4.「『ト』のつぎだから」
「
「え? あー、わりぃ」
気怠げにスモーキングスタンドに煙草の灰を落とす中年男性に向かって、店外清掃中の徹は眉をひそめてみせる。
「……で、あいつ、前科あったんですか?」
「大アリ。そういえば、何でおまえあんなに早く現場行けたんだ?」
「あ、それは、最近外国人を狙った犯罪が多いからって、オーナーの岡部さん、ミゲルのスマホにこっそり位置情報アプリ入れてたんですよ。で、変な場所でミゲルが動かなくなったから見に行けって、めいれ……連絡が来て」
「うわ、オーナーつええ……警察官に向いてるかも」
「厚化粧のおばちゃんですけどね。ミゲルは、『オーナー優しい』なんて感動してました。勝手にスマホにアプリ入れられたってのに」
「はは、あいついいやつだよな」
玉田は、徹が中学生の頃によく世話になった生活安全課の警察官だった。今は別の部署で『刑事』になったらしく、昔の制服姿とは違うスーツ姿で、徹とミゲルが働くコンビニエンスストアに顔を出したところだ。
「ミゲル、今日はいないけど、玉田さんに会いたがってましたよ」
「そうか」
徹とミゲルの怪我の手当をしたのは、玉田だった。外出先から戻った玉田が警察署の入口を入ろうとした時にちょうど二人が警察官に連れられてきて、偶然鉢合わせたのだ。
「こいつまた何かやったのか、って思ったでしょ」
「思わねえよ。徹のこと信じてるからな」
「……嘘っぽい……」
箒を動かす手を止め、徹はまた眉をひそめた。職業柄仕方ないのだろうが、玉田は世間擦れしすぎていて、「信じてる」なんて口が裂けても言わなそうな人物なのだ。
「……いや、違うな。信じてるんじゃなくて、信じたいんだ、俺が」
「?」
「こんな仕事してると、人を信じられなくなる出来事なんて山程ある。それでも、俺には信じたいと思うやつらがいる。そのうちの一人がおまえだ」
スモーキングスタンドで煙草の火を消し、玉田は真剣な顔つきで言う。
「……へぇ、意外とロマンチストなんだ」
「大人をからかうもんじゃねえぞ、クソガキが」
「もう成人済みなのに」
「おまえなんざ、俺にとってはいつまで経ってもクソガキだ。じいちゃんに連れられて帰る時に、いつも泣きそうな顔してたの覚えてるんだからな」
せっかく清掃の手を再び動かし始めたというのに過去のことを持ち出され、また徹の箒を持つ手が止まった。もしオーナーに見られていたらあとでからかわれるかもしれないと、おかしな心配をしてしまう。
「……そうですね。あの時は、じいちゃんが警察官に謝るたびに、心が痛んで……」
「じいちゃん、すげえ真摯に謝ってたからな」
「それで、だんだんバカなことしなくなったんです」
「そうか。ああ、そうだ、あの時おまえよく手出さなかったな。聞いたぞ、蹴られてもひたすら謝って時間稼ぎしてたんだって?」
「……あー、それが一番いい方法かな、と。あいつ、外見だけは好青年風だったから、疑われるとしたら俺とミゲルの方でしょ」
「まあな、それが正解だったと思うよ。しっかし、あの徹がねぇ……。ま、成長してもクソガキには変わらんが」
「何でだよ」
「……っと、連絡が……応援に来い? あーめんどくせえ」
成長したというのにクソガキ扱いされた徹が反論を試みたが、玉田のスマートフォンに入った連絡に阻止されてしまった。
「またミゲルに会いに来てくださいよ。土日は絶対いるんで」
「おう、また来るよ。あいつによろしくな」
右手を上げた玉田のスーツの背中が車に乗り込むのを見届け、徹は清掃を再開させた。
◇◇
人々の話し声などでざわめきが絶えず流れる、広々とした国際空港。徹にとっては初めて訪れる場所だ。場内アナウンスも初めて聞く文言が多く、少々緊張してうつむき気味になっているからか、長めの前髪が目の前に落ちてきて鬱陶しい。
「トール、日本のおみやげ、買いたい」
「お土産? この間、店でチョコ買ってたろ。日本のチョコが一番うまいっつって」
「もっと、欲しい」
「ミゲルは欲張りだな。じゃ、売店でも行くか。たくさん買いすぎるなよ」
日本土産をこれでもかと大量に買おうとするミゲルを制止しながら、徹はミゲルとともに売店に向かって歩き始めた。一年間の留学期間を終え、ミゲルが帰国する日がとうとう来たのだ。
「トール、見て、これ、しんかんせん」
「……ああ、新幹線の……、中にお菓子入ってるやつだぞ。買うか?」
「うん。買ってくる」
手にした商品をレジに持っていくミゲルを見ながら、徹は寂しい気持ちを味わっていた。一年前、ミゲルと初めて会った時、徹はアルバイトをやめる覚悟までしていたのに。俺なんかが留学生の研修をするなんてきっとうまくいくわけない、と。
結局、「徹くんが一番向いてる」というオーナーの岡部の言葉は、本物だったのだろう。ミゲルが努力家だからかもしれない。相性も良かったのかもしれない。ミゲルは、徹から教わることをどんどん吸収していった。そして二人はいつも一緒で、いつも仲良く、いつもいいコンビだった。客もそのうち覚えてくれ、たまに片方が休むと「今日は一緒じゃないんだね」などと声をかけられたりもした。
「あっ! トール、トール、これ」
「……んだよ、また何か見つけたのか? 怒るぞ」
ミゲルが指す方を見ると、そこには洋楽のCDが並べられている。どうやらそのうちの一つを、徹に見てもらいたいようだ。
「これか?」
「あのうた、入ってる」
「……あの歌……、ああ、あれか」
徹はそのCDを手に取り、一通り眺めてみた。
「楽しかった」
「……そうだな」
「ぼく、これも買う」
「んじゃ俺、店の外で待ってるから」
店内は客が多く、邪魔になりそうだったため、徹はそそくさと店の外へ出た。ミゲルの大きな体が見えなくなるほどの混雑で、少々うんざりしながら、行き交う人々を眺める。
「ごめんね、トール。これ、買った」
「おう。時間は? まだ大丈夫か?」
「もうそろそろ、いくじかん。トール、おわかれ……」
「帰国しても元気でいろよ」
「うん」
話しながら、国際線出発ロビーまで歩く。のろのろと歩いたところで、ミゲルが帰国するという事実は変わらない。わかってはいても、徹の足は歩みを速めてはくれない。
「せっかく覚えたんだから、日本語忘れるなよ」
「うん」
言いたいことはそんなことではない、違うんだ、そう思っても口が言うことを聞いてくれない。頭が体への命令を怠っているのだろうかと考えるが、解決方法はわからない。
「……また、日本に遊びに来いよ」
「うん、来るよ」
「……忘れるなよ、俺のことも、店のことも」
「うん。忘れないよ。トール、ありがと」
とうとう、徹の足が止まってしまった。本当はもう少し先まで行けるのだが、進むことができない。
「……んでだよ、何で、こんな時まで……『ル』が、巻き舌なんだよ……怒るぞ」
「トール、おこらない。ないてる」
「泣いてねえ」
嘘をつく。本当は何故足が止まってしまったのか、徹はわかっている。涙で前が見えないからだ。
「トール、これ、あげる」
「……これ、さっき買ったのか?」
「うん。これきくと、ぼくのことわすれない」
「……んなの、なくたって、忘れねえっつの」
「トリあえずっ、輪ゴムだぁす!」
「ぶっ! やめろ、こんなところで! バカ、ミゲル!」
ミゲルが突然大声を上げて歌った。あの時と同じだ。まだそれほど仲が良いわけでもなく、お互いそろそろと歩み寄りを始めていた、あの時と。
「トリあえずっ、輪ゴムだぁす!」
「だから、何で『リ』が巻き舌なんだよ!」
「んー、わからない……『ト』のつぎだから……?」
「……ああ、そうか、そうだな。バカ、ミゲル……怒るぞ」
自分の名前の発音など気にしたこともなかったが、『ル』を巻き舌で強く発音するのは、きっとミゲルだけだ。何度指摘しても直らなかった、ミゲルだけの、呼び方。
「ぼく、トール、えいごのべんきょうしてる、しってる」
「……は?」
「えいごのべんきょう、はじめた。オーナー言ってた」
「……あんの、クソババア……! 黙っとけっつったのに!」
徹が英語の勉強を始めたのは、本当だ。中学校一年生の教科書から始めたためまだまだ発展途上というところだが、スマートフォンの有料アプリも利用し、自分でも驚くくらい、毎日がんばることができている。
「トール、フィリピンくる?」
「……そうだな。いつか、必ず」
「ぼくも、また、くる。いつか、かならず」
「……ほら、時間ねえんだろ? もう行け」
「うん。トール、ありがと。楽しかった」
「そうだな、俺も楽しかったよ。いいから、早く行け」
「うん。またね」
「おう、またな」
体を半回転させ、背中を向ける。ミゲルの姿が見えなくなる。あんなに大きな姿が。
「……忘れるわけねえだろ。怒るぞ」
涙声の自分がおかしくて、徹は涙で濡れる頬をゆるめた。
新入りバイトは留学生 祐里(猫部) @yukie_miumiu
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