「色」を失った双子龍 ~ゾイヤがノネな龍になったワケ~ 

弥生ちえ

水の精霊王ルートの裏設定


『虹の彼方のダンテフォール ~堕ちる神と滅びる世界で、真実の愛が繋げる奇跡~』


 それは、聖女となったプレイヤーが、滅亡の危機に瀕した世界『ダンテフォール』を、6人の攻略対象と共に、力と想いを通い合わせて救う乙女ゲームだ。


 ゲームに攻略対象として設定されているのは、救国の英雄と謳われる王太子、幼馴染の優しい勇者、領民からの信望厚い辺境伯、無限の力を持つ大魔導士、力溢れる火龍の化身、そして慈悲深い水の精霊王だった。


 前世、普通の女子高生として、このゲームをプレイし、この世界に転生したレーナは、ゲームの時間軸が今よりもっと後だと知っている。


「ねえ、もしかして貴方達の海底神殿に、魔族に堕ちそうな龍が居るんじゃない?」


 レーナは、ひょんなことから出会ってしまった水の精霊王の眷属『青龍ゾイヤ』に声を掛けた。もしかしたら、ゲーム開始よりも先に動くことによって後の世の危機を阻むことが出来るかもしれないとの期待を抱いての行動だ。


 水の精霊王ルートは、枯渇と汚染に見舞われる世界の水源を復活させるものだ。その原因は、水の宝珠オーブを祀る水の精霊王ヴォディムの海底神殿に居座った闇龍にある。闇に飲まれた龍が側にいることにより、宝珠オーブは浄化の力を保てなくなるのだ。だからゲームでは水の精霊王を助け、闇龍の居座った海底神殿を開放するストーリーが展開される。


『魔族に堕ちそうな龍だノネ? 我があるじヴォディム様が治める海底神殿に居る龍など、我をおいて……――いや』


 彼女の言葉で、青龍ゾイヤは忘れかけていた今1頭ひとりの存在を思い出していた。




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 地上の光通さぬ深い海の底。


 なのに、ただの一ヶ所――世界の理に反して昼間の煌々とした輝きに包まれる場所がある。


 光と空気に満ちたその中には、城と見紛うばかりの広大な神殿が在った。水の精霊王ヴォディムが、静かに悠久の時を過ごす海底神殿だ。


 神界の仙人を思わせる、簡素な――けれど絹よりも上質で華やかな光沢をもつ衣を纏い、長い袂と、羽織の裾をしゃらりと翻して男が歩く。男は、自身の力の顕れである青い長髪を背中に流し、感情の一切籠らない凪いだ表情だ。涼やかな切れ長の目と、そこに輝くサファイアの瞳は彼の人間離れした美貌をより際立たせる。


 彼こそが水の精霊王、ヴォディムだ。


『ヴォディム様、どちらにお出かけですか』

『ヴォディム様、お供いたします』


 ヴォディムが歩く周囲を姦しく囀ずりながら、2頭の細長い生き物がひらひら飛び回る。彼が自らの力を分けて作り出した眷属の双子龍『ゾイヤ』と『ザルク』だ。


 それぞれが、長身のヴォディムの身長の倍以上あろうかという体長で、爬虫類を思わせる長い鼻先に大きく裂けた口があり、そこから牙が上下に鋭く突き出ている。頭には、緩やかな曲線を描く角が天に向かってスラリと伸びており、その付け根あたりから背中に向かってキラキラと輝くたてがみが連なる。全身は細やかな鱗に覆われ、鋭い爪を持つ4本の脚が、軽やかに空中を掻く。所謂、東洋ドラゴンの形状だ。


『お前たちは、本当に賑やかだな』


 いつもの様に、一瞥をくれるわけでもなく、無表情のままヴォディムが告げる。


 またある時は『お前たちは、いつも後を付いて回る』とも声を掛けるし、『お前たちは、共にあるのが本当に好きなのだな』『お前たちは、よく似ている』『お前たちは……』と、いつも素っ気ない声を掛けて来る。


 ヴォディムが向けるのは、特に感情のこもらない表情ばかりだったとしても、2頭は掛けられる言葉に心が満たされた。それは無関心の所作でないことは双子らもよく理解していたからだ。


 彼は、世界中の水を司る精霊王だ。この世界を作った最高神から、分かたれた6つの力のひとつだ。故に彼の力は、世界を作る要素と等しく巨大で、だから彼はその力を暴走させないよう、努めて心を凪に留めているのだ。


 だから双子龍は、大きく感情を動かさない彼のことを理解し、自身の創造主である彼に良く懐いた。ヴォディムが双子龍の力の根源だからか、側に居るだけで満たされる心地があったのもある。


 競うように彼の周囲で存在を主張した。


『本当にお前たちは、共によく喋る』


『ヴォディム様が寂しくない様に、いつでもどこまでも一緒です』

『ヴォディム様、お供いたします』


 双子はそっくりな外見だったが、それぞれ性格は異なっているようだ。


 彼が急に立ち止まっても、鋭い鼻でその背を突かないように、ほんの少し距離を置いて、そっと後を追うのがザルク。

 ぶつからんばかりに彼のギリギリに纏わりついて、円を描いて付いて来るのがゾイヤ。


『ヴォディムさま』

『ねえねえ、ヴォディムさま』


『全く、お前たちは』


 呆れたような声音でも、彼からの優しさは伝わっていた。


 けれど、どこか引っ掛かる思いがあったのだが、その正体が知れないままのある日――頭上の海がやけに荒れているのを感じ取ったゾイヤは、気紛れに海底神殿から飛び出し、海上へと姿を現した。


 荒々しくうねり、大きく盛り上がって壁の如くそそり立ち、崩れ落ちて激しく飛沫を立てる海。穏やかな海底神殿とは比べ物にならない荒れ狂う景色が視界一面に広がる中、異物がひらりと波間に映った。よくよく見れば、主帆柱メインマストの折れた一艘の船が、今にも沈没しそうな頼りなさで波間を見え隠れしている。


 既に乗組員は全員海に投げ出されたかと思いつつ近寄れば、ずぶ濡れのヒトが一人帆柱に括り付けられている。男の身体で、女物の着物を着る奇妙な男だった。そのヒトは、ゾイヤを見るなり驚きに目を見張ったが、次の瞬間あらん限りの大声を張り上げた。


「助けて!!」


 助ける義理などない。けれど、普通によく見るヒトとは異なる姿の男がやけに心に引っ掛かり、気まぐれに助けた。そのヒトを帆柱の戒めから搔っ攫ってほどなく、船は砕けて海中へ沈んでいった。


「ありがとう。あいつら、あたしを使うだけ使って、海が荒れたら女のせいだなんて無茶苦茶言って、あんなところに括りつけやがったのよ!」


 憤慨するヒトは、なかなか強気な性質らしかった。と言うより、苦労が彼を強かにさせていたようだった。彼の生い立ちは貧しく、食うに困る境遇だったため、力仕事を熟す強靭な身体と体力は無かった。けれど金を稼がなければ生活できない。だから長期間外洋に出る船で、男とは異なる役割を果たしていたらしい。


「雰囲気がどうとか言う奴がいるから、服こそ女もんだけど、この身体が男のものだってのは、あいつらだって分かってんのに!! 薄情なもんよね!」


『お前、面白いな。オスなのにメスの雰囲気も持つヒトは、我は初めて見たぞ』


「雰囲気? あぁ、生まれ付いたなりは変えなくとも、仕草や言葉や格好で幾らでも望みに近付けることは出来るのよ。金は無くとも工夫次第なのよ」


 泣きながら笑い、怒るヒトは、持つ雰囲気も言葉も変わっていて興味深かった。何よりゾイヤを恐れない豪胆さも気に入り言葉を交わせば、面白い価値観が飛び出した。


「自分の価値は、自分次第で幾らでも高められるのよね」


 誇らしげに告げるヒトの言葉を聞いて、ゾイヤは――これだと思った。




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 それから、ゾイヤは話し方を変えた。


(『お前たち』なんて一括りのどちらでも良い存在じゃあ嫌だノネ。我の名はゾイヤ。だから――名を呼んで欲しいノネ!)


 ヴォディムにとって、掛け替えのない存在になりたい一心だった。片割れは変だと笑ったが、違うことも大切なのだとゾイヤは主張した。


(二頭いたら親しく『お前たち』とは呼んでもらえるけれど、名を呼んで、個体として自分を認められることはないノネ)


 名を呼んでもらえない歯痒さは、いつしか暗く重い凝りとなって、じわり……と心に闇色の影を落とした。微かな変化だったから、誰も気付くことは無かった。


 精霊や眷属らは、強大な力を持つ。だが、彼らが心を病んだり、向けられる信仰心を失えば、加護の力を無くし、あるいは堕ちて破壊衝動のみに生きる魔族となる。


 だから、精霊たちは自身の安寧のために、心を許し、自身を絶対に崇める眷属を作り出す。身を守るため――ひいては世界を守るため。


 凪いだ心を保つため、世界のために感情を殺してしまった水の精霊王ヴォディムは、だから人一倍感情に疎い。その彼でも、自身への親愛と信仰がよく伝わるよう、二つの龍を同時に作り出したのだ。


 けれど――と、ゾイヤは考える。


(ふたつはいらないノネ)


『名を呼んでもらいたいと思うのは間違いなのかノネ!?』

『我らは等しくヴォディムさまのお力だ。それなのに個などあり得ない』


 まっすぐな思いでぶつかり合う内に、互いの青い色が、少しづつくすんでいった。それは、双龍達も互いに自覚するほどになっていた。


 これでは、大切なヴォディム様の色を失ってしまう。焦燥感を抱いたゾイヤが地上に出れば、あの日助けた男に心の内をぶちまけて気持ちを整えた。偶然の出会いは未だ、かけがえのない繋がりとなって残っていた。その相手が、彼の子となり、孫となっても交流は細々と続いた。相手は変わっても、彼を引き継ぐ者たちはゾイヤの心を和ませた。


 なにかと大人しい片割れは、ずっと海底神殿にとどまっていたようだ。



 気付けば、ゾイヤの闇色はいつの間にか晴れ、大切なあるじの『青』に戻っていた。


 片割れは、大切な主の「色」を失ってゆき、そのうち姿を現さなくなった。


 闇色に染まった姿が、何よりも龍を嘆かせたに違いない――正気であれば。


 だが、闇色に染まり、魔属へ堕ちた者は記憶も、胸に宿ったあたたかな想いも全てが消え去り、ただ破壊衝動のみに生きる存在に成り果てる。




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「ねえ、もしかして貴方達の海底神殿に、魔族に堕ちそうな龍が居るんじゃない?」


 だから、ヴォディムの随伴として訪れた地上で、黒髪のヒトの娘に言われた時、浮んだのはここしばらく見掛けない、双子の片割れの姿だった。


『我が双子龍だからと言って容赦はしないノネ! 最近姿を見ないと思ったら……。力をつけて寄ってきたとて、邪魔者は我が排除するのみだノネ』


 呟くゾイヤに、レーナが物言いたげな引き攣った表情を浮かべる。「ここにも裏設定が……」などとぼそぼそ言っているが、彼女以外にその意味が解る者は居ないようだった。


 こんな風に、乙女ゲームの攻略対象イベントの布石は、ひっそりと、プレイヤーの預かり知らぬところで始まっていたのだった。

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「色」を失った双子龍 ~ゾイヤがノネな龍になったワケ~  弥生ちえ @YayoiChie

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