卒業の色

和扇

第1話

 僅かに開けた窓から吹く風は冷たくて、身の芯まで凍えてしまいそう。

 見上げる空は雲に覆われ、まさに鈍色にびいろ


 私の心をそのまま写して貼り付けたかのよう。


 今日は高校卒業の日。今まで一緒に過ごした仲間たちとの別れの日だ。


 中学の卒業式ではここまでの感情は無かった気がする。多分、それぞれ違う高校に行くとしても、基本的には同じ地域で過ごし続けるからだ。少なくとも私が住んでいる地域ではそんな感じ。


 でも、高校の先は違う。


 幼馴染のおっくんは大学進学、友達のゆーちゃんは看護の専門学校へ行く。同じクラスの久御山くみやまさんはなんと留学。私達の学年ではたった一人の海外留学選択者だ、凄い勇気。


 私も大学進学。

 でも何か強い目的があったわけじゃ無い。ただ漠然と、大学は出た方がいい、という話に流された感じだ。中堅私立大学の文系、法学部。親から「資格を取るなら法律系がいいぞ」と言われての選択である。


 そんなだから、今日の私の心は鈍色。少し先の未来、それすら見えないから。不安と迷い、そしてもっと考えるべきだったという後悔。すべての色が混ざり混ざって灰色になってしまったんだ。


 既に卒業式は終わって、クラスの皆は帰ってしまった。教室の中には私一人、黒板に誰かが書いたイラストが卒業を祝っている。もう高校生活は終わったんだから出ていけ、と言われているかのようだ。


 もっと高校生活を楽しむべきだった。もっと将来の事を考えるべきだった。もっともっと、皆と話すべきだった。今日この日、それが明確に出てきたんだ。


 一緒に帰ろう、折角だから何処かへ行こう。そんな声を掛けてくれる人はいなかった。でも孤独というには一応の繋がりが有って、だからこそより寂しい。


 私は教室を後にする。

 いつもなら「また明日」と友達と声を掛け合って帰っていた。でも、もうその声は無い。ここに来る事は二度とないのだ。


 校舎から出て、くるりと振り返る。

 三年間通い続けた校舎、今までもこれからも大して変わる事無くここに在り続けるんだろう。今までもこれからも、私の様に去っていく卒業生を見送るんだろう。


 校門を出る。

 ああ、出てしまった。もうこの境界線を跨ぐ事は無いんだ。


「おう、卒業おめでとさん」


 声を掛けてきたのは数学の先生。品行方正の反対側にいるような、ぼさぼさ髪で無精髭の男の人。私たち生徒の中では、よく辞めさせられないな、と言われ続けてきた不良教師である。


「ありがとうございます、お世話になりました」

「おう、赤点ばっか取りやがったせいで補修が大変だったぞ」

「うぐっ」


 在りし日の夏休みを思い出す。

 めちゃめちゃ苦手な数学、テストでは血の様な赤点ばかりを取った。そのせいで補修は皆勤賞、この人とも毎回顔を合わせてきた。三年生の夏休みなんて、いつまで経っても合格点が取れなかったせいで一対一の補修になった覚えがある。


「私、卒業したくないんです」

「……留年したいのか?」

「いや、そうじゃ無く!こう……気持ち的にというか、将来的な不安というか」

「ほほぅ、随分と悩んでるようだな。ヨシッ、先生から最後の授業をしてやろう」

「は?授業、ですか?」

「おう、将来有望な若人の為にな」


 門柱に背を預け、先生は腕を組む。


「これは何だ?」

「え?」


 先生が指したのは、門柱に立てかけられた卒業式開催を示す看板だ。


「ええと、卒業式の看板、です?」

「正解。じゃあ卒業ってなんだ?」

「そんなの、学校から出ていく、って事です」

「はい、不正解」

「え」


 いや、正解でしょ。


「卒業は、階段を一段上るって事だ。今より先に行くって事だ。今までとは違う事をするために一歩進む、それが卒業」


 そう言われて、ふと、思い出した。


「……ようは、気の持ちよう」


 最後の夏休みに言われた事を。


「ん?」

「夏休みに教えてくれましたよね。どんな事も、ようは気の持ちようだ、って」

「あー……んなこと、言ったかねぇ?」

「言いましたよ、覚えてますもん」


 どうやら不良教師は覚えていないようだ。思い出してちょっぴり損した気分。


「卒業の捉え方、それも気の持ちようなんですね」

「お、合格。初めてだな、俺の授業で合格点取ったの」

「あはは」


 私は過去を見て世界が鈍色に見えていた。

 でも先生の言葉で私は未来をしっかり見る。


「改めて、今までありがとうございました!」

「ま、元気でな。卒業生が遊びに来る事も無いわけじゃ無い、何かあったら来るといいさ。言っておくが事前連絡必須だからな」

「夏休み、毎日遊びに来ます!」

「止めろ止めろ、面倒臭くてかなわん。さっさといけ、しっしっ」

「ひどいっ」


 わはは、と笑い合ってから、私は学校を去る。


 暗く重い色の空は晴れ、私の心と同じ色に変わっていた。

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