【KAC20246】 烏龍茶を頼む人の歌

ポテろんぐ

第1話

 昔、専門学校に通っていた時、同じクラスの子に何気なく言われて、いまだに私の脳の中枢にこびりついている一言がある。


「じゃあ……とりあえずウーロン茶で、お願いします」


 私の向かいに座っていた青い髪の毛の彼女は遠慮がちにメニューの上から顔を出して、私に言ってきた。


「ウーロン茶、だけでいいの?」

「あの、お腹空いてませんので」


 あどけない苦笑いを浮かべながら、彼女は遠慮がちに言った。明らかに私の懐具合に気を遣ってくれている感じが可愛いらしいが、私はため息を吐きそうになった。


「……そう」


『居酒屋で「とりあえずウーロン茶」を選ぶ人は成功しない』


 専門学校時代のその子のオリジナルの言葉ではなく、ある有名なアイドルプロデューサーが言っていた言葉だそうだ。

 当時、ちょうど居酒屋でメニューと睨めっこしていた私は、それを聞いてドキッとした。高校卒業と同時に上京し、クラスの懇親会で初めて入る居酒屋だった。お酒も飲めない私は何の気無しに「ウーロン茶でいいか」と思っていたのだ。

 その時は「何言ってんだろう?」と思っていたが、今となると何となく分かる。ウーロン茶を選ぶ子が成功できない理由は。


 私は彼女の前で焼き鳥と酎ハイを頬張りながら、身の上話を右から左に聞いていた。

 最初に名前を名乗っていたのだが、すでに忘れてしまっていた。


「それで……今の専門を出たら、どっかでアルバイトでも良いんで洋服の仕事に関わりながら、いつかは自分のお店とかを持ちたいなぁって言うのがあって」


 私の焼き鳥を物欲しそうに眺めながら語る彼女の夢は、同級生たちが聞けばキラキラしたものなのだろうが、私からすると『お気の毒に……』といずれ崩れるのが分かっている城を一生懸命建築しているのを見ているような気分だ。


 凡庸な、いかにも『夢』って感じの夢で、大人からすると面白みがなくて食いつかない。


 これは飲んだ事がない、これは美味しくなさそう、そうやって居酒屋の飲み物を消去していくと、最終的に残るのはクリームソーダとオレンジジュースか烏龍茶くらいになる。

 で、子供っぽく思われたくないと最後に無駄な背伸びをすると自ずとリスクを背負えない人間が選ぶ飲み物は烏龍茶になる。

 彼女の夢は、彼女がメニューの中から烏龍茶を選んだ時の思考回路と全く同じに聞こえる。


「それで、あの人。どこいっちゃったんですかね?」


 彼女はため息混じりに言った。


「あの人?」

「だから路上ライブの人ですよ! 『来週もここで歌う』って言ってたのになぁ」


 彼女はそう言ってため息を吐いた。


「なんか、裏切られた気分です。私、勝手にあの人のこと同士だって思ってたのに」


 私と彼女が出会ったのは、ついさっき、駅前の広場でだった。

 そこではここ数ヶ月ほど、若い男の子が毎週、路上ライブをやっていた。歳は彼女と同じくらいで、聞いているとむず痒くなる程、まっすぐな歌詞を大声で歌っていたので、割と立ち止まる人も多かった。


 まぁ、私もその一人だったわけだ。


「まぁ、でもああ言うのってさ、ある日突然いなくなるじゃん。そんな『毎日ライブします』って言ってできるのなんて、本当にプロになれる人くらいだし」

「由美子さん、なんかあんまり残念そうじゃありませんね?」


 彼女は私の目を見ながら、まっすぐに言った。私は射抜かれたようにドキッとした。


 今日、いつもなら彼が路上ライブをしている日。

 仕事終わりに私がその広場の前を通ると、いつも聞こえていた大きな歌声は無かった。

 私は彼が演奏していた場所で、ふと立ち止まってしまった。


「あの」


 その時、後ろから声をかけてきたのが彼女だった。


「ここで演奏していた人、何処に行ったか知りませんか?」


 彼女はまるで大事なものを落としてしまったような顔をしていた。


 その顔を見て胸が締め付けられた。

 彼の路上ライブの苦情を警察に通報したのは、私だった。


 彼の声から響く、まっすぐな歌詞、言い方を変えると陳腐な綺麗事に私は内心でイライラしていた。


「あの、お姉さん。いつも、ここで彼の演奏聞いてましたよね?」


 彼女は私に縋るように腕を引っ張って来た。

 必死な彼女を見て『自分がとんでもない過ちをしたのだ』と痛感し、頭が真っ白になった。


「私と一緒に探してくれませんか?」


 私が彼の演奏を聴いていたのは、歌が好きだからじゃない。

 彼の歌に全く耳を貸さず、通り過ぎていく通行人を見ていると、心がスッとしたからだ。

『お前の綺麗事なんかに騙されるほど、世間は甘くないんだよ』と内心で勝ち誇っていた。

 いい年をした大人の癖に、若い子が一生懸命で何かをして失敗している様を見て、いい気味だと思っていたのだ。


 彼女みたいな子がいるなんて、夢にも思っていなかった。


 結局、私は初めての居酒屋で烏龍茶を頼まなかった。だけど、半年で専門学校に行かなくなり、夢を諦めた。



 数日後。

 駅前を歩いていると、向かいからキャリーケースを引き摺った彼女が歩いて来た。遠くからでも分かるほど、俯いた表情を見て、私は体が固まってしまった。


「あ、由美子さん」


 彼女は私に気付いて、なけなしの笑顔を見せてくれた。


「どっか、行くの?」

 

 知っている癖に、私は必死に知らないフリをした。


「ちょっと、疲れちゃったから、しばらく実家に戻ろうかな……って」

「……そ、そう」


 彼女は小さく「失礼します」と言い、私の横を通り過ぎて行った。


「ね、ねぇ!」


 私は彼女の後ろ姿に声をかけた。

 彼女が振り返る。


 必死で頭を掻き回して、彼女に言う言葉を考えた。


「……気をつけてね」

「あ、はい。ありがとうございます」


 彼女は駅に向かい、人混みに紛れ、見えなくなった。


 恥ずかしくて、その場に蹲りそうになった。

 口から出そうになった言葉は、あの路上ライブの子みたいに陳腐で使い古された言葉だった。


 そのまま家に帰る気がせず、その日は駅の反対まで足を伸ばして、頭を冷やす事にした。


「あああ!」


 すると、人混みをかき分けて、ロケットパンチみたいにまっすぐに私に飛んで来る声があった。


「お姉さん! いつも路上ライブ聞いてくれてましたよね!」


 そう言った先にいたのは、バイト先の居酒屋の看板を持った彼だった。


「よく分かったね、私の事」


 私は彼にバイト先に居酒屋に連れて行かれ、ちょうどバイトの休憩時間なった彼は私の向かいに座った。


「そりゃ、聞いてくれてた人の顔くらい覚えてますよ!」


 彼は「奢ります」と言ったが、食欲がない私は遠慮させて貰った。


「じゃあ、俺、仕事中なんで烏龍茶二つで良いっすね」


 彼は元気にそう言った。

 烏龍茶を頼む彼を見て、自分の中の罪悪感が刺激された。


「知ってます? 烏龍茶を居酒屋で注文する人が成功しないって法則」

「え?」


 彼は嬉しそうに私に言って来た。


「知ってるの?」

「そりゃ、音楽系の本とかには目を通してますんで」

「……じゃあ、なんで頼むの?」

「だって、それで売れたらかっこいいでしょ? 俺、武道館に立ったら絶対歌うって決めてる曲が『とりあえず烏龍茶』と『とりあえずビール』って歌なんです。ツーデイズでラストがこの二曲で」

「そんな歌、誰が聞きたいのよ?」

「だって、俺らが応援しなきゃいけない子って、そう言う子でしょ?」

「え?」


 烏龍茶が私たちの前にやって来た。


「烏龍茶を頼まない奴は俺が応援しなくても自分で頑張るし、じゃあ、俺らが歌で応援しなきゃいけないのって、烏龍茶とかビールとか頼んじゃう、頑張る勇気がない普通の人じゃないっすか?」


 私が烏龍茶をの握る手が強くなった。キンキンに冷えたグラスが頭のてっぺんまで伝わって来た。


「普通の人が夢を見ちゃいけない世界なんて、絶対にダメでしょ?」


 彼はビールみたいに豪快に烏龍茶を一気に飲み干した。

 

 私は笑いそうになるのと同時に、瞳から涙が溢れそうになった。


「お姉さん、どうしたんすか? 顔真っ赤ですよ?」

「な、何でもない。ちょっと花粉症だから」


 私は笑って誤魔化しながら、瞳を拭った。

 昔の私には『頑張れば、夢は叶うよ』って、そんな陳腐な言葉を地元の友達も家族も誰も言ってくれなかった。

 私が夢を諦める事をホッとした顔で「そうなんだ」と受け入れていた。


 だから、彼の歌が凄くイラッとしたのかもしれない。人の心を動かすのって、いつだって陳腐な言葉だ。


「それで、私に話って何?」

「そうだ。あの、お姉さん。あの路上ライブを聞いてた、青い髪の毛の女の子、知りません?」

「え?」

「あの、この前、路上ライブできなくなったんですけど。今度はちゃんと許可出して、今は隣の駅でやってるんです。で、あの子をもし知ってたら、それ、教えてあげて欲しいんです」


 私は苦笑いを浮かべた。


「よく、憶えてるわね、本当」

「だって、あの子、俺はなんか同志だと思ってましたから。なんか、分かるんですよね」

「そう」


 私は立ち上がった。


「じゃあ、見かけたら、そう言っといてあげるね」

「あれ? もう行くんすか?」

「ちょっと、用事があるから」

「そうなんすか! すいません、そんな時に声掛けて」

「いいのよ。じゃあ、頑張ってね」


 私は何事もないように居酒屋を出ていき、表の道に出た瞬間に人の流れを掻き分け、走って駅に向かった。


 まだ新幹線まではきっと間に合う。


 どんな恥ずかしい言葉を言ってでも、彼女を連れ戻さないと。




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