33:送り出す者

 切り裂きジャック事件の幻視ヴィジョンから一年。鶴田は田所という名の解放戦線の先生と喫茶店で会っていた。

「鶴田さん、スリランカではお疲れ様でした」

 一週間ほど前の大規模幻視ヴィジョンの話をしている。倒したはずのサン・ジェルマン伯爵との再会に、驚きと軽い絶望を抱いた事件だった。

「相変わらずの足手まといだった。戦いに向いた秘術さえ使えるようになれば……」

あずささんが言ってましたよ、鶴田さんがいなかったら敵の正体も意図もわからず詰んでいた、助かったって」

 梓、この前共に戦った若い抵抗者を思い出す。初めての幻視ヴィジョンで家族を皆殺しにされたという、覚知者リベレーターへの復讐心に燃える少女。彼女のように悲しい目に遭う人を可能な限り減らそうと、人類解放戦線は抵抗を続けている。

「サン・ジェルマンを知っていたから、という部分が大きい。奴は以前と同じ姿をしていた。記憶を継承したとしても見た目まで変わるのは普通ではないだろう?」

 先生はうなづく。

「サン・ジェルマン伯爵の伝説を知ってますか?」

「四千年前の出来事を見てきたように語り、数十年後も年を取らずに変わらぬ姿で現れた、というものだね」

「まったくその通りの人物ですよね。たぶん、外見は秘術で変えているんでしょう。自分の容姿に執着しゅうちゃくする覚知者リベレーターというのは、かなりめずらしいです」

 切り裂きジャック事件以来、他に四人の覚知者リベレーターを見てきたが、いずれも抵抗者など眼中に無く、自分の目的のことしか頭になかった。そのうちひとりは自身のトレードマークと言えるものを身に着けてはいたが、性別が異なることすら気にしていない様子だったのが印象的だ。

「サン・ジェルマンは明らかに我々抵抗者に興味を持っていた。あれも、めずらしいという認識で合っているかな?」

「はい、だから解放戦線ではサン・ジェルマンは最も注意すべき覚知者リベレーターのひとりという認識です。まぁ、僕たちへの興味のおかげで、実力を発揮する前に倒せている側面もあるんですが」

 切り裂きジャック事件の時は本気に近いサン・ジェルマンと戦ったのだと今ならわかる。スリランカでは実験に熱中しているところを拍子抜けするほど簡単に倒すことができたのだから。それでも、こちらに犠牲は出た。

覚知者リベレーターは自分が死ぬことに鈍感です。乗り物である体が壊れたら、次の体に移ればいいという大雑把な感覚でいます」

「そうだな、あきらめがいいというか、あっさりとし過ぎているというか、今この時に必ず成し遂げなければならないという必死さとは無縁に感じる」

 でなければ、倒すことなどできないかもしれない。

「ところで鶴田さん、相談があるんです」

「なんだろう?」

 先生から相談ということは、離れた地域への応援に向かって欲しいとか、厄介な遺物の管理だろうか。

「鶴田さん、先生になりませんか?」

 予想をくつがえされ、どういう意味か飲み込むのに少し時間がかかった。

「まだ抵抗者になって一年なのだが」

「一年も戦い続けてなお、魂のくさびをあまり失ってないとも言えます」

「それは戦闘で前に出られないからだ。相対的に安全な立ち位置からサポートするばかりで……」

 反論しているうちに気付いた。それは先生のポジショニングだ。

「的確なサポートだと、梓さん以外も言ってます。直接覚知者リベレーターとやり合うだけが戦いじゃないです。僕よりよっぽど向いてますよ」

「今よりも、役に立てるだろうか」

「いそがしい役職です。正直言って僕は目を回してます。だから負担を分散したいというのが本音です」

「いつもありがとう」

 いやぁと先生はかぶりを振る。

「鶴田さんは弁護士さんでしたよね、いそがしさが仕事のさまたげになるでしょうし無理強いはできませんが、その立場から調べられることもあるんで、適任なんです」

「なるほど」

 仕事は相変わらずひまが多い。整理解雇されるのでは、いや、事務所が潰れるのではとひやひやしているぐらいだから、先生の仕事に割く時間はある。弁護士の肩書が役に立つ場面もありそうだ。公的記録の閲覧に慣れているのも情報収集での強みになるだろう。何より、戦闘で役に立てず悔しい思いをするのが現状、心の負担になっている。

「わかった、先生の役職への推薦、受けよう」

「本当ですか! 助かります! あ、ただ……」

「何か問題が?」

「先生がつらい役職なのは、いそがしさが一番の理由じゃありません。抵抗者を、顔見知りを、死に場所に送り出す、これが一番こたえます」

 やるせない表情を浮かべる先生は、言われてみればこの一年で快活さを失ったように思う。魂のくさびを失ったためだと思っていたが、そういう理由だったのかと得心した。

「たしかに、一番つらい点だろう」

 目の前の先生、田所は鶴田から見て人一倍、人情にあつい。その心根こころねに救われている抵抗者は少なくないだろう。だが、その分、田所の良心がさいなまれ続けているということになる。ひるがえって見て、自分はどうだろうと鶴田は考えた。

 正義感は強い。弁護士になったのは誰かを救うためだ。しかし、依頼者に肩入れし過ぎれば仕事に支障が出ることは若いうちに学んだ。悪い意味で大人になってしまった。太一が死んだときも、その後に体験した別れも、割り切って考えていた。薄情な話だが、弁護士も解放戦線の先生も、こうしたある種の冷淡さが不可欠な仕事かもしれない。

「改めて、私は適任かもしれない」

「そうですか、良かった相談して。先生に、ああ、まりかさんに先生にならないかと言われた時には一度断ったんです。僕なんかには務まりませんって。今思えば、あの時点では他に適任者がいなかったんでしょうね。まりかさんは信頼度だとか安心感だとか言ってましたが」

 信頼度や安心感。たしかに、あのくせっ毛の娘には完全に欠けている要素だと、鶴田は思わず苦笑した。

「でも、仲間たちの想いを背負いすぎるという僕の性分しょうぶんは先生にあまり向いてない気がします。あの時はそこまで気が回らなくて提案を受けちゃいましたが」

「それはキミの美徳だとも。私もふくめて、みんな感謝している」

 その言葉を聞いて先生は力なく笑う。

「その信頼を、近ごろ重荷に感じてしまうんです。それでですね、受けてくれるなら、その……鶴田さんが先生の役職に慣れてからでいいんで、僕は前線に復帰してもいいですか?」

「断ったり承認したりといった権限は私には無いよ。自分の意志でなんでも決めるのが人類解放戦線ではなかったかな?」

「そうでしたね、その通りです。じゃあ、申し訳ないですが、僕の後任という形で東京都心担当をお願いします」

 安堵の色が見える。先生という役職にかかる重圧はそれだけ強いのだろう。鶴田は今一度、自分に務まるか自問自答する。人類解放戦線の一員として人々のために戦う意志は固い。弁護士よりも人を救えているという実感がある。その一方で戦闘であまり役に立てない引け目を感じている。ならば先生という役職はうってつけだ。依頼者の境遇に入れ込み過ぎないという弁護士の心構えもふくめて。

「先生は私に任せてキミは自分らしく生きてほしい」

 自分らしく。だから、鶴田も自分の意志で先生になることを選んだ。

「ありがとうございます。それでですね、先生として必要な知識を色々と学ぶ必要があるんですが、教えるにあたって、僕より適任の人がいます。会いに行ってもらえないでしょうか?」

 鶴田にはその提案を断る理由がなかった。

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