胡蝶の夢

 夢の中で胡蝶としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めた。はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも夢でみた蝶こそ本来の自分であって今の自分は蝶が見ている夢なのか……。



 五月晴は胡蝶になることを選んだ。

 確かにこの世界夢の中は色に、音に満ちている。

 誰もが笑顔で楽しそうで……。

 そして、五月晴はその輪の中心にいた。


 例え夢と分かっていても、現実を捨ててしまえば、夢だけが現実。


 彼女は毎日楽しそうだ。


 その様子を彩雅正明は見つめる事しか出来なかった。

 彼女がそれを望むのであれば、このままで良いと思えた。彩雅と晴は対極の同じ悩みを抱えた者同士。

 しかし、彼女は更に『耳』という悩みがあった。彼女の重い全てを理解できるとは言わない。でも、半分くらいは――彩雅だからこそ分かる苦悩がある。


 だから、見つめる事しか出来なかった。


――昨日までは。



「ちょっといいかい?」

「――え?」


 だから、初めて彼女に話しかけた。

 当然驚かれたけど。


 でも、止まれない。

「君はこのままで良いのか?」

 サングラスを外した、素顔の瞳で彼女を見つめる。


「……何のことか分からないけど、良いに決まってるじゃない。だってこんなにも毎日が楽しいんだから!」


 元気で明るい声に満面の笑顔――でも、その裏にある一瞬の躊躇い。


「そうか。それが、誰かの悲しみの上に成り立っている幸せでも?」


「え?」


「君がこの世界に夢の中に引き籠もることで、悲しむ人がいないって本当にそんな風に思ってるの?」


「――当たり前じゃん! そんな人が居るなら、私は私じゃなかったよッ!!」


 慟哭に近い絶叫。


「本当に? よく思い出してみて」


 彩雅が言って意味がない。コレは彼女自身が気が付かなければならない事だ。


「だって、学校は辛かった! クラスメイトも先生も誰も私を見ようとしない。私はそこにいたのに、いない人間だったっ」


「本当に? 居場所は無かった?」


「……なかったよッ。 だから、逃げたんだ」


「何処に?」


「……保健室に」

「……家に」

「……夢の中に」


「うん」


 五月晴彼女は泣いていた。

 

 髪型が黒髪ショートのストレートから、緩いカーブを描き耳が隠れるテンパのミディアムショートの黒髪に――現実の彼女に戻っていた。

 少し垂れた瞳から大粒の涙が零れ落ちる。


 彼女だって気付いていたに違いない。親や保健室の先生は自分の味方だって。一人じゃないんだって。

 それでも、彼女は孤独だった。


 彼女に必要なのは大人の理解者ではない、同年代の友達だったのだ。




『僕は 君の 力に なりたい』



 ◇



「――え? どうして?」


 目の前の彩雅君が身振り手振りで伝えてきた言葉。

 この世界夢の中で、私にだけ伝わる言葉――拙い手話。

 分かりづらいところもあったが、確かにそう読み取れた。


「どうして……?」


『君が 僕を 救って くれたから』


 大きな疑問は、だけど彩雅君の優しい笑顔に包まれていった。




 ◇



 目が覚めると、真っ白な知らない天井が見えた。


おはよう。お帰り色のある世界へ』


 そして、次に視界に入ったのは、ベッドの脇に佇む彩雅君と、その後ろで涙ぐむお母さん。


「あ、ああ、ああああ――! 見える! 見えるよぉぉぉ!」


 泣きじゃくる私の肩を彩雅君がそっと抱きしめてくれた。


『世界に ようこそ』


「うんっ……! うん……!」


 涙に濡れる瞳を拭いながら、懸命に頷く。




 晴が久しぶりに見た色は、どこまでも透き通った七色の――晴に微笑みかけるキレイな瞳だった。

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色覚 菅原 高知 @inging20230930

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