第8話 透明人間たちの饗宴
金銭面でも中々豊かな組織の、賓客専用応接室ということもあって。
その中は、実に絢爛豪華かつ、様々なサービスに溢れていた。
例えば、ガラス張りのワインセラー。小型ながら、その中に保存されているワインは厳選されており、先日クロウリーに送られたそれとは比べ物にならない程高価で希少なヴィンテージものが揃っている。
注目すべきは、机の上の小さなV字型のポップスタンドに書かれた言葉であろう。
「お好きなものをお取りください、か」
彼女はポップを取り上げると、それをまじまじと見つめた。
「ヴィオラさんはお酒を嗜まれるのですか?」
「ま、好きではあるな。アンタは?」
「僕はダメですね。嫌いではありませんが、すぐに酔いが回ってしまいます」
「ハッ、なんだ。案外カワイイところもあんじゃねぇか」
「旦那様のようなことを言わないでください。それに、お酒が飲めなくとも、豊かな人生は送れますよ?」
「そうかぁ?嫌なことをうやむやにしたい時は何かと便利だぜ?」
クソッタレた人生を楽しむ、という意味では必要なこともあるのだろう。
それに、人脈が無ければ到底食べていけない傭兵界隈において、アルコールを利用した交流というカードは、持っていて損しない。
元より酒に強かったヴィオラだが、そうやって飲んでいる内に、幸か不幸か、酔い辛い体質にまでなっていた。
「お酒で感情を抑制するのは、あまり健全な飲み方ではありませんよ」
「あぁ?お前に関しちゃあ、飲んだことすらないだろ」
「身共は未成年ですからね。それに今の所、飲みたいと思ったこと自体ありません」
「結構なことだ。……ま、私の飲み方が健全じゃねぇ、ってのは事実だな。真似はすんなよ?」
「先輩風吹かせないでください」
「はっ倒すぞ」
とはいえ、本当に殴るわけもなく。ヴィオラはサッと両手を伸ばしてサリナの両頬を抓ると、ぐにゃぐにゃと弄って澄まし顔を崩して見せた。
うぅ、と声を漏らすサリナ。
横でそのような喜劇を眺めていたマーキュリーは、すぐさまサリナがヴィオラの両手を振り払うだろう、と予想していたが。彼女はそうしなかった。
もしかすると、口が悪くとも温かみのあるヴィオラに弄られるということは、大人びた彼女から年齢相応の反応を引き出したのかもしれない。
「ふむ。これからは、サリナさんのお守りはヴィオラさんに任せた方がお互いの為に良いかもしれませんね」
「はぁ?」
彼女は手を止めると顔を上げ、マーキュリーの方を見遣った。
舐めたこと言ってんじゃねぇぞ、とでも言いたげな鋭い目つきである。
そしてやはりサリナも、それ以上に殺意の籠った目つきで彼を見ていた。
正に四面楚歌と言えよう。
「どうしてそう、あなた方はすぐに声を荒らげるのですか?」
「身共はまだ声を荒げてはいませんが」
「それでは、その眼の理由を教えてください」
「外野から生暖かい眼で身共を見るな、と思っただけです」
「……」
ただ圧力を掛けるだけのヴィオラよりも、実はサリナの方が余程酷いのではないだろうか。
マーキュリーは溜息を吐く。
このチームでやっていくしかないことは百も承知なのだが、メンバー構成に問題が無いのかについては、些か疑問であった。
「ふふふ」
と、三人が暇を潰しているところに。
先刻眼にした門番と同じように、黒スーツにハットの服装を身に纏った少女が、扉の向こうから姿を現した。
職人の手によって緻密に整えられた革靴の裏が、心地良い音を立てている。
「皆さん、仲が良いのですね。流石は、アルカヘストさんの雇い入れた人々です」
「何が言いたい?」
「あぁ、いえいえ!これは皮肉じゃないですよ?ただ、少し羨ましいと思っただけです」
「羨ましいも何も、まだ出会って一週間の凸凹チームだが」
「そうなんですか?」
外見こそ一変したものの、相変わらず柔和な雰囲気の彼女は、思ってもみなかった、とばかりに眼を丸くした。
「でも、それなら。尚のこと羨ましいかもです」
「はぁ?」
「まるで、冒険小説に登場する勇者一行みたいじゃないですか?成り行きで仲間になった、特に相性が良いというわけではないが、何とかやっていけてるようなチームで難行に挑む……って感じです」
「……すまん、小説はあまり読まねぇんだ」
「そうですか……宜しければ、読んでみてくださいね。カテドラーレの図書館にも、沢山置いてありますよ」
「ま、時間があればな。……んで。そんな話をしに来たわけじゃねぇだろ?」
ヴィオラはやっとサリナから手を離して、立ち上がった。
「勿論です。私たちがこのような場を設けたのは、ひとえに同盟を結ぶ為。それでは皆さん、こちらのソファにお座りください」
「同盟、ですか」
三人、各々に腰を下ろしながら、代表してマーキュリーが疑問を口にする。
同盟とは中々、大仰な言い方ではないだろうか?
「はい。敢えて、そのような言葉を選ばせていただきました。というのも本件は、あなた方に全てお任せする、というわけではないのです。我々ジェムストーンマフィアもまた、率先して解決の為に行動する予定です」
「頼りきりになるつもりは毛頭無いってか?」
「この都市の構造は、中々に複雑です。あなた方には理解できない、とは思ってなどいませんが、きっと調査に長い時間が掛かることでしょう。そのような知識に関しては、我々が積極的に提供致します。人材も、可能な限り割くつもりです」
「それが故の、同盟、協力、ということですか」
「そういうことです。さて、ジェムストーンマフィアの立場を示したことですし、具体的な現状についてお話ししましょう」
使用人が運び込んでくるティーポットとコーヒーポット、そしてお茶菓子の入った籠を受け取りながら、手に持つファイルより資料を取り出すアレキサンドライト。
同時に複数のことを行っておきながら、慌ただしさを感じさせない落ち着きを彼女は纏っている。
隙を見せない優雅さは、ある程度大きな組織のリーダーであれば必ず求められるものなのだろう。
「ところで、皆さんは紅茶とコーヒーのどちらがお好きですか?」
「私はコーヒーだな」
「僕は紅茶です」
「身共は……」
不意を突かれてか、口下手が悪さをしてか、サリナは喉に何かが詰まってしまったかのように、口を半開きにして声を絶った。
それから、何度かティーポットとアレキサンドライトの顔を交互に見遣る。
「どうされましたか?どちらも苦手であれば、お水をご用意しますよ」
「……お構いなく。紅茶の種類はなんですか?」
「アールグレイです。茶葉は、アウローラ山麓の高山地帯で生産されたものです。あまり有名ではないんですが、私のお気に入りなんです。もし紅茶がお好きでしたら、是非お召し上がりください」
「そう、ですか。それなら、紅茶の方をいただきます」
サリナの返答を聞き、笑顔で頷いた彼女は、自らカップにアールグレイを注ぐ。
「ミルクとシュガーはどうされますか?」
「アレキサンドライトさんの手を煩わせる訳には……身共が自分でやります」
「大丈夫です。私はモンテドーロの長の片割れですが、あなたの上司ではありません。この依頼を協力と呼ぶ以上、私とあなたは対等ですよ?」
「……。……どちらも、お願いします」
「ふふ。分かりました」
それから彼女は、手際良くそれらを注ぎ込み、ティースプーンで軽く混ぜると、仄かに甘くとろりとした香りを漂わせるミルクティーをソーサーに乗せて差し出した。
「熱いので、よく息を吹き替えて、火傷しないように飲んでくださいね」
「ありがとうございます……」
ふー。ふー。
サリナは一度、身体を微かに跳ねさせてカップを口元から離すと、再び恐る恐るそれを傾ける。
その様子を、周りの三人は見ていたが、不思議と何か言葉を発しようとは思えなかった。
数秒経ち、彼女がカップをソーサーの上に戻すと、再びアレキサンドライトが口を開く。
「風味の良いドリンクと、甘いお菓子があれば、不思議と話し合いは和むものでしょう?私は何も、あなた方と厳格な交渉をする為、ここに座っているわけではありません。言わばこれは、友人に対する一種の相談のようなものです」
「……」
ヴィオラはブラックコーヒーを口内に含み、香りを楽しんでから飲み込む。
そして、口を開いた。
「アンタ、人心掌握が上手いな」
「私は、人心掌握程度の為に自らお茶とお菓子の調達に向かう程、暇ではありませんよ?」
「ふぅん?じゃ、まぁそういうことにしておくか。確かに、このコーヒーは美味かった。後で、仕入れ先を教えてくれよ」
「良いですよ。後程、モンテドーロの地図をお渡ししますから、その際にでも」
「あぁ。……それで?もう十分仲良くなれたろ?本題に入ってくれ」
「分かりました。残りのお二方も、よろしいですね?」
両手でティーカップを持っているサリナが、こくりと頷いた。
「どうぞ。僕も、所々質問させていただくと思います」
「で、あれば。始めましょう。まずは、このリストをご覧ください」
ティーポットやコーヒーポットが届く直前、彼女が取り出していた紙を、さらりと表に返す。
そこには、びっしりと名前と顔写真、簡単なプロフィールが記載されていた。
「5、10、15、20……チッ、結構な数だな、こりゃ。こいつら全員、失踪事件の被害者か?」
「合計、23名。仰る通り、現在確認されている被害者がこちらです。我々ジェムストーンマフィア、及び職人ギルドといった自治組織は今、この失踪事件に頭を悩ませているのです」
「大前提の話をするが。どういう推測に基づいて、23件の失踪事件を関連づけてるんだ?確かに、犯人が分からない失踪事件が短期間に連続すれば、全て同一犯のものと考えたくなるのも分かる。だが、調査に本腰入れるなら、その中に別件が混じってる可能性も考慮しねぇと、重要な情報も見落としかねねぇぞ」
「そうですね。では、その点について我々なりの根拠を示しましょう。こちらをご覧ください」
そう言うや否や、彼女は複数の資料を取り出し、机の上に広げた。
「これは?」
「現場に残されていた痕跡を、それぞれの現場ごとに記録したものです」
「にしては、随分と記述が簡素だが」
「あなたもそう思いますか?」
「何か深い訳でも?」
「これといったものは特に。ですが、それが重要なのです。通常通り、見落とし無く現場を捜査し、痕跡を記録したというのに、このようなレポートが出来上がってしまう。まるで、何も起こっていない場所を捜査したかのように」
「見落としはないんだな?」
「ありません。ただ、ご自身の眼で確かめたいという場合は、現場に自ら出向いて納得される方が良いかと。私はそうしました」
すると、マーキュリーが右手を挙げて話を止める。
その眼には、明らかな疑念が宿っていた。
「自ら出向いて、と仰られた直後にこのような不躾な質問を申し上げるのは大変心苦しいのですが。本当に、これといった痕跡が、あなたのような人間の眼を通しても見つけられなかったのですか?」
「と、いうと?」
「あまり大きな声で言えることではありませんが。僕は、誰かを攫う仕事も、誰かを殺す仕事も、経験したことがあります」
「仮にそれが本当であれば、マーキュリーさんは完璧な仕事をしたのですね」
「いや。足の付かない暗殺者は証拠を残さない、などという言説はただの絵空事に過ぎません。人間が人間に害を及ぼす以上、確実に何かしらの痕跡が残ります」
彼は、資料を流し読みしながら続ける。
「プロは、このような痕跡をカムフラージュする技術に長けている、というだけのこと。しかし、それが分からないアレキサンドライトさんではない、と僕は存じ上げております。その上で、このような質問をさせていただきました」
「ふむ。それでは、そのような前提を踏まえた上で、もう一度お答えしましょう。一切、見つけられませんでした。不甲斐ない話ですね」
「……そうですか。そう、ご自身を卑下することはありません。お答えいただきありがとうございます」
「いえいえ。ともあれ、現場の状況はご理解いただけましたか?23件、失踪事件が起きたと断定されている全ての現場には、犯人特定に繋がるような痕跡が残っていないのです。これこそ、我々モンテドーロが、23件の失踪事件に何かしらの関係があると考えた理由です」
それから、アレキサンドライトは溜息を吐いた。
「ふぅ……正直に言うと、私たちは困っているんです。マーキュリーさんの仰る通り、普通はありえないじゃないですか。痕跡どころか、荒らされた形跡すら殆ど残っていないなんて」
「そうだな。きな臭ぇ。何か面倒な裏がある匂いがプンプンするぜ」
「可能な限りはモンテドーロ自身の力で解決したいのですが……背に腹はかえられませんから。引き受けていただけますか?」
「どうする?お前ら」
ぽんぽん、とヴィオラは両隣に座る二人の背中を叩く。
一人静かに暖かいミルクティーを飲んでいたサリナは、突然の衝撃に少し驚いた様子で眼を見開いた後頷いた。
「身共は元より引き受けるつもりです。そもそも、マスターが事前に約束を取り付けている時点で身共らに拒否権など無いのでは?」
「あぁ?そんな思考だと、いつか疲れちまうぞ?立場が弱くとも、主張するところは主張していかねぇとな」
「急いで結論を出す必要はありませんよ?ゆったりと構えて居られるだけの余裕はありませんが、それはモンテドーロ側の事情に過ぎませんし」
「迷う必要なんてありません。これだけ不審なことが起きているなら、身共もまた解決の為に尽くそうと思います」
「……そうですか。ありがとうございます。マーキュリー様はいかがですか?」
彼の方に視線を遣ると、果たして、顎に手を当てて何かを考えているようだった。
どうやら、先程からずっと痕跡に関わるレポートと睨めっこしているらしい。
アレキサンドライトの説明に対し、然して追求せず首を縦に振っているとはいえ、やはり気になることは多々あるのだろう。
「マーキュリー様?」
「あ、あぁ。そう、ですね。申し訳ありません、少し考え事を。勿論、僕も協力させていただきます。これだけ大規模かつ不可解な連続失踪事件となれば、個人的に知りたいことも多いので」
「ヴィオラ様は?」
「私は、金さえ貰えればやれるだけのことはやるさ。アンタは、依頼主としちゃあ優良そうだしな」
「つまり、お三方共に、協力していただけるのですね。モンテドーロを代表して、私の方から改めて御礼申し上げます」
彼女は立ち上がると、両手を揃えて深々と頭を下げた。
青みがかった海のような色彩の鉱石が、彼女の両耳で控えめながら美しく煌めいている。
「礼は、全て解決してからに取っておいてくれ。それで、他に手掛かりになりそうな話を——」
そう、ヴィオラがアレキサンドライトを席に着かせようと口を開いた瞬間。
「ん?」
こんこん、と戸を叩く音が響いた。
「……。失礼」
見かねたアレキサンドライトは、自ら扉の方へと歩み寄り、相手方の顔が見える程度まで開く。
向こうには、モノクルを付けた禿頭の老人が立っていた。
「クリスタルさん?どうされましたか?」
「ボス、ひとつ、お耳に入れたいことが」
「急を要するものと考えて良いですか?」
「勿論です。思うに、ボスだけでなく、お客人達にも深く関わることなのではないかと」
「……」
アレキサンドライトにも、ヴィオラたち3人にも関わること。
そんなの、ひとつしかないではないか。
「新規の事案です。現場を実際に確認していただいて、その上で再び相談されるのも一興ではないでしょうか」
彼は懐から、報告書らしきものを取り出して彼女に手渡す。
アレキサンドライトの視線は、鋭い光を湛えたまま、びっしりと文字の書かれた紙面の方に向けられていた。
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