注文、いいですか？

第1話

　はい、おしぼり、奥に回して。えっと、注文、いいですか？　それじゃ、まずビールの人、はい、生ビール四つ。それからウーロン茶一つね。んで、君は？　ハイボール一つ。焼酎のロック一つ。オレンジジュースのソーダ割り。これが一つ。そして、食べ物ね。まず、冷奴。お刺身の盛り合わせ。枝豆。天ぷらの盛り合わせ。あ、山菜の天ぷらがある、それも下さい。普通の天ぷらとは別で。タラの白子の天ぷらもあるの。それ好物。下さい。酢の物は、何があるかな。タコとワカメにするか。ホヤもあるか。それも下さい。珍味枠で、たこわさ。ソーセージの盛り合わせと漬物の盛り合わせ、チーズの盛り合わせも。あ、なんかワイン飲みたくなってきた。え、それは乾杯の後で、皆で選ぶのね、ボトルワインを。分かった。それじゃ、ちょっとワインを置いておいて、と。ホッケ。焼き魚ね。あ、カニグラタン食いたい。ピザもいいねえ、シーフード。アスパラガスが出てきたか。よし、アスパラのベーコン巻を取ろう。パスタも欲しいな。食いたいのはスープスパなんだけど……トマトスープスパにするけど、いいよね。分けて食べよう。シシャモも食べたいの？　ホッケあるけど。分かった、それとは別に、シシャモも貰います。揚げ物は、フライドポテト、白身魚のフライ。あとは、ジャガバター。肉じゃが。はいはい、他には……あ、アユの塩焼きなんてあるじゃん！　この時期に、あるんだ！　下さい！　そ～れ～か～ら、だし巻き卵。ボテサラ。ね、いいでしょ。なに、マカロニサラダも欲しいって？　分かった、ポテトサラダと、マカロニサラダね。シーザーサラダも欲しいの。それじゃ、それも。え、マカロニグラタンだって。さっき、エビグラタン頼んだよね。え、頼んでない。それじゃ追加。どっちも。中華も欲しいなあ。ホイコーロー、チンジャオロースー、シュウマイ、春巻き、酢豚。え、お前パイナップルの入っている酢豚、苦手なの？　じゃあ食うな。店員さんパイナップル、入れて下さいね。お願いしますよ。えっと、なんか物足りないな。肉が足りない！　和牛コロコロステーキだ！　そして定番中の定番、鶏のから揚げ！　レモンは各自でやってね、揉めたくないんで。焼き鳥も！　これはもう、お任せで！　たくさん持って来て！　とりあえず、こんな感じで。え、こんなに食べきれるかって？　朝から夜まで何も食べてないんで、まだまだ足りないっす！　ちなみにコメは最後に食うんで。最後のお楽しみにコメ系は取っておきますんで。とりあえず、これで！　これでお願いします……ん、待てよ。あの、壁に貼ってある紙の料理、何です？　ほら、あの『トリあえず』って書いてあるの。ちょっと頼んでみたいなあ……でも、まあいいや。今の注文の品でお願いします。

　そんな風に居酒屋でたくさんの品を注文していたのが、遠い昔のようにエヌ氏には思えた。つい最近のことなのに……いや、そうでもないか……と彼は思った。

　エヌ氏は消化器系のガンを患い、手術して、全部を取り切れず、再発して、再手術したが、他にも転移が見つかり、完治を断念し、ホスピス病棟での緩和ケアに治療を切り替え、現在に至っている。痛み止めのせいか、頭がぼんやりする時間が多くなった。食欲はまったくない。食べないと駄目だと分かっているが、もう何も食べられない状態だ。あの日、居酒屋で頼んだメニューを思い出し、そのとき食べた料理の味の記憶を舌の上で蘇らせるだけで、満足している。それだけで十分に幸せなのだ。

　たった一つの心残りが居酒屋の壁の貼り紙に書いてあった『トリあえず』を注文しなかったことだった。もしも生まれ変わったら謎の料理『トリあえず』を食べてみたいと、エヌ氏は願っている。