砂礫にレクイエムを
スギモトトオル
本文
『実は僕、人間じゃないんだ』
彼のそのノイズ混じりの声は、事実、彼の喉から発せられたものだった。
傷ついた身体。荒れ狂う砂塵に洗われ、浴びた
胸は穿たれ内部の金属光沢が露わになり、片腕からは関節を動かすシリンダーが突き出ている。首から肩口にかけての傷は皮膚を裂き、喉の奥にあるスピーカーの歪んだ円形が覗いている。
彼は、そう、人造人間。
人類を救うべく造られた幾体かのうち、唯一残っている最後の人造人間だった。
また一体、腕にチェーンソーの付いた機械兵が彼に襲い掛かる。
彼は
大地を蹴り、そのまま一回転。機械の腕関節が捻れる。彼の胴よりも太い機械兵の腕が、無造作にねじ切られた。
よろける機械兵の巨体。断面から
装甲を貫通し、吹き出す
『僕は、人間じゃない』
丘の上に立った彼の声。
彼はたった今
ああ、美しい
砂嵐が吹き荒れて彼との間を
かつて交易に栄えていた街は、破壊され砂漠に埋もれてしまっていた。僕は、そんな廃墟の一つに身を寄せて、彼の影を見上げていた。
彼は砂の丘の上に立ち、辺りを
いつか、その瞳で見つめてくれるだろうか。僕が
* * * *
人類は戦いに敗けた。僕や彼が生まれるよりも前の話だ。
充分に発達した科学技術は魔法に同じだ。ちょっとした知恵と素養さえあれば、誰もが強大な力を得る時代になった。
平等とは、
どこで誰が始めた事か、正確には分かっていない。気が付けば自律する機械兵たちが世界中で蜂起して、地球上で文明人の住んでいたエリアの半分以上が紛争地帯となった。
僕と彼とは、そんな荒れ狂う時代に産まれ、共に時を過ごしてきた。世界でただ一人の許しあえる仲だった。
やがて他の級友たちと同じように、彼も兵士になって
気がついた時には、研究所に彼の死体が運び込まれていた。いや、僕はその事すら知らなかった。僕が、彼に再会したのは、既に人造人間の体になった後だった。
「どうだ、これが私の研究成果だ。驚いただろう」
痩せこけた父が、頬を引き攣らせてそう笑った。
彼の肩には8の印が入っていた。戦死体をもとに人造人間が何体造られたのか、僕は知らない。
「随分、久しぶりの気分だね」
よく知った彼の声だった。スピーカーからの合成音声だと分かっていても、喜びが湧き上がった。彼の本来の声帯は火傷で失われてしまっていた。
「また少し痩せたんじゃないか」
彼の指が僕の頬をなぞった。まだ力加減が少しぎこちないけれど、その触り方は紛れもない彼のものだった。たとえ工業製品で構成されていようとも、そこに確かに彼がいた。
僕は、涙が込み上げてくるのを堪えて、無数に感情の言葉が溢れるのを飲み込んで、ただ一言返した。
「君は、変わらないな」
「何を言うんだ。随分体が重くなったさ。それに、象くらいなら片手で持ち上げられる様にもなってしまった」
困ったような、さらりとした微笑み。僕の胸に針が刺さる痛み。
「僕は卑怯者だ。一人で戦場から逃れ、のうのうとこんな場所で真っ白なシャツを着て暮らしている」
「よせよ。僕らは時代や運命というやつに押し流されただけだ。他の奴らだって変わらないさ」
そこで彼は初めて顔を曇らせた。その
「共に卒業した仲間のうち何人生き残っているのかは知らないが、大抵は何にもならない死に方をしたに違いない」
僕の様にな、と吐き捨てるように彼は言う。なぜ、数ある死体の中から彼が選ばれたのか、知らされていないのだという。
「僕はまた、戦いに出る」
動かし方を確かめるように握った手を見下ろしながら、彼はそう言った。戦闘用の体だ、当然そうだろう。だけど、思いの外、僕は狼狽した。
「何故だ」
「何故って……それが生かされた理由だからさ」
「せっかく生き返ったというのに」
「国の金と世界の都合さ。地獄から徴兵されるとは思わなかったけどね」
「僕も行く」
気づけば、そう口走っていた。
彼は困ったようにまた笑った。
「君は戦場に向かないよ」
「どうとでもなる。同じくらい華奢だった君が戦っていたんだ」
「僕は死んだ」
「どんな体だろうと、どうせ兵器の前では変わらないさ。僕はどうせ死ぬのなら、君に骨を拾われたい。なあ、戦場と言ったって、戦闘以外の時間もあるんだろう。またチェスをやろう。ここじゃ相手がいないんだ」
「参ったな」
彼はますます困ったように、だけど、どこか嬉しさを隠せない表情で髪をかき上げた。
「君とのチェスは魅力的だ。確かに戦場はこの上なく退屈なんだ」
「決まりだ」
僕は右手を差し出した。彼はそれを数秒見つめた後、握り返してくれた。
それが、四ヶ月ほどは前のことだったろうか。
人造人間となった彼は、各地の戦場を点々としながら常に戦果を上げた。
彼が戦線に加わると、その一箇所から戦況が盛り返していく。崩れかけた戦線を立て直し、味方の大歓声に包まれながら、彼はまた次の戦場へ移っていくのだ。
僕は、そんな彼の体を調整するための専属技師として帯同した。父を説得するのには骨が折れたけど、いずれ父の後を継ぐために現場を知るのだと言えば周囲が味方に付いた。
人造人間たちは局所的に成果を上げてはいたが、それでも戦略的な影響には結びつかなかった。つまり、人類は虎の子を投入したにも関わらず、じりじりと後退を余儀なくされていた。
その人造人間たちも、一人また一人と戦場に散り、気がつけば彼ただ一人が戦場に立っていた。
新たな人造人間は造られなかった。父が所属していた研究所が急襲を受け、研究データもろとも破壊されたのだ。僕は
人は言う。
彼は戦士だ。彼は最終兵器だ。彼は救世主だ。
ちがう。君はそんなものじゃない。
彼の悲しみを
「なぜ戦うんだい」
彼の整備をしながら、背中越しにそう問うたことがある。
「人類のためさ」
淡々と、疲れを微塵とも見せない声で彼はそう応えた。僕と二人きりのときでさえ、彼は英雄であろうとしていた。
それが悲しくて、僕は彼の背中に涙を落とした。
* * * *
赤い光。砂塵に混じって大地の向こうから迫ってくる無数の赤いライトは、列を成して歩を進めてくる機械兵たちの目だ。
彼の敵。彼が倒すべき、人類の敵。
本当だろうか?
奴らこそが、行き詰った人類の文明に終止符を打つ存在なのではないか? 奴らの足音こそが、我々への滅びのレクイエムなのだとしたら?
『僕は人間じゃない』
ガサついた音質になった彼の声。離れていても、砂嵐が荒れ狂おうとも、不思議と僕は彼の言葉を聞き分ける事が出来た。
『じゃあ、君は一体何なんだろうな』
彼は、こちらを見ていた。砂に埋れた文明の跡を踏みしめて、僕のことを見ていた。
『研究所から持ち出した君のお父上の記録を見たんだ。そこには”オリジン”という名前が繰り返し登場していた』
彼の背後には、赤い目の軍団が迫っている。その地響きが聞こえてくる中、彼はまっすぐに僕を見つめていた。
『人造人間には、基になった始まりの個体がいたんだ。日誌にはこう綴られていた。”それは起源にして頂点。元祖にして究極。習作にして傑作だ”と』
彼の美しい黒髪が嵐に乱される。
『博士が、お父上が君を戦場から遠ざけたかったのは何故だと思う? 従軍経験の無い君が、人造人間である僕と同じ日程で行軍しながら少しも体調を崩さないのは何故だと思う?』
滴るオイル。彼の指先。砂に染み込んで。
『あの日、卒業の日に二人で心中して、僕だけが死に損なった
響く大地。世界中で人が死んでいる。彼は僕だけを見ている。
『続きをしよう。あの日終わらせられなかった僕達の物語を、今ここで』
彼は歩き出した。機械兵たちに背を向けて、砂の丘を降りて来る。
『最後のチェスは、
彼の足が地面を蹴った。起こる砂埃。
僕の目が彼を追う。上方に跳び越した。
僕のいる建物の
飛び退って躱した。彼の手が床に突き刺さって砕く。僕は脱いだ白衣で飛び散るコンクリートの塊を防ぐ。
彼はすぐさま迫って来る。避けられるのを織り込み済みの動きだ。投げ
彼の
強い音が響く。避けられない手刀を、頭部を
『さすがの身のこなしだな。僕よりもずっと深くその体の動かし方を
彼は笑っていた。いつもの控えめな笑みではない。
ああ、認めなければいけない。僕もまた
『戦場で独り死ぬのは、果てしなく怖かった。寂しかった。広がる自分の血を眺めながら、その水面に君の面影を映していたよ』
「僕も同じさ。死に場所なんてとうの昔に決めている」
何度も
笑っていた。踊っていた。何度も何度も体同士がぶつかり合い、高く響く音を立てた。
かろうじて残っていた柱が崩れ、建物が崩壊した。辺りに砂煙が充満する。互いの姿が隠れる。
神経を研ぎ澄ませた。
『……か』
微か、彼の声が聞こえた。迷うことなく飛び込み、彼の影を貫いた。
僕の指先が砕いたのは、コンクリートの塊だった。
目を見開く。そのコンクリートの上に、歪んだ円形のスピーカーが乗っている。線が伸びていて、その先には、満面の笑みを浮かべた彼が。喉の傷口の奥は空洞。黒く染まった右腕は構えられている。
鋭く突き出される彼の手。僕の背中を砕き、胴を穿ち、脇腹から突き出ていった。
吹き出すオイル。上半身と下半身を繋ぐ
彼は僕を見下ろしていた。もう何も言わない。喉からぶら下がるスピーカーは完全に壊れたようだ。
「君は、何のために戦うんだい」
彼は背を向けて歩き出した。迫る赤い目の軍団に向かって。
僕は
彼は走る。
やがて僕の視界は霞み、彼の姿は掠れ、砂嵐の音。
彼は、英雄でいることをやめていた。ただ、二人の死が少しでも静かであるように、そのためだけに戦ってくれている。きっと、最後は共に
なあ、僕らは、こんな運命に弄ばれ続けた僕らは、最後くらい美しく
ゆっくりと瞼を閉じながら、砂塵の雲間から下りる天使の梯子を
〈了〉
砂礫にレクイエムを スギモトトオル @tall_sgmt
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