第8章 終わりの物語

 俺たちが階段を上った先にいたのは、やはり、フリードだった。その顔を見た途端、エルミナが何一つ警戒することなく声をかけていた。

 「父様ですか?」

緊張で声が震えていたが、それは仕方のないことだろうと思う。そして、それに対するフリードの返答は、ひどく冷たく聞こえた。

 「エルミナか。生きていたとは思わなかった。」

なんだそれ。まるでエルミナの生死などどうでもいいと言わんばかりの言い方だと感じた。それから、エルミナが母親に会えるかと問うと、フリードは無言で玉座から立ち上がって、魔法で明かりをつけた。この魔法も、いとも簡単に使っているが、普通では考えられない規模だった。さすがはエルミナの父親だというべきか。

 明かりがついて、そこに現れたのは、一人の女性だった。先ほど、研究室で見たばかりの女性。やはり、エルミナに似ている。そんなことを思っていると、グリルがポツリと独り言つ。

 「これは……、本の……。」

その女性、エリーゼは死んでいた。それも、十二年も前に。フリードが言うには、エリーゼが死んだのはアトロの王族と民のせいらしい。そして、フリードはアトロに住む人すべてを憎んでいるようだった。エルミナに対しては、態度は冷たいながらもやり取りはしていたが、俺たちに対しては目線を向けることはあっても、それは路傍の石を見ているかのようで全く興味のない様子だった。俺が、彼女の遺体が綺麗すぎると言い、三人そろって視線で問いかけても無視されてしまった。その代わりに、エルミナに街での暮らしを訪ね、最終的には塔に残れと言い出した。その言い分は自分勝手で、エルミナの気持ちなど一切考えていない。クソ、何なんだこの人は。腹が立つ。

 そして、フリードは、決めつけたようにエルミナに言う。

 「わからぬか。アトロのような腐った王家の収める街で暮らす必要などないと言っているのだ。お前は感じたことはないか?アトリアの住民が見せる冷たい視線を。アトロ王家が善人面をしながら他者を貶める様を。」

その言葉にエルミナは黙ってしまった。まるで心当たりでもあるかのように。そこで俺はふと思い出した。衰退の痕跡探しに出かける前、エルミナは、街に出ると視線を感じると言っていた。

 ――ああ、あれを思い出しているのか。

 エルミナは暗い表情だが、俺は少し安心した。だから、エルミナが答えようとしていたところを、遠慮なく遮る。

 「違う!」

街の人の視線は決して冷たいものではないはずだ。だって、エルミナみたいな人が外を歩いていたら誰だって振り向くのだから。それほどにエルミナは可愛いのだ。でも、こんなこと、恥ずかしくてエルミナには言えない。だから何となく、根拠もなくわかるということにした。

 それから、フリードに塔に来た目的を聞かれて、俺たちは、正直にすべてを話した。おれが緊張しながら話し終えると、フリードは信じられないことを言い出した。

 「さもありなん。私がそうなるように仕向けたのだ。だがしかし、王族が隠す、だと?」

どういうことだ?そう俺が疑問に思っているとエルミナがそれを代弁してくれた。そして現在の街の様子を詳しく伝えると、フリードは満足そうに笑いだした。そして次に続いた言葉で俺の我慢は限界に達した。

 「フッ、フハハ。それは重畳だ。腐った王家にふさわしい、腐った国と街になったようだな。」

許せなかった。どうやったかは知らないけれど、この街の衰退の原因がこの人で、そのせいで街のみんなが知らないうちに理不尽に貧しい生活を押し付けられていることが。そして、その現状を聞いて満足そうに笑っていることが。俺は気付いたらフリードに向かって怒鳴りつけていた。グリルがそれを止めに来たがそれすら振り払って殴り掛かろうとした。しかし、次の瞬間、下腹部に鈍い衝撃が走り、後ろに立っていたグリルごと吹き飛ばされた。飛びそうになる意識を何とか保ちながら見上げると、フリードがこちらを睥睨していった。

 「いいだろう。そこに寝そべっている小僧ども。お前らも聞いておけ。アトロの王家が、アトリアの住民がどれだけ腐っているか、私の話を聞いて知るがいい。」

そうして、フリードがこの国を憎むことになるまでの話を俺たち三人は聞かされることとなった。

 それからは、フリードが一方的に自分の過去を語っていった。一つ一つを丁寧に思い出すように、また、自らを戒めているようにも見えた。そして、その話は聞いていて気分のいいものではなかった。すべてを聞き終える頃には、誰も声を出すことができなくなっていた。俺もまた、さっきまでの怒りはかなり薄れていた。この国のことを憎んでも仕方がないと思ってしまったのだ。

そして、フリードがまたエルミナを置いて行けという。唯一の家族となったエルミナを仇の国に置いておきたくないということなのだろう。そして、エリーゼの真相を知り、エルミナは取り乱している。フリードの決意を聞いてしまった俺とグリルは、そんな二人の会話に何も言うことができないでいた。


  *


 「私はエリーゼを守るため、一度自分の魔力をほとんど使い果たし、塔を建てた。」

 フリードが、今度は慰めるような優しい口調で話し始めた。その声は深い悲しみをまとっているようで、エルミナに向けて話しているが、どこか自分自身にも向けて話しているようだった。

 「私はエリーゼの治療に全力を尽くした。だが、治療を開始してすぐ、私はそれが不可能だと悟った。」

 「どうして?」

エルミナが問う。

 「呪いだ。あの包丁には毒の他にも高度な呪いの闇魔法が付与されていた。一度毒や麻痺などにかかるとそれが治らなくなる呪いだ。自身の魔力を使い解呪するしかないうえに、魔力の少ない者では絶対に解呪できないものだった。」

 「それって……。」

 「そうだ。初めから、狙いはエリーゼだったのだ。エリーゼは魔力が少なかった。まずは呪いの方を何とかするしかエリーゼの助かる道はないということだ。通常の呪いならば、術者を殺せばほとんどの場合解呪される。故に私は、カストールに調べさせていた貴族たちの動向についての報告を待つことにした。」

酷すぎる。俺はそう思い、自覚せず拳を強く握っていた。そのやり場のない怒りをどうしたものかと周囲に視線を移すと、エルミナの顔が見えた。彼女もまた、やり場のない怒りを感じていたのだろう。全身に魔力が迸っているかのように青白い光の残滓が彼女の周りではじけていた。しかし、それとは裏腹に、その表情は悲しみに満ちている。エルミナは、声も出さず静かに泣いていた。俺はまたもエルミナの魔力量の異常さに驚いたが、もうそれどころではない。

 「どうして……。どうして母様が狙われなければならなかったのですか?」

そして何とか絞り出すようにしてそう言い、エルミナはフリードに続きを促した。

 「私達が、アトロを出ようとしたからだ。後からカストールに聞いた話だが、奴らはこの国から私が出ていくのを警戒していたらしい。私が他国の軍と協力してしまえば、アトロなど簡単に落とせるからな。それに、私は曲がりなりにも王族だったものだ。国の中枢に通じる情報も知っていた。そんなものの流出を国が許すはずがないのだ。だが、奴ら如きでは私は殺せない。だからエリーゼを狙ったのだ。」

 「そんなの、人質みたいじゃないか。」

思わず俺は声を上げていた。すると、フリードが一瞬驚いたような顔になり、俺の方を向いた。その顔はすでに能面のように無表情なものに戻っている。

 「人質か。その通りだ。エリーゼを治さない限り、私はこの地に縛られる。だがエリーゼを置いていくという選択肢はない。だからこの塔の時間を止めることにしたのだ。」

 「父様は、ここに何年篭っているのですか?」

 「九六二年だ。」

それを聞いて俺たちは驚愕した。そんな長い時をかけてエリーゼの治療を試みていたのか。

 「そんなに長く。」

 「必要だったからな。」

 「母様の治療はそんなに大変だったのですか?」

 「今となっては目的の半分は無駄になってしまったがな。」

フリードはため息混じりにそう言った。しかしその後すぐ、周囲の温度が一段階下がった気がした。

 「今の私の目的は、この国の者どもへの復讐だけだ。」

 「それは、寂しく、ないのですか……?」

エルミナが考え込むように俯いた後、フリードに声をかける。心配そうに、流れる涙を拭いて。その良し悪しは置いておいたとしても、その気持ちが理解できないわけではないという事だろう。

 「寂しい、か。フッ、そんな感情など、とうの昔に忘れてしまったわ。」

その回答を聞いたエルミナの瞳からまたも涙が流れる。そして、消え入りそうな声でもうやめてと呟いている。しかし、その声はフリードには届かない。

 「カストールと最後に会ったのは、この塔を建てて三年が過ぎた頃だ。その頃は、私もまだ街の家と、この塔を行き来していた。エリーゼの治療のために、図書館の資料が必要だったからだ。」

 「でも、あの図書館は、ほとんど本なんてなかったよ。」

そう言うのはグリルだ。俺と一緒で会話に割り込めずにいたが、俺がさっき声を上げた時のフリードの反応を見て大丈夫だと思ったのだろう。そしてフリードはなんでもないように答えた。

 「ああ、私が焼いたのだ。話してやるゆえ黙って聞いておれ。」

そう言ってフリードは右手を横に薙いだ。すると、俺たち三人の周囲には半球状の薄い膜が広がった。なんなんだこれは。そう声に出そうとしたが出なかった。口は動くし、声を出している感覚はあるのに、それは誰にも届いていなかったのだ。グリルは外に出ようとしたが、見えない壁にぶつかって尻餅をついていた。だがエルミナだけは少し違った。

 「父様、何をしたの!?」

声が出るのだ。

 「結界だ。お前以外の二人は音も遮断した。これから話す事でこやつらがまた煩くなるのは目に見えているからな。」

 「父様の、話すこと?」

 「ああ、私の復讐の計画についてだ。」

フリードは玉座に腰掛け、魔法で閉じ込めた俺たちを一瞥してから目を閉じた。そして語られたのは、この九五〇年の研究と復讐の日々だった。

 「話が逸れたな。まずは、先の話の続きだ。」

そう言ってフリードはまた語り出した。

 「私が解毒の研究を始めてすぐ、カストールに頼んでいた調査の結果が出た。カストールには一人で来るように伝え、以前と同様に私とエリーゼが暮らした家で報告を聞いた。」

カストールは、護衛もつけず、他の貴族からの尾行も巻いてフリードに会いに来たのだという。

 「カストールの調べで、策謀にカストール以外の王族ほぼすべてが関与していたことが分かった。カストールと関係の深いごく僅かな貴族を除く他の貴族たちもまた、ほかの王族と共に策謀をめぐらせていたのだ。しかし、呪いの実行犯はわからなかったらしい。」

彼らはカストールに監視を付け、彼の配下の一人を買収した。カストールの行動は逐一報告され、フリードのところへ祝いの品を持ってくることも筒抜けになっていた。買収された配下は、他の王族の命令で、新王配下の者が持ってきたすでに呪いのかかった毒包丁と購入した包丁をすり替えたという。毒だと予想はついていたようだが、約束された地位のため、カストールを裏切っていたと。

 「そんな……。父様たちの味方はカストール、叔父様だけだったということですか?」

 「ああ、そうだ。だが、それは大方予想通りだった。すり替えた者はカストールの手で処刑したと言っていた。そしてその配下から兄が聞き出した情報で、私は復讐を実行に移すことにした。」

カストール以外の王族はフリードの魔力を利用しようとしていた。一度平民に落ちたのをいいことに、従者として王宮に縛り付けておこうとしていたのだ。そして、そのためにはエリーゼが邪魔だった。そこで計画は、二人を国家反逆の罪で捕らえ、エリーゼのみを処刑し、フリードを王家の奴隷にするものとして水面下で進められていたらしい。

 「どうしてそこまでして魔力を欲しがったのですか?」

話を聞いているうちに、エルミナはすっかり泣き止んでいた。そして今は、拳に力が入り、それが床に座った膝の上に押しつけられている。それはそうだろう。エルミナは怒って当然だ。グリルは心配そうにエルミナを見ていた。きっと俺も同じような顔をしていたのだろう。グリルがこちらを向いて肩をすくめる。しかし、この状況ではどうすることもできないので俺は首を横に振った。

 「さあな。国の面子というのがだいたいの理由だろう。何にしても、その計画は実行に移された。きっかけは私達が国を出ようとしたことだ。元王家の私がエリーゼに唆されて他国に機密を漏らそうとしているとして、私達を公開しようとしていた。」

 「しようと?実際は公開されなかったということですか?」

 「そうだ。先に王族の手で全てを整えてから公開し、間を置いて解決したことにしようとしていた。その時には、エリーゼは処刑され、元王族の私は、新王である兄の慈悲で、王家付きの奴隷に身分を落とすにとどめられたという、聞くに耐えない慈悲深い王の演出までしようとしていた。だからそうなる前に、私とエリーゼの尊厳が損なわれる前に、全てを滅ぼすことにしたのだ。」


 *


 それは、蹂躙の始まり。

 王宮の入り口に到着したフリードは、目の前の門番二人を風魔法の刃で切り殺し、押し入った。王宮の中には、突然の襲撃の割には武装した兵士が多数待機していた。それもそのはず。カストールとの密会の際、カストールに尾行はついていなかった。しかし、王宮を出て平民に下ってからずっとフリードは監視されていたのだ。フリードもその可能性には思い当っていたが、そんな者の気配は感じ取れなかったし、魔力に反応する結界にも反応はなかった。しかし、フリードにつけられていたのは小さな蜘蛛が一匹。彼らは魔力をほとんどもたない故に、警戒もされない。そんな蜘蛛の視界を奪う魔法を遠隔から施し、昼夜問わずフリードの動向は監視されていたのだ。つまり、フリードの行動はカストールがいなくとも、すべて新王である長兄には筒抜けだったのだ。

 そして、今、王宮へ進入したフリードの前に騎士団の団長が立ちはだかった。

 「ベリアル興。何をしに来られたのです。ここはもうあなたが気軽に入れる場所ではないはず。」

 しかし、フリードはその言葉に反応することはない。それで変わるのは殺す順番だけ。最初に声を出した名前も知らない騎士団長の首を先ほどと同じ要領で落とす。それだけで盾を構えて控えていた百名の騎士団員は恐慌状態に陥った。

 「うわぁぁぁああ。」

 「嘘だ!騎士団長様が一瞬で。」

 「助けて。神様…。」

こうなって初めて、彼らは悟った。自分たちはこの男の気まぐれで生かされていただけなのだと。貴族出身の彼らは、他の王族とともに今回の、いや、それより前、フリードがまだ王族だったころより策謀にかかわっていた。甘く見ていたのだ。フリードが何をされても自分たちには手を出してこないと。所詮は貴族や王族の権威の前には何もできない小物だと。

 フリードは、待ち構えていた騎士団をまとめて火魔法で焼き殺し、王宮の奥へと進んでいく。少し進むたびに騎士団が出てくるのを鬱陶しく感じ、なんでもないように最上階以外のすべての部屋に一瞬で火を放つ。狂乱のさなか、フリードはゆっくりと最上階へ進んでいく。自らの魔法で放たれた炎は、フリードを避けるように踏み出す先だけ火が消える。そして通り過ぎた後は瞬く間に炎に飲まれていくのである。

 最上階の玉座の間には王族がすべてそろっていた。仇であり新王の第一王子も、兄であり唯一の友カストールも。そして、誰よりも先にカストールがフリードの前に立ち、両手を広げて王家をかばう。

 「フリード。もうやめるんだ。確かにこいつ等のしたことは許せないだろう。だが、そのためにお前が罪を犯す必要はないんだ。」

 「カストール。止めないでくれ。それに、罪を問うならそ奴らが先だろう。これは、裁きだ。これが罪になるかはすべてが終わった後で考えることにしよう。だからそこをどけ。お前まで殺したくはない。」

 フリードはカストールを軽く押しのけて王の前に立つ。

 「貴様らに一つ聞く。あの包丁に呪いをかけたのは誰だ。」

 「なんの話だ。包丁?フリードよ。お前は何を言っておる。」

白々しくそういう王。

 「カストールが、エリーゼに送った包丁だ。」

 「なんと。そんなことがあったのか。なぜ余が可愛い弟の嫁御を害さねばならぬというのだ。」

 「そうか。では死ね。」

この期に及んでも無関係のふりをする王に、フリードはそう告げ手に魔力を込める。それを見た王は自分が回答を間違えたことに気づく。自らの保身にだけは気の回る王族らしく、生まれ持ったその能力を正しく使用して慌ててフリードに告げる。

 「思い出した。思い出したぞ。フリードよ。余の配下の一人が勝手にやったのだ。聞いたのがこの騒動が起きる直前だった故忘れておったのだ。今日のところは引いてくれぬか。そのものは必ずお前の前に差し出そう。」

正解を引き当てた。王はそう確信し、内心で安堵する。

 「そのものの名は?」

そう問いかけるフリードに適当な配下の名前を告げ、ほくそ笑む。これで自分の命は守られたと。しかし、その考えは甘すぎた。フリードにとっては誰も生かしておく必要はなかったのだ。

 「そうか。これで用は済んだ。もう死ね。」

 「ちょ、待って…。」

ドサッという音が鳴り、玉座の間に静寂が広がる。そして一瞬の間をおいて、王妃の悲鳴が響き渡る。そこからは、一方的な殺戮。声を上げたものから順にその命を刈り取っていく。そして最後に残ったのはカストールとその妻、そしてフリードの三人だけ。

 「お前たちは殺さない。私の復讐をそこで見届けるがいい。」

そう言い残し、フリードは王座の間をあとにする。王宮にもう声は響かない。火災による一酸化炭素中毒でほとんどのものは死亡し、幸運にも生き残った者は這いずりフリードにすがるのみ。そうした者たちを一人残らず刈り取っていく。それはもはや作業でしかなく、アトロ王家、貴族は根絶やしにされた。

 そして、いつの間にか王宮にはなった炎は街にまで広がり、アトリアはかつてないほどの大火災に見舞われた。

 フリードは王宮を出て街に広がる火を見渡す。図書館が焼けているのを確認し、そこだけ一時的に魔法で火を消す。そして結界で囲い空間ごと異界にコピーし結界を解除する。そして何事もなかったかのようにその場を立ち去る。その姿を見ているものなどなく、誰もが自身の命を守ることで精いっぱいな中、一人街の外へと消えていったのだった。


 *


 「私は貴族と王族を皆殺しにした。エリーゼはもう解呪されているはずだった。だが、エリーゼの呪いは何も変化することなく残っていたのだ。」

千年近く昔の街の崩壊。その話を聞いて俺は声の出せない結界の中でどうすることもできないでいた。だから今は、エルミナとフリードのやり取りをただ聞くことしかできない。

 「ウソ……。じゃあ、母様の呪いと毒は、私が街に出るまで治らなかったというのですか?」

 「そうだ。逃げていたのだ。私が王宮に攻め入るよりも前に。この広い大陸中を探すなど現実的ではなかった。それよりも先にエリーゼの治療環境をなんとかしなけ ればならなかった。」

 「なんとかって?」

 「時間停止の闇魔法だ。しかし、それを私一人で行なうには魔力が足りなかった。」

 「魔力を使いすぎたから?」

 「いや、違う。奴らとの戦闘や、空間のコピーなどは問題ではない。たとえ魔力が完全に回復していたとしても、不可能なのだ。」

 「でも、父様はここの時間を止めるのに成功したのでしょう?いったいどうやって?」

 エルミナがそう呟くと、フリードはひどく冷たい目のまま、口元だけ笑みを浮かべた。

 「エルミナよ。空間魔力は知っておるだろう?」

 「はい。最近、知りました。」

 「なんだと、魔法の基本だろう。まぁさもありなん。私がそれをこの国から根こそぎ奪っているのだからな。」

 「どういうことですか?」

 「お前は空間魔力が、どこから来ているか知っておるか?」

 まさか、と思った。あの日、アルフレッドと見た。空間感魔紙。あのじいさんが言うには月の光と空間魔力には関係があるとのことだった。空間魔力を奪ったと言うことは、フリードはこの国から月を奪ったと言うことなのだろうか。

 エルミナは気づいているだろうか。あの時もエルミナはいつものように本に夢中といった様子だった。しかし、俺のそんな心配は杞憂に終わる。エルミナはグリルと俺を交互に見て目を見開いている。音のしない結界の中でグリルが何やら騒いでいる。こんな状況なのに無謀なやつだ。ちょっと面白い。俺はエルミナに頷き返し、この先を見守る事にした。

 「月?」

 「知っておったか。そうだ。空間に満ちる魔力は月の光によって地上に満たされる。それを日中、人間が使い、土や草木の養分となる。私が必要としたのはその規模の魔力だ。」

 「でも、どうやって?」

 エルミナがそう問うと、フリードはまたもニヤリと笑い、立ち上がって俺たちの結界を解く。

 「いいだろう。ついて来い。」

 フリードは部屋の端まで歩き、設置された水晶球に触れる。すると半透明の板がいくつも壁から出てきて階段を作り出す。天井にもごく自然に穴が空いた。

そのままフリードに連れられ階段を上り切ると、望楼になっていて、その真ん中には巨大な水晶球が設置されていた。俺とグリルが両手を広げても抱えきれないほど大きなそれは、虹色に鈍く発光していた。

 「これは?」

 なんとなく呟いたことで俺は声が出るようになっていることに気づいた。そして、その声に応えたのはエルミナだった。

 「魔力が、集まってる。」

 「それじゃあこれって……。」

 「フッ。気づいたか。そうだ。これでこの国の空間魔力を全て集めているのだ。」

 その言葉に、俺はフリードの方を向く。辛い人生を送ってきたこの男の語り口は、全てが自分勝手で今を生きるアトリアの人たちのことなど全く考えていなかった。俺はそのことに憤りを感じながらも、それを咎めることができないでいた。

 「ジューク!エルミナ!あれ見て!」

 突然、グリルが天を指差して叫んだ。望楼から見える空はいつもよりずっと近い。手が届きそうだった。星達が瞬き、辺境でありながらも有名な夜空は何もかもを引き込んでしまいそうだった。しかし、そこには見たこともないものが浮かんでいる。遥か下にある街からは見ることのできないもの。月だ。初めて見るそれは、想像していたよりもずっと美しく、銀色の輝きはエルミナの髪を思わせた。隣でエルミナも言葉を失っている。

 「月だ。」

 俺が呆然として呟くと、エルミナがその言葉に我に返った。

 「父様、どうしてこの街の空に月が出ているのですか?」

そう問われると、フリードは目の前の水晶球に手をかざして言う。

 「これが私の復讐だ。貴様らアトロから全てを奪う。月の恵みである空間魔力がなければ、草木は枯れ、地は衰え、そこに住む人々の魔力は減っていく。だから私は大魔法で月を隠したのだ。」

 月を、隠す?どういうことだ。アトロ王国ではどこにいても月を見ることはできない。それはアトリアの街の中に限られたことではなく、南の荒野でも、西の森でも、漁師たちが船で出る東の海の上でもだ。アトロは街こそ小さいが、国土で見ればそれなりに広い。そのほとんどが使い物にならないが。そんな広さのどこからも見えないように空に浮かぶものを隠すなんてできるのか?俺がそう疑問に思っていると、それをそのままグリルが代弁してくれた。

 「そんなの、どうやってやったの?」

すると、フリードは一瞬ムッとしたが、グリルの質問に答えてくれた。こうやってすんなり答えてくれるところを見ると、この人、意外といい人なんじゃないだろうかと思ってしまう。

 「結界魔法の応用だ。この国を包むようにもう一つ空を作ったと思えばいい。とはいえ、アトロの国土は広い。この装置を作り、数年かけて、時間停止の魔法を維持させながら大魔法の範囲を拡大していったのだ。それ以降、時間停止の魔法も、結界も、集めた魔力で自給自足している。」

 「そんな……。あなたの復讐は、過去の王族や貴族を皆殺しにして、街を焼いたことで終わっているはずでしょう?」

 「父様。私は、父様がどうしてここまでアトロへの復讐にこだわるのかが知りたいのです。確かに、昔の王族や貴族たちが母様にしたことは許せない。街の人たちも見て見ぬふりをしていたのだから父様が怒る気持ちもわかります。でも、この街から魔力を奪い続ける必要はないでしょう?だって、この装置だけで時間停止の魔法は維持できていたのですから。」

 俺の言葉に続いてエルミナがフリードに問いかける。エルミナの言う通り、エリーゼの解呪の研究だけなら、空間魔力をすべて奪う必要はないはずだ。なのにどうして。そんなことをする意味はあまりないように思う。

 「エリーゼの解呪に必要だったからだ。解呪方法を調べる中で、この呪いが一人の手によるものではない事がわかった。複数人の力でかけられたこの呪いは、術者たちを全員殺しても解呪されなかっただろう。実際、人の寿命を超えてもエリーゼの呪いは消えなかった。こうなってしまってはもうできることは限られる。死なないように体中の魔力を一気に入れ替えるか、一度死んで蘇生の魔法で蘇るかだ。どちらも尋常じゃない魔力制御能力を要求される。後者に至っては、成功した事例は存在しないし、発動方法も不明だ。そのため、私は前者を前提にエリーゼの魔力と同質同量の魔力を生成するために実験を繰り返した。だが、魔力の質を合わせるのは困難を極めた。まったく同じでないとその後の体にどのような影響が出るかわからない。何度失敗しても大丈夫なよう、魔力の貯蔵は必須だったのだ。」

どこか物悲し気にフリードがそう言い終えると、さして間を置かずそれに、と話は続いた。

 「復讐だと言っただろう。おい、貴様、ジュークと言ったな。過去の王族と貴族を殺し、街を焼いただけで復讐が終わる?そんなわけがないだろう。やつらは私から母との過去と、エリーゼとの未来をすべて奪ったのだ。だから私はアトロの未来をすべて奪うことにした。これが目的のもう半分だ。」

そういうと、フリードは満足そうに笑って饒舌に話をつづけた。

 「私としては感謝してほしいくらいなのだ。貴様らが一世代では気付かぬようにゆっくりと締め上げ、苦しまぬようにしてやったのだからな。だがそれももうすぐ終わりだ。あと三十八年で水晶球に魔力が溜まりきる。そうなれば、私の眼下で愉快に踊ってくれた褒美に、街ごと消してやる。どうせその時に死ぬのだ。貴様らなどここで殺す価値もない。」

 俺は言葉が出なかった。アトロを、アトリアの人たちを苦しめるために千年近くこんなことをしていたというのか。それも最後には街ごと消し去るなんて、理不尽にもほどがある。許せない。俺は、自分の拳がきつく握られていることに気づいたが、感情を言葉にすることができず、ただ怒りで震えていたのだ。そんなとき、グリルが声を上げる。彼はフリードに歩み寄り、睨みつけるように彼を見つめている。

 「なんだ、貴様。」

 「あなたは、間違ってる。」

 「なんだと?」

フリードはグリルに向かって手のひらをかざした。みるみるうちに魔力が溜まっていった。だが、それは打ち出されることはなかった。

 「待って。」

 エルミナが片方の手でフリードの腕をつかんで、もう片方で彼に向って手をかざしている。

 「ほう、娘のお前が私に逆らうとはな。私に攻撃するつもりか?死ぬぞ?」

 自分の娘でも平気で手にかけそうな雰囲気でフリードは告げたが、エルミナは動じることなくフリードをにらみつけている。すると、フリードはため息を一つついてグリルにかざした手を下げた。

 「おい、貴様。私の何が間違っているというのだ?聞くだけ聞いてやる。」

 「あなたは、それだけの力を持っていながら、なんでそれを誰かのために使わなかったの?もっと多くの人のために使っていれば、街には助けてくれる人もいたかもしれない。それに、あなたの話では、街の人に助けを求めたりしていない。最初から、他の貴族と同じように平民を見下し、自分の力だけで何とかしようとした。それでうまくいかなかったら全部誰かのせいなんて、そんなの虫が良すぎるでしょう!」

 「フン、貴族や王族が腐っていたのは事実だ。」

 「カストールさんは違ったでしょう?彼をもっと頼って、街の人とも協力すれば何か変わったかもしれない。」

 「無駄だな。あ奴らの魔力量では私の助手にもなれん。それにアトロで育ったものはいずれ自らの欲望に負け、私たちを裏切るだろう。そんな者なら最初からいない方がいい」

 「違う!そうじゃないんだ。僕の父さんは言ってた。力あるものはそれを弱い者のために使わなければならないって。でもそれだけじゃないと思うんだ。あなたは確かに魔法がすごいけど、一人でなんでもできるわけじゃない。だからみんなに手伝ってもらって、みんなでエリーゼさんを救えばよかったんだ。」

 意外だった。グリルがこんなにも頼もしく見えたのは初めてかもしれない。でも言っていることは正しすぎるほどに正しかった。そしてその言葉にエルミナがさらに追い打ちをかける。

 「父様のお話を聞いて、母様が助けてほしいと言った人がわかりました。」

 「エリーゼが助けてほしと言った、だと?なんの話だ。お前はエリーゼと会話したことなどないだろう。」

 「ええ、ありません。でも、私は、私たちは会ったのです。この本のおかげで、母様に。そこで母様は言っていました。“あの人”を助けて、と。そしてそれはあなたです。父様。」

エルミナが話し終えると、フリードはエルミナを見て訝し気な顔をしていた。俺にはフリードがひどく動揺しているように見えた。

 「どういうことだ?」

そうフリードがポツリと言うと、エルミナはフリードから手を放し、足元に置かれた本を手に取って最後のページの魔法陣に魔力を流した。

 またも、周囲は白い霧に包まれ、先ほどの幻が、まったく同じように再生された。

 研究室で見た映像を、フリードを交えて再度見終えた後、エルミナはフリードにもう一度告げた。

 「母様が助けてほしいと言ったのは父様です。父様は復讐に憑りつかれてしまっている。そんなの、私だって見たくない。母様が見たいはずありません。」

 「エリーゼ……。君は。」

フリードが、今までに見たこともないような、自然で優しい顔になっていた。これが本来のフリードなのだろうか。しかし、すぐにさっきまでの冷たい顔に戻り、エルミナに手を伸ばした。

 「エルミナ。その本を貸せ。」

 そういうと、エルミナは少しの逡巡の後、フリードにその本を差し出した。受け取ったフリードは、最後のページの魔法陣を見つめ、指でなぞる。少しハッとして、エルミナを見る。そして奥歯をぐっとかみしめて今度は魔法陣に魔力を流し込んだ。するとその瞬間、一瞬にして白い霧に包まれた。

 「きゃっ。」

 「うわぁ。」

 「わっ!」

俺たちは三人そろって同じように驚いて、目を閉じた。そして気づいたときには、さっき見終わったはずの幻と同じような真っ白い空間に立っていた。

 「さっきと一緒?」

 エルミナがつぶやくとフリードによってそれは否定される。

 「違う。エルミナと、私の魔力がどちらも注がれて初めて作動する魔法が仕込まれていた。私たち二人に見せたいものがあるのだろう。よそ者に聞かせるのは癪だがまあ良い。」

そして目の前には、またエリーゼが立っていた。さっき見た幻よりもさらに鮮明で、同じ空間に彼女もいると錯覚しそうなほどだった。そして彼女はエルミナに似て透き通った声でフリードに語り掛けた。

 「フリード様。エルミナとは会えたのですね。エルミナ。よく頑張りましたね。信じていましたよ。」

エリーゼはこの映像を二人が見ている前提で話しているだけのようで、会話が成り立つようなものではなさそうだった。一方的に話を進めて聞く。

 「フリード様。あなたが変わってしまったのはいつからでしょうか。この塔に入り、私の呪いが解けないと分かった時には、もう変わってしまっていたように思います。」

 俺たちは、フリードも含めて全員エリーゼの言葉に聞き入っていた。エリーゼが言葉を切るたびに、真っ白な空間に呼吸音だけが聞こえる。

 「この塔に入って九五〇年、私はあなたの制止を無視してたびたび街に出ていました。そのたびに、この塔へ通じるヒントを街に残してきました。ですが、これが最後です。この後、エルミナをアトリアに逃がします。あなたを救ってくれるのはもう、あの子しかいない。そして、あの子なら、私の残したものをたどり、あなたを救ってくれると確信しています。私はただのきっかけでしょう。」

 これは十二年前に作られたのか。部外者の俺とグリルはそれをただ黙って眺めている。そして、エルミナが力強い眼差しでエリーゼを見つめているのに対し、フリードは驚き、今にも泣きだしそうな顔になっている。だがしかし、彼女が二人に視線を移すことはない。

 「あなたは、本当は優しい人です。思い出してください。あなたと、私と、エルミナの三人で暮らした短い日々を。」

「エリーゼ……。私は。そなたがいなければ意味がないのだ。」

フリードのつぶやきにもやはりエリーゼは答えない。

 「そして、エルミナ。今まで、あなたを一人にしてごめんなさい。寂しい思いをさせましたね。これから先、あなたとフリード様が穏やかに暮らしていけることを私は祈っています。」

そう言うと、エリーゼの幻はス―ッと消えていった。

 霧が晴れ、元の玉座の風景が戻ると、フリードは呆然と立ち尽くし、何度も小さく待ってくれ、置いて行かないでくれとつぶやいている。その様子は、さっきまで彼の言い草に怒り心頭だった俺やグリルまでもが痛ましく感じるほどだった。この男にとってエリーゼの存在がどれだけ大きかったのかがよく分かった。エルミナもそれを感じ取ったようで、涙をこらえているのがよく分かる。初めてあった時は何事にも興味を示さない割にはわがままな変わったやつだと思ったが、こんなに芯の強い人だとは思わなかった。そして、そのエルミナがフリードにゆっくりと歩み寄る。

 「父様。母様は復讐なんて望んでいません。ただ、戻ってほしかったのです。街で穏やかに暮らしていた時の父様に。母様はきっと父様の気持ちも全部理解していると思います。わたしなんかよりもずっと。でも、でも。」

 そこでエルミナは言葉に詰まった。我慢が限界に達したのかもしれない。力強い目でフリードを見つめ、声を震わせながら、その続きを語る。

 「でも、わたしは、ただ会いたかった。父様と、母様に。昔、アトリアで穏やかに暮らしていたというのなら、そんな暮らしをしてみたかった。なのに。やっと会えたと思ったら、母様は死んでいて、父様はその復讐だなんて……。」

 先ほどまでの丁寧な言葉遣いは失われ、いつも通りの言葉遣いに戻っている。涙は頬を伝い、落ちていくままになっている。

 「父様!」

一呼吸おいて、エルミナがフリードに呼びかける。フリードはびくりと肩を震わせ、顔を上げる。そして、驚きに目を見開いたままエルミナを見つめている。

 「なんだ?」

 「復讐なんてもう、やめて。アトリアじゃなくてもいいから。下に降りて二人で暮らしましょう。」

その言葉に、フリードの瞳からもついに涙がこぼれた。しかし、その返答はその涙に反するものだった。

 「無理だ。それはできない。」

 「どうして……。何故ですか!?父様!」

 「私がやつらを許せないから、というのもある。だがそれだけではないのだ。私はもう、この場所の魔力なしでは生きられないのだ。」

 「どういうこと…ですか?」

 「簡単なことだ。寿命だ。」

どういうことだ。フリードはここにいる限り不老のはずだ。同じように思ったのか、エルミナも首を傾げている。

 「自我を持った精神には寿命がある。たとえ肉体が衰えずとも、精神は違う。その精神の持つもっとも強い感情と記憶だけを残し、不必要なものはそぎ落とされていく。そして次第に残ったものも薄れていくのだ。私はそれを何とかここに魔力で縛り付けているに過ぎない。街に降りれば、すぐに眠りにつき、そのまま起きることはないだろう。」

 「じゃあ、父様が生きていくためには、この塔の中に居続けないといけないのですか?」

 「そういうことだ。悪いな。お前と暮らすことはもうできない。お前たちはもう帰れ。」

何だその言い草は。エルミナとエリーゼの気持ちはどうなるんだ。彼女たちが願い続けた思いは、フリードの復讐と同じだけの重みがあるはずだ。それなのにこの男はそれが当たり前とでもいうように、そっけなく告げる。俺はもう、黙っていられなかった。

 「どこまで自分勝手なんだ!あなたは、一番強い感情と記憶だけが残ると言った。あなたが復讐に憑りつかれている間も、エリーゼさんは、あなたとの穏やかな生活を思い続けていたということでしょう?その思いまで踏みにじるつもりですか!」

 フリードは俺を見て、諦めたようにため息をつく。そして、今までよりもずっと優し気な口調で、話始める。

 「ジュークだったな。エリーゼの思いはわかっておる。私はずっと彼女を苦しめていたのだな。だが、私にはやらなければならないことがある。」

 「やらなければならないこと?」

俺はフリードの言葉に戸惑った。俺は何か勘違いをしているのだろうか。そう思っていると、フリードは少し笑って話を続けた。

 「奪ったものは、返さねばならぬだろう?」

フリードはそう言って虹色の水晶球に手をかざす。

 「エルミナよ。大きくなったな。大きくなったお前に会えてうれしかったぞ。ジューク、グリルよ。礼を言う。よくエルミナを連れて来てくれた。私が奪ったものはすべて、アトロに返そう。」

 「父様!だめ!そんなことをしたら父様が。」

エルミナの制止を無視してフリードは笑いかけその手から魔力を流していく。すると、水晶球は虹色の淡い光を放ち、俺たちのいる塔と、アトロの空を包んでいく。そしてすべてが包まれた瞬間、それは泡のようにはじけ、塔は幻想的な光の中で崩れていった。そして俺たちは光の中に包まれていったのである

 包まれた光の中、俺たちは先ほどの幻と似たような空間にいた。しかしそこにエリーゼの姿はなく、フリードとエルミナ、俺とグリルの四人だけがいる。幻の中でフリードは俺たちに向かって語り掛けてきた。

 「エルミナ、ジューク、グリル。この光が消えれば、残るのは私とエリーゼの死体だけだ。許されるなら、頼みたいことがある。」

 「何?」

エルミナが答える。

 「私たちを一緒に埋葬してほしい。どこでもいい。なるべく遠い。静かな場所で。」

 「わかった。いつになるかわからないけど、任せてくれ。」

その頼みに答えたのは俺だった。この男には何度も腹を立てたが、理解もできた。そして今、きっと元の人格を取り戻したのだろう。穏やかな表情で、俺たちに向き合っている。せめてそれくらいはと思ったのだ。

 「そうか。安心した。ありがとう。それとエルミナ。お前の魔力は私に似て多い。利用しようとするものもおるやもしれぬ。そうなった時、その力の使い方を間違わぬよう、良き師を得て正しく学べ。」

そう言うとフリードはエルミナの頭をポンポンとなでて光の中へ消えていった。

 次に気が付いた時には俺たちは兵士に囲まれていた。目の前には炎の壁が広がり、その奥で兵士たちが塔に入る前と全く同じ体制でうろたえている。しかし、背後にあるのは塔ではない。そこにあるのは、息を引き取ったフリードとエリーゼの遺体。エルミナが炎の壁を消し、抜剣した兵士たちに三人そろって取り囲まれた。そして、俺たちの正面に立つ兵士が、驚いた様子で叫ぶ。

 「王家の塔に何をした!」

周りの兵士も王家の塔が一瞬にして消えたとうろたえている。俺たちは三人が三人とも真剣な表情をしていたと思う。正面の兵士にもう一度同じように問われた時、エルミナに袖口を引かれた。三人で視線を交わし、俺が一歩前に出て答える。

 「すべて、お話します。王様に会わせてください。」

 そうして、俺たちは罪人が捕まった時のそれと同じように後ろで手を縛られ、王宮へと連行された。

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