ぼくとキツネの薫子さん
喜見城幻夜
🦊
早生まれは損だと思っていた。
少なくともぼくこと桐生ソウタにとってそうだ。
3月生まれで背は低く、色白で筋肉のない体型。
子供のころはずいぶんといじめられたものだ。
確かあれは、5つの時だ。
幼稚園からの帰り道、子供たちが黒くぼんやりしたナニカを取り囲んでいた。
石を投げたり、棒で殴ったりしている。
近づいてみると、それは白い子犬だった。
鼻が長くほっそりした顔は痩せこけ、片目は潰れ、尻尾だけは異様に太い。
か弱い鳴き声を上げ逃げようとするが、悪童たちは尻尾をつかんで離さない。
子供達の残酷な笑い声が秋空にこだました。
「ねえ、やめなよ」
母親の制止を振り切り、ぼくは彼らに近づいた。
「なんだ、ソウタじゃねえか」
悪童のリーダー、体格の大きいナオキが顔を上げた。
子供にしては悪そうな目つきをしている。
「犬、かわいそうだろ。
叩いちゃだめだよ、やめて」
「ビンボー人のくせに、命令するなよ!」
ナオキはいきなりぼくの腹を殴った。
他の子供らも歓声を上げ、一緒になって引っ掻いたり噛みついたりする。
母親はか弱い悲鳴を上げるだけで、何の助けにもならなかった。
「おい、もう行こうぜ。
おやつの時間だ」
リンチに飽きたらしく、ナオキが言った。
子供らも興ざめしたらしく、意気揚々と帰っていく。
ぼくの園児服は泥だらけで、体中痛い。
母親がやっと近づき、助け起こしてきた。
あの犬はどっかに逃げたのだろう、もういなかった。
***
その日寝ていたら、夢を見た。
真っ黒い髪を背中まで垂らした女の子が現れた。
年のころは16歳くらい。
とてもきれいなお姉さんだなと思ったが、彼女の顔は殴られたように腫れ上がり、片目は青タンが出来ていた。
黒い着物に白いケープを羽織っている。
袖で顔をぬぐうと、嘘のように怪我が治った。
ややつり目がちの黒い瞳。
血を塗ったように赤い唇。
雪のような肌。
「助けてくれてありがとう」
鈴を転がすような声がした。
「お姉ちゃん、初めて会うよね?」
「昼間会ったでしょう」
お姉さんは薫子と名乗った。
背後から真っ白いふさふさの尾が生えている。
昼間のあれは、犬じゃない。
キツネだ。
このお姉さんはキツネの精霊だ。
そう確信した。
「ソウ
赤い唇がそう動いた。
「獲って喰おうかな。
でも、やらない。
キミはわたしのモノにする。
邪魔するやつは、みんな喰う」
薫子さんはきれいな声でぞっとすることを言った。
「だから、何も心配しないで。
ずっと一緒にいよう。
ずっと、ずっとね・・・」
赤い唇が三日月形に曲がり、薫子さんは消えた。
***
目が覚めたら、もう8時だった。
完全に遅刻だ。
下に降りると、母親が慌てている。
「ソウタちゃん、大変よ!」
「ママどうしたの?」
「ナオキちゃんたちが・・・」
昨日ぼくを殴ったナオキとその友達が行方不明らしい。
ナオキの家は街の資産家なので、警察含めて大騒ぎしているとか。
母親がナオキに手出しできないのは、彼の家が有力者だからだ。
平気で息子を見殺しにする女だ。
ぼくは平然とトーストを焼き、マーガリンを塗った。
「ソウタちゃん・・・」
「1時間遅れたけど、園に行くよ。
ママ、ぼく一人で行くからいい」
目の前の母親を見た。
その背後で、透き通った姿の薫子さんがにんまり笑っている。
黒いオーラが周囲の空間を喰らっているみたいだ。
ふっさりした尻尾がいたずらっぽくパサリと振られた。
ナオキたちは二度と見つかることはなかった。
彼の一家は事業失敗し、不正発覚して没落した。
屋敷は売りに出され、もう街にはいない。
それから1か月後、母親はトラックに轢かれて死んだ。
何の感情も抱けなかった。
涙の数粒流したかもしれないが、それだけだ。
ただ、薫子さんが隣にいてくれた。
最初は光線みたく実体なかったけれど、だんだん物質化してきた。
料理してくれるし、とても優しかった。
ママみたいだと言ったら、少し怒ってお姉さんと言ってねと返された。
でもどうしてだろう?
ぼくの名前をソウタでなくソウ
ぼくは父親に引き取られ、東京に引っ越した。
父親は既に再婚していて、奥さんと4つ違いの弟がいた。
奥さんはリサといって、茶色い髪で派手な女の人だった。
父親がいないとき、よくつねられたりハイヒールで殴られたりした。
ある日、リサはいなくなった。
隣の区の高層マンションから転落死したらしい。
そのマンションにはリサの元彼が住んでいて・・・まあ、お察しの通りだ。
弟はDNA鑑定の結果、父親とは血がつながっていなかった。
リサの実家で養育することとなり、二度と会うことはなかった。
「家事手伝いのスタッフに来てもらうか・・・」
大手企業の重役の父親がため息をついた。
この男はとかく女好きだが、なぜか長続きしない。
二人の妻が横死した噂が毒ガスのように付きまとっている。
近頃ではホステスにも避けられてる、なんて言って荒れてたっけ。
そんな父親が、住み込みの家政婦を雇った。
薫子さんだった。
すっかり物質化していて、それでいてきれいな少女のままだった。
幸せだった。
学生時代はずっと一つ屋根に暮らし、授業参観にも来てくれた。
漁色家の父親がお手付きしていないのは明らかだった。
薫子さんはとても誇り高い女性だ。
自分の意志で生殺与奪を決める。
人間が主導権を取るのを許さない。
一つ屋根で平和に暮らしているのがその証拠だ。
その間、担任の先生が2人自殺し、ぼくをいじめていた不良グループの内6人がこの世にいない。
そして。
ぼくは霊が見える。
大方の霊は無害で空気中の水素みたいなものだ。
しかし、少数のものはそうではない。
思うに、悪魔というのは人間が造り出した概念だ。
多分、神とやらもそうなのだろう。
悪霊はいわば街をたむろしてる与太者とおなじだ。
目を合わせてはいけない。
気づいてはいけない。
見ざる言わざる聞かざる。
そうやって生きていくのが、霊能力をもつ者の生き様だ。
大学卒業後、普通に就職した。
最初の職場の上司が頓死した後、不動産屋に転職した。
そこでルミという女性と知り合った。
彼女は自宅に遊びに来てくれた。
そして。
「ソウマ、ずっと一緒だよ」
ルミの形をした薫子さんが隣にいる。
ルミの奴、年下だというのにぼくの悪口や嘘の噂を周囲に触れ回っていた。
とんでもない性悪女だったが、容姿は美しかった。
不思議なほど薫子さんに似ていた。
いや、薫子さんを大人っぽくした感じかな。
彼女のアドバイス通りぼくはルミを騙して懐柔、恋人の仲になった。
そして、薫子さんはルミの肉体を完全に奪ったのだ。
「ああ、ソウマ、最高よ」
薫子さんは今日もぼくを抱きしめてくれる。
もはやふさふさの尻尾は見られない。
出そうと思えば出せるのだが、故意に出現しなくなったらしい。
これで安心、と薫子さんは輝くような笑顔で言った。
不動産会社を辞めた後、ぼくは塾の講師になった。
夜は先生をしつつ、日中は別の仕事をする。
悪人殺害の依頼で、薫子さんと一緒に出勤する。
妖狐の能力をもってすれば、人間のヤクザ者など赤ん坊同様だった。
こうして金銭的にも潤い、郊外に戸建てを買った。
何人死んだだろう。
何人の生命が消えたことだろう。
薫子さんの力はどんどん強くなっている。
ぼくはそんな彼女が大好きだ。
白い尻尾をそっとなでる。
狐族にとって最高の愛撫の仕方だ。
将来、彼女に食べられてもいい。
薫子さんは笑いながら、いやよと言っていたけれど。
そういえば最近、腰のあたりが痛痒い。
なにかふわっとしたやわらかいものが生えてきたような気がする。
薫子さんに言うと、彼女は何も答えず笑い、耳たぶをやさしく噛んできた。
***
さて、今日も人間を喰らいに行くか。
ぼくとキツネの薫子さん 喜見城幻夜 @zombieman
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