パステルカラーは淡くない

石田空

デジタルの中にアナログひとり

「すみません、ここがイラスト同好会ですか?」


 それに私たちは「おお?」と首を傾げた。

 イラスト同好会は年に一度、文化祭にイラストを展示して、皆の会費でつくった同人誌を配っているゆるふわの同好会だ。二学期にならないとスイッチが入らないため、その間はソシャゲの周回をしていたり、雑誌やマンガの回し読みをしていたりする。

 こんなやる気があるのかないのかわからない少人数の同好会だから、新年度の部活勧誘でも特になにもしていなかった。

 だから、新入生が来るとは思ってもおらず、びっくりして迎え入れたのだ。


「こんにちはー、どうぞ。上がって。なにもないけど」


 実際にイラスト同好会が宛がわれた理科室は、大昔は実験を頻繁に行っていたらしいけれど、学校の予算とか大人の都合とかで実験もほぼ行われなくなり、私たちが同好会活動に使っている額縁やら文化祭用のセッティングのガムテープやらの備品が引き出しに入っている程度だ。

 とりあえず椅子を勧めると、真新しいマットな雰囲気の制服を着た後輩はおずおずとそこに腰掛けた。


「あのう……受験前に文化祭に来たことがあって、そこで配ってた画集を見て、入部を決めたんですけど」

「ああ、そう? 嬉しい」


 デジタルで描いた絵は本にするときに思ったような色にならなかったり、線が細過ぎて印刷されずに色が飛んだりと、なかなか思うようにならなかったから、それを見て入部してくれるんだったら大歓迎だった。


「ところで」

「はい、なにかな?」

「私、アナログなんですけど、アナログで絵を描いててもいいですか?」

「え、アナログ?」


 私たちはびっくりしてしまった。

 大昔は全部コピックで絵を描いていた先輩たちもいたらしいが、コピックなんて必要な色を揃えるのに高校生の小遣いでは賄いきれない。だからデジタルの無料ツールで絵を描くのが私たちの中では当たり前だった。だからまさかここでアナログの絵を描いている子がいるなんて思いもしなかったのだ。


「そりゃいいけど。なに使って絵を描いてるの?」


 コピックとか、カラーインクとか。デジタルの絵の描き方が知りたくって本を探していたら、たまにアナログ画材についてレクチャーしている本も目にする。


「いえ。言うとびっくりするかもしれませんが」

「既にアナログの時点でびっくりしてるけど」

「パステルです」

「はい?」

「ソフトパステルで絵を描いてるんです」


 ほとんど覚えのない画材で、やっぱりびっくりした。


****


 次の週、私たちは文化祭に間に合うよう、本のコンセプトは決める。デジタルで絵を描くとは言っても、印刷所にデータを提出するまでにページを合わせたりなんだったりしないといけないから、二学期はじまったらすぐに提出しないと、文化祭までに刷り上がらないんだ。


「去年はスチームパンクをテーマに絵を描いたけど。今年は満さんもいるから考えないとね」


 デジタルの場合、フリー素材を使えばある程度絵の工程を短縮できるけれど、アナログの場合はそうでもないだろう。そう言って私が話を振ると、満さんは考え込んだ。


「あのう……絵本はどうでしょうか? 一枚ずつ並べたらひとつの話みたいになるような」

「おお、いいね。『不思議の国のアリス』とかだったら、話ごとにだいぶ差がある絵になりそうだよね」


 そう言いながら、皆で『不思議の国のアリス』を回し読みし、どこの絵を描くかを決めはじめた。

 私はウミガメのスープの部分を描くことになったけれど。満さんはよりによって難しそうな、帽子屋のお茶会の部分に手を挙げた。


「大丈夫? 満さんアナログでしょう? 登場人物も多いけど大丈夫?」

「大丈夫です。パステルで思いっきり描いてみたかったので」

「でもパステルで細かい部分って描けるの?」

「最近は鉛筆型のパステルもありますし、細かい部分は色鉛筆で塗りますから。でも先輩たちデジタルですし、絵を預けないと印刷できませんよね? 一度見てもらっていいですか?」

「いいけど……」

「ありがとうございます!」


 そうぺこりと頭を下げられた。

 私たちは顔を見合わせる。


「そりゃアナログもスキャナーで取り込んだら印刷はできるとは思うけど、元の画像に合うようにするとなったら画像ソフトで加工しないと駄目だよね……それも有料の」


 この中で家のパソコンに有料の高い画像ソフトがあるのはうちだけだし、スキャナーを持っているのもうちだけだった。仕方がないので頷く。


「まあ、できるかどうかやってみるよ」


 そう言いながら、次の活動時に、皆それぞれ画材を持ってきて絵を描きはじめる。

 そうは言っても、普通は皆タッチパネルやスマホで絵を描いて、それを部長がデータを集めて編集作業をする。だから皆手荷物は少なめだったけれど、「こんにちは!」とやってきた満さんは違った。

 スケッチブックに大きな箱。その箱の中にソフトパステルが入っていた。どれもこれも、使い込まれて丸っこくなっている。


「へえ……クレヨンみたいなんだね」

「クレヨンは油が入ってるんですけど、ソフトパステルには入ってませんよ。だから絵をある程度塗ったら、定着液を吹きかけないと駄目なんです」


 そう言ってスプレー缶を見せてくれた。ある程度下書きがあり、その下書きを見ながら、一気に白いパステルをスケッチブック全体に塗りはじめた。

 パステルの色合いは比較的ほのぼのとしている。パステルカラーと呼ばれるくらいの色味のものだと思っていたのに、満さんの絵を描く様は、なんだかものすごく必死だった。

 彼女がパステルを次々と塗っていくと、だんだんと帽子屋のユーモラスな表情、三月うさぎのひょうきんな態度、そしてアリスの困惑に満ちた愉快なお茶会風景が広がっていく。

 私も絵を描いていたものの、あんなに切羽詰まった絵を見ていたらなにも言えなくなって、思わず彼女の背中越しに絵を見守るのに精いっぱいで、ラフ画を描くにとどまって、絵を描くところまで到達できなかった。

 その日の部室を締め、鍵を職員室に返しに行く中、満さんと出会って一緒に話をしていた。


「すごかったねえ……私、美術の時間以外にアナログの絵を見たの初めてだったけど」

「いえ……私、腕が遅いんで、早く描きはじめないと、全然間に合わないんです……」

「ええ? もうあれだけ描いてたのに?」


 私は未だにラフすら書き終わってないんだから、既に描き進めている満さんは充分に早いと思ったけど。でも彼女はふるふると首を振る。


「いえ……私。絵を描くとき、すぐに腕を動かさないと途中で考え込んじゃうんで。デジタルだと、手直しが楽な分ずっと考え込んでは描き込んで、考え込んでは描き込んでで辞め時がわからない上に印刷できなかったんです。線が細過ぎて」

「ああ、なるほど……。でも発色だったら、コピックとかカラーインクがいいって聞くけど」


 どちらも特にスキャンしたことはないものの、印刷所の人はそう言っているのを聞いている。それにも満さんは首を振った。


「どちらも考え込む私では使いこなせなくって……コピックもカラーインクも乾いたらおしまいで、途中で止めることできませんから」

「なあるほど……あれ、でもパステルは? パステルもやり直しが効くようには思えないけど」

「いえ。パステルは上から定着材をかけて、その上から塗り重ねたら意外とやり直しはできますんで。考え込む私には使いやすかったんですよ。色鉛筆だけで広い面を塗っていたら腱鞘炎になりますし」

「そりゃたしかに」


 アナログ画材のことはなにも知らなかったけれど、こうやって聞けば聞くほど面白い話が多い。

 なによりも、デジタルだと後ろから見ていてもなかなか描き方がわからないけれど、アナログだと次々絵が完成していく様を見られるのは心地いい。

 面白いもんだと思ったんだ。


****


 とは言っても、アナログをデジタルに落とし込んだ上で、アナログっぽさを抽出する作業は骨が折れる。

 完成した絵を一旦スキャンしてデータを送ってもらったとき、私は頭を痛めながらデータを修正していた。


「肉眼だったらあんなに綺麗だった絵が、スキャンのときに色飛び起こしてる……」


 ソフトを使って何度も何度も修復し、そのたびに印刷して色味を確認していく。

 これがデジタルだったらまだ諦めもつくんだけれど、アナログだからなかなか修復作業が終わらない。


「あやめ、後輩ちゃんのアナログ画像どう?」


 同じ部活のミナから連絡をもらい、チャットをしながら作業をする。


「なかなか難しいよ。元の色が綺麗だから、修復作業するの大変」

「でも珍しいね、あやめがここまで頑張るの」

「いやあ……あれだけ熱心に絵が好きな子を見てたら、ちゃんとした本を出したげたいなあと思いましてね」

「あやめ、本当にこの手の作業好きだもんねえ」

「好き」


 私は大きく頷いた。

 別にデジタルが上とか下とか考えたことないけれど、人が気合を入れて頑張っているのを間近で見ていたら感染だってする。

 ふわふわしていると思っていた色も、塗っている様はちっともパステルカラーのようには淡くならない。

 気合で押し切れるものではないけれど、情熱がなかったら絵は完成しないんだって、しみじみ思ってしまったんだ。



<了>

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パステルカラーは淡くない 石田空 @soraisida

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