悪魔と盲目の少女

柚城佳歩

悪魔と盲目の少女


悪魔とは。

病気や災禍の原因だとか、甘い言葉で唆しては人の道から堕とさせるとか、弱みに付け込んで不当な契約を持ち掛けては魂を奪うとかいろいろ言われているが、別に誰彼構わず手を出しているわけじゃない。こっちにも選ぶ権利はある。


明らかに不味そうなやつは論外だし、はなから悪魔を信じてないやつや、変に頭が良いやつも、相手にするのは面倒だ。単にそういう面倒そうな人間を相手にしていないだけ。

だが、手っ取り早く騙しやすいやつの魂というのはどれも似たような味ばかりで、とうに飽きていた。


悪魔は別に食べなくとも死にはしない。

死にはしないが腹は減るらしい。

一度空腹を意識してしまえば無視は出来ない。

ぐぅぅぅぅ……。

何度目かの腹の音が鳴る。

仕方がない、久しぶりに誰かそこらの魂を適当に食べておくか。

どうせなら次は今まで食べた事がないような魂のやつにしよう。

俺は獲物を探しに空へ飛び上がった。




昼間は騒がしいほど賑わう町も、夜になると別世界かのように静まり返る。

時折吹き抜ける風の音も、人によっては不気味に感じるだろう。不安を煽るにはちょうどいい。

暗闇が覆う中、町の外れ、小さな家の窓から灯りが見えた。

目を向けると、開いた窓から指を組んで何かを祈っているらしき少女が見えた。

お星様に願い事ってやつか。

よく言えば純朴そうなやつ、つまりは騙しやすそうな相手だ。よし、次のターゲットはあいつにしよう。


「こんばんはお嬢さん、星が綺麗な夜ですね」


声を掛けるとそいつは肩をビクリとさせた。

視界に入るように近付いたつもりだったが、驚かせてしまったらしい。何者かと探るような気配が伝わってくる。

まぁいい、この顔を見れば警戒心も緩むだろう。

人を惑わすために、悪魔は皆容姿端麗だ。

そして美しいものには心を開きやすい。


「……あ、こんばんは」

「何か星に願い事ですか?」

「……はい、少し」


何だ?反応が悪いな。いつもなら最初に一声掛ければあとは向こうから近付いてくるというのに。


「突然声を掛けて驚かせてしまったのならすみません。でも思い詰めたような表情で祈る姿が気になったもので。よければ何をそんなに懸命に願っていたのか聞かせてもらえませんか?」


俺の言葉に迷う素振りを見せる。

悩みや願いは、時に親しい人間よりも見ず知らずの相手の方が話しやすい時があるものだ。

でもこいつ……。ちょろい相手を選んだと思ったが、この顔にも反応する様子はないし、意外と面倒な人間だったかもしれない。まぁいい、たまにはこういうやつにも付き合ってやろう。

少しして、少女はゆっくりと話し出した。


「……私には兄がいるんです」

「お兄さんが?」

「はい。その兄が今度結婚するんです」

「それはめでたいですね」

「だから、私から解放してあげたいんです」

「解放……、と言うと?」


兄の結婚と解放がどう繋がるのか。話の先が見えない。


「私、生まれつき目が見えないんです。そんな私をいつも兄が世話を焼いて支えてくれています。でももう、私の世話係から自由になって、お嫁さんと二人で幸せになってほしいんです」


……あ、そういう事か。

なるほど合点がいった。

どうりで俺の顔にも何の反応もないはずだ。

見えていないのなら夜更けに突然声を掛けられて警戒するのも当然と言える。

だが、誰かに打ち明けたかった気持ちはあったらしい。一度話し始めるとするすると言葉が続いていった。

 

「私と兄は女手一つで育てられました。母は元から体が弱かったので、無理が祟ったのでしょう。十年前に亡くなりました。それからずっと、兄がいろいろと世話を焼いてくれるようになったんです」

「では先程はその事を願って?」

「……そうですね、私は一人でも大丈夫だと言ってもなかなか説得は難しくて。いっそ私の目が見えたら悩む事もなかったんでしょうけど」

「ならその願い、叶えてやろうか?」

「え?」

「回りくどい言い回しはやめだ。単刀直入に言おう。俺は悪魔だ。対価と引き換えに願いを叶えてやろう。目を治すだけじゃない。富でも名声でも権力でも何でもござれだ。さぁお前は何を望む?」


さぁこいつはどう出る?

口では「人のため」なんて言っていても、実際に自分を犠牲にしてまで動こうとするお人好しはそういない。

結局は自分が大事。他に魅力的なものを示せば、心は簡単にそちらに傾く。例え適当な望みでも、契約さえしてしまえばこちらのものだ。

俺はひとまずこの空腹が満たされればそれでいい。


「……あの、本当に願いを叶えてくれるんですか」

「もちろん。だがさっきも言ったようにタダというわけじゃない。対価はそうだな……、お前の魂というのはどうだ?」


魂を差し出すなんてそう簡単に決められるはずがない。きっと渋るだろうが、適当に言い包めてさっさと契約してしまおう。


「……もし本当に私の目を見えるようにしてくれるのなら、あなたに私の魂を差し上げます。身の回りの事を一人でも出来るとわかれば、兄は安心して私から離れられるはずです。目が見えるようになったと言ったら喜んでもくれるでしょう」


こいつは迷う素振りもなく、きっぱりと言った。

拍子抜けもいいところだし、意味がわからない。

どうしてこうもあっさりと決められる。

願いの根本が“兄のため”?魂を差し出すというのは、つまりは死ぬのと同義だぞ?本当にわかって言っているのか?願いが叶ったとしても、その後は俺に魂を食われるんだぞ?

なのになぜそう簡単に決められる。


「……目が見えるようになったとして、その後はどうする。魂を差し出すという意味、わかっているのか?」

「わかっています。少しの間でもいいんです。兄が何の気掛かりもなく私から離れられるのなら。私、昔から旅行記を読み聞かせてもらうのが好きなんです。いつか、もしも私の目が見えるようになったら、いろんな景色を見てみたいってずっと言っていたんです。だから世界中を回る旅に出た事にすれば、私が消えてもあまり心配させなくて済むかなって。ですからお願いします、私の目を見えるようにしてください」


珍しい人間がいたものだ。

少々驚きはしたが、自ら進んで魂を差し出すと言うならむしろ好都合。


「わかった、ならば契約しよう」


少女の目元に手を翳す。

魂と引き換えに、仮初めの視力を授けよう。


「いいぞ。目を開けてみろ」


少女がゆっくりと目を開く。

その視線が真っ直ぐに俺に向けられた。


「……綺麗」

「……っ」


なんだ、この妙なむず痒さは。

綺麗だなんてこれまで散々飽きるほど言われてきただろう。今更こんな小娘に言われたところでどうという事はない。どうという事はない、はずなのだが。この少女の言葉は不思議と響く。


「っ、俺が美しいのは当然だ。ほら、せっかく見えるようにしてやったんだ。他のものも見てみたらいいだろう」

「はい!ありがとうございます」


もしも尻尾が付いていたなら、千切れんばかりに振っていた事だろう。

言葉がなくともその喜びようが伝わってくる。


「すごいです!夜ってただ暗いだけだと思っていたのに、こんなにもいろんな色があるんですね!星もあんなにたくさんあったなんて。想像してたよりずっとずっと綺麗!」


願いが叶ってこんなにも純粋に喜ぶ人間はこれまでどれほどいただろう。

最初は面倒なやつかと思ったが、これは面白い拾いものをしたかもしれない。


「朝になって明るくなればもっと鮮やかに見えるぞ。そんなに興奮して熱でも出たら、それこそ兄を心配させるんじゃないのか?」

「そうですね、でもすぐには寝られないかも。だって何もかも新鮮で、今とても楽しいんです」

「まぁ好きにしろ。だが忘れるな。俺はお前の願いを叶えた。今更命が惜しくなったと逃げるなよ」

「はい、兄の結婚式を見届けられたら心残りはありません。その後は私の魂はあなたに差し上げます」

「ならいい、時が来たらまた来る」




あの夜から幾日か経ち、町の教会で結婚式が挙げられたと風の噂で聞いた。

そろそろか。今夜、あいつの元へ魂をもらいに行くとしよう。


「こんばんは、お嬢さん」


あの時と同じ台詞で少女の前に現れる。


「こんばんは、今夜も星が綺麗ですね」


少女が俺を出迎える。

このタイミングで悪魔おれに笑い掛けられるなんて、やっぱり変なやつだ。


「悪魔さん、私の願いを叶えてくださり本当にありがとうございました。世界がこんなにも鮮やかなんだって、たくさんの色で溢れているって初めて知る事が出来ました。兄もとても喜んでくれて、何度も神様に感謝していました。ふふっ、叶えてくれたのは悪魔さんなのに」

「もういいのか?誰かを代わりに差し出せば、お前の寿命を延ばしてやる事も出来るぞ」


文字通りの悪魔の囁きに、少女は考える素振りもなく首を横に振る。


「いいんです。私が差し出せるものはもうありませんし、誰かを巻き込むつもりもありません。兄ともちゃんとお別れしてきましたから充分です」

「……わかった。ならば約束通りお前の魂をいただこう」


目を治した時のように、少女の前に手を翳す。

胸の辺りから淡く優しく光る球がゆっくりと現れる。

それは、今まで見た事のないどこまでも澄んだ色をしていた。

これが、こいつの魂……。


どんな味がするんだろう。

甘いんだろうか、酸っぱいんだろうか。

でもきっと、極上の味に違いない。

ごくり、喉が鳴る。

でも。これを食べてしまったらそれで終わり。

この少女と話す事ももう出来なくなる。

それはなんだか少し勿体無い気がした。

こんな事を思ったのは初めてだ。


「……やめた」


取り出した魂を少女の体に戻す。

少ししてゆっくりと目を開けた少女がこちらを見る。


「私、死んだんですか」

「いや、生きてる」

「え?だって……」

「今すぐ食べるのはやめた。どうせ人間の一生など短い。お前が死ぬまで待ってやる」


俺の言葉に少女は口をぽかんと開けて、目をパチクリさせている。やがて言葉の意味が浸透したのか、今度は顔いっぱいに喜びを滲ませた。


「……ありがとうございますっ」


これはただの気紛れ。いずれ食べる事には変わりがない。そのタイミングが少しばかり先延ばしになっただけ。だと言うのに。


ぐぅぅぅぅ……。


最悪のタイミングで腹が鳴った。

今まで空腹を忘れていたのに、さっき極上の魂を目の前で見てしまったからか。

これでは格好がつかないではないか。


「……あの、もしよければ何か食べませんか?覚悟を決めていたつもりだったんですけど、私緊張していたみたいで。緊張が解けたらお腹が空いちゃいました」

「お前、料理なんて出来るのか?」

「出来ますよ!と言ってもついこないだ始めたばかりなのでまだ簡単なものだけですけど。でもこれから上達する予定ですから!」


俺は腹が減っているのだ。魂をいただくまでの間、たまには人間と同じものを食べてみるとしよう。


「悪魔さん、食べたら今後の夢を聞いてもらえませんか?兄の結婚を見届けられたら心残りはないって言いましたけど、やっぱりいろいろやりたい事が出てきちゃって。兄にも旅に出るって伝えちゃいましたし、悪魔さんさえよければぜひ一緒に……」

「あまり調子に乗るな」


これはただの気紛れ。

それでもしばらくの間、退屈はしなさそうだ。

いずれ魂をいただくその時まで、この少女と共にいるのも悪くはない。



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