第12話 私を見て 【最終話】

 目が覚めると、昼に近い時間だ。

 今頃、職場に連絡してもな。

 放射線科の看護師長さんは、目を覚ましたのかは気になるが、欠勤の電話をかけることをせずに、休む事にした。

 看護師長さんは、いつもお守りを持っていたのだろうか。

 あの人は、視える人だった様だから、その必要があったのかもしれない。

 倒れたのは、申し訳ないと思っていたけど、時間が経ってみると、看護師長さんが勝手に行った行為でもある。気が強い人たちが多い職場だ。立ち向かう行動も、納得はできた。

 私もお守りを持っていたら、同じ事をしたかもしれない。でも自分を守る物など、持つ必要も意味もない。

 ネットカフェで利用出来るシャワーを浴びた。

 髪の毛も、体も丁寧に洗う。

 有料だけど、コインランドリーへ行き服を洗い、乾燥機に入れる。

 深夜まで、ここにいようか。

 丑の刻参り。

 今日の丑三つ時で、最後だ。

 連夜この詣でをおこな った。7日目で満願となる。呪った相手が死ぬが、行為を他人に見られたら効力が失せてしまう。

 慎重に、やらなければ。

 でも、いまから緊張する必要はない。

 それまでの時間は、約12時間はある。

 この時間を、どうやって過ごそうか。

 ネットカフェで、その時間がくるのを待つか。

 それもいい。

 でも、7日目で満願の後は、望み通りに私は死ぬ。

 私には、見ておきたい場所、逢っておきたい人は、いないのか。

 自分に問う。

 会いたい人は、2人いた。

 深夜の儀式前だ。あれこれと言われたくない人に、会いたい。

 真子と会ったら、私の近況を聞いてくると思えた。そうなると、心が苦しい。

 知り合って間もない、ピロさんなら、近況とか聞いてきても、そんなに話す内容もないだろう。

 ふと、不安感がでる。

 会いたい人が存在するのに、私は逝こうとしている。

 違う。

 自分の心に言う。

 逝くから、会いたいだけだ。

 親しい人を糧に、人生を生きていけないのか。

 また自分の心が問う。

 これから先の日々を、10代のころから、常に見え隠れしてきた死にたい気持ちを依存しつつ、生きて行くのもムリだ。

 さっさと自死すれば、長く感じた7日間を、味わう必要もなかったけど、自分の見栄心が、自死を選ばなかったのだから、しょうがない。

 職場先で、私の自死話しが、話のネタになる場面を想像してみると、げんなりする。

 特にマネージャーが、意気揚々と話す姿が想像できた。

 真子にだって、私が自死をしたと思われたくない。

 だけど、丑の刻参りが迷信紛いだとすれば、今後は、自死をせざるを得ない。

 噂話になるのは、我慢できないけど。

 実家へ戻り、自分の部屋で殺る。

 嫌いな母親とその恋人である憎い阿木の居る、あの家で。

 お腹が空いたな。

 適当に雑誌と漫画を選び、飲み物を取りに行くついでにカウンターによって、メニュー表にある醤油ラーメンを注文して、自分の部屋番号の伝票を店員に見せた。

 個室で雑誌のページをめくる。目は本を見ているが、内容が頭に入らない。ただ、指がページをめくる。漫画を見ても同じだ。

 届けられたラーメンを部屋で食べ、食器を返却棚に置き、本も戻す。

 部屋で、頓服薬を飲んだ。残りの薬もわずかだ。

 スマホで無料で読める小説を探し、眠くなるのに任せ寝た。


 頭がズキズキする痛みで、目が覚める。

 あの頓服薬の副作用なのか。

 今度は、頭痛薬を飲む。

 4時間も私、寝てたんだ。

 充電していたスマホで時間を見て、コンセントを抜いた。

 もう、夕方だわ。

 儀式をする神社へ行くまで、あと約7時間。

 気持ちが、ザワついて来る。

 ネットカフェでは、紙タバコは吸えない。カバンを持つと外へ出た。

 天気予報が、外れることも、なさそうだ。綺麗な夕陽が、空の一部をオレンジ色に染めていた。

 陽が沈むまで、空に魅入る。

「美しい空を見せてくれて、ありがとう」

 夜の帳が下り、スクーターに跨がった。

『父ちゃんラーメン』へ着くと、店の入り口に一番近い駐車場には、ピロさんの艶めく黒い車が、駐車されている。

 私の口が笑む。

 ピロさんの車の隣りにスクーターを停めて、本人が店から出てくるのを待ってみる。

 ピロさんの車のなかを覗いてみても、ゴチャゴチャ物を置いていなくて、キレイにしてある。ピロさんが、この車を大切にしている事が、見ていた私にも伝わる。

 ピロさんの、車の後ろへ行って、しゃがんでタバコを吸った。

 左側にRX−7と表示してある。

 乗り物なんて、動けばいい、止まればいいとしか思っていない私にとっても、この車は格好良く見えた。

 3本めのタバコを吸っていたら、父ちゃんラーメンの玄関ドアが開き「あっ、ゆーちゃんだ」

 吐くタバコの煙りが、車にあたらないように横を向いていた私と、目があった。

「オイオイ、ゆーちゃん。オレの車の後ろで、ナニやってるの?マフラーに、石なんか詰めたりしてないよね?」

 私は、吹き出した。

「店が込んで来る時間帯だから、外に出てみれば、オレの車を観賞している、ゆーちゃんが居るとはおもわなんだぁ。なんで、店に入らなかったの?」

 携帯灰皿に吸い殻を入れ「まだ、お腹が空いてなかったからよ」

「ふーん」

「ピロさん、今から近い場所で、景色のいい所へ連れて行ってくれない?」

 ピロさんは、私を見ながら少し考えていた。

「この時間でも、近場で景色のいい場所はある」車に乗ると、ピロさんは、エンジンをかけた。

 スクーターの側に立っている私に「ゆーちゃん、早く助手席に乗ってよー」運転席のウィンドウを下げて、ピロさんがいう。

「私、ピロさんの車の後ろを、スクーターで、ついていくわ」

 ピロさんの眉根が寄ったけど「わかった、じゃあ、ゆっくり走るからね」

 まだ混み合う時間の道を、黒い車の後を追って、スクーターを走らせる。

 住宅街を抜け、畑や林が見えるころになると、道も狭くなる。

 民家の外構が長く続く。ピロさんの車が、右にウインカーをつけた。

 古い平屋の民家の前に車を停めて、ピロさんが車から出てきた。

「到着だよ」

 私も車の後ろにスクーターを停めて、ヘルメットを置いた。

「素敵ね」

 日本庭園という物だろうか。池があり、池には橋が、かかっている。

 土に差し込まれた多くの電灯が、明るく樹木と庭石を照らし、趣きを醸し出している。

「オレの親の家だよ。築年数はかなり経っている代々続く、古い家なんだ。家よりも、庭の方が広くてね、夏は草むしりを手伝わされ、冬は屋根の雪降ろしをさせられるんだよ。親の兄弟は、たくさんいるけれど、この家に興味を持っているのは、オレの親たちくらいだね」

 話す言葉ほど嫌がっているわけではなくて、どこか満足そうな、ピロさん。

「池の周りをスクーターで走ったら、だめかな?」

「なんで?」

「前にピロさんが、バイクで2人乗りをして、景色の良い所へ行きたいって言っていたから」

 ピロさんは、私の顔を見ていたが「昔は、耕運機も入っていた庭だから、スクーターで走るくらい大丈夫だよ」

 私は早速、スクーターに跨がった。「ピロさん、適当に私の後ろに乗ってね」細身の2人がスクーターに乗ることはできた。

 ピロさんは、私の肩に両手を置いた。

 ゆっくりと、池の周りを走る。

「もっと明るい時間だったら、咲いている花を、ゆーちゃんに見せれたのにな」

「ライトアップされたこの庭で、充分にキレイだわ。上を見れば、夜空もキレイよ」

 晴れている夜空。月も星も輝いている。

「オレ、星とか久しぶりに見た気がする」

 池の側にある庭石を曲がるとき、少しスクーターがよろめいた。

「2人乗りなんて初めてだから、上手く運転できないな」

「よしっ!あと、50周!」

「わかった」

 ピロさんの手は、私の肩からオーバーオールの腰端へ移動していた。

 池の周りを3周したら、ピロさんが私の背中に顔面を押しつけて、口から息を吹く。「ねえ、ゆーちゃん、オレ酔いそう。50周もされたら」

 私は笑った。そして、背中を触られても嫌な気分にならないのは、メンタルクリニックの薬の効果なのか、それともピロさんだからか。

「それなら、ここで夜空の星を見ようよ」

 私がいうと「キラキラ光るおそらの星よ。瞬きしては、皆んなをみてる」ピロさんは歌い、スマホで時間を見ていた。

「ヒデさんに、賄い料理の夕飯、今日はいらないって電話しなきゃ」

「もう、お店に戻ってもいいよ?」

「家の冷蔵庫に、何か入っているさ。何か作って一緒に食べない?」

 私は頷いた。

 ピロさんが、電話をかけている。ヒデさんの声は、私にも聞こえてきていたけど、ののちゃんの泣く声も聞こえている。電話相手が、ののちゃんに変わった様子だ。「ののちゃん、ピロたん、また行くから、泣かないでよ。本は、おじいちゃんに読んでもらうと、おもしろいぞー」

 ののちゃんをなだめて、電話を切っていた。

「まるで、ののちゃんのパパみたいね、ピロさん」

「まさか、ののにとっては、格好の遊び相手だよ。オレは」

 ピロさんは、車の鍵に付けている鍵で、玄関の鍵を開け、引き戸を右側にひらき「ゆーちゃん、どうぞ」

 家の中に入ると土間っていうのかな。囲炉裏と竈まである。

 ピロさんは、家の中を案内してくれた。

 畳の居間には、長方形の大きな木のテーブルがある。

 家の雰囲気にそぐわない、大型のテレビが設置されている。

 居間の隣りには、床の間の部屋があり、つやつやとした床柱の間に青い壺が置かれていた。

 古い時代めいた飾り箪笥には、骨董品であろう湯飲み茶碗が見栄え良く飾られていた。

 台所はシンクが2つあり、ガスコンロ、冷蔵庫、電子レンジがある。

「トイレは、こっちね」

 トイレの扉を開けてピロさんが中に入ると、洋式便座のフタが自動で開いた。「フタが開くの、遅いから、急ぎのときは自分で開けたほうがいいよ」

 私はピロさんの説明に、笑った。

「すごいね。家電製品は最新型ね」

「家は古くても、家電製品は、新しいほうが、経済的でもあるのだってさ。親がね、そう言ってた」

 トイレの側には、洗濯機とお風呂場がある。

「どれでも、好きに使っていいからね」

「ありがとう。でも、洗濯機持っているのに、何故コインランドリーに行くの?」

「オレ、この家には、たまに来るくらいなんだよ。それに、コインランドリーの方が楽じゃん。洗剤を買って置く必要もないし、外へ洗濯もの干したり、取り込んだりしなくていいしさぁ」

 ピロさんは台所へ戻り、冷蔵庫を開けた。

「よし、焼きそば麺と、キャベツ1玉があるぞ。後は缶ビールとペットボトルのお茶もある」

 まな板を出し、包丁でキャベツを切っている。水で洗って、また細かく切った。

 火のついたコンロの上のフライパンに、油を入れた。

「ゆーちゃん、フライパンで炒めてくれる?」

「うん」菜箸で、キャベツをかき混ぜる。「気がついた。肉が、ないよ」

 口を開けて、困った表情を見せる、ピロさんに笑った。

 ピロさんは、2つの戸棚を開けて、缶詰の詰まっている奥に、魚肉ソーセージをみつけて、ニンマリとしている。

「これ入れても、美味しいよね」切ったソーセージと、焼きそば麺を入れて、少し水を入れた。

「ゆーちゃん、火、強くない?キャベツが、焦げているよ」

 ピロさんが、菜箸を握り、手早く焼きそばを作っていく。

 居間のテーブルに並べた2枚の皿と、缶ビールとお茶。

「焼きそばに、乾杯」

 お茶の入ったコップを持つ私に、缶ビールをコツっとピロさんがあてた。

 焼きそばを食べる。

「美味しい」本当にそう思った。

「ゆーちゃんも、ビールを飲めばいいのに」

「なんだか、アルコールの匂いがダメなの」

「そうかー。では、ゆーちゃんの分も、オレが飲んであげるよ」

 楽しげなピロさん。私は、笑う。

 焼きそば1皿で、缶ビールを3本も飲んでいる。

「なんかさー、今日は、上手い!」酔ってきたのか、ギャハハと笑っている。


 座布団を枕にして、寝そべる、ピロさん。

 テーブルの上の皿を重ね、その上にビールの空き缶とコップ、箸を乗せた。

 台所で食器を洗う私に「わるいねぇ、ゆーちゃん」

「ごちそうさまでした」と返事をする。

 洗った食器を布巾でふき、台所のテーブルへ置いた。

 居間で寝ているピロさんに「何か、掛け布団を持ってこようか?」

「隣りの部屋の、押入れに青いタオルケットがあるから、ソレお願い」

 押入れを開けると、一番上に、タオルケットはあった。

 私は押入れの前で、オーバーオールと白いシャツを脱ぎ、ブラジャーとショーツも脱いだ。

 タオルケットを居間のテーブルの上に置く。

 目をつぶっているピロさんに「私を見てほしいの」と声をかけた。

 目を開けたピロさんは、私を見た。

「なんで、そんな事をいうの?」

「なんでって事もないけど、あれよ、私もいい歳だし、体のラインが崩れる前の、私の体を見てほしいの」心の中で、呟く。私を、覚えていて欲しいから。夜空の星を見たら、たまにでいいから、私を思い出して欲しい。

「ゆーちゃん、オレの傍に来て。オレの腹辺りで、オレを跨いで、ゆーちゃんを見せてくれ」

 私は、仰向けに寝ているピロさんの、お腹辺りで脚を開いて立った。

 私の目を見ている、ピロさん。

 視線が私の首へ行く。

 なんなんだよ、その首についた跡は。オレは心の中で言う。

 鎖骨の出ている痩せた肩を見て、小ぶりな乳房と、その真ん中に付いている、色素の薄い乳首を見た。視線を下げ、消えかかってはいるが、痣が何個もあった。ヘソの窪みを見て、その下の薄く茂っている恥毛を見た。細い太ももと同じくらい白い脚にも、痣はある。

「後ろ姿も見せて」

 私は、ピロさんに背中をむけて、立った。

 首の後ろにも、痣跡がある。何やっているんだよ、ゆーちゃん。心の中で問う。白い背中。小さい尻。やはり白い脚にも、所々に痣がある。

「ゆーちゃん、オレの隣りへ、おいで」

 私は、ピロさんの右腕に頭を乗せ、テーブルに置いたタオルケットを手繰り寄せ、2人に掛た。

「ゆーちゃん、オレとの約束を、守ってくれなかったのだな」

「ごめんなさい…。また、何か視えた?」

「オレ、酒飲んだから、怪しい物は視ることができないよ。でも、ゆーちゃんの首の」と言ったところで、ピロさんの唇に私の唇を重ねた。

 ピロさんが優しく、私の頭を掴んだ。

 わかったよ。ゆーちゃん。何も聞いて欲しくないのだな。オレは心の中で呟いた。

 唇を離したあと、ゆーちゃんは、オレの胸に顔を置いている。優しく抱きしめた。

「ゆーちゃん、オレを犯したくなっちゃったら、好きにしていいからね。オレ、彼女いないし」

 オレの胸の上で、ゆーちゃんが、クスっと笑った。

「そうさせてもらうわ」ゆーちゃんがオレのシャツを脱がした。そしてまた、頭をくっつけて、じっとしている。

「ピロさんの肌の温かさと匂い、心臓の音が、とても気持ちいい」

「そうか」オレは、ゆーちゃんの髪の毛を、撫でた。

 静かだ。

 古い民家の柱についている、振り子時計。コチッコチッとした音だけが、聞こえていた。


 ピロさんの、寝息が聞こえる。

 ゆっくりとピロさんから離れた。

 押入れの前え行き、服を着た。

 静かに玄関から外へ出ると、家から離れた場所でエンジンをかけるために、スクーターを押す。

 行くのか、ゆーちゃん。止めてもムダなんだよな。天井を見つめ、オレは、遠くでスクーターのエンジン音がかかる音を聞いた。


 タバコが吸いたくて、外に灰皿が設置してあるコンビニに寄った。

 1本のタバコを出すと、残りは3本だ。

 このコンビニのトイレで白装束を着て、白粉を顔に塗る前に、新たに2箱くらい買って行こう。

 タバコを吸っていると、頭上近くで、バチっと音がしている。

 入り口付近の、青白い電気、ブルーライトに魅入られ殺虫灯に集まる虫たちが、高電圧で殺虫されている。

 たかる虫と、死ぬ虫。

 私みたいだわ。

 神社へ行かずには入られない。ある意味では、この虫たちのように、魅入られているのかもしれない。

 私の殺虫灯は、神社だ。

 ここ数日間で、通う虫の私。

 殺虫灯の電熱で、焼かれて、死ぬ虫になれるのか、魅力的な灯りの周りを飛ぶだけで、死なずに、終わるのか。

 結果は分からない。でも、今夜が最後。

 もう1本タバコを吸った。

 怖い事が、たくさんあった。今夜も、このままでは、済まないだろう。

 だけど、ピロさんに出会えたことは、救いだったな。

 恐怖の連続が続く中を、あの人は癒やしをくれた。

 トイレ内で、白装束とその上からオーバーオールを着て、白粉と口紅をつけ、マスクをつけた。

 神社へ向かう。

 いつものように、神社の奥、目立たない駐車場へ、スクーターを停めた。

 離れてはいるが、住宅街があり、外灯もある。

 神社内は、完全な暗闇ではない。

 そのために、他人に見られないように、儀式を行うことに、細心の注意がいる。

 静かに、神社へ入って行く。

 土を掘り、隠しておいた道具、草むらに隠した道具を用意した。

 儀式を行う準備を整える。

 邪念を頭から消すのに、少し時間がいる。

 白粉のコンパクトを出して、自分の顔をじっくりと見た。

 高橋裕子。あんたが大嫌い。生きているだけで、醜態だわ。自分が、気持ち悪い。早くこの世から、消えてしまえ。そう考え、自分の顔を睨んだ。

 自分を取り巻く人たちへの恋しさ、会えなくなる淋しさを超えて、自分が嫌で嫌でしょうがない。

 心を定めた。落ち着いて、集中して、杉の木に刺してある藁人形、五寸釘を金槌で打つ。

「高橋裕子死ね!」

 手に持つ金槌を土の上に落とした。

 終わった。

 やりきったのだ。

 呪術の道具は、バラバラに、草むらへ投げ入れた。

 オーバーオールを着て、リュック仕様にしたカバンを背負い、神社から出ようと歩こうとした瞬間に、鳥居へ続く地面が、音も無く陥没していく。

 私の両足が立つくらいの地面が、橋のように鳥居へと続いていたが、鳥居の側に、夜の暗さよりも、黒い靄が集まって来ている。

 今まで儀式の後に見ては、空中に消えて行っていた靄が、地面の上に集まっている。

 黒い靄は、形を成した。真っ黒い牛が、地面に伏している。牛の輪郭は、白く薄く発光している。

『我を飛び越えろ』

 私の頭の中で、声が聞こえた。いや、聞こえたというより、そう思わされた。

 橋となった地面を歩く。左右の陥没した地面は、底が見えない。

 足が震えた。バランスを崩したら、陥没へと落ちてしまう。

 もっと明るければ、早く歩けるのに。時間を取るほど、恐怖が増す。すり足で、道の先を進み、途中で屈んだ。行く先を手で確認せずには、進めない。

 獣臭がキツくなり、牛の近くへ来たことが分かる。

 震える足を踏ん張り、立ち上がった。

 2歩助走をつけて、伏している牛の背中の上を飛び越え、地面の上に両手両膝をついた。

 振り返えり見ると、いつもの神社の風景だ。

 錯覚だったのだろうかと混乱した。私の胸打つ心臓が、その考えを否定している。

 視た、視ない、その気持ちに囚われながら、

 気がついたことがあった。

 黒い靄に蹴られたり、ぶつかられた後のヘルメットや服には、跡がついていた。あれは、牛の蹄の跡だったのではないのか。

 私は確信した。幻を視たわけではないと。


 ネットカフェへ戻るために、スクーターで走っていた。

 赤信号で、4車線の道路の先頭でスクーターを停めた。

 急に、鳥肌が立った。背後に、ナニかいる。

 後ろが確認できない。スクーターのハンドルを握ったまま、身体が固まっている。目を動かすことしかできず、スクーターのサイドミラーを見ようとしたが、強い力で赤信号の道をスクーターが動いて行く。

 青信号の右側から大型トラックが走って来ている。

 轢かれる!

 異変を見ていてくれたのか、トラックの運転手が減速してくれ、事故にはならずに済んだが、身体の硬直が取れると、私はスクーターと一緒に、道路へ横倒しになった。

 少し進んだトラックは左のウインカーをつけ、運転席から年配の男性が降りて私の傍へ来た。

 スクーターを起こし、私を立たせてくれた。

 道の端へ連れて行かれる。

「お前、大丈夫か?いじめか?」

「すみませんでした」謝るしかない。

「おかしいな」

 年配の男性が、スクーターの辺りや、その後ろの道を、見回している。

「あんたのバイクを押していた、メット被ってた奴は、どこへ行った?」

 私には見えなかったけど、この人には、視えていたのか。ヘルメットを被っていたと聞いて、全身にまた鳥肌が立つ。

 男性に、何度も謝った。眉を顰めるトラック運転手は、車に戻って行く。

 ネットカフェの個室へ戻っても、またヘルメットを被る女が現れ、首を絞めにくるのではないかと怯えながら、鎮痛剤をカバンから出して飲み、頓服薬もあるだけ全部飲んだ。

 部屋の隅で膝を抱え、警戒していたが、薬が効くと、そのまま眠った。


 スマホの目覚ましアラーム音で、目が覚める。

 ネットカフェのトーストを注文して、食べた。

 今日は、何がおこるのか。

 何も起こらない可能性も、ある。

 職場へ行くために、ネットカフェから外へ出た。

 晴れている空。

 額に手をかざして、太陽をみる。熟睡できたとはいえないが、こうして朝日を見れば、夜に受けた恐怖も、別次元、ただ悪夢を見たような気分だ。

 白いワンピースの背中に背負っていたリュックから、タバコとライター、携帯灰皿を出してタバコを吸った。

 共に出勤時間なのか、車道を走る車は多い。私にも聴こえるような音量で、音楽を流している車が去っていく。

 今日の出勤のために、気合いを入れているのかな。

 タバコ消し、ライターと灰皿をリュックへしまい、ヘルメットを被るとスクーターのエンジンをかけた。

 カチと音がするだけで、エンジンはかからない。何度行ってもダメだった。

 一緒に倒れてしまったときに、どこか壊れてしまったのか。スクーターのサイドは、アスファルトに打ち付けた傷がついている。

 ネットカフェに戻り、24時間分の料金を払うと、再び外へ出て、スクーターを駐車場に駐める。お金を払ったから、安心して置いておける。

 徒歩で、職場へ向かった。





 M市総合病院のわきにある、植え込みの繁みに隠れていた。

 万が一、誰かに姿を見られたときに、不審者に思われないように、作業員服を着ていた。

 草むしりでもしているふりをすれば、良いだろう。

 この病院には、車が通れる入口が2つある。表門と裏門だ。裏門は、おそらく、亡くなった人が出ていく門であろう。

 表門から、元旦那は車で来るだろう。

 繁みの中でしゃがんで、目だけを忙しく動かす。

 来た。

 見覚えのある車だ。

 久しぶりに見る元旦那。

 もう、憎しみしかない。愛は消えた。

 バカみたい。表門から、なるべく近い場所へ車を停め、顔を右に向けて、病院に入って来る、車、バイク、自転車、徒歩の人たちを見つめている元旦那。

 病院敷地内は、徐行運転が求められていて、それを示す看板も立ててあった。

 ありがたいわね。皆んなが、ルールを守ってくれて。

 元旦那が動いた。

 表門を見て、車から降りた。

 私も、表門を見た。

 来たわね。

 私は繁みから出て、待っていた女に向って走り出す。

 走る途中で、右手に被せていた、黒いビニール袋を取り捨てた。

 包丁を持つ手。

 テーピングで、包丁と手をぐるぐる巻きで、固定してある。

 走りながら思う。

 なんて私に似ているのであろう。

 いや、私が似ているのか。元旦那は、私を、この女に見立てていたのだから。

 私は躊躇いもなく、高橋裕子の心臓めがけて包丁を刺した。

 包丁を抜くと、もう1度同じ場所を刺した。

 倒れる、高橋裕子。

 着ていた白いワンピースの胸元から、紅い血が広がっていく。

「お、お前!なにやってんだよ!」

 後ろを振り返ると、元旦那がいた。

「自分がした事を、思い知るがいい」

 包丁を奪い取ろうとする元旦那を後ろへ飛び跳ね、かわした。

「森正也、私を見て!」

 私は元旦那の、目を見た。

 紅い血がつく右手に持った包丁で、自分の喉を切った。

 元旦那を見ていた自分の視線が、外れていく。

 イヤだ。正也の目を見ていたい。

 今、正也はどんな顔をして、私を見ているの。

 自分の目線がゆっくりと下がり、血が滴るアスファルトが見え、倒れた。

 立ちすくむ、森正也を中心に、女が2人倒れている。

 正也の周辺には、病院に入れず、何があったかと集まって来ている人だかりが出来ていた。

 誰が呼んだか、サイレンを鳴らすパトカーが到着すると、野次馬達は、波が引くように、それぞれの場所へ去った。

 面倒事には、関わりたくないのが、人間だ。

 警官に、俺は事情を聞かれた。

 病院からは、担架を持つ人が4人こちらへ向って来ている。

「刺された女性は、貴男の知り合いですか」警官に聞かれ「知り合いです」

「女性の名前は」

「高橋裕子です」

 高橋裕子は、担架に乗せられ、運ばれて行く。

「こちらの作業服の女性も、知り合いですか」

「はい…。森、いや、高橋裕子です。元妻でした」

 作業服の高橋裕子も、担架に乗せられて、病院に運ばれて行く。

「2名の女性は、同じ名前なのですか?」警官は驚いた様子だ。

「はい。同姓同名で年齢も同じです」

「倒れていた姿を見ても、違いは服装だけという感じで、顔つき、髪型も、よく似てましたね」

「はい。良く似てました。元妻の高橋裕子は 、以前とは違う髪型にしたようですが」




 聞こえているであろう。高橋裕子よ。

 私の頭の中で、神社で視た牛の言葉が浮かぶ。

 お前の腹には、赤児がおる。呪術中にできた差し詰め、呪物の子だな。クックッと笑っている牛。

 お前は、間もなく死ぬ。だが、お前の股ぐらから呪物の赤児を産み落とすのならば、お前の命をワレが助けてやろうぞ。

 もう、身体の痛みなど感じない。

 牛に問われても、返答を考える余裕もない。

 自分の頭の中で、言葉を浮かばせた。

 赤ちゃん…私に?



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始末、私の。 深六 汐 @shionekomaruko

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