34:歪みのアカシック

 鶴田は大学の研究棟の一室を訪れていた。一年前と変わらない、どこか浮世離れした雰囲気の女性が出迎える。

「やぁ、呼び出す形になってすまないね鶴田くん、久しぶり」

 まりかは学部生のはずだが、教授のようなたたずまいだ。さんではなく、くんと呼ばれても違和感が無い。

「いえ、時間は充分あるので構いませんよ。お久しぶりです」

「教授に気に入られてね、ゼミの。自由にやらせてもらってるんだ、まだ院生でもないのに」

 机の上には外国語の資料。鶴田には読めないが、持っている記憶からそれがサンスクリット語だとわかる。異国の古語で原典を読める学部生がいたら、教授の立場では囲い込みたくもなるだろう。

「元気そうで何よりです」

「聞いているよ、キミの活躍は。先生になればさらに活かせるだろうね、その資質は。最初に会話した時から思っていたんだ」

 そういえば、ずいぶん気に入られた様子があった気がする。一年前を遠い昔のように思い出しながら、鶴田は教わることを書き留めるための手帳を取り出した。

「おや、少し世間話でもしようかと思ったのだけれど、勉強熱心なようでうれしいよ」

覚知者リベレーターと違って我々の時間は有限ですからね」

「その通りだよ。まともなうちにできるだけ後世に影響を与える論文を書かなくてはならないんだ、私は」

 それで大学を話の場と指定されたのかと納得する。この様子だと家に帰らず研究に没頭している日も多そうだ。

「後世に影響を与えるというのは?」

「前提として、この世界は覚知者リベレーターによって支配されている。具体的には、偉大なる古きものと呼ばれる八つの大組織によってね」

 覚知者リベレーターの組織についてはあまり詳しいことは聞いていなかった。さっそく講義が始まったということだろう。

「その支配を脱するためには、少しずつ人々の意識を変えていかなければならない。たとえば真正聖堂という組織は宗教を利用して歴史に干渉してきた。近年彼らの影響力は落ちているが、それは信仰というものが弱くなっているからだ、過去に比べて」

 その後も話は続く。歴史が改竄かいざんされ、世界が裏から支配されている事実、死後の世界も輪廻転生も無いという事実、そうした真実をやみくもに公表したところで信じる者は限られるだろう。また、覚知者リベレーターに目をつけられ消されるのは火を見るよりも明らかだ。だから少しずつ、世間の常識を変えていき、覚知者リベレーターにとって都合の悪い真実を広めていかなければならない。それが、人々の日常を守ることに次ぐ人類解放戦線の第二の使命だという。

「一朝一夕に成せることではないよ、これは。解放戦線は十年そこそこの若い組織だからね。しかもメンバーが覚知者リベレーターになってしまえば、どんな秘密も露呈する」

 鶴田が気になっていた点だ。解放戦線がどんな構造をしているのか、未だにまったくわからない。先生が覚知者リベレーターになってしまえば、いいように利用されるだろう。カーネルと呼ばれる指導者がいると聞いたことはあるが、先生が持ち回りで頻繁に交代しているという噂や、特殊な遺物の力で抵抗者たちの無意識から生み出されている人工知能のようなものという噂まで、人によって言うことがまちまちだ。

「先生にはカーネルからの指示があるのでしょうか?」

「無いよ。カーネルは虚像だ。実際には存在しない。ことになっている。が、本当のところは私にもわからない。推測ならあるけれど、真実を知るべきではないだろうね、特に先生は」

「よくそれで組織として成り立っていますね」

「実態は無いんだ、解放戦線には。抵抗者という、本来孤独な戦いを強いられる存在を団結させる方便ほうべんだからね。覚知者リベレーターの組織にひねり潰されていないのも形がないからだよ、組織としての」

 違和感がある。いくらなんでも、自然発生するようなものではないだろう。

「人類解放戦線の最初のメンバーをご存知ですか?」

「できたばかりのインターネットの匿名掲示板が発祥でね、解放戦線は。最初にカーネルを名乗り、半信半疑の抵抗者たちをまとめた人物はいるはずだよ。だけど、それがどこの誰かは本当に知らない」

 この様子だと、仮に知っていたとしても教える気はないだろう。質問を変えることにした。

幻視ヴィジョンの予兆を観測できるという予報士の抵抗者に直接会ったことはありませんが、彼らとはどう連携を取れば?」

「我々の生命線だよ、予報士は。先生以外には居場所や諸々を秘匿している。そして、先生の仕事の中でも最も重要な部類に入るのが、予報士の監視なんだ。被害甚大だからね、彼らが覚知者リベレーターになったなら」

「しかし、先生が覚知者リベレーターになれば予報士も芋づる式ですよね」

「ああ、先生同士の相互監視も必要だ。田所くんと交代したなら、鶴田くんには埼玉担当の森本くんが付く。鶴田くんには神奈川東部担当の吉野川くんを見てもらう。ああ、あと、先生を引退した私と、先生を引退する予定の田所くんもだ」

狡猾こうかつ覚知者リベレーターなら、体を乗っ取ったことを隠しそうなものですが」

「なんとかなっている。今のところは。覚知者リベレーターが解放戦線を取るに足らない半覚醒者の集まりと考えているうちは心配しなくていいだろう」

 実際、サン・ジェルマンが特殊なだけで、他の覚知者リベレーターは抵抗者を羽虫程度の存在と思っている様子だった。その油断と慢心が無ければ勝利は難しい。それだけ力の差があるのは事実だ。

「さて、ここからは少し体系立てて整理した話を伝えよう。すでに知っていることもあるだろうけれど、今後は鶴田くんが新たな抵抗者に話して聞かせる内容になるからね」

「それは助かります」

「もし余裕があったら、先生のためのマニュアルを作ってくれるとうれしい。今後を見据えて、ね」

「どのみち、自分用にまとめておくつもりでした。自分以外が読んでもわかるようにしておきます」

「キミがいてくれて本当に良かった。今後は戦闘向きではないと早い段階でわかった抵抗者には先生になることを勧めるのも良さそうだ。先生が増えれば抵抗者探しもはかどる。人手不足がマシになるだろう」

「東京都心をひとりでカバーするのは厳しいと思っていたので、それがいいでしょう」

「そのあたりの裁量は鶴田くんの判断でかまわないよ。解放戦線は抵抗者それぞれが自分の意志で、自分の判断で動かなければ回らないからね」

 好きにしていいということは、それだけ責任が重いということだ。先生とは予想以上に大変な役職なのだなと鶴田は決意を新たにした。

「それじゃあ、始めようか。まずは幻視ヴィジョンとは何か、からだ」


 数年後、鶴田は先生として、抵抗者になったばかりの少年に向き合っていた。

「我々は今を生きる人間だ。過去の亡霊に操られてはいないし、これからも自分自身を見失わずに生涯をまっとうする。キミも、キミのままキミの人生を生きて、キミとして死ぬんだ」

 拓矢も、蘭も、もういない。多くの抵抗者を死地に送り出してきた。

 少年が決意に満ちた表情で口を開く。

「僕は姉さんを殺したジャック・ザ・リッパーに復讐がしたいんです。そのためなら、僕の人生なんてどうなっても構いません」

 かつて抵抗者だった切り裂きジャックを思い起こして眼鏡の中央を中指で押さえる。こうやって、顔を手で覆い表情を隠す癖がついたのはいつからだろう。

「復讐心それ自体はキミをキミとして繋ぎ止める魂のくさびとなるだろう。大切にしてもかまわない。だが、キミの人生をあきらめてはいけない。覚知者リベレーターになって、キミの手で、お姉さんのような犠牲者を増やしたくはないだろう?」

 やや間があってから、はいと少年は応えた。彼のために言っているように聞こえただろうか、それとも、ただ敵を増やさないために綺麗事を言っているように聞こえただろうか。

 死後の世界は存在しないはずだが、もしも地獄があるのなら、自分はそこに落ちるだろう。鶴田はそう思った。その代わりに願うのは、地上に出現する実在の地獄の根絶だ。どんなに長い歳月を要してでも、抵抗者はいつか人類を解放してみせる。


「残念だけれど常々思うんだよ、私は。すべていなくなる必要があるのではないかとね、悲しみを感じる人間という存在が。人の苦しみをこの世から消し去るためには。違うかい?」

 覚知者かくちしゃは微笑み。

「人の営みを否定して! 美しいものも醜いものもすべて消し去って! そんな世界、存在する価値なんてあるもんか!」

 抵抗者は抗い続ける。

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