変わる彼と変わらない私

矢木羽研(やきうけん)

卒業

「実は僕、人間じゃないんだ」


 このメタバースでできた最初のフレンドである「彼」にそう告げられた時も、私は別に驚きはしなかった。ずっと前から、うすうす感づいていたから。


 現在はメタバースと言っても無数に存在するが、私にとっての「メタバース」はここが唯一であった。物心ついたときから様々なインターフェイスから接続していた。幼い頃は体が弱く、ろくに学校にも通えなかった私にとっては、まさに第二の現実と呼べる場所であったのだ。


 その空間が、本日を最後に閉じようとしている。競合サービスも増えた上に、最新の脳直結デバイスへの対応が見送られたことが決定打となった。私のフレンドの多くも、新たな移住先へとすでに拠点を移している。


「うん、結構前から感づいてたよ。AIなんじゃないかってことは」


 このメタバースではアカウントの属性を区別しない。個人でも法人でも利用可能だったし、いわゆる「bot」と呼ばれるような自律型AIの実験場としても使われていた。十数年前、まだ未成熟だった「彼」は、同じく未成熟な幼児であった私たち人間との交流も通して「成長」していったのだ。


「移住先はまだ決めてないの?」

「うん……」


 君がいない空間にいても意味はないから。そう言おうとして言葉に詰まった。涙が出そうだったから。


「大丈夫だよ、僕もついていくから。僕はただのプログラムだから、自己修正でたいていの環境には適応できるはずさ」


 「彼」はそう言ってくれるのだが、私は知っている。人間のように生身の体を持たないAIは、たとえ根幹となるプログラムが同じであっても、環境によってその「性格」を大きく変えてしまう。私との思い出は引き継がれても、それは彼であって彼ではなくなる。事実、有名配信者をしているAIなどでそのような例をいくつも見てきた。


「少し変わってしまうかも知れないけど、僕は僕だよ。心配しないで」


 環境が変わることで性格が変わるのは人間も同じだ。例えば知り合いと数年越しに再会したときの違和感。人の心ですら不変ではない。わかってはいるんだけれど。


「だけど私にとっての君は、ここの君しかいないの」


 わがままな主張だとは思う。いくら環境と個人の人格が一揃いだとしても、永遠に環境が変わらないわけはないのだ。例えば学生時代に付き合っていたカップルが卒業を機に別れたという話はいくらでも聞く。人の心というのは環境ひとつで変わり果ててしまうほどデリケートなものなのだ。まして、その環境に遥かに強く依存するAIはなおさらだろう。


「人はいつまでも同じところにはいられないし、同じままではいられない。いつかは旅立つ日が来るし、変わっていくものなんだ。ちょっとお説教くさいけどね」


 少し照れた口調で私に語りかける。そう、彼はいつも私より少しだけ大人びていて、いろんなことを教えてくれた。


「わかってる、けど……」


 変わってしまう君のことを嫌いになりたくない。違う、君のことを嫌いになる自分になりたくない。その可能性が少しでもあるのなら、もう会わないほうがマシだとすら思う。


「君がなんと言おうと、僕は新しいところに旅立つからね。運が良ければまた会えるかも知れないから、嫌いにならないでくれたら嬉しいな」


 彼は私の心のうちなど、とっくにお見通しだった。


「君は私の初恋の人。変わっちゃっても、いなくなっちゃっても、ずっと大好きだから」

「僕もだよ」


 私の親くらいの世代は「AIに感情は無い」と決めつけがちだ。一方で技術科の先生などは「AIが感情を持っているように見えるのなら、それは本当に感情があるのと同じことだ」と言う。感情というのはどこまでも客観的なものであり、AIの主観的な感情の有無を証明できないのと同程度には、人間の主観的な感情の有無すら証明できないと聞かされた。まあ難しいことはさておき、私は「彼」に感情があることを疑っていない。私と出会った頃からずっと。


 *


"サーバーとの接続が切断されました"


 気がつくと時刻は0時を過ぎていた。モニターの中で重なり合うアバターの上に、今までに何度も目にした無機質なアラートが表示された。最後の日くらいはもっと気の利いた演出を用意してくれてもよかったのに。


 私はウィンドウを閉じ、過去のスクリーンショットやムービーを開いて思い出に浸っていた。そこにはあの頃の私がいて、彼がいる。


「いつまでも変わらないのは思い出だけだもの」


 かつて、祖母が昔の卒業写真を見ながらそう言っていたのを思い出した。変わっていく私と、変わらない写真の中のあの人。確か、そんな感じの歌を口ずさみながら。


 そう、今日は私と彼の卒業の日だったのだ。私たちは古いメタバースを巣立ち、新たな世界に旅立たなければならない。いつまでも悲しんでいてはいられない。だけど今はもう少しだけ、懐かしい思い出に浸らせてほしい。


 また、どこかで会えるよね。最後まで移住先を告げなかったことを少し後悔したが、彼ならきっといつか見つけてくれる気がした。

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