習慣と堕落

かどの かゆた

習慣と堕落

 仕事帰り、特に何も考えずぼーっと音楽を聴きながら電車に揺られて、気付いた時には家の近くを歩いていた。ひどく疲れていて、何も考えたくない日だった。

 このまま家に帰るのは、まずい気がした。

 こんな気分のまま、冷たい布団の上で一人寝転んだら、泣いてしまうかもしれない。泣くのは嫌だった。疲れるし、惨めだから。惨めな自分に酔っている自分に気付くと、より一層惨めになる。これを俺は『惨めループ』と呼んでいる。

 そんな悪しきループから抜け出すために、行きつけの居酒屋に行った。そこはいつも盛況で、店員は客一人になんて構っていられないから、接客はおざなりだ。それが俺は気に入っていた。

 

「だし巻き一つ」「ハイボールで」「お前、そりゃその女が悪ぃよ」


 注文、雑談、馬鹿笑い。

 騒がしく大きな塊の一部となって、気分だけを味わう。俺は一人で来店したし、決して他の客に絡んだりなんてしない。ただ、一人で悲しみや孤独に酔うよりは、こうした場の空気や酒に酔った方がいくらか健全な気がするだけだ。


「ビールと焼き鳥、とりあえず、それで」


 俺は短く注文を済ませ、メニューを見てぼーっとする。この店に初めて来た時から、ビールと焼き鳥ばかり頼んでいる。別に金が無い訳じゃないし、偏食ってわけでもないから、何を頼んでも良いはずなのに、気付けばそれが習慣になっていた。

 疲れた時、この店に来るのも、この辺りの席に座るのも、全部同じ。

 思えば、今日の失敗も、叱られて落ち込むのも、何度も繰り返された流れだった。


「お待たせしました」


 届いたビールをぐっと呷る。変わらない品質。

 焼き鳥だって、いつもと変わらない味だ。柔らかな鶏肉の淡白な味わいに、香ばしいタレが絡み、強い塩気に喉が渇く。そこに酒を流し込むと、ぱっと花火が上がったような快感がある。

 一瞬、全てがどうでも良くなった。


 でも、俺はどうしてこの注文をしたのだろう。

 繰り返し、繰り返し、俺は今日に至るまで、何串の焼き鳥を食べているのだろうか。

 このまま変わらずに、へとへとになって、安い居酒屋に通うだけの毎日で、それで良いのだろうか。


「……うまいなぁ」


 しかし、焼き鳥もビールも美味しかった。美味しい、と思っている自分が惨めに思えた。結局、どこへも抜け出せず、俺は変わらないまま、とりあえず毎日を生きている。

 何かきっかけがあれば、そう思いながら、俺はだし巻き卵の一つすら注文できないのだった。

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習慣と堕落 かどの かゆた @kudamonogayu01

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