第5話 老人と湖

 東中央通りのような技術屋が集う街道から風に乗り、ラティナたちは飛行する魔法薬を追いかけて旧市街に入っていく。活気にあふれる東中央通りと違って、旧市街にはほとんど人の気がなく半ばゴーストタウンと化していた。


「このへん、ぜんぜん活気ないね」


「あぁ、このあたり再開発する予定なんだ」


 魔法薬と共にピラザの市民公園に入ってすぐ、ラティナは湖のそばのベンチに座る老人を見つけた。近くの小道に着地したラティナは魔法薬に手をかざすと、飛んでいた魔法薬はラティナの操る風に引っ張られて再び小瓶の中に回収される。


「もう、なんでこんなとこまで来たんだ──」


 ラティナは祖父に声かけようとするカロンを風で引き留める。


「顔! すごく怒ってるよ~!」


「そりゃあ怒ってるんだからだよ!」


「少し頭を冷やしなよ、おじいちゃんはなんか理由があって来たんじゃないかな……私が先に話聞いてみるよ!」


「あ、ちょっと──」


 カロンを街灯の陰に押しやるとラティナは軽やかなステップで老人に近づいた。老人は声かけられるまで二人の存在に気づかずぼんやりと湖を眺めていた。


「やあ、こんにちは!」


「……? 僕に何か用かい、お嬢さん?」


「へへ、お孫さんが探してますよ」


「あぁ……そうか、すまんな……迷惑をかけてしまったな」


 立ち上がろうとする老人の肩をそっと抑えて、ラティナもその横に座った。

 溌剌でありながら自分と同じ穏やかな瞳で湖を眺めるラティナに老人は何となく安心感を覚える。


「きれいな湖……好きなんですか、ここ?」


「あ、あぁ……思い出の場所なんだ。今朝、公園廃止ニュースを聞いて、最後にもう一度見ておきたくてね……ちょっと老いぼれの話を聞いてくれるかい?」


「もちろんだよ!」


 ラティナの穏やかさになだめられたのか、街灯の陰に隠れるカロンも徐々に平穏さを取り戻して一緒に話を聞くことになった。思えば日々の介護と仕事で疲れが溜まってたせいで、いつの間にかこういう風に祖父の話を聞くことをしなくなっていた。


「妻との初デートでここに来たんだ。あの頃は訪問客がそこそこ多くてね、反対側の岸の小屋で手漕ぎボートを借りられたんだよ」


「楽しそうだね! 初デートはうまくいったの?」


「ハハ、全然! 今でも覚えてるよ。妻はすごく可愛らしくて、僕は緊張で手汗が止まらなかったよ。しまいにはボートをひっくり返しちゃったんだ、僕も妻もビショビショ……もうおしまいだと思ったよ」


 そう言いながら老人はどこか嬉しそうだった。ラティナは見ることができないけど、老人の瞳には過ぎ去った日々の光景が確かに映っていた。


「確かに初デートでそれはヒドイね」


「そうだろ? だけど……妻は大笑いしてくれたんだ。あの太陽みたいな笑顔で僕は覚悟したよ……僕にはこの人しかいない、そう確信した。だから僕は数年後に再び妻をこの公園に誘って、初デートのときと変わらない緊張を感じながら彼女にプロポーズをした」


「わぁー! ステキ!!」


 老人の話を自分のことのように喜び、ラティナはその美しい碧眼を輝かせた。大人になれない少女の純粋な笑顔にカロンもその祖父も温かい気持ちになった。

 過去のことを思い出した老人は少しずつ息を上がらせる。


「最近物忘れがひどくなったと言われてね、実際僕も実感し始めたんだけど……妻が亡くなった日のことは一生忘れん……僕の稼ぎが少ないせいで街の安い病床で静かに眠る妻の顔、死んでも忘れられない……」


 老人は背中を丸めて、さっきよりも苦しそうに呼吸する。ラティナはすかさず老人の背中を優しく擦ってあげた。


「だから、この公園が取り壊される前にもう一度来たかったんだ……ぜぇぜぇ……ここに来れば、また……妻と一緒にいる気持ちになれるんだ……」


「おじいちゃん、忘れた薬を持ってきてるからこれ飲んで──」


 ラティナが差し出した薬ビンを抑えて、老人は頭を横に小さく振って拒否した。


「ハハ、忘れたのではない……これでいいのだよ、僕は充分幸せだからもうこれでいいんだ……優しいお嬢さん、キミは旅人なんだろ? この街じゃ見かけない服装だ……名前を教えてくれんか?」


「ラティナ」


「ぜぇぜぇ……最期に話を聞いてくれたのがラティナで……良かった。いつか……キミも……愛を知って大人にな──」


 老人の声は真横に座るラティナでも聞こえないほど小さくなり、薬ビンを掴んだままのラティナの手を握って眠りについた。体がガクッと崩れ落ちようとしたところ、話を聞いていたカロンが背後から祖父の体を支える。


「何度も聞いた話なのに……」


「カロン」


「もう一度聞けて良かった」


「だね」

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