Say Good Pie.

じこったねこばす

Say Good Pie.

Say Good Pie.

縁の無い眼鏡の奥に見える細く釣り上がった目が、そのまま彼の性格の醜悪さを物語っている。彼の名は田原。44歳独身で某メガバンクの本社で勤務をしているが、彼は通常3年程度で異動になる銀行において、現在の部署に5年超在籍しているいわゆる「ロング者」であった。


一般的に銀行において一つの場所に長く在籍する場合は二つの理由がある。①優秀すぎるか、②どこにも出せないヤバいやつか。田原は同期の一斉で経営職階に昇格はしていたものの、苛烈すぎる性格から後進にキツくあたるパワハラ気質が目立ち、経営職階層でありながらいつまでも異動が来ないでいた。


仕事はそこそこだが、性格が苛烈すぎて最終判定は「ヤバいやつ」認定されていた。田原のチームはチームリーダーの田原のもと、2人のユニットリーダーと、その更に下に3人ずつのメンバーの総勢9人所帯。いつも彼にイビられている後輩たちは、彼のことを陰で「タハラスメント」とあだ名し揶揄していた。


オレ自身は同じ部の中でも、田原とは別のチーム長のもとでユニットリーダーを務めていたため、田原と直接的な上下関係はない。田原も営業が強い後輩には当たりが柔らかかったためオレには特に被害がないばかりか、田原相手に軽口すら叩いていたため珍しがられていた。・・ある金曜日の朝のこと。


朝イチで田原は部長に呼ばれた。慌てて背広を着て立ち上がる白ワイシャツ姿の彼を見て、「え?タハラスメントが異動?」と周囲がざわつく。田原の異動は事前に誰にも知らされていなかった。「まぢか!引受先あったんだ!」まるで低格付先にシローン投資家が見つかったかの如く嬉々として騒ぐ同僚たち。


田原チームの面々の中には立ち上がってメンバー同士でハイファイブをかますものまで現れ始めた。アラブの春ならぬ丸の内の春到来。アダム・田原の銅像があれば皆で縄をかけて引き倒さんばかりの喜びぶり。部長室からいそいそと出てくる田原の姿を見てサッと居住まいを正す小心者バンカー共。コントか。


部長に先導されて島に戻る田原。一斉に周囲の行員たちが立ち上がるのを見て部長が話し始める。「このたび田原くんがA支店の法人課次長として異動することになりました」と言い終わるか終わらないかのうちに巻き起こる拍手。シンバルを叩くサルの玩具のように全力で手を叩く田原チームの最若手の面々。


内出血を免れない勢いで高速の拍手をする若手たちは、一見高い忠誠心をもって田原の異動を祝っているかのように見えるが全く違う。私心・私欲で明日からタハラスメントという罰ゲームを他所の部署の人間に押し付けることができるという喜び一心で手を叩いているに他ならなかった。哀れな子羊たちよ。


しかし、田原による圧政の終焉が見えたこの子羊たちが小さな抵抗を見せる。通常、上司の異動が決まった時には送別会を開催し、その幹事は部下が務めるのが慣わしである。が、人望が宇宙開闢前の「無」くらいない田原の送別会幹事を名乗り出るものが誰もいない、という前代未聞の事態が発生した。


田原チームのユニットリーダーが言う。「大人として幹事をやらなければならないと分かってはいるのですが、心と体が動かないのです。もう1秒だってあの人と同じ空気を吸っていたくない。幹事はできません。」大体の我慢に耐える銀行員にこれを言わせるとは一体これまでどんな仕打ちを受けてきたのか。


事情を知らないではない部長・次長も困り果て、かといってご時世的に無理くり幹事を押し付けるわけにもいかず、「田原と仲が良かったやつはいないよなぁ」とごちて周囲を見まわす役職者たち。次の瞬間、二人の視点が同じ対象を捉え静止したのが分かった。オレだった。「じこばすー、ちょっときてくれ」


上司のところに駆け寄ると幹事を打診される。「イヤか?」と上司は問うてくるが「イヤに決まってるだろ」とも言えず、同時に悪フザケのアイディアが脳内に浮かんできたこともあり「どんな会になってもいいなら引き受けます」と返答することにした。上司は「ハラスメント以外は許す」と頷くのだった。


使ってみたいお店リストの中からグループ20名程度で貸し切れる店を予約し、とにかく出席したがらない田原グループの面々に出席を説得した。「あのこじらせはお前らの上司だろ。幹事はオレが引き受けてやるからつべこべ言わずに出席しろ」と優しく囁いたのが奏功したのか、渋々彼らの出席を取り付けた。


あとは送別会のコンテンツのみ。最後の挨拶は田原本人に喋らせるのが常として、その直前は一番上席の次長にお願いし快諾を得た。挨拶で難航したのはそこからだった。田原チームの面々の年長者に声をかける。まずはオレの同期で田原直下のユニットリーダーS。「ねえ、S。田原さんに送別の辞を述べてよ」


Sは「ごめん。オレ無理だわ。」と素っ気のない返事・・おいマジかよ。次はもう一人のユニットリーダーY。「送別の辞をやっ」「じこさん、すみませんわたし無理です。」と喰い気味に断る女子行員。次はユニットの最年少U・・・はオレが近寄ると「役不足ですー」とはぐれメタルのように全力で逃走。


頼める人もいなくなり、我がグループの面々に依頼するも「え・・私たちがやる意味がわからないです」と、そらそうだよなの理由で断られる始末。あまりにも、皆がオレから逃げるので、オレはこのとき初めて森のクマさんの気持ちがわかった。歌と違うのはオレの手中あるのはイヤリングじゃなくてウ●コ。


そこでオレは一計を案じた。規格外に嫌われているヤツに一般規格で送別会をやるほうが間違いなのだ。「田原氏の送別会では送別の辞を述べる人をクジで決めます」と同僚にメールをした。主賓が不人気な故に銀行で聞いたことのない手法を採用した。なんだか田原にも同僚にも無性に腹が立ってきていた。


オモイデニノコル、ソウベツカイニシテヤルーーさて、オレが予約したお店には他の店ではあまり見られない特徴的なオプションがあった。そのオプションこそがこの店を選定した最大の理由なのだが、食べ●グの備考欄に燦然とオプション内容の文字列が煌めく。「当店ではパイ投げができます」クックックw


いよいよ送別会当日となり、会の時間が近づくにつれてメールの内容が部内で囁かれ始めていた。「送別の言葉当たったらどうしよう」「おれ何も考えてねーわ」「文句しか出てこなさそう」など揃いも揃って皆愚痴ばかりで楽しもうとするヤツは誰もいなかった。ここで幹事のオレから追加ルールを送信した。


「田原さんSay Good Pieルール」

1.田原さんへの送別の言葉担当者は幹事も含めて王様ゲーム方式で割り箸を使って決定します。

2.割り箸を取る際のかけ声は「せーの、Say Good Pie!」で一斉に取ります。

3.送別の言葉を話し終えたら田原さんの顔面にこれまでの感謝を込めてパイを投げつけてください。


「うわなんだこれ!」「じこさん正気かよ」「あんた鬼畜だ」などこのメールを見た面々から阿鼻叫喚の声が上がる。だが、もう知らん。オレが今宵のMaseter of Ceremonyだ、幹事を引き受けなかったお前らが悪い。せいぜい己らのクジ運を思い飲み会まで震えて眠るがいいwーそしていよいよ送別会の時刻。


送別会開始5分前。すでに店に集まった当部メンバーは、平時他の飲み会では見せることのない緊張の面持ちを携えている。遅れて入ってくる次長と田原。これにて全員集合。幹事のオレが立ち上がり、全員を見回して送別会開始の合図を告げる。まずは乾杯の挨拶。これすら誰も引き受けなかった。お前ら・・


「本日の乾杯は後ほどの練習も兼ねて、王様ゲーム方式で決定します。さあ一人一本ずつ、幹事の私と店員さんの持つ割り箸の束から一本お選びください」「せーの、Say Good Pie!」・・・乾杯の挨拶を引き当てたのはまさかの田原本人だった。なぜお前が参加している?箸が一本多かったようだ。やり直し。


2回目に選出されたのは我がチームの若手だった。慣れないながらしっかりと歯に気球をつけて浮き上がらせ転出者を称え乾杯した。酒も入り徐々にほぐれる会場。いつもは鬼瓦みたいな顔をした田原も上機嫌で各テーブルを回るが、彼が着座した途端その席の空気が逝く。まるでもののけ姫のシシ神様だ。


いよいよ送別の辞の時間がやってきた。「さあ!宴も高輪プリンスホテルですが・・なんつって!」と昭和オジサンストロングスタイルな前置きをかましてオレはSay Good Pieの開会を宣言した。先ほどまでとは打って変わってピンと張り詰める空気。不思議と田原だけは意味不明にニコニコしていた。


「それではみなさん、ルールはご承知ですね!参ります。最初の送別の辞はこの人!せーのっ!Say Good Pie!」やはり乾杯の時に練習をしておいて良かった。さすが賢い銀行員、一度やれば皆要領をつかんでいる。最初に送別の辞を引き当てたのは、なんと私が一番初めに送別の辞を打診した同期のSだった。


Sを会場の真ん中まで促すオレ。Sはあまりの驚きに呆然としつつ若干足元が覚束ないながら壇上へ。送別の辞を受ける田原は既に立ち上がりSのほうをまっすぐ見つめている。訥々とSが話し始める。「私は田原さんには大変ありがたいご指導をいただき・・・」この後に待ち受けるパイ投げを意識しているのか


Sはもう何を言っているのかわからない。要領を得ない時間が2-3分過ぎ去り、Sは話を大きな声で「ありがとうございました!」と言うことで締め括った。オレは用意しておいたパイをSに手渡した。「さあ、それでは万感の思いを込めたパイ投げをお願いします!」と促すオレ。もうとても楽しくなっている。


Sは緊張で田原と目を合わせることができないようであったが、一方で田原はオナニー後なのか?というくらい穏やかな賢者モード。Sは意を結したのか「お世話になりましたぁぁっ」といい紙皿を田原の顔に。ベシャっ!という音を立てて田原の顔は真っ白な泡まみれになった。同時に巻き起こる会場中の拍手。


Sはやりきった顔をしていた。後日、Sに聞いたところ長年の溜飲があの瞬間下がったと感謝の言葉を伝えられた。続いて、2番目の送別の辞。かけ声とともに当たりの箸を引き抜いたのは、これまたオレが二番目に声をかけた女性ユニットリーダーYだった。なんともな偶然に会場は一気に湧いた。


先ほどのSと同様に壇上にあがるY。かつて証券会社出向で数々の修羅場を潜ってきたYの胆力は素晴らしかった。「田原さんは私が出会ってきた中で最低の社会人です。」との一言から始まったYの送別の辞は「人非人」「人格破綻者」というパワーワードが続出し、会場はその度に爆笑と拍手が巻き起こった。


その後、Yは田原の前に立ちその華奢な体からは想像できないスピードで、田原の顔目がけてパイの乗った紙皿を叩きつけた。破裂したように飛び散るクリームの泡(ちなみに生クリームではなくスプレーの泡です)。田原の鼻の穴に泡が入ったようで、鼻をかむ仕草をする田原の姿に皆は笑い転げていた。


そして、予定している最後の送別の辞の抽選を行った。きっとパイの神というのは存在しているのだろう。そんなことを確信した結果だった。なんと選出されたのはオレが3人目に声をかけた田原チームの最若手でタハラスメント最大の被害者Uだった。Uは諦念に満ちた顔で壇上に上がり、会場の注目が集まる。


「初めて人にサツイが芽生えたのは、銀行に入って田原さんに出会ったことでした」無礼講ここに極まれりといったまたしても爆裂パワーワードが炸裂した。おぼっちゃま大学出身でおっとりした性格のUのゆっくりした語り口とは、似ても似つかない強めのワードに会場が今日イチの盛り上がりを見せる。


「田原さんが嫌いすぎて同じ名前の著名人まで嫌いになりました」「毎週日曜日になると田原さんの家が燃えればいいのにと祈ってました」と続々と出てくるブラック・ダイアリー。こいつ詩人だな、と思わせるUの語りに会場中は惹き込まれていた。しかし、田原の表情はクリームで見えない。Uのパイ投げは、


田原の顔に今までの怨念を捻りこむような見事なものだった。この後は次長の挨拶であるが、これまでの盛り上がりを見てやりたくなったのか、次長まで田原に「お前はひどいヤツだ」「360度評価をするとヤフコメみたいにアンケートが荒れる」などのエピソードをパイを片手に語り始めた。


次長は田原の前に立つと「これは今まで君に踏まれ挫かれた人の分です」と言い田原の顔にグリグリとパイを押し付けた。それはまるで「天津飯の分だっ」とナッパを屠る悟空のようだった。次長の気の利いた挨拶で割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こる。さあ、これからがいよいよ主賓の田原の挨拶だ。


田原は壇上に立つと部員全員に向かって深々と礼をしたあと、ゆっくりマイクを持ち「今まで、パイ変申し訳ありませんでした」とぶっ込んできた。まさかの田原のボケに一瞬会場は「田原がボケ?」的な空気になるもあまりの間のうまさに笑いが起きた。その後も田原は軽妙にパイにかけてワードを入れる。


「まさかこんな会が開かれるとはじこばすくんには完パイです」「異動はない。安パイだと踏んでいたのですが」「こんなにもいっパイの人に送ってもらえて」その愛嬌を何故今まで出せなかったのかというほど田原は饒舌だったため、会の空気も気づけば良くなっていた。幹事としては大成功であり安堵した。


その帰り道。オレと田原は2人になった。さすがに先パイにパイをぶつけまくった悪ふざけを延々と繰り広げたため怒られることを覚悟していたが、田原は意外にも「今日はありがとう」とオレに握手を求めてきた。「こんなにも自分で笑ってくれる感覚は初めてだ」とも言い感慨深げに改札に消えていった。


田原はそのまま新しい部署に異動していった。あの夜をきっかけに何かが彼の中で変わってくれれば良いな、と期待してオレは彼を見送った。その後、3ヶ月経って田原の異動先の同期から便りがくる。「じこばす、田原さんて凄いな。もう2人潰したよ。」、、、やつはなんも変わっていなかった。


おしまい。

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