ヘンリー王子の夢 =戦う皇女ララの物語 番外編=

あきこ

ヘンリー王子の夢

「諦めなさい」

 コタール王国の王が、ため息をつきながら言った。


、引き続き嫡男のお前が王太子だ」

 今年16になる長男のヘンリーを前に、王はこれまでも何度となく繰り返してきた言葉を言う。


 父である王のその言葉を聞きヘンリーはため息をついた。


 ……か


 ヘンリーは無言で頭を下げ、身を翻した。

 父王に対し少々不遜ではあるが、今は何も話したくない。


 コタール王国の第一王子ヘンリー=ウォルターは8歳の頃から、自分は王には向いていない、だから王にはなりたくないと訴えていた。


 それでも、大人達に流されるまま、12歳の時に「」コタール王国の正式な王太子として祭り上げられた。


 それ以来毎年、1年に1回開催される貴族会議で「王太子交代について」を議題としてあげている。

 しかし毎年恒例となったこの議論は、毎回、「このままで」という結論になって終わるのだ。



「ヘンリー殿下」

 廊下を不機嫌に歩くヘンリーに、王太子教育担当のクロード伯爵が声をかけてきた。

 ヘンリーは返事もせず、無視して歩き続ける。


 クロードはヘンリーに無視された事など全くお構い無しという様子でヘンリーの半歩後ろをついて歩く。


「また陛下に直談判ですか? 殿下は一体何が不満なのですか」

 クロードはヘンリーに向かって言った。

 ヘンリーは歩きながらクロードを横目で見る。


 この男は決して「」を許さない男だ。

 何故ならこの男は、ヘンリーを歴史に残る賢王として作り上げることに命を懸けているからだ。


 ヘンリーは思う。

 もしかして自分が王になりたくないと思う原因の半分はこの男にあるのでは?



 クロードは、ヘンリーが幼い頃から「あなたは王になる為に生まれてきたお方だ」と言い続けてきた男だ。


 ヘンリーへの帝王学教育は3歳から始まった。


「ヘンリー殿下、ここに居る方々はお友達ではありません。彼らは皆、殿下の臣下であることをお忘れなきように……」

 クロードは、ヘンリーの遊び相手として王城に呼ばれている名家の子息たちを指してそう言った。


 3歳の子供たちにそんな事を言っても理解出来るはずもなく、子供たちはクロードをと認定し、クロードから逃げるゲームを楽しんだ。

 しかしクロードは何を勘違いしたのか、

「さすが我があるじとなるヘンリー第1王子! わずか3歳だというのに兵法を実践しながら学ぼうとされている!」

 と……ヘンリーを褒めたたえた。



 ヘンリーが5歳の時、一緒に遊んでいた令嬢がつまづきこけた。

 その令嬢は、その時たまたま前にいたヘンリーの腕の中にこけて飛び込んで来たので、反射的にヘンリーはそれを受け止めようとした。

 しかし、5歳のヘンリーに令嬢を受け止める力はまだ無く、見事に一緒に倒れてしまった。


 第一皇子の上に乗る形で倒れこんだ令嬢は顔を真っ赤にして謝った。


 この時、ヘンリーは女の子って可愛いものだなと初めて感じたのを覚えているが……そんな淡い記憶を思い出すと同時に甘酸っぱさを苦いものに一気に変えてしまうクロードの言葉を思い出すのだ。


「なんとも素晴らしい紳士の振舞いです殿下! しかしながら殿下、レディに触れる時は十二分にご注意ください。 殿下の横に立てる女人は国母となられる資格をもつ国内でも最高に高貴な女性のみですからね」

 

 *


 ヘンリーは歩きながら昔の出来事を思い出し、眉間にしわが寄る。


 あれは5歳の時だ――

 わずか5歳の子供に向かってそんなセリフを、全く悪気のなさそうなニコニコした顔で言ったのだ、この男は……

 可哀そうに、俺の上に乗ってしまった女の子は顔を真っ青にして固まっていた。



 ヘンリーはそれでも、6歳位までは「はい、先生」と素直にクロードの言う事を聞いていた。

 認定をしてはいたが、自分を守る大人の中の一人だと思っていたからだ。


 しかしさすがに成長とともに、力が入りすぎているクロードが鬱陶しくて仕方がなくなり、クロードから逃げたいと思うようになったのだ。


 そして8歳になる頃には、こんな自分はきっと王に向いていないのだと考えるようになり、「俺より第二王子になってもらう方がよいのでは?」と口に出し始めた。


「面白い冗談です、殿下。殿下のように優秀な方を我々は見た事がありませんのに」

 皆がそう言った。そしてクロードは、

「駆け引きを覚えられましたね。さすがです殿下」

 と、またヘンリーを褒めた。


 

 実際、クロードの教育は凄かった。

 ニコニコしながら凄い事を何でもない事のように言うのだ。


「殿下、先ずは我が国の法を丸暗記して下さい。そしてユーランド大陸の他の国の法律についても学んでくださいね」


「王たるもの自分の身は自分で守らねばなりません。その上で民の命も守れるよう、剣の腕は誰にも負けないようにならなければいけません。そして当然指揮をとるために必要な兵法も学びましょう!」


「外交で優位に立つ為には他国の情勢についても知っておく必要がありますよね? 各国の特産物や物価についても常にスパイに探らせて知っておいてください」


「王族の立ち居振る舞いは、皆が見ておりますよ。恥ずかしく無いように……お茶を飲む時の仕草や、本を読む仕草、全てにおいて美しく見えるように訓練いたしましょう」


「歴史ほど大切な学問はありません、殿下。ユーランド大陸全体の歴史を毎日10ページ、寝る前にでも読んで下さいね」


「数学が分からなければ、正当な利益を逃してしまう事にもなりかねませんよね? 民を守る為には必要不可欠です、殿下」


「ご存知ですか? 我が国の農業の実情を……収穫予想をたてたり、収穫量を増やす方法について議論するには、今から知識を身につけなければいけませんね」


「ユーランド大陸は、女神の恩恵を受け成り立っております。殿下もきっと強い精霊力を持つことになるでしょう。恥をかかないように、信仰について正しい知識を身につけるために経典は全て暗記しておいて下さいね」


 こんな風にクロードはあらゆる知識をヘンリーに詰め込もうとした。

 ヘンリーの方は勝手に「これが出来ないとバカということなのか?」と思い込み、人並み以上に……いや、必死で頑張った。


 そしてヘンリーは12歳の時に盛大に行われたドルト共和国での儀式も、期待以上の結果を出した。


 そんなこんなで気が付けば、国中の期待を一身に背負った素晴らしく出来の良い王太子が出来上がっていたのだった。



「ついてくるな、クロード」

 ヘンリーは足を止め、いつまでも自分についてくるクロードを睨むように見て言った。


「そういうわけにはいきません。王太子殿下をひとりにするなど……」

「頼むからひとりにしてくれ、俺にだって息抜きは必要だ!」


 怒鳴ヘンリーを見てクロードはため息をつく。


「夕食までにはお戻りください。そして、夜は今年改正された法律についての書き写しを必ず行ってください」

「ああ、分かったやるよ」


「それから、ヘンリー殿下、私はいつでもヘンリー殿下の忠実な下僕である事を……覚えておいてくださいね」


「分かっている。すまないクロード」

 そう言ってからヘンリーはその場を去った。



 ~~*~~


「ねぇ、おぼっちゃま。そろそろ帰らなくていいの?」

 目を閉じていたヘンリーの頭の上から可愛い女性の声が聞こえた。

 ヘンリーが目を開けると、ヘンリーの秘密の恋人がヘンリーの顔を覗き込んでいる。


 ヘンリーはこの2歳年上の恋人の膝枕で昼寝をしていたのだ。


「あー、俺、かなり寝てたみたいだな」

 ヘンリーそう言って上半身を起こした。

「ごめん、俺が寝たせいで棟梁の所に行けなかったな」


 ヘンリーがそう言うと恋人は微笑む。

「大丈夫よ、また今度行けばいいじゃない。疲れてる時は身体をやすめなきゃ」


 ヘンリーは恋人に自分の本当の身分を明かしてはいない。


 彼女は勝手にヘンリーを貴族の三男坊ぐらいに思っているようだ。

 それでも、平民の彼女は常に遠慮しているようで、ヘンリーに家の事などは何も聞いては来ない。


「まだまだ先は長そうだなぁ」

「え?」

 ヘンリーが呟くように言った言葉に恋人は首を傾げる。


「いや、君と時間を気にせずに一緒に居られるようになるには、もう少し時間が掛かりそうだって話し」

「ああ……」

 納得したような顔をしてから、彼女は微笑んだ。

「無理しないでね」


「……いや、無理するよ。絶対いつか連れて帰るからな」

 ヘンリーが恋人にそう言うと彼女は頬を赤らめた。


 可愛いなぁと思いながらヘンリーは身体をのばす。


 う~~ん……はあ、仕方ないよな。


 今日は家に帰るか……



「ヘンリー王子の夢」完












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