授賞式
「まつくまかな」
授賞
ハンガーが頭上に落ちて、目覚める。春光まばゆい窓辺のベッドでぎゅっと全身が縮んだ。夢の中ではとんでもない大きな岩に敷き潰されている夢だ。汗塗れだ。
赤い花がらのパジャマから左の下乳に手を差し入れ、早い心拍を抑える。心臓の重さで大きく胸郭がはずんだ。命からがら現実の目覚めに救われ、首を振って起き上がる。手足が鈍く、さえない。今夜の授賞式に向けて、とびっきりのドレスが下がっている。夜の色をしたシルクをたっぷりと使った一着。
私、敬世は小説家になった。胸を張って受賞式に挑むつもりだ。まずは顔を洗って、美容室の予約時間を確認。昨夜の長電話でくまができている。冷たい水でさっぱりした後、目元を温める。
自慢の黒髪にかんざしを指した時、美容院では手放しのお祝いムードだった。自著の名前を口にするたび、理由のないトゲが心の底をちくちく刺してくる。隣の女性がはにかみつつ「ぜひ、読ませてもらいます」拍手をした。
ねえ、私の主人公たち。キーボードに引っかかる桃色のネイルが傷つけた人々。たとえばゲームが大好きな。受賞作では高校生のあなた。私信のやりとりは私の肥やし、肥えた言葉を切り売りしていく。もらったアクセサリーも、思考そのものの会話もすべて焚べてつくった小説。フィクションになりきれない現実舞台、本番が待っている。
緊張で意識がかすみながら、笑顔で受賞式をこなす。妙なハイテンションにふわりとドレスが引っ張られた。「よかったねえ、これから本格的に動けるよ」編集者高橋さんだった。「はい」慌てて裾を整える。「この音楽いいですね。気分にぴったりです」そろそろ酔いが回ってきた。
「ん? そろそろ終わるから、大丈夫?」
「なんとか」
スピーチの内容を頭の中で整え、締めの挨拶をするころには手のふるえが収まった。「ありがとうございました」と答えた瞬間、小説のモチーフを幻視する。うつくしい海の生き物だ。白いシャンデリアが乳白色の姿を透かし、ぽとりとひとりの頭に落ちた。思わず目で追う。つややかで厚い前髪、ストレートの黒髪にオーガンジーの帽子が乗っている。華奢な鎖骨に真珠を飾り、全身乳白色のドレスに、ほんのりとした金の色味をした肌が映えていた。手元のロンググラスを閉会の合図に合わせてぎゅうっと一気飲みをし、真っ赤な口紅が笑顔を作った。
めまいがする。新人小説家の脳裏に老練から注意された”官能”の一文字がこめかみを走る。段を降りてから「高橋さん」スーツの袖を引いて訴えかけようとした。「ああ、タクシー主役からだから、後は招待ファンと握手して終わり」彼は私を引いて会場の出口へ。招待ファンは三名。皆女性だ。例の女性もほほに赤みを帯びて笑った。広角を思い切り横にひっぱる、やや下品に見える動きが、きちんとしたメイクで整っていた。
「ありがとうございました」
三人並んだうち、ぽっちゃりした女性が喜色を浮かべて両手で握手をし、もう一人は黒のスーツに目をひっしでぱちぱちやりながら過ごし、例の彼女は「いい作品です。次回も、ぜひ」思わず手が硬直し、汗が背中を伝う。
「はい。がんばります」
タクシーの中でシートベルトを締めたとたんにパーティをパッキングし終わった疲労が散らかった。記念写真とサインも彼女たちに渡したから、高橋曰く(この三名が感想を書き続けたら、大物だよ)。
ドレスも脱がないまま、震える手でブランデーの上にスプーンをかけ、一滴が染みた砂糖を燃やす。飲んで帰ってナイトキャップが必要になるほど意識がさえ、得意の文面を描き出すには尖らせすぎた鉛筆のような心境だった。
甘い酒を咥え、携帯電話にすがりつく。エゴサーチで授賞式が出るまで数時間はあるだろうから、発表された本がメインだ。ブックレビューを漁る。淡白な文章だと年配の方から書かれていた。若い人には好評だったから、言葉の世界を喜ぶ様子に酔いがほぐれた。
心地よい夢だ。祝いの言葉がメールで届き、次回作の相談も順調。打鍵も健やかに進む……”スケジュール通りの”祝福。たったひとつのひらめきのために、がつんと言葉の壁にぶつかった。モチーフの生物が一斉に海へ落ちていく。
頭痛と脂汗で起き上がり、吐き気はないものの頭痛がする。起き上がってふらつき、本棚に手をついた。ちいさなポケット図鑑、”うみのいきもの”。これが始まりで本を書いた。
「くらげの呪いだ……」
しわくちゃのドレスを脱いで、シャワーを浴び、身支度をする。ブランチの時間になっていた。恐怖のエゴサーチが始まる。授賞式のニュースがサイトの隅っこにあった。
(いいパーティーでした!)(自作は現在執筆中だそうです)このふたりが好意的な文章で思わず胃をさする。
(モチーフドレスを着ていったら映えた! 作者さん、ありがとうございました)
携帯電話が汗で滑る。二日酔いが叫ぶような頭痛を連れてきた。
「私の作品だ!」
授賞式 「まつくまかな」 @kumanaka2023
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