第13話 謝肉祭

 モンテドーロの特産品といえば、湿潤な気候で育まれる瑞々しい果実。そして、暖流と寒流が交わる肥沃な海域で育った魚介類になるのだが。

 実はここのところ、畜産業にも都市をあげて取り組んでいるらしい。

 だからだろうか、メインストリートにはいくらか、開店から間もないステーキハウスが立ち並んでおり、ある一角は激戦区を形成してお昼時に路上を彷徨う社会人たちを虜にしていた。

 サンキュー、ジェムストーンマフィア。

 サンキュー、アレキサンドライト。

 そのお陰で、二人は比較的安価ながら上質な牛肉を食べることができたと言えるだろう。

 一杯になったお腹を叩きながら、店を出る。

 歯間を扱いた爪楊枝を道路脇の排水溝に投げ入れると、彼女は両手を後頭部に回して息を吐いた。


「はー、食った食った。もう、当分ステーキは食いたくねぇな」

「これから運動するんですよ?食べ過ぎです。それでもプロの傭兵ですか?」

「プロだからこそ、だろ。戦場じゃ、食事中に襲撃されるなんてザラだしな。腹にモノ入ってるくらいじゃ、動きは鈍くなんねぇよ。寧ろ、レーション片手に素手で撃退するくらいの気概がねぇとな」

「全く、少しも、パフォーマンスは落ちない、と?」

「おう」


 ドヤ顔でそのように豪語する紫髪の悪魔。

 取り付く島も無いその様子に、サリナは呆れる他なかった。

 尤も、元より倫理や道徳で彼女を頼りにするつもりなど毛頭無いのだが。


「それになぁ、お前」

「はい」

「私とほぼ変わらねぇ量食ってたろうが」

「はい」

「はい、じゃねぇよ。お前に私を糾弾する権利なんてねぇだろ?」

「身共は何も、ヴィオラさんが5枚、6枚、と1ポンドステーキを食べたことに怒っているわけではありませんよ?お腹が膨れるまで食べたことに呆れているだけです」

「あのなぁ。あんなに食ったら誰だって腹ぁ膨れ……」


 ふと、ヴィオラは口を噤む。

 そして、視線を落とし、150cmにも満たない身長の少女に……厳密に言えば、少女のお腹に、眼をやった。

 ……。


「なぁ、サリナ」

「はい」

「お前が食ったはずのステーキ、何処に行った?」

「どうしてそんなことを?ヴィオラさんの眼の前で食べてたじゃないですか」

「いやまぁ、そうなんだが。消化速度が異常に早い、とかか……?」

「常人並みだと思います」


 おかしいだろ、と呟きながらヴィオラは嘆息した。

 成る程、あれくらいの量では、満腹にならないらしい。

 胃に穴でも開いているのではないだろうか。


「そんなことより。集合時間まであとどれくらいですか?」

「まぁ、2時間あるかないかだな。十分だろ」

「このまま向かいますか?」

「そうだなぁ」


 少しだけなら、気になるところを回ったって良い。

 腹ごなしにもなるだろう。

 ただ、それで他の面倒事に巻き込まれるのは避けたい。

 普段の調査時間の隙間ならば兎も角、約束事があるならそちらに精力を注ぐべき、と考えることだってできる。

 ましてや、相手はかの悪名高きナラゴニア教会だ。


「ま、今日はこのまま向かうか。早く着いたら、カテドラーレで本でも読めば良い」

「本、ですか」

「歴史書でも、地理書でも、何でも良い。情報が隠れてるかもしれねぇだろ?」


 そう言うと、彼女は地図を取り出して、カテドラーレ・クリゾベリッロの位置を指差した。


「方角は……あっちだな」

「み、身共にも見せてください……」


 グイッとヴィオラの右腕を掴んで身を乗り出すサリナ。

 幾分か体重が掛かったのを感じたヴィオラは、咄嗟に腰を落として、地図を右前へと傾ける。


「これで見えるか?」

「よいしょ。……確かに、メインストリートに沿って南に向かえば、ちょうど近くに出られそうですね」

「ま、少し進んで行けば見えてくるだろ。何しろ、馬鹿でかいらしいからな」

「案内はヴィオラさんにお願いします」

「おう。任せとけ」

「身共よりも、ヴィオラさんの方が早くカテドラーレを視認できそうですからね。身長的に」

「……」


 そういうことかよ、馬鹿馬鹿しい。

 口角を上げながら、彼女は悪態をつく。

 しかし、それを理由に拒絶することはなく、再び歩き始めた。

 目指すは、ペリドット区域の区庁舎である。



「なんか、良い匂いするっすね!」


 カテドラーレの入り口付近で落ち合った時、彼女が発した最初の言葉は実に締まらないものであった。

 いや確かに。二人の服にはステーキハウスに充満していた煙が染み込んでいて、香ばしいスメルを発していたかもしれない。

 少なくとも、肉の焼ける香りくらいはしたことだろう。

 しかし、これからやることを考えれば、もう少し緊張感のある言葉をかけるべきではないのか。

 オーラムの天真爛漫な笑顔を前に、毒気を抜かれつつもヴィオラは腕を組んだ。


「……それで?場所はどこなんだ」

「つれないっすね〜。美味しいもの食べたなら、感想の一つや二つ、聞いたって良いじゃないっすか」

「聞きてぇなら、いつでも聴かせてやるよ。ただし、今以外な」

「むむ。もしかして、緊張してるんすか?」

「単純に煩わしいだけだ」


 目元に影を落としながら冷たい声で応答するヴィオラ。

 早くしろ、とでも言いたげである。


「うーん、そういう風に言われたなら、仕方ないっすね。案内するっすよ」

「おう」

「道中で少し、情報を共有しても良いっすか」

「情報?」


 軽やかに、ステップ混じりで前を行く彼女は、ニヤリと表情を歪めながらこちらを見つめた。


「……なんだ」

「いや、なんでも無いっすよ。まぁ、目的地に着くまでの暇潰しとでも思ってくださいっす」

「はぁ」

「これから向かう場所なんすけど、実は住宅地のど真ん中にあるんすよね〜」

「はぁ?」


 住宅地のど真ん中にある建物が、ナラゴニア教会の支部になっている、だって?

 噂によれば、彼らはその身に宿した魚鱗を振りかざすだけで汚染を撒き散らし、土地に甚大な被害を齎すという。

 これが本当であれば、既に取り返しのつかないことになっている可能性もあるのではないか?


「あぁ、大丈夫っすよ。アタシが軽く見回った感じ、まだ影響は無いようなので。周囲には」

「含みのある言い方しやがって。もっとはっきり言えねぇのか?」

「いや。これに関しては、アタシの口から告げるよりも実際に見て貰った方が早いっすよ!まぁ、ヴィオラさんの危惧するような事態にはなってない、ってことで」

「チッ。煙に巻くような言い方は嫌いなんだ」


 オーラムは軽く笑い声を挙げて、それでもって返答とした。

 苛立ちの止まらないヴィオラ。

 しかし、これ以上沸騰しても意味がない、と彼女は深呼吸する。


「……他には?」

「他っすか?そうっすね、後は……」


 そして、彼女は楽しげにも、悲しげにも見える様子で、荘厳な建物の前で振り返った。


「……」

「こうして建物の前に立つだけでも、その悪辣さが分かるっすよね?だから、もう少しだけ感情をコントロールできると、調査に役立つかもしれないっす」

「……。もし、オーラムさん。確認しますが」


 言葉を失ったまま煉瓦造りのそれを見上げる彼女を横目に、サリナが口を開く。

 壁からせり出た小さな屋根の下には、特徴的な形をした大樹のイコンが吊り下げられていた。

 この、十の枝、四の果実、二十二の根に囲われた大きな湖で構成されたモチーフは、かの宗教の主たる象徴である。


「ここは、拝樹教の礼拝堂、ですよね?」

「そうっすね。元々は」

「身共は予想をあまり口にしたくはありません。ですから、あなたの口から事実を聞かせて欲しいです」

「簡単なことっすよ。ナラゴニア教会の人々は、潜入直後ここを乗っ取って拠点に作り替えたってことっす」

「……それなら、私からも質問だ」

「はい」


 いつにも増して低い声で、ヴィオラは口を挟んだ。

 すぐにでも銃を抜いて扉を蹴破ってしまうのではないか、とサリナは危惧していたが、そこまで頭に血が昇っているわけではないらしい。

 しかし、彼女が怒りを覚えていることを二人は理解していた。


「2つだけ答えてくれ。1つ。教会は、毎日信者が出入りする場所なはずだ。なのに、このような暴挙に出てどうして訴えがマフィアの上層部まで上がって来ない?」

「分からないっす。そこは、アタシも気になるところっすけど。もしかしたら、教会勢力が持つ不可思議な力で、周囲の市民の認識を阻害しているのかもしれないっすね。もしくはマフィア内部に……。いや、追放された身でこのような仮説を口にするのは憚られるっすね。もう1つは?」

「2つ。中にいる司祭さんやシスターさんは無事なのか?」

「中に入ってみないことには。ただし、この扉から誰かが出入りした痕跡は、アタシが観察した限りゼロっす。生きているとしても、監禁されているか、もしくはそれ以上に」

「いや、分かった。……ふぅ」


 静かに眼を閉じて、息を吐く。そして、吸う。

 数秒、誰にも話しかけられず、話しかけもしない虚無の空間で、意識を整える。

 それから、いつものように笑った。


「ハッ。じゃ、入るか」

「アタシはいつでも。サリナさんは?」

「身共も同じく。誰から入りますか?」

「先陣は私が切ろう。ただ、オーラム。この中の構造はどれだけ調べが付いてるんだ?」

「アタシは身分が身分っすからねぇ?そんな、教会の構造なんて……」


 と、言いつつも、彼女はヴィオラの問いにウィンクで返した。


「以前この教会に通っていた人に聞き取り調査して、大方は頭に入ってるっすよ」

「お前、鼻につく行動をさせたら世界一だな……。じゃ、裏口なんかはあるのか?」

「荷物の搬入口なら。すぐそこっすから、案内するっすよ」

「おう。そっからは私が先頭だな」


 外見は、何も変わりがない。

 だからこそ、違和感が漂ってくる。

 信徒の往来で、ある程度の人気があって然るべき場所が、異様な静けさに包まれているのだ。

 曰く、鼓膜を震わせるような蒼き静寂は、蒼海より齎された黄昏の加護なのだという。

 彼女らは、ナラゴニアの海嘯を直に眼にしたことがあるわけではない。

 だがしかし、かつて拝樹教の支部であった三階建ての教会からは、そういった狂気の片鱗がじわりと染み出していた。


「ここっす。まぁ案の定、シャッターが降りてて入れないようになってるっすね」

「鍵は……ま、無ぇよな」

「そんな美味しい話は無いっすね」

「じゃ、壊すか」

「壊すしかないっすね」

「分かりました」


 その瞬間、オーラムとヴィオラの間を伸びるような煌めきが貫き、その勢いのまま脆くも薄いアルミ製のシャッターを引き裂いた。

 髪の毛が風圧に負けて舞い上がる。


「は?」


 無惨にもその役割を終えた鎧戸の方に眼を向けると、そこには大体長さ2m程度の美しい白亜の槍が突き刺さっていた。

 スタスタ、と何事も無かったかのように近づいていき、槍を引き抜くサリナ。

 理解するのに時間がかかったが、この蛮行は彼女によって行われたものらしい。

 ヴィオラは額に手を当てて、深く溜息を吐いた。


「あのなぁ……」

「はい」

「その音でバレたら裏から侵入する意味がねぇだろうが」

「しかし、どちらにしても壊すわけですよね?それなら、さっさとしてしまった方が良いと思います」

「ふぅ」


 苦笑いするオーラムの方を一瞥しながら、ヴィオラは顔を上げる。


「もし、他に良い手段があれば別ですが」

「分かった、分かった。今回に限ってはお前の行動を支持しよう。ただ、次からは報告しろ。それがチームプレーだ」

「……了解です」


 ここは、揉めていても仕方がない。

 やってしまったものはやってしまったものとして受け入れ、現実を直視しよう。

 幸運にも、物音は聞こえてこない。

 俄かにも信じ難いが、どうやらバレてはいないようだ。


「よっ、と」


 穴の空いたシャッターの隙間に両手を入れ、注意深く広げていく。

 すると、1分も経たない内に、人一人分が通れるだけのスペースが開いた。


「うーん。サリナさんに負けず劣らずヴィオラさんもパワー!って感じっすねぇ」

「道具が無ぇんだから仕方ねぇだろ」

「普通、やりたくてもできないもんなんすけどね」

「ま、そこは傭兵だからな。一般人よりゃ力も強ぇだろ、よっ」


 海にダイブする要領で直径1m前後の穴の中に身体を通し、くるりと1回転して着地するヴィオラ。

 即座に視線を上げると、眼前に広がっていたのは闇であった。

 濁りの無い闇、暗黒、深海。

 微かに漂ってくる潮の香り。

 無惨にも棚の上に放置された空の酒瓶が、差し込んでくる光を反射して煌めいているのが見えるのみ。


「チッ……教会にしては不気味過ぎねぇか……」


 パタッと聴覚の通信が途切れる感覚が彼女を襲う。

 振り向くと、そこには二人が——


「あ?」


 居ない。

 穴も無い。

 微力ながら搬入口を照らしていたはずの光は、瞬きの内に消えていた。

 いや、ここは本当に搬入口なのか?

 ヴィオラは自問自答する。

 穴を潜り抜けた時の不思議な感覚。

 彼女が飛び込んだのは、果たして本当に教会の中なのか?


「チッ。嵌められたか?或いは……」


 様々な可能性が脳裏を過ぎる中、ヴィオラは取り敢えず周囲を見回した。

 あの時見た光景と変わらない。

 彼女が置かれた状況など意に介さないように、様々な静物が彼女を見つめている。

 ふと、スラム街で見たような、腐りかけの扉が眼に入った。

 このまま、立ち尽くしていても仕方がない。

 退路を塞がれたのであれば、それが誰かの手のひらの上だろうと、進むしかないのだろう。


「……」


 腰から銃とナイフを取り出す。

 ふと、彼女はリボルバーのチェンバーを回して、残弾数を確認した。

 残り6発。充填用のものも充分ある。


「進もう」


 そして、臆することなく、闇の先へ向かって一歩を踏み出した。



 10分は経っただろうか。

 或いは、20分?30分?

 動かなくなった手元の時計は、何も答えてくれはしない。

 いくつかの部屋と回廊を通り抜けて、ヴィオラは一層奥行きのある大広間に降り立った。

 十何人と食事を共にすることができるだろう長い長い机、その上にはいくつか燭台が乗っており、蝋燭には火が灯っている。

 上を見上げれば、礼拝堂に相応しい雄大な世界樹の彫刻が彫り込まれているのが見えた。


「……」


 おかしいところがあるとすれば。

 足元が水浸しになっていることだろう。

 このままでは木製の床はすぐにでも腐食し、崩落してしまうに違いない。

 ナラゴニア教会の人々は何を考えているのか。

 

「ん?」


 足先に、何かが当たった感触がする。

 見れば、そこにあるのは銀色の食器であった。

 フォーク、スプーン、平皿、深皿。

 それらが、何かしらネバネバとしたものに塗れた形で散乱している。

 ただ、それらは問題ではない。


「……鍋」


 そして、その脇には一枚の紙が置いてあった。


「アルバーノ礼拝堂へようこそ。これを食べて元気になってくださいね、か」


 ゆっくりと、彼女は鍋の蓋をずらす。


「チッ」


 見紛うはずもない。

 中に入っているのは、スープなどでは無かった。

 これは、何かしらの肉だ。

 トリミングがされているわけでも、解体がしっかり為されているわけでもなく。

 ただ、無造作に肉が詰め込まれている。

 特に不快なのは、無数の蝿とウジがその中で餌を取り合っていることだった。


「はぁ。次の部屋は……」


 だだっ広い部屋の片隅から、美しい刺繍の入ったフェルト覆いの扉がこちらを凝視している。

 別に、扉がそれだけしかないわけではない。

 他にもいくつか、背後からヴィオラを見つめている。

 ただ、どうしてもその華美なドアが彼女を掴んで離さなかった。

 心臓がドクンと跳ねる音が聞こえた気がする。

 アイアンハートで売ってきた彼女を震わせるものとは何なのか。

 より好奇心が湧き上がって、自然と足がそちらに向いていく。


「……」


 迷いなく、彼女はドアノブを掴んだ。

 少し、力を入れて押してみる。

 もし鍵がかかっていれば、諦めもついたろう。

 しかし幸運なことに、もしくは不幸なことに、鍵はかかっていなかった。

 長い間オイルの雨を浴びていないのであろう錆び付いた蝶番が、耳をつんざくような音を立てながら僅かな隙間を生み出す。


「……ふぅ」


 息を吐く。息を吸う。

 ここは、ナラゴニア教会に汚染された“どこか”だ。

 少しの油断も許されない。

 そして、再び扉のノブに手を伸ばした瞬間。


「!?」


 轟音を立てて、扉は砕け散った。

 それから、咄嗟に左方向へ飛んだ彼女の頬と右腕を掠めて、ねっとりとした粘液を纏った半透明の何かが、うねりながら引き延ばされたゴムのように後方の壁へ突き刺さる。

 天井から降り注ぐ大量の埃が机を覆い尽くした。


「い、ってぇな……」


 掠めた傷は、案外深かったらしい。

 右頬が段々温まっていくのを感じながら、聴覚を、視覚を、前方に集中させる。

 それは、扉の前に立っていた彼女のことなど意識してはいなかったのだろうか。

 生き物のようにのたうち回るのに合わせて、食器が、煤が、木片が、宙を舞う。


「チッ。銃とナイフでどうにか——」


 それから、ふと思い出した。

 彼女の武器はそれだけではないということを。

 これだけ探索して、誰とも会わないのだ。

 多少、乱暴しても見つかりはしないだろう。

 そもそも、ここに誰か居るのかすら怪しい。

 無関係な人間の前でアテュの能力を使うのは気が引けたが……今、周囲には誰も居ない。


「やってみるか」


 瞬間、蛸の脚のようにもイカの触腕のようにも見えるブヨブヨとしたそれが、大きく持ち上がった。

 段々、ヴィオラの身体はその影に覆われていく。

 振り下ろされるそれを前に、彼女は床を蹴り上げて宙を舞いながら、月牙泉で得た感覚を思い出していった。

 机が割れ、倒れた燭台から炎が漏れ出し、微かに部屋を照らし出す。

 宙吊りになっていたはずのシャンデリアはガラス片を撒き散らしながら地に伏し、床は抜けて脚の踏み場が一層失われていくが。


「……手加減も要らねぇ、な」


 意識を集中させろ。

 イメージするのは、万物を切り裂く不可視の刃。

 それでもって、あのうるさいデカブツを叩きのめしてやれ。

 何かを感じ取ったのか、それとも咄嗟の防衛本能か、先程までヴィオラのことなど眼中にないように暴れ散らかしていた触手は、次々と彼女に向かってその身体を叩き付けた。

 薙ぎ払い、貫き、振り下ろし。

 しかし、足場の悪い環境での立ち回りこそ得意とする彼女に対して、そのような大ぶりな動きが命中することはない。

 それから、彼女の脳裏に浮かぶ冷たい刃のイメージが頂点に達した時、微かな光が前方に渦巻いていた。


「オラァ!こんの、化け物が!」


 ヴィオラは眼を開く。

 必ず、その剣を命中させる為に。

 刹那、火炎に当てられて蛍のように燃えては消えていく煤たちが、道を開けるように眼前から姿を消し。


「喰らいやがれぇぇぇえええッ!」


 彼女は、欲望の赴くまま、刃と共に腕を振り下ろした。

 絶叫がこだまする。

 海水が弾け飛び、粘液が空中を舞い踊る中、空気すら引き裂いて、それは冒涜的な何かに着弾した。

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