よい使い道

MITA

よい使い道

 その男はある企業に勤める科学者だった。研究所に泊まり込みで色にまつわる新商品の開発に取り組んでいたが、なかなか思うような成果が出ず、上司にせっつかれてばかりいた。ところがある日、ついに画期的な新製品の開発に成功したという報告が男の上司に入った。上司はようやくかと飛び上がって喜び、急いで男の元を訪れた。


「やった、ついにできました」


「とうとうやったか。君を雇って五年たつが、それまで君は何の成果も挙げられていなかった。私も社長にせっつかれて随分やきもきしたものだが、今日ついにそれが報われたというわけだ。で、なにを作ったんだ」


「無色透明な薬剤です」


 その答えに、上司は怪訝な顔をした。


「おいおい、待ってくれ。それは一体どういう商品なんだ。無色透明と言ったって、水だって無色透明な液体だろう」


「いえ、これは違います。無色透明といっても、これをスプレーにして振りかけたところが無色透明になる薬剤なのです」


 男は手元の赤いプラスチック片に向けてスプレーを吹きかける。すると、吹きかけた部分は始めからまるでそこに存在しなかったかのように見えなくなってしまった。それを見た上司は、驚きのあまり叫んだ。


「すごいな、これは。あえて名前をつけるなら、透明化スプレーというべきかな。たしかに画期的な新商品というべきだろう。しかしこれは一方で、なにかの犯罪に使われるおそれがありはしないか。我が社の製品で犯罪が行われたとなっては、イメージにも関わるぞ」


「そうはいっても、包丁だって犯罪に使われるでしょう。だからといって、包丁そのものがダメだとはならない。このスプレーにだってなにか有用な使い道はあるはずですよ」


「そう言われると、そうかもしれない。まあ、そのうち誰かがよい使い道を考えるだろう。君もなにか思いついたら言ってくれ。なんにせよ、ご苦労だった」


 そういうわけで、男は会社に休暇をもらって、数年ぶりに研究所の外の世界に出てきた。


「やれやれ、研究は楽しかったが、たまには外に出なければならないな。ここをはじめて訪れたときと比べて、あたりの様子はすっかり変わってしまったようだ」


 外に出て欠伸をする男の手には、スプレー缶が握られていた。研究所から持ち出した少量の薬剤を詰め込んだ、小さな缶である。


「部長にはああいったが、どんなことができるのか、じっさい私も興味がある。せっかく外に出てきたことだし、人に迷惑をかけない程度に、軽くいたずらでもしてみよう」


 男は手はじめに銀行に入って、飾られていた観賞植物に薬剤をスプレーでふりかけてみた。すると狙い通り透明になったが、その様子を見ていた支店長が、驚いて男に尋ねてきた。


「やや、いったいどうしたことか。ここにあった植物が、跡形もなく消えてしまった。何かの手品ですか。銀行のものですよ、元の位置に返してください」


 男は答えに窮して、ついスプレーのことを口走ってしまった。


「いや、消えたのではないのです。ここにちゃんとあります。つまり、見えなくなっただけというわけでして」


 支店長は植物が元あった場所を触り、男の言葉に頷いた。


「うむ、たしかにそうらしい。不思議なものですな。これはもとに戻るのですか」


「専用の薬剤を振りかければ、もとに戻りますが」


「なるほど、しかしちょうどよかった。よろしければ、当行に力をお貸しいただけませんか」


「力というと……」


「最近、隣の市の銀行に強盗が入ったという話はご存知でしょう。物騒な世の中にななったものです。銀行としては金がなければ商売ができないが、銀行強盗にとっては餌も同然。どれだけ警備を厳重にしたところで、目で見える場所に金庫がある以上、そこに金が入っているであろうことは誰の目にも明らかですからね。そんな中で人質を取られたら、私としては行員やお客様の生命を守るため開けざるをえません。しかしそのスプレーがあれば、金をいろんな場所に隠しておいておくことができます」


「言われてみればそうですな。金がどこにあるか分からなければ、そもそも強盗が入ることもないというわけだ。これこそ犯罪とは真逆の位置にあるよい使い道ですし、悪いイメージを払拭する良い宣伝にもなります。ぜひ、上司に相談してみましょう」


 そういうわけで、男は上司に了解をとって大量の薬剤を銀行に運び込んだ。紙幣や純金、有価証券など価値のあるものをめいっぱい袋に詰め込み、スプレーで吹きかける。一見しただけではそこになにもないかのように見え、厳重なセキュリティをかける手間も省けるというわけだ。




 ところが後日、その銀行から男の勤める企業に助けを求める連絡が入った。新商品開発と銀行への売り込み成功の功で会社からボーナスを貰い休暇を楽しんでいた男は、連絡を受け急いで銀行に向かった。


「いったいどうしたことですか。ひょっとして、金を誰かに盗まれたのですか」


 支店長はため息をついて男に答えた。


「わからないのです。袋の隠し場所を書いた紙を、どこかになくしてしまいまして。置いたはずだと思った場所に袋がなくても、ひょっとしたら思い過ごしかもしれない。防犯カメラにも映りませんから、なんの証拠もなく警察を呼びようもありません。どうにか袋のありかを探す方法はありませんか」


 男はその言葉に、頭を捻った。


「良い使い道を見つけたと思ったが、こんなことになろうとは。よい使い方をしたからと言って、ものごとがうまくいくとは限らないということですね」

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