りの対象であった信者たちの背中を眺めながら、彼女は口を開く。

 ぐるん、と眼玉が動いて、宙に浮くどこまでも青いりんごと視線を合わせた。


「教団幹部つったか」

「耳聡いお方ですね。名称を、ルネ=マグリット。黄昏の代行者の元に結集した3名の幹部、「三隻のナレンシフ」の内の一隻でございます」

「ルネ=マグリット……」

「ラグナル北部では、そこまで珍しくはありませんよ」

「そこの生まれなのか?」

「いいえ。私のような異形の者でさえ、人間の胎内より生まれ出でることができるのなら、どれ程幸福だったことか」

「はぁ?」


 何を言ってるんだ、と唾を吐きながら、リボルバーの撃鉄を起こす。

 雷鳴よりも早い、鍛治神の一撃。

 閃く弾丸の怒りは、時に命の重みさえ凌駕する。


「しかし案ずることはありません。あなたは、この肉壺の中に迷い込んできたのですか?」

「いいや。迷い込んだわけじゃねぇよ。お前らはどうして、この教会を乗っ取ったんだ?ここには、拝樹教の敬虔な信徒たちが暮らしていたはずだろ」

「敬虔……そう、確かに彼らは敬虔でした。敬虔が故に、神の腕に抱かれることを望んだのですから」

「……殺したのか」

「いえ、彼らは——」

「殺したのか、って聞いてんだよ!」


 煌々たる雷鳴が光無き大広間を貫き、丁度りんごの眉間に当たるのかもしれない位置を過たず撃ち抜く。

 耳を劈くような火薬の破裂音に遅れて、彼の後方に大量の液体が飛び散った。


「濁すんじゃねぇよ、クソが」

「ふむ。何とも気難しいお方ですね。折角の礼服が汚れてしまいました。しかし、あなたの鬱憤が晴れるのであれば、そうされると良いでしょう」

「……」

「私の身体は……特に、この林檎は、特別製ですから。その銃で何度撃ち抜こうとも、あなたを熱狂させる赤を見ることは敵いませんよ」

「チッ。そのよく回る口さえ塞げれば、血なんざ見なくとも熱狂してやるさ。それで?答えは?」

「彼らは神を宿すこの社と一体になりました」

「社と一体だぁ?」


 ヴィオラは、硬く口を切り結んだまま男を睨みつけた。

 濁すな、つっただろうが。

 仮に字面通り受け取るなら、教会の人々はこの建物と一体化した、ということになってしまう。

 そんなことがあり得るのか?

 ……いや。

 彼女は思い出す。数十分前、最後に浴びた外の光を。

 穴が塞がっていく音は、どこまでも不快なものだった。

 それが肉の再生する音だとしたら、どうだろうか。

 男の言葉が真実であるなら、数日程度の短い期間でここまで周到な迷宮が完成したのも納得である。

 なのだから。


「……悪趣味なクソ野朗共が」

「悪趣味、ですか。確かにこの教会は、少々血の香りが濃厚過ぎるかもしれませんね。ただ、1つ。恐らく、あなたは勘違いしていることがあるのでは」

「勘違い?」

「あなたはここへ、何をしに来たのでしょう?私達の非道を糾弾する為?それとも、我らの土地で無道を働く拝樹教の異端審問軍の真似事?いいえ、いいえ。そうではないですよね?」

「……」

「私達の本分は確かに、神に賜った無上の教えを広めること。その為であれば、土地の浄化も、住民の教化も厭うことはありません。しかし、今回に関しては違います」

「はぁ。ナラゴニア教会の狂人共に、布教以外のことを考えるだけの利口さがあるとは思ってもみなかったが」

「ありますとも。我々もまた人ならざる身体で、人々の営みを模倣している身ですからね。偽物は時に嫌悪されるものですが、真物に近づけば近づく程容易に受容されるものです。例えばその——」


 あなたの雇用主のように。

 ふと、ヴィオラの耳元で鍵が開く音がした。

 微かな風。全ての終着点たる石炭袋が開いた感覚。

 ブラックホール?地獄の谷?深淵の底?

 いや、この感覚はそこまで悪辣なものでなければ、明確な感情を感じる余地のあるものでもない。

 曰く、オートメーションが発達している世界連合の都市には、自動ドアなるものが存在しているらしい。

 宮殿の大きな扉も、守衛が数人掛かりで管理する必要は無いのだと。

 この音、この重み、この空虚。

 それは、今彼女が聞き取った扉の開閉音に近いのだろうか。


「フフ。何やら悪口にも取れるような言葉が聞こえたものですから。つい、来てしまいました」

「旦那!」


 どうしてこんなところに、と言おうとした所で、気管がキュッと閉じる。

 かれは静かに微笑みながら、自らの唇に人差し指を当てていた。

 数日ぶりに出会すと、背の高さに何度でも驚かされてしまう。

 この大広間の天井が、10m以上の高さを誇るもので良かった。

 と、いうか。


「アンタ、その格好……」


 裸足に、バスローブ。

 何を考えているんだ?


「入浴中に救援要請をいただいたものですから。着替える暇も惜しんで顔を出しただけですよ」

「にしてもなぁ……」

「フフフ。恥ずかしがることはありませんよ。と、それはそれとして。この空間の主人はあなた様ですか?」

 

 アルカヘストのオッドアイが滑らかに動き、眼無き狂人を見つめた。


「お初にお目に掛かります、アルカヘスト殿」

「成る程、成る程。ヴィオラ君、寧ろ良く生き残りましたね?並の人間なら発狂死してますよ。ほら、例えばこの触腕なんてとても気持ちが悪いでしょう」

「……アンタが雇った女は並の傭兵じゃなかったってだけだろうが」

「清々しい傲慢さですね。嫌いじゃありませんよ」

「口説いてる場合か?」

「はい。彼に、敵意はありませんから」

「……」


 私は襲われたんだが。

 いや、私が襲ったのか?


「とはいえ、体裁が整っていないのも確かです。できるなら、最低限の交流で終わらせたいところですが。……よろしいですね?」


 彼女は、視線でマグリットに回答を求める。

 無論、そこに拒絶という選択肢は存在しない。


「勿論です。我々の目的だけ、最後にお伝えしましょう」

「信じるとは限らねぇがな」

「ええ、信頼は強制して得ることのできるものではありませんからね。端的に申し上げますと、我々の目的は四獣の遺物を回収することです」

「……四獣の遺物」


 四獣。其は数百年前に淘汰されたこの大陸の旧主達、かつての霊長。

 その遺物とは……まず間違いなく、穏やかな物ではないだろう。


「それを手に入れてどうするつもりだ?」

「言うまでもありません、全てはより多くの同胞達と共に理想の島へ至る為に。我らの至上命題はこれの他にありません」

「少なくとも、テメェらに渡すわけにはいかねぇな」

「未来を垣間見た時、そこにはどのような結果が待っているのか。楽しみですね。ただこれで、我々があなた方の求める敵ではないことをご理解いただけましたか?ヴィオラさん、あなたが追い求めているのは、モンテドーロを騒がせる失踪事件の真犯人でしょう」

「……」


 何故知っている、とは聞かなかった。

 相手はナラゴニア教会だ。

 いちいち疑問を口にしていては精神も体力も保たない。


「それは別に居ます。そうですね、私から申し上げられることがあるとすればこの辺りでしょうか。我々があなたの味方でもなければ、敵でもないことを理解いただければ幸いです」

「敵でも味方でもない、ね」


 都合の良い立ち位置を確保しに来たようにも思える。

 ただ、彼女が突き止めようとしているのは確かに、四獣の遺物を手に入れようと暗躍する誰かなどではない。

 彼を信じるべきか、否、全幅の信頼を置くつもりなど毛頭ないが、どの情報をどこまで、どう信じるべきか。


「考えさせてくれ。整理するべきことが多い。ただ」


 リボルバーを腰のスロットに戻しながら、ヴィオラは眼を光らせた。


「少しでも今の言葉の中に嘘があれば、次は殺す」

「お待ちしております。さて、お帰りは……」

「あぁ、マグリット殿の手を煩わせることはありませんよ。ヴィオラ君からは、もう大丈夫ですか?」

「充分だ。だが、旦那が?」

「フフ。私も、多少特異な力を扱えますからね。君程恵まれているわけではありませんが」


 ヴィオラは、アルカヘストに促されるまま後ろを振り返る。

 すると、そこには高さ4m程度の大門が、まるでそう有るのが当然とでも言うように大きな口を開いていた。

 そうか。

 アルカヘストが声を発する直前に感じた微かな違和感、空虚な風の香り。

 それは、この行先見えぬ門が開いていたが故だったのか。


「私の能力です。長い名前を付けるのは面倒なので、単純に“門”と呼んでいます」

「ふぅん?どこに繋がってるんだ?」

「勿論、ホテルの前です。今日はもう休みたいでしょう?」

「そんなことは……」


 いや。

 ふと、彼女は身体の数箇所から血を流していることを思い出す。

 痣や打撲などは取るに足らないが、明日以後のことを考えれば無理をする必要もないだろう。


「……そうだな。アイツらには連絡しねぇといけねぇが」

「はい。私が請け負うのはここまでですから。後は、お願いしますね」

「それではご機嫌よう、月牙泉のお二人。次出会う時は、より友好的な関係になっていることを祈っていますよ」


 山高帽を被った青りんごが、少しだけ前に傾く。

 どうやら、軽く頭を下げて見送っているようだった。

 不気味ながらどこか間の抜けた外見といい、余りに腰が低すぎる言動といい。

 どこまで信じるべきで、どこまでが彼の本性なのか、全く分からない。


「チッ」


 ヴィオラはその誠意に対して、舌打ちで以て返答とした。

 元より彼女は拝樹教の信奉者。

 彼に対して良い印象を持つわけも無い。

 つんと鼻にくる海の香りが、段々と薄まっていく。

 まずは、分断された仲間と合流しなければ。

 久方ぶりの日光の元へ、彼女は足を踏み出した。

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