私の見ている色はあなたの見ている色と同じでしょうか

いずも

メガネを変えても世界が変わるよね。コンタクトはどうかな

 ――私の見ている赤色とあなたの見ている赤色は果たして同じ色でしょうか。


 某哲学的なサイトでクオリアという言葉を知り、リアタイで更新を追っかけていました。私が生まれて初めてちゃんと書いた長編小説も、こちらのサイトで哲学的ゾンビという単語を見たのがきっかけでした。

 世の中の皆様はどこでクオリアに出会ったのか非常に気になるところ。日常会話で使うことのない専門用語であり、言い方悪いですがいわゆるオタク用語ですよね。粉塵爆発とか、エリュシオンとか、どこで覚えたか忘れたけどオタクなら履修済みの単語の一つですね。


 今回言いたいのはそういう哲学的なお話ではなくて、技術的な内容とか表現技法的なお話です。

 私はiPadのお絵かきソフトで作成したイラストをノートパソコンに移動させ、必要があればサイズ調整を行いソーシャルメディアに投稿しています。昨今はスマホでSNSを見ている方が多いですから、どのような見た目になっているかiPhoneとAndoroidスマホで確認しています。

 つまり4通りの手段で同じイラストを見ているわけですが、それぞれで色合いが微妙に違って見えるわけですよ。デジタルデータですからコピペする度に画質が劣化するわけでもあるまいし、不思議だなって思ってたんですがふと気付きました。

 これは単純にスペックによる差異だと。極端に言えば16色しか表現できないモニターと100万色が表現できるモニターでは同じ絵を映し出しても全然違って見えるわけです。PS4の映像を8Kディスプレイで見るのとブラウン管テレビで見るのとでは違って見えます。

 何を当然のことをとお思いでしょうが、その当然のことを作り手も受け手も理解しているとは限りません。つまり私が完成させた二次創作イラストを「このipadで描いたイラストの色合いこそ至高! これ以上ない完璧な作品だ!」と息巻いてSNSに投稿したところで、受け手側の環境は十人十色、技術的な問題で表現できていない色味もあるわけですが、誰かが「この髪の色はおかしい、公式と違うじゃん」と言ったところでお互い自分は合ってる、相手は間違ってるの押し問答になるわけです。

 例えば表示方法をブルーライトカットにしていたり、セピア色やクリーム色にしているだけで全然見え方は違いますよね。液晶ディスプレイのバックライトの種類によっても変わります。何だったら同じディスプレイでも明るさによってその絵の見え方は変わります。

 そこで「2024年1月出荷分のiPhone15で明るさ56%のダークモードで見るのが一番映える」なんて言ったところで、実際にそんな環境で見てくれる人なんていません。各々の環境で見るだけです。だからあくまで私の環境における最適解を用意するしかないわけです。

 はい、そんな当たり前のことを長々と書き連ねました。


 これまでの話は環境依存というか、作り手側ではどうしようもない内容でしたが、次は作り手側の創意工夫でなんとかなるお話を。

 皆さん、黒は何色だと思いますか。

 は?

 黒じゃん。

 ええ、ええ、その通りです。

 RGB ( 0 , 0 , 0 )で表現される、無彩色であり真の基本の色です。

 人によっては#000000って言った方がわかりやすいんですかね。


 じゃあRGB ( 0 , 0 , 1 )は?

 多分みんな黒って言うと思います。


 じゃあRGB ( 0 , 1 , 1 )は?

 多分みんな黒って言うと思います。


 砂山のパラドックスっでやつですね。このままだと白も黒ってことになります。

 明確な「黒」はRGB ( 0 , 0 , 0 )だけですが、どこまでを黒と呼ぶかは個々人の感じ方によって違います。

 例えばCGイラストでも写真でもいいんですけど、これは黒だろうって思った色を抽出してみると、完全な黒ってほぼ無いんですよ。例えば車のブラックとか、パソコンのブラックカラーだって本物の黒じゃないですよね。あくまで他の色との対比における黒ですよね。光を遮断せずに自然界で完全な黒を生み出すのは難しいです。だから世界で最も黒い物質のベンタブラックとかが話題になるわけで。影って黒く見えますが光を通して見る時点で黒じゃないですしね。

 だから黒は対比で表現できるんです。隣に白を置けば灰色だって黒に見えます。先程のRGB値の例でいうと白 (#FFFFFF) =RGB (255 , 255 , 255) 以外は全部黒という極論が成立しますよね。砂山のパラドックスと同様の矛盾が存在するんで反論するのは簡単ですが、どこまでを黒、白と言うかは個人によって、さらに場合によって異なります。

 イラストで表現する時なら、隣り合う色より濃くて暗い色を用意するだけで影の色、黒っぽい色を表現できるんです。これ衝撃でした。

 周囲の色や情報を隠すと「灰色じゃん、灰色じゃん、灰色じゃん」でおしまいです。でも情報を与えると「赤髪から落ちた赤みがかった影、空に浮かんだ雲、黒板」と別物に見えてくるんです。たとえ同じ色でも、その周辺の情報からよもぎ団子に見えたり黒板に見えたりします。人間の目って不思議。


 これ何がすごいって、例えば緑の服着て緑の影を落とせば人間の肌を緑色で表現できるんです。単体で見たら黒板と人間の肌が同じ色のモスグリーンなんですよ。人間の肌=肌色って概念は捨てなけれないけない。そもそも肌色ってなんぞやって感じですが。まぁ一般的に色で表すなら限りなく白に近い赤、もしくは橙色でしょうか。その赤い肌を表現するのにモスグリーンでも構わないわけです。赤を表現するのに赤色を用いる必要はないんですよ。見た人に「これは人間の肌だ」とさえ思わせられたら何色でもいいわけで。


 ネットで話題になった「白と金」か「青と黒」に見えるドレス問題で知っている方もいるかもしれませんね。結局は周辺の情報によって脳が誤認識してしまうのです。スポイトで見たら同じ色なのにね。



 小説で例えたら血しぶきを表現した後にトマトをぶちまけてもインパクトがない上に「あまり赤くないな……」って思わせてしまうみたいな。違うな。どっちかというとトマトを潰すシーンで殺人を仄めかすようなシーンを表現するべきか。……あれ、何の話してたっけ? 知的なキャラを表現するにはメガネを掛けさせろって話? でも最近は脳筋メガネも増えてきたからそうとも言えないねって話だったね!

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