第7話 アレキサンドライト

 職人と商人の集う黄金郷、モンテドーロ。

 大陸最大の金山の鉱山集落として発展したこの独立都市は、閉山を迎えて尚、培われた技術を求めて大陸全土から多くの職人たちが門戸を叩いている。

 実際、あらゆる国家を見渡しても、モンテドーロ程巨大にして強力な職人ギルドを抱える場所は無いだろう。

 ともあれ。黄金と鉱石に彩られたかつての栄華を経験した世代が消滅してからというもの、数十年の時が経とうとしている。当時の栄光を真に理解しているのは、随所に立ち並ぶ絢爛豪華なカテドラーレだけだ。

 ゴールドラッシュに夢を託して大成した富豪たちの時代は最早過去のものとなった。成熟期から衰退期に移行しつつあるモンテドーロの行く末は、現在を担う者共に託されていると言って良いだろう——


「ハァ?」


 とはいえ。


「会談の予定など聞いていない、ですか?」


 時代の歯車を前に進める、という偉業は、並みの人間にはできようもないことである。


「そもそも、俺たちのボスが、お前らみたいな外部の人間と安易に会うわけねぇだろ?」

「ボスは腰が重いからな。不必要に情報を漏らしたりしないはずだ」

「身共たちは、そのあなた達のボスから依頼を戴いたんです。ここ数日、やり取りもしているはずです」

「つってもなァ。依頼を貰ったてんなら、証明できる書類くらいあるもんだろ?」

「それは……」


 サリナはもごもご言いながら、顔を伏せる。

 そう、月牙泉を出発してモンテドーロに到着した一行には、実のところ、その依頼を証明する方法が無かったのだ。

 予め伝えられていた手筈によれば、現地の係が案内するということであったが。

 その係とやらは、どうも見当たらない。

 加えて、そもそも会談の予定など存在しないと言われては、取り付く島もないのであった。


「チッ……面倒くせぇことになったな……。オイ!アンタら、アレキサンドライト本人に確認は取れねぇのか?」

「あぁ?できるわけねぇだろ。俺たちは幹部ですらねぇただの門番だぞ?アポイントメント無しにボスに会えるのは、最高会議の役員クラスだけだ」

「分かったら、さっさと帰んな。そこにずっと居られると、物資の搬入の邪魔だ。少なくとも、俺たちが納得して門を開けるくらいの証拠を持って来い」

「……」


 シッシッ、とサングラスを掛けた男は片手で三人を払う。

 普段だったら、その余りに上から目線な態度に対して、思わず手が出てしまうところだったろうが。

 仕事中ということもあり、抑えた。

 眉間に青筋を立てながら、ヴィオラは深呼吸をする。


「フゥ……さ、どうするよ?これじゃあ、約束通りの話し合いは無理そうじゃねぇか?」

「仕方ありません。ここは一度、戻りましょう。僕は、旦那様に連絡してみます」

「あ?旦那もモンテドーロまで来てるのか?話じゃ、月牙泉で事務仕事を片付けるって話だったろ」

「はい、すぐに帰るとのことですが。正式にモンテドーロと月牙泉が提携を結ぶ今日だけは、バックアップの為にいらっしゃるそうです」

「チッ、それなら同席すりゃ楽なのになぁ」

「マスターは雄弁家ですからね。もしかすると、あの門番たちも説き伏せてしまうかも。ただ、身共らのような口下手では、どうしようもありません」


 残念、とばかりに肩を下ろしているサリナ。

 しれっとヴィオラとマーキュリーのことまで口下手扱いしているが、二人には突っ掛かる元気も無い。

 というのも、モンテドーロは、立地の関係で昼間は中々に日差しが強くなるのだ。

 太陽光を反射して輝くステンドグラス。高名な彫刻家が寄贈したのであろう、緻密な彫りの目立つ壁面。かつては鉱山管理のヘッドクォーターとして使われていたという、ジェムストーンマフィアの本部を一瞥しながら三人はその場を離れていく。

 さぁ、それではこれからどうしよう、などと考えていると。


「何をしているんですか?」


 ヴィオラの思考の外側から、聞き慣れない声が響いた。

 顔を上げると、堀の上に掛かった橋の真中に見覚えのない顔の少女が立っている。

 服装は実に、外見相応のカジュアルなもので、黒縁の眼鏡を掛けていた。


「誰だ?」

「お茶会に相応しい茶葉とお菓子を買いに、少し本部を離れたらこんなことになるなんて……」

「お茶会?お菓子?」


 彼女は、状況を上手く飲み込めずに居る三人の間に生まれていた隙間を通り、一行の後方……つまりは、ジェムストーンマフィアの本部の方へと歩いていく。

 その歩みは実にしっかりしており、どっしりとした空気を纏っている。


「私、言いましたよね?本日は客人がいらっしゃるから、丁重に迎え入れるように、と。朝礼でも、掲示板でも、同じような内容をお伝えしたはずです」

「あ、あ、あ……」


 先程までの威勢が嘘のように、門の前に立つ二人から慄く声が発せられた。

 その震えからは、恐れや畏敬というものが如実に感じられる。まるで、死を目の前にした凡人のような不甲斐なさだ。


「私に恥をかかせ、ジェムストーンマフィアの名に泥を塗った落とし前、どのようにつけるおつもりですか?」

「まさか……」


 マーキュリーが何やら察したように、或いは驚愕したように眼を開く。

 

「ぼ、ぼぼぼぼぼ、ぼ」

「ボスぅ!!!」

「は?」


 ヴィオラの口から、素っ頓狂な声が漏れ出した。

 誰が聞いてもは間抜けであったが、無理も無かろう。

 かの有名なモンテドーロの支配者、アレキサンドライトの正体がまさかこのような少女だったとは誰も思うまい。

 しかも、今の彼女は浅めのハットに黒白のワンピース、焦茶のローファー、という一般的としか言いようのない服装に身を包んでいる。

 外見から感じ取れる貫禄は、そんな少女にペコペコ頭を下げている黒スーツ姿の二人の男の方がずっとあるように思えるが……。


「貴女が……?」

「まさか、門番を任されていながら情報を確認していたなかったのですか?」

「す、すいません!!!ペリドット様にはお茶会と聞いていたので!でも、や、奴ら、会談って言ってたから!!!」


 なんて狡猾。矛先を向けられたヴィオラは、三人を代表して、負けじと大声を張り上げる。


「ハァ?私たちのせいだってのか!?言っても聞かなかったのはお前だろうが!」

「う、うるさい!ちゃんと説明してくれれば俺たちだって——」

「これ以上醜態を晒すのはやめていただけませんか?どうしてもと仰るならば、今すぐにあなた方を堀へ突き落として差し上げても構いませんよ」

「……」


 炎天下に晒されている、という事実を忘れてしまいそうな程冷たい風が橋の上を吹く。

 それはモンテドーロ近隣の蒼海から齎された実に気持ち良い潮風であったが、その心地良さを感じるだけの余裕は、橋上の五人に存在しなかった。

 敵意は向けられていないのに、下手に動けば首が飛んでしまいそうな感覚が全員を襲っている。

 前述の評価を覆そう。

 彼女は、どのような服装に身を包んでいようと、その貫禄は大都市の主にふさわしいものであった。


「はぁ……本当、怒るのは疲れますね。お見苦しい所をお見せしました。大変申し訳ありません」


 少女はこちらに向き直り、優雅に頭を下げる。

 左前髪を留めているヘアピンがキラリと煌めいた。


「ご想像の通りです。私の名前はアレキサンドライト。月牙泉よりいらっしゃった皆様方、多大なるご無礼をお許しください」

「お、おう……」

「紙面でお伝えした係の者とは、この私のことです。皆様がよろしければ、このままご案内させていただきます」

「アレキサンドライト殿自らが、ですか?」

「皆様は非常に重要なお客様ですから、この程度の誠意は当然のことです。それにも関わらず、このような礼を欠く対応でお出迎えしたことは、私の不徳の致すところ。大変申し訳ありません」

「いや、良いって。怒りもなんだか、吹き飛んじまったよ」


 なぁ?とヴィオラは、両端の二人に視線を送る。

 未だに信じられない、という様子のマーキュリーは兎も角、一人静かにそのような喜劇を見守っていたサリナは、深く頷いていた。


「ありがとうございます。この恩を、ジェムストーンマフィアは忘れません。そして……門番のお二人?」

「は、はいっ!」

「命だけは……」

「取りませんよ。私は先代とは違いますから。ただ、無罪放免とするわけにはいきません。明日までに、犯した過ちと、改善案を文章化して、報告書として提出するように」

「勿論です、ボス!」

「ただし。仮に、報告書に偽りが含まれていたら……分かりますね?私は実に忍耐強い人間ですが、それにも限度があるということを忘れないように」

「はい!」


 二人の男は、帽子を取って頭を下げる。

 それから、自らのボスと客人の道を塞ぐことが無いよう、門前の広場の両端に移動した。

 先程までの高圧的な態度が嘘のようである。

 それだけ、このボスが慕われている、或いは畏れられている、ということなのだろうか。


「ふぅ……っと。改めて、申し訳ありません。そして、よくぞいらっしゃいました。ようこそ、ジェムストーンマフィア本部、カテドラーレ・ジョイエッリへ」

「おう。……この建物、カテドラーレ・ジョイエッリっていうのか」


 ヴィオラは、出鼻を挫かれたやりづらさを感じつつも、気を取り直して上方を見上げた。

 四つの尖塔とそれらを繋ぐ回廊、そして尖塔同士を結んだ対角線の交点上に存在する中央ドームで構成されるカテドラーレ・ジョイエッリは、モンテドーロの壁外からもその上層が見える程に巨大であり、名実共にモンテドーロの象徴と言われている。

 こうして直にまじまじと見つめれば、誰でも理解できるだろう。例えそれが、芸術のなんたるかを理解できない人間であろうと、この建物には様々な人間の意思が籠っている、ということに。


「およそ200年前、ゴールドラッシュによりモンテドーロが急成長を遂げた、黎明の時代。当時の鉱員たちが自発的に立ち上げた自衛組織の本部として、ここは建てられたんです」

「そして今は、ジェムストーンマフィアの本拠地として使用されているのですね」

「仰る通りです。……着いて来てください。応接室までご案内します、その道中で軽く私の方から説明を致しましょう」


 彼女は、一歩足を踏み出して眼前の扉の取っ手を掴み、押し開く。

 果たして中に入ると、そこはマフィアの本部とは思えない程静かで、清潔に整えられていた。尤も、一番に目に付くのはやはり、統一された格好——つまり、サングラスに黒スーツ、黒のハット、という衣裳——であるが。


「モンテドーロには、往時の輝きを思い起こさせるカテドラーレが多数遺されていますが、このカテドラーレ・ジョイエッリはその中でも最大のものと言えるでしょう。この建物そのものが、我々の誇りであり、同時に我々の原点なのです」

「つまり。ジェムストーンマフィアは、200年前の鉱員たちが立ち上げた自衛組織を前身としている、と?」

「ふふ。はい、そうです。私たちが宝石の名前を使っているのも、その名残なんですよ。組織成立の当初より、代々ボスの座に着いた人間は、オーラム、つまりは「黄金」の称号を継承してきたんです。モンテドーロの最高権力者に相応しい称号ですよね」

「……ん?」


 ボスがオーラムの称号を継ぐ?

 しかし、前を行く彼女の、ボスの名前は……。


「はい、疑問に思われるのも当然です。現在のボスとは私、つまりアレキサンドライトであって、オーラムではありませんから。恥ずかしながら、数年前にちょっとしたいざこざがありまして……その結果、私が彼女の代わりにボスの座に座ることとなりました」

「ちょっとした、ねぇ」


 200年続いてきた伝統を終わらせなければならない程のいざこざを、ちょっとしたもの、と表現することは果たして正しいのか。

 疑問の余地があるが、敢えては突っかかるまい。


「部下たちは否定するでしょうが……その観点で見れば、私が歴代の指導者達からボスとして認められることなど、生涯無いのでしょう。強いて言えば、代行ということになりますか」

「……」

「しかしこれは、悪いことだけではありません。私は元より、伝統から外れた存在……ならば、この都市をより良い方向に向かわせる為、これまでのやり方を改めることも容易というもの」

「今までの赤裸々な長い語りで言いたいことはつまり、こういうことか?」


 アレキサンドライトは、カテドラーレの大門程では無いにしても、所狭しと装飾の施された絢爛たる扉の前で立ち止まった。

 それに合わせて、一行もまた歩みを止める。


「これまでモンテドーロは、外部の勢力を利用することを良しとして来なかった。これは、雇われの業界じゃ、ある程度の常識だ。だが、伝統に囚われないアンタには、そういったやり方を覆してでも問題を解決する意思がある、と」

「そうですね」


 彼女は無駄の無い所作で振り返ると、自ら招いた客人を真っ直ぐに見据えた。


「これらの言葉で、あなた方の理解が多少なりとも深まり、疑念が解消されていることを願っています」

「ま、それが決まるのは、具体的な話が終わってからだろ?」

「勿論です」

「腰を据えて話す準備くらい、こちらにもあるさ。何も、頭ごなしに不信感を抱いてるわけじゃない。ただ私たちには、現状を理解するだけの情報が足らねぇだけだ」

「ありがとうございます。そのような回答を得られただけでも、私としては充分です。……それでは、詳細の話はこちらの応接室で。私は少々着替えてまいりますので、よろしければ中でお待ちください」


 強張った彼女の表情に、柔らかな感情がふわっと広がる。

 それから、ボスの肩書きを背負う少女は青と緑のチェック柄の鞄を片手に一礼すると、その場から立ち去っていった。

 こうして取り残された三人は、扉の脇に立つ守衛と思しき女性に目を向けながら口を開く。


「フゥ……中々、初っ端から刺激的な任務だな、えぇ?」

「……まさか、あの少女がアレキサンドライトだとは……」

「いつまでその事実に驚いているんですか?マーキュリーさん」

「いやサリナさん、あなたが驚かなさ過ぎるんです。あれ程の若さで大都市を背負うなど、並大抵の人物では務まりませんから。僕は前職の仕事の中で、破滅していく若きリーダーというものを無数に見てきた分、尚更そう思います」

「ま、あのアレキサンドライトが凡才ってこたぁ、ありえねぇだろうなぁ。アイツの言ういざこざってのが何なのかよく分からねぇが、そっから組織を立て直した時点でそこら辺の国家のトップよりゃ、有能なんだろ」


 後頭部を掻きながらヴィオラは、眉間に皺を寄せた。


「つまり、一筋縄じゃ行かねぇ相手だってことだ」

「ヴィオラさん。あなた、そういう相手は苦手そうですよね」

「なんだ?私の頭が足りねぇってか?もうそろそろナイフが飛ぶぞ?」

「ハハ、冗談です。喧嘩っ早いのはもう、嫌という程理解していますが。それと頭の回転の速さは無関係ですしね」

「チッ……ただまぁ、苦手なタイプだってのは事実だな。私の頭に血が登り始めたら、後は任せた」

「任せられる方の身にもなって下さい。身共らはヴィオラさんの世話係じゃないんですよ?」


 据わった眼で、紫髪の猪女を睨み付けるサリナ。

 全くもって正論であったが、その論理が通じれば元より彼女は傭兵などやってはいないのである。


「じゃあ、サリナがアイツと会話するか?」

「……身共は口下手なので」

「引くのが早過ぎるだろ」

「事実ですので。仮に身共が任せた場合、決裂は必至でしょう」

「そこまでか」

「そこまでです」

「じゃあ、任せられねぇな」


 もしかして、戦い以外じゃ役に立たないのか?などとぼやきつつ。

 守衛に合図を送りながら、彼女はマーキュリーと共に応接間の扉を開いた。

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