【KAC20247】宝石の色、涙の色

水城しほ

宝石の色、涙の色

 同級生のミハンナがわたしの家を訪ねてきたのは、強い雨が降る週末の夜のことだった。

 わたしたちが通っている「王立アーリエ魔法使い養成所」では、大半の生徒が寮生活を送っている。ミハンナも寮生で、既に門限どころか消灯時刻を過ぎているはずなのに、焦る様子も見せずに「少し時間をもらえるかしら」と言った。

 雨にうたれてずぶ濡れになっている女の子を、深夜に放り出すわけにはいかない。わたしは迷わず家の中へと招き入れた。タオルを渡すと彼女は素直に受け取り、だけど黙ったままで髪や身体を拭いた。その様子はあまりにも普段と違っていて、気楽に声をかけられるような雰囲気ではない。おそらく何かがあったのだろう。しかし、貴族にも負けないくらいに品良く華やかで、成績も優秀なミハンナを慕う学生は多い。寮生の中にも頼れる友人くらいはいただろうに、あえてここに来た理由とは何なのだろうか……わたしを訪ねて来た、とは限らない。ここにはわたしだけでなく、わたしの恋人のアルヴァーンと、魔法アウルのアウルアさんが住んでいる。そう、この家は二人と一羽暮らしなのだ。

 ミハンナはアルヴァを好きだったけれど、わたしに嫌がらせをしたせいで手ひどく振られていて、それからの二人はほとんど口をきいていない。アウルアさんに関しては、ミハンナは彼女がここにいることを知らないはずだ。本当に理由が想像できない。

 ミハンナは理由を語らないまま、アルヴァーンに会わせて、と頭を下げた。

 

 わたしと共に広間へ入ってきたミハンナを見て、アルヴァは一瞬だけ顔をしかめたけれど、すぐに普段通りの微笑みで「どうしたんだい」と声をかけた。


「アルヴァーン……わたし、養成所を辞めることにしたの。週明けには手続きをするわ」

「ふうん、そうなんだ。君は優秀なのに残念だね、元気で」


 養成所を辞めてしまうということは、もう「魔法使い」への道が断たれてしまうということだ。王族のアルヴァや貴族のわたしであれば、魔法使いになろうとなるまいと、いわゆる「上流階級」の生活が待っているけれど……平民のミハンナにとっての「魔法使い」とは、身分を超越して国の要職だって望めるような、生きる世界を変える切符なのだ。間違いなく人生の一大事なのに、笑顔のまま「興味がない」と意思表示をするアルヴァの態度はかなり辛辣で、ついミハンナに同情してしまう。彼女の自業自得なのはわかっているけど、彼女はこの養成所で初めてわたしを「エル」と呼んでくれた女の子だ。普段は誰にでも優しく接している彼女と、できることなら仲良くなりたかった。恋心さえ絡まなければ、きっと仲良くなれたはずだった――そんな想いが消えてくれず、わたしは「引き止めたい」と強く思った。


「ミハンナ、理由を教えて。何か力になれることはない?」


 その言葉が意外だったのか、ミハンナは目を丸くしてわたしを見た。


「エル、まさかあなた、わたしを引き止めようとしているの?」

「だって、養成所を辞めるなんてよっぽどのことよ?」

「……あなたって、とんだお人好しね。わたしがいなくなれば清々するでしょうに」

「そんなことないわ! 養成所の同期はみな、生涯の友になると教わったもの!」


 それは、養成所の卒業生である両親の教えで、つまりはわたしの本心でもあった。その心を届けたくて、彼女の手をぎゅっと握る。


「だから話を聞かせて、ミハンナ。わたしはあなたの力になりたいの」

「エルがそう言うのなら、仕方がないね。僕も力になるよ」


 アルヴァがふっと息を吐き、以前のように親し気な笑顔をミハンナへ向けた。その途端、彼女の瞳には涙があふれて――いつも気丈なミハンナが、ありがとう、と繰り返しながら大泣きをした。


 しばらくすると、ようやく落ち着いたミハンナが、壊してしまったのと呟いた。


「戦闘系魔法の自主練習をしていて、魔法長杖スタッフを壊してしまったの。魔力放出の加減を誤って、先端の魔法石が砕けてしまって……」


 その言葉を聞いて、わたしとアルヴァは顔を見合わせた。並の魔力の持ち主ならば、そんなことはまず起こりえないのだ。普通は魔力を出せるだけ出さないと、術式として成立しない。放出力の高い魔法具を使って、放出力が最大になるような呪文を編んで、最大出力で魔力を解放する。わたしたちが普段受けているのはそういう指導だ。しかも武器の一部として加工された魔法石なんて、壊そうと思ってもそうそう壊せるものではない。


「驚いたな、いったいどんな放出の仕方をしたんだい?」

「それがわからないのよ。ハース先生には、魔力の暴発だって言われたわ。精霊との交感が上手くいかなかった時、極稀に起こることなんですって」

「成程ね……それで? 養成所を辞めるってことは、誰かに怪我でもさせたのかい?」


 そうではないの、とミハンナが首を振る。そして、消え入るような声で「お金」と言った。その瞬間に合点がいく。わたしたちは実家の支援があるけれど、本来ならば魔法学とは非常にお金がかかるものなのだ。平民向けの奨学金はあるけれど、それは本当に必要最低限のものなので、アルバイトをしている学生だって珍しくはない。ミハンナもおそらくそうなのだろう。


「武器って、ひとつめは養成所から支給でしょう? ふたつめからは自費になるのよ。せめて魔法石が無事なら修繕もできたけれど、よりによって、だもの……とてもそんなお金は出せないわ。辞めるしか、ないの」


 これをわたしたちに打ち明けるのは、心の奥でどれだけの抵抗があったのだろうか――言わせてしまったことを申し訳なく思いつつも、それなら力になれるかもしれない、という思いもあった。アルヴァも同じように感じたのか、辞めるな、と強い言葉を口にした。


「理由がお金で済むことならば、そんなものは僕の方で用立てる。だから辞めるな」

「いいえアルヴァーン、わたしは無心に来たわけではないわ。その気持ちだけで十分よ」


 すっと、ミハンナの背筋が伸びた。その雰囲気に気圧されてしまう。まるで「施しはいらない」と言われているようだった。


「その話を受けてしまったら、もうわたしたちは対等ではなくなる。魔法使いは常に対等であるべきよ」

「それならば、なぜここに来たんだい、ミハンナ?」

「それは……あなたの顔を見ておきたかっただけよ、アルヴァーン」


 アルヴァの問いに、ミハンナはまっすぐに答えた。


「魔法使いになれないわたしは、これまでのように同じ立場で物を言うことは許されない。ましてや王族のあなたには、もう二度とお目にかかることはできないでしょう。だから――最後に、きちんと言わせて頂戴。アルヴァーン、わたしはあなたを愛していたわ」

「……ありがとう、ミハンナ。良き学友だった君のことを、僕は決して忘れない」


 ミハンナの射貫くような言葉を、アルヴァもまた正面から受け止めていた。そこにあるのは真摯な想いのぶつけ合いで、わたしが入り込める余地などはなかった。だけど嫉妬などは湧かなかった。ミハンナの表情が、あまりにも綺麗だったから。


「エル、嫌な思いをさせてごめんなさい。あなたは幸せになってね」


 最後にそれを言い残して、ミハンナは寮へと戻って行った。


 アルヴァと二人きりになったあと、お互いに何も言葉を出せなかった。

 彼がどんなことを考えているのかは、よくわからなかった。感情を整理しているのかもしれないと思うと、魔力を繋ぐことも憚られた。わたしの中にも様々な思いが渦巻いていた。

 なんだか綺麗にお別れしてしまったけれど、このままじゃミハンナは本当に養成所を辞めてしまう。人望も厚く優秀なミハンナが、人を害したわけでもないのに、こんな形で夢を断たれるなんて……そんなの、あまりにも悲しすぎる。なんとか引き止められないだろうか。

 資金の援助は断られた。当然、武器や魔法石を買って贈っても受け取らないだろう。それは彼女のプライドだから、決して押し付けることなどできない。それ以外の方法はないだろうか。たとえばお金のかからない方法で、わたしたちの手で魔法石を調達するとか……幸い明日は休日だから、まだ時間的な猶予はある。

 ミハンナの使っていた魔法石は、虹色に光る蛋白石オパールだったはずだ。本来ならば、自分の得意な属性に合わせた石を選ぶ学生が多い。光属性が得意なわたしも月長石ムーンストーンを選択している。だけどミハンナは、王族でもないのに四大属性すべての扱いに長けていたので、アルヴァと同じ蛋白石オパールを選択していた。魔法長杖スタッフの先端を飾れるほどに大きな蛋白石オパールを、お金をかけずに調達する方法……とは……?


「お? おぬしら、二人揃って何を悩んでおるのじゃ?」


 作業室から広間へ入ってきたアウルアさんが、わたしたちを見て首を傾げ、ホッホゥ、とフクロウ語で鳴いた。

 先に「相談があります」と口を開いたのは、わたしではなくアルヴァだった。


 ミハンナの事情を説明し、さらにわたしの考えを述べると、アウルアさんはあっさり「簡単なことじゃ」と言ってのけた。どうすれば、と食い気味に話の続きを促す私たちを見て、アウルアさんはふわふわに膨らみながら得意げに胸を張った。


「魔法石はな、本物の宝石じゃなくても構わぬのじゃよ。まぁ武器は長く使うほどに馴染むゆえ、養成所ではあえて一生使えるようなものを用意しておるがのぅ」

「そうなんですか?」

「生業とするならば天然石が欲しいところじゃがの、授業程度であれば人工石でも構わぬよ。自分で作ることもできるぞ、魔力を固めて石にするんじゃよ。二人で力を合わせて作ってみてはどうじゃ? その方がミハンナも喜ぶじゃろうてな!」


 そういうわけで、急遽わたしたちは「魔法石製作」へ挑むことになった。


 作業室の中央にある作業台の上に、石の核となる小さな蛋白石オパールを置く。これはアルヴァの杖についていた宝飾をひとつ外したもので、この程度であれば杖の性能には支障がないとのことだった。

 アルヴァとわたしは蛋白石オパールへ手をかざし、少しずつ魔力を注ぎ込んでいく。この時に注意しなくてはいけないのが、自分の得意な属性ばかりを意識しないことだ。ミハンナの為に作る魔法石だから、火・水・風・土の四大属性を主体に込めなくてはならない。

 火おこしの時のように、火の精霊を意識する。赤の結晶が加わる。

 水を欲する時のように、水の精霊を意識する。青の結晶が加わる。

 布を乾かす時のように、風の精霊を意識する。緑の結晶が加わる。

 豊作を祈る時のように、土の精霊を意識する。黄の結晶が加わる。

 次第に蛋白石オパールは虹色をまとい、魔力の結晶に包まれていく。そして少しずつ大きくなって――しかし、完成直前に突然真っ黒になってしまった。


「ダメじゃ、失敗じゃ。着色用の顔料と同じでな、属性が混ざりすぎると黒くなってしまうんじゃよ。完全に混ざり合わぬよう、それぞれの特性を残して結晶化せねばならぬ。これも修行と思うがよいぞ、最初からやり直しじゃ」


 アウルアさんは真っ黒の結晶をパキンと簡単に割り、もう一回じゃ、とわたしたちの前に蛋白石オパールを置いた。


 わたしたちは寝食も忘れ、魔法石製作に没頭した。うまく調節できずに何度も真っ黒の石を作り、時にはわたしが光属性を意識しすぎて真っ白にしてしまったりした。ようやく蛋白石オパールに引けを取らない虹色の石が完成した時には、休日を一日すっ飛ばして、月の曜日の朝を迎えていた。

 慌てて身支度をして、養成所へ走る。遅刻寸前だったけれど、あえて教室へは向かわず教官室へ向かった。そのままノックもせずに飛び込むと、そこには担当教官のハース先生と、書類の束を抱えたミハンナがいた。

 ミハンナは目を丸くして、どうして、と声を震わせた。だけど先生はまるでわかっていたかのように、本当に来たねと笑っていた。


「ミハンナ、これを受け取ってくれないか」


 アルヴァがミハンナに、魔法石を手渡した。見た目は天然のものと遜色ないけれど、触れれば正体がわかるだろう。この虹色の球体は、わたしたち二人の魔力の結晶だ――どうか受け取ってくれと、アルヴァが祈るように繰り返した。


「作って、くれたの……?」

「ああ、エルと二人で作った。ミハンナの為に作ったんだ、使って欲しい」

「そんなの……断れないじゃないの……!」


 わたしたちの魔力の結晶を、ミハンナは大切そうに頬へ寄せ、膝を折って泣き崩れた。

 零れ落ちていく涙の粒も、様々な色に光って見える。それは天然の宝石よりも、強くて尊い輝きを放っていた。

 


(了)

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