第7章 無価値な王子

 私は、眠りから目を覚ます。しかし目は開けず、玉座に深く腰かけ、眠りについた時と同じ姿勢のままでゆっくりと体に魔力を流す。急に動くと、体がもたない。今や食事も必要としなくなり、魔力だけで生き永らえている体。無理に動かそうとすると魔力が暴走し、体の制御が効かなくなるのだ。そのため、ゆっくりと少量ずつ体に魔力を巡らせることで体温を上げ、内臓から順に起こしていくのである。体の覚醒が完了しても、まだ私は動かない。体の覚醒により、私の脳も徐々に活動を再開し、それと同時に、眠っていた時間を確認する。ここまでを、魔力で保持した精神力でほとんど自動で行う。

 ――十二年。

 早すぎる。本来なら、まだ起きるような時間ではない。それが意味するところは、感知の闇魔法の反応による緊急の覚醒。侵入者か。意識が定着するのを待って、感知魔法の反応を詳しく確かめる。この場所に足を踏み入れることができるものなどほとんどいない。そんなことができるのは、今はもう私以外には一人しかいない。今ではただ一人となってしまった肉親。私の娘。エルミナである。眠りにつく少し前に妻の手により塔の下までおろされ、その後行方が分からなくなっていた。どういうわけかこの塔にたどり着き、扉を開け、今も階段を上っているのが分かる。反応があったのは三人。彼女のほかにもあと二人いるらしい。

 訣別の日から今日まで、この塔で暮らしてきた私は、現在の街の様子を知らないし、知りたくもない。知っているのは、なぜかこの塔に入った数年後から、国の兵士どもがこの塔の周囲を見張っているということだけ。しかし、私からしてみれば、何の意味もない。ここから出ようと思えば、最上階に設置した転移魔方陣を使用してどこへでも転移できる。そもそも私から母親を奪い、妻を奪い、人としての尊厳まで奪った国のことなど、復讐の対象としか見ていない。計画通りに事が運んでいるのであれば、それだけで何の問題もないのである。現状、計画に狂いはない。順調に計画は達成へと向かっている。長きにわたった目的の成就を見届けられれば、私自身はどうなっても構わない。自分が半ば人外の存在へとなりつつあることを自覚しながら、それでも成し遂げると決意した理由へと思いを巡らせる。あの過去を忘れてはいけない。許してはいけない。激しい喪失感と怒りだけが、次々に零れ落ちていく私の記憶領域にこびりついている。

 しばらく、目を閉じたままでいると、声が聞こえ始めた。この塔に侵入した三人の声。この声は、子供か。エルミナは十二歳になっているはずだ。連れてきたのも子供でもおかしくはない。声が近くなる。そして、ゆっくり目を開けると、娘はいた。

 ――ああ、大きくなったな。でも、もうエリーゼはいない。いないのだ。

 大きくなった娘を見ると、時間の流れを感じる。短いとは言え、十二年間も眠っていたのだから当然だろう。私には、この子が赤ん坊だったころの記憶しかない。見覚えのある銀髪は、私の知るものよりもずっと長い。ああ、エリーゼが髪を伸ばしたらこんな感じだろう。どこかで見たことのある碧眼は、街で暮らしていた時、毎朝見た自分の目と同じだ。

 娘と再会できたことは喜ぶべきことだろう。しかし、この胸に広がるのは寂寞の念ばかり。それと同時に、私はあの決意をもう一度確かめるのである。

 三人の子供は、階段を上り切ると、中央の玉座に座る私に気づいた。そして、恐る恐るといった様子でこちらに歩いてくる。きょろきょろと周りを見回しながら、こちらに近づき、玉座を置いた壇の前で、三人並んで立ち止まった。そして、エルミナが他の子供より一歩前に出て言う。

 「父様ですか?」

声が震えている。しかし、その目は力強く、私をまっすぐに見据えている。

 私がしばらく黙っていると、もう一度声がかかる。

 「あなたが、私の父様なのですか?」

 「エルミナか。生きていたとは思わなかった。」

私が答えると、エルミナの顔はより一層緊張が濃くなり、そして瞳がどんどん潤んでいく。

 「やっぱり、あなたが父様なのですね。なら、母様もいらっしゃるのですか?会うことはできますか?」

私は、答えない。その代わりに、立ち上がって玉座の後ろにある祭壇に魔法で明かりを灯した。この子には、見る権利がある。

 エルミナだけでなく、他の子供も一緒になって目を見開いている。そして少しの逡巡の後、そのどちらかが声を上げた。

 「これは……、本の…。」

本?なんの話だ。まあいい。話を進めよう。

 「お前の母親だ。十二年前に死んだ。」

 「私が生まれてすぐ……。」

 いや、違う。

 この子は何も知らない。赤子のまま、エリーゼが塔の下に置いてきたこの子は、私のことも、この塔の意味も何も知らない。

 私が黙って子供たちを見ていると、一人が呟いた。

 「綺麗すぎる。」

その言葉にもう一人が反応する。

 「どういうこと?」

 「だって、十二年だぞ?おかしくないか?こんなところにただ寝かせているだけなのに、どこも朽ちていないなんて。」

 「確かに。」

 「ここは、一体……。」

三人がそろってこちらを見る。

 私は、子供たちの視線による問いかけには答えず、質問を返す。

 「エルミナ、今までどこでどう暮らしていた。」

 「アトリアの人に拾われて、その人の家で暮らしていました。」

エルミナはなぜそんなことを聞くのかとでも言いたげな表情で答えた。しかし、よりにもよってあの腐った街で生きてきたとは。

 「そうか。ならばそこの二人はアトロの民か。」

私がそう言うと、赤茶色の髪の子供がうるさく答えて来る。

 「はい!僕、グリル。隣にいるのはジュークっていうんだ。」

口の利き方を知らん奴だ。何やら名乗っているが、アトロの民なのであればもうどうでもいい。無視してエルミナに告げる。

 「エルミナ。お前はここに残れ。他は去れ。」

当然だ。街に残っていても、この先いいことなど何もない。エルミナにとっては、母を殺した街。その破滅をここで見届ける方がいい。そのあとで、どこへでも好きなところへ行けばいい。

 「え?どういうことですか?」

 「わからぬか。アトロのような腐った王家の収める街で暮らす必要などないと言っているのだ。お前は感じたことはないか?アトリアの住民が見せる冷たい視線を。アトロ王家が善人面をしながら他者を貶める様を。」

 「……。」

エルミナは黙る。心当たりがあるのだろう。ないはずがない。あの街はそういうところだ。

 「それは……。」

私は、それに続く言葉を待つ。答えのわかりきった質問に何を言いよどむことがあるのか。そう思ったがそれでも待っていた。エルミナがキッとこちらを見る。そして何かを決意したように声を出そうとする。

 「違う!」

聞こえてきた声はエルミナのものではなかった。金髪のぼさぼさ頭の子供。その子供はエルミナの言葉を遮り、エルミナに向かって諭すように言葉をつづけた。

 「それは違うよ。エルミナが感じていた街の人の視線はたぶんフリードさんの言うような冷たい物じゃない。」

 「なんでわかるのよ。」

エルミナが驚いた様子でその子供に言う。

 「それは……。とにかく分かるんだ。この三か月間一緒に街を歩いたから。俺を信じて。」

 「何よそれ。まあいいわ。私は別にここに住もうとは思っていないもの。」

 「何?」

エルミナがおかしなことを言い出した。ここではなく街での暮らしを選ぶというのか。まあ今はいい。自分の母親になにがあったのかを知れば考えを改めるだろう。それを話してやるとしよう。だがその前に。

 「ならばエルミナ、お前は何しにここに入った。」

 「私は、すべてを知りに来た。この街に何があったのか。私はいったい何者なのか。母様が誰を救ってほしかったのか。」

 だから父様とお話がしたいです、と。その後、子供だけで少し話したかと思うと、隣にいた金髪が前に出た。その子供はエルミナの横に立ち、赤茶髪から受け取った本のページを捲りながらこちらにそれを差し出す。表情はこわばっていて怯えているのが分かる。しかし、私が自らの手でこの者どもに何かすることはない。切り取られた時間の一部でしかないものなど、興味すらわかない。だが、この者どもはエルミナとともにここまで来た。エルミナも友と認めているようだから、話くらいは聞いてやろう。私がエルミナに話そうとしていることと関係もあるやもしれぬ。

 「この本がどうした。」

私が金髪に問いかけると、声を震わせながら答える。

 「お、俺たちは街の図書館でこの本を見つけたんです。ここに書いてある街と、今のアトリアが違い過ぎると思っていろいろ調べた。でも、何もわからなかった。だから、王族が隠すこの塔に来れば何かが分かると思ってここに来たんです。」

 「さもありなん。私がそうなるように仕向けたのだ。だがしかし、王族が隠す、だと?」

何でもないことだ。それが私の復讐の一環なのだから。知られたところで、この子供らに何ができるでもないのだから、その通り答えると、三人は驚愕に目を見開いている。

 「……どういうことなの?なんで父様が、そんなこと……。」

何とか言葉を絞り出した様子のエルミナ。それに続いて金髪が問いかけてくる。

 「あなたが、アトリアを衰退させたというのですか?」

 「だったらなんだというのだ。」

 「どうして、そんなことを……。」

 「お前には関係ない。だが、ここにはエルミナもいる。特別に話してやるとしよう。しかし、その前に私の質問に答えよ。王族がこの塔を隠しているというのはどういうことだ。」

三人は顔を青ざめさせている。このままではいつまでも答えが返ってきそうにないので、魔力を迸らせて威圧する。

 「この塔には、掟で近づけないんだよ。普段は誰もここに用事なんてないから。気にしていないけど。」

そう答えるのは赤茶髪だった。だから、この王家の塔に街の人は誰も近づけないんだ、と。

 「待て。王家の塔ではない。この塔は私と、エリーゼのものだ。それに掟とはなんだ。」

私がこの塔に入ったころのアトロには掟などなかったはずだ。

罪を取り締まる法はあった。しかし、それが掟と呼ばれていることは聞いたことがない。

 「この街に伝わる四つの掟だよ。知らない?ええっと確か……。」

そう言って赤茶髪が指を一本一本立てていきながらその四つを挙げていく。

 《夜に街の外に出てはいけない》

 《この街のことを書き残してはいけない》

 《王家の塔に近づいてはいけない》

 《魔法技術の開発をしてはいけない》

なるほど、そういうことだったか。私の計画は始めた当初一度だけ狂いが生じたことがある。空間魔力の減少が思ったよりも緩やかだったのだ。それをもとに再度計画を練り直したのが、今も進行中の計画である。

 「知らぬな。だが、そんな掟を作った者には心当たりがある。だがそれはどうでもいい。確か、ここにあるアトリアと、今のアトリアが違うといったな。アトリアは今、いかほど弱ったのだ?」

それは本来、聞かなくてもよいことだった。どうせ滅びゆく運命にあるアトロ王国の、その途中経過など、私には興味がなかったはずだ。しかし、なぜか聞いてみる気になったのだ。たまには計画の進行具合を確かめてみるのも悪くないと。

 それから、本に書かれたアトリアと、子供らの知るアトリアの違いが子供らによって一つ一つ詳しく説明された。そして今、そのすべてを聞き終え、私は満足する。

 「フッ、フハハ。それは重畳だ。腐った王家にふさわしい、腐った国と街になったようだな。」

思わず笑いが零れる。計画は順調に進んでいる。これは、街の空間魔力量を見ればわかることなので、だいたいの想像はついていた。しかし、アトロ王家がここまで滑稽に踊っているとは思わなかった。これからはもう少し私自ら計画の進行を確かめてもよいかもしれぬ。そうして私が喜びを噛みしめているというのに、きわめて不愉快な声が思考を遮って来る。

 「なんだそれ。何が面白いんだ!!」

金髪だ。あとの二人も驚いた様子で私からその子供へと視線を移している。

 「ちょっと、ジューク。危ないよ。その人の魔力たぶん尋常じゃない。」

 「グリル、止めるな!あんたは街の人の暮らしをなんだと思っているんだ!この国の王家も貴族も腐ってなんかいない。自ら富を国民に分け与えて俺たちを守ってくれているんだ。街のみんなだってそうだ。おっちゃんやおばちゃんがどれだけ苦労していると思ってるんだ。それに、あんたはエルミナの気持ちを考えたことがあるのか!」

ジュークと呼ばれた金髪はそれを一息に言い切ると、息を切らせて涙ぐみながら私をにらんでいる。

 「知ったことか。これは私の復讐だ。お前はこの本をたまたま見つけたといったな。なぜその本にお前たちだけ気付いたのかは知らぬが、それを見つけていなければそんな風には考えておるまい。それにだ。自らの富を分け与える?そんなことをせねば国を守れぬ貴族連中などただの無能ぞ。国の政を担うものならもう少しましな策を弄してみせよと伝えるがいい。」

 「復讐……?どういうことなのですか?それに、なんで大昔に起きた出来事に父様がかかわっているのですか?」

困惑しながらエルミナが聞いてくる。隣ではジュークとやらが今にもこちらに殴り掛かってこようとしている。私はエルミナに答える前にその子供に手のひらを突き出し、適当に魔力をぶつけて黙らせる。

 「ぐふっ。」

 「ジューク!!」

エルミナが叫ぶ。ジュークの後ろにいた赤茶髪。グリルといったか、その子供も一緒になって吹き飛び、痛みに悶えている。放って置いても死ぬのだからわざわざ殺しはしない。エルミナをここに連れてきたせめてもの褒美だ。

 「心配するな。別に殺しはしない。放って置いても街の衰退とともにこ奴らも死ぬ。それより、お前の質問に答えよう。エルミナよ。私もお前も、本来この時代に生きるものではない。その本にあるアトロこそ、私たちの暮らしていたアトロだ。」

 「そんな。どういうこと。」

 「気付いていないのか。この塔の内部は精神を持つもの以外の時間がすべて止まっている。精神の宿る動物や人間は体を動かせるが、老化はしない。そのほかの無機物、有機物も劣化しない。」

 「もう、訳が分からないわ。なんでそんなことを…。」

エルミナが呟く。そしてそのつぶやきに私は一言で答える。

 「お前の母親を、このアトロが殺したからだ。」

 「何それ……。どういうことなのですか?」

 「いいだろう。そこに寝そべっている小僧ども。お前らも聞いておけ。アトロの王家が、アトリアの住民がどれだけ腐っているか、私の話を聞いて知るがいい。」

 そうして、私は、自分の過去を振り返る。かなり朧げになってしまった幼少期の自分に起きた出来事から順に丁寧に思い出していく。そして、無価値な王子として生まれた自分と、その母の話から聞かせることにした。

 「まずは、私の名前からだ。私の名はフリード。元の名をフリード・ベリアル・アトロという。」


  *

 

 私の父は、エルガル・レゾリヴァード・アトロ。国王だった。母の名は、リティス。平民だ。私は、名目上は第三王子として生まれたが、それに相応しい扱いは一度も受けなかった。幼いころより母とともに貴族からの迫害を受け、彼らからの扱いはメイド以下だった。異母兄弟は六人。上には第一王子と第二王子、第一王女の三人。下には第二王女と第四、第五王子がいた。彼らは親子ぐるみで私たちに様々な嫌がらせをしてきた。その中でも最も攻撃的だったのが第一夫人と第二夫人だった。第二夫人には長く子供ができず、後から入って来た大貴族の令嬢である第三夫人と平民である私の母が先に出産し、どちらも男が生まれた。それもあり、彼女は母と第三夫人を何かにつけて目の敵にしていたのだった。第二夫人のそうした感情に漬け込み、平民差別の激しかった第一夫人が彼女を利用して私と母を苦しめていた。貴族の嗜みを教えるなどと言い、ダンスの際にはわざとドレスの裾を踏み転倒させ、転倒した罰と称して鞭で痛めつけた。また母の食事に小石や、ひどい時には針が仕込まれていたりもした。それを遠巻きに眺めて笑うのだ。

 ある日、私は父の側近に連れられ、王宮の奥にある小部屋を訪れた。王子や王女は五歳になると魔力量を測定するという慣例があり、例にもれず私も自分の魔力量を知ることとなった。しかし、この出来事が私たちにさらなる苦しみをもたらすきっかけとなってしまった。私には歴代に類を見ない異常なまでの魔力が備わっていたのである。父はその結果に大いに感激し、王宮中へ触れ回った。そして、それは第一夫人と第二夫人の知るところとなり、当時、魔力量の多い者が王になるという慣習があったために彼女たちには危機感が募り、嫌がらせをエスカレートさせることになってしまったのである。

 魔力が多い者が王になるという慣習は、辺境でありながらも魔法大国として栄華を極めたアトロにとって重要な意味を持っていた。他国に対し圧倒的な魔力を誇示し、魔法技術の粋を集めた軍と、山と海に囲まれた地形を有効活用することで、数で勝る大国と渡り歩いてきた。王の魔力量が少なくなると、他国に攻め入る隙を作ることになる。そうならぬよう、この慣習ができたのだ。私の魔力量はそんな王家の中でも飛びぬけていた。五歳の時点ですでに父を上回っていた。それまで妃たちとその周りの貴族連中からの迫害を見て見ぬふりをしていた父も、私の魔力量が多いとわかると私を守るようになった。しかし、それは愛情ではなく、アトロ王家の者としての義務だからだ。その証拠に、私が生まれて以降、父は母には興味を示さなくなった。無論、母を守ろうとすることはなく、王宮に出したお触れも、私に危害を加えないという内容のみで、母についての言及はなかった。

 そうした日々の中、私は大半の時間を母と二人で過ごしていた。私が一緒にいることで母にも危害が及ばないようにと考えてのことだ。そんな中、私が母と庭を散歩していた時、話しかけて来る者がいた。第二王子である我が兄、カストール・アルテリオス・アトロだ。兄は私に一通の手紙を渡してきた。差出人は第三夫人、シュネル・アルテリオス。フィルシアン帝国の皇族出身の彼女は魔力が少なく、その息子であるカストールもまた兄弟の中では最も魔力が少なかった。私は、母と部屋に戻り、彼女からの手紙を二人で読んだ。その内容は、秘密の茶会への誘いだった。母はしばらく悩んでいたが、その誘いに乗ることにし、後日第三夫人、兄、母、私の四人のお茶会が開かれることが決まった。

 お茶会は終始和やかな雰囲気で行われた。母は、最初こそ緊張していたが、第三夫人の最初の一言でその緊張はほぐれることになる。

 「私とお友達になってくださいません?」

その一言に母はかなり動揺していたように思う。しかし、すぐに冷静になり、シュネルの申し出を断ろうとした。

 「シュネル様、いけません。私にかかわるとあなた様に多大なご迷惑をおかけすることになってしまいます。」

 「いいえ、リティス。私があなたとどのように仲良くしようとも、かの者たちが私に手出しをすることはかないません。それはフィルシアンを敵に回すことと同義ですので。」

 「それは……。」

 「それに、私はあなたに申し訳なく思っていたのです。その力がありながら、あなたに対する、お姉さま方の仕打ちを見て見ぬふりをしていたのですから。つらかったですね。」

その言葉を聞いた途端、母の瞳からはボロボロと涙がこぼれ、元の平民らしく取り繕うことなくシュネルの前に跪いた。シュネルの言葉は、貴族らしからぬ直接的な言葉だった。母に合わせてくれたのかもしれない。

 「……ありがとうございます。……助けてください。」

そうして、母は、第三夫人シュネルの事実上の庇護下に入った。しかし、公表できる内容ではなかったため、公には対等の立場を貫いた。

 それから、二年間、私たちの生活は、比較的平穏なものになっていた。嫌がらせはあるものの、以前のようなひどいものはなくなり、すれ違いざまの嫌味程度のものに軽減されていた。私も、第二王子のカストールと仲良くなり、兄、そして友として慕っていた。

 ところが、そんな日々もある日突然終わりを告げた。

 シュネルの後ろ盾だったフィルシアン帝国でクーデターが起きたのだ。それにより、シュネルの身も安全ではなくなった。彼女自身が命を狙われることはないにしても、母を守るほどの余裕はなくなってしまったのである。

 となると当然、今まで抑えられていた嫌がらせが再開することとなる。抑えられていた分、それは今までよりも過激になった。服を割かれた上に、見舞いとして贈られた服は奴隷服。朝から晩まで一日中彼女らに連れまわされ、メイドのように身の回りの世話をさせられた挙句、部屋戻にるとベッドにはナイフが付きたてられていた。そんな生活が三年続き、ついには母の心は限界を迎えた。

 ある日、私が母の部屋に入ると、そこで母は首を吊っていた。私は彼女らを恨んだ。その後父の目を盗んで私に何かをしてきたものには魔法で報復をした。フィルシアン帝国のクーデターが鎮圧され落ち着いたころ、シュネルとカストールに呼び出され、母を守れなかったことを謝罪された。私はそれを拒絶も受け入れもしなかった。そんな行動に意味はないのだ。そんなもので母は生き返らないのだから。

 それからの私は、一人でいることが増えた。兄カストールとの交流が少しあるだけで、ほとんどの時間を一人で過ごし、王宮の者の目を盗んでは、街へと出かけるようになった。貴族は基本的に街に出ない。必要な買い物は街から商人を王宮へ呼びつけ、そこで注文したものを持ってこさせる。平民の街を歩くなど、彼らの価値観では忌避するものだったのだ。そうした生活が四年ほど続いたある日、私はエリーゼと出会った。

 彼女と出会ったのは、街の図書館だった。彼女は毎日のようにあの場所で大好きな物語を読み漁っていたという。私と出会った時もいつもと同じように魔法使いの旅物語を読んでいた。最初に話しかけてきたのは彼女だった。私が魔法の研究書物を読んでいると、それをのぞき込んで言ったのだ。

 「あなた、いつもそんな本ばかり読んでいて頭が痛くならないの?それにいっつも暗い顔。」

私は最初その声を無視していたが、私が図書館に行くたびに話しかけてきた。そうしているうちに少しずつ話すようになり、ある時エリーゼが私に魔法を教えてほしいと言ってきた。彼女が言うには、彼女はあまり魔法が得意ではなく、生活の中で使う魔法の魔力消費を抑えたいとのことだった。効率的な魔力運用。これには私も興味があったので、教えてくれという彼女に押し負けてともに研究することとなった。

 それから数か月、私はそれまでよりも頻繁に街へ出向くこととなる。そうなれば貴族連中もそれに気づく。私が街で平民と何かをしているという噂が、王宮内で広まっていたのだった。そんな折り、父が病に倒れた。それがきっかけとなり、私への迫害がまた再開したのだった。

 私が十五歳になり、王宮でも形式上の成人式が行われた。そして、そこで私に新たな名が授けられた。セカンドネームだ。本来、王族は、母親の姓をセカンドネームとして受け継ぐ。しかし、私の母は平民だったため、セカンドネームはない。そのため、成人と同時に私にもそれが与えられることになったようだ。式の最後、父の側近からそれは伝えられた。

 「フリード・アトロ第三王子殿下。殿下にはアトロ王家より、ベリアルのセカンドネームが与えられます。殿下の魔力量は歴代のどの王よりも秀でている。国王陛下より、今後も王族の名に恥じぬよう生きよと言付かっております。」

私はその名の意味を知っていた。ベリアルとは悪魔の名。無価値を意味するもの。そんな名を父が直接与えたとは思えなかった。側近の誰かが決めたものだろう。そしてそれは、私が魔力以外は無価値だと言っていることにほかならなかった。そしてセカンドネームは母親の姓の入る場所、私の母は全くの無価値だったと暗に言っていたのだ。私や母への侮辱など、これまで幾度となくあった。だが死してなお母を侮辱する貴族どもに私は恨みを募らせていく。

 成人後も私の生活はさして変わらなかった。エリーゼとの魔法研究が中心の日々。私は明るく前向きな彼女に惹かれていた。それは彼女も同じだったらしく、自然と仲は深まり、結婚することとなった。そしてそれを機に、私は王族から抜けようと考えた。王宮内は一時騒然となった。一方は平民の子は平民に戻るべきと主張し、もう一方はあの魔力量を利用しない手はないから王宮につないでおくと主張した。父すらもその論争に身を投じ、私の魔力量を欲した。そこに私という人間は存在しない。誰もそんなことは気にも留めなかった。ただ一人、カストールを除いては。

 平民との結婚を蔑みながら、内心王位を奪われないことに安堵していた他の異母兄弟とは違い、カストールだけは心からの祝福の言葉をくれた。兄は私に王家を出るように言った。無論、私もそのつもりだというと、彼は貴族に黙って、街の西側、図書館の近くに一軒の家を建ててくれた。私は巻き起こる論争のさなか、利用派の制止を無視し、エリーゼとその家で暮らすことにしたのだった。

 それから数年後、父が他界した。その後は第一王子が王となり、そのころには貴族連中の私への興味もほとんどなくなっていた。と、思っていた。そして、それはエリーゼの妊娠の発覚と同時に誤りだと気づくことになる。

 エリーゼの懐妊が分かってから数か月後のある日、唐突に新王の使者が私たちの家に来た。その使者が私たちに告げたのは、エリーゼのお腹の子の引き取りだった。

 「ベリアル興。この度は奥方のご懐妊大変おめでとうございます。つきましては、御子が生まれ次第、新王がお会いになりたいと仰せです。そして、新王とお会いしたのち、その子は新王の養子となさるとの……ぐわぁ。」

私は、使者がすべてを言い切る前に地魔法で作り出したつぶてをその腹部をめがけて放った。それをまともに食らった使者は、我が家の扉を破壊し、錐揉みしながら家の外へと吹き飛んだ。そしてそのまま、綺麗に命中した腹部を抑えて蹲り悶えている。

 「何を、する…。」

 「それはこちらのセリフだ。今まで貴様らが私にしてきたことを自覚しておらぬのか。兄上に伝えよ。これ以上私に干渉すればただでは済まさんと。」

そう言い放ちもう一発そいつの頭上に水魔法で水球を出し、頭から水をかぶせる。すると、その使者は私を見て怯えた顔をし、逃げるように走り去っていった。

 それから、幾度か使者が家に来たが、そのたびに同じような目に合わせて追い返した。それをカストールに伝えると、わざわざ私の家に来て助言をくれた。

 「フリード、家族を連れて国を出てはどうだ?以前も王の使いが来たみたいではないか。この先また何を言われるかわからんぞ。」

その通りだと思ったので、私もそれに同意した。

 「そうだな。しかし今はまだ、他の国に行くほど過酷な移動にエリーゼは耐えられまい。お腹の子が生まれ、落ち着いたら出ていくことにする。」

そう言うと、兄はどこか寂しそうに笑い、そして頷いた。

 そして、エルミナが生まれた。

 私は、カストールにだけ、娘が生まれたことを伝えることにした。密書を送り、カストールを家に招き、そこで初めて娘と会わせ生まれたことを告げた。本来、王族である兄が平民となった私の呼び出しに応じるのはあり得ないことだが、兄もまた私をいまだに弟として気にかけてくれていた。兄は私の呼び出しの理由を察していたのか、祝いの品をいくつか持ってきてくれていた。エルミナのゆりかご、小さなライオンのぬいぐるみ、そして料理好きのエリーゼには包丁をくれた。兄だけは、私の幸せを本心で臨んでくれていると思った。私が心を許せる唯一の友であり、心から認める数少ない家族には、幼いころより守ってもらった恩がある。私はもう一度送られた品々を見渡し、自分の幼いころの記憶を思い出しながら兄に礼を言い、帰りを見送った。

 しかし、その贈られた包丁が原因で、私はすべてを失うこととなったのだ。

 数日後の夕食の時、突然エリーゼが倒れたのだ。それを見て駆け寄ろうとした私もまた、足から力が抜け、立っていられなくなった。すぐに回復魔法を試みたが、何も起こらない。おかしいと感じた私は、解毒を試み、成功した。エリーゼにも同じく解毒を試したが、なぜか効果はない。回復魔法ですぐに意識は戻ったが、ゆっくりと体に毒が回っているのが分かった。エルミナが生まれ、街を出る準備を進めているさなかの出来事だった。

兄からもらった包丁には毒が塗られていたのだ。アトロにはない外国製の希少な毒薬。体内に入ってから数日後に効果が出る遅効性の毒。その包丁を使用して作られた料理を食べていた私とエリーゼはともにその毒を身体に蓄積させ、突如体に異変が生じたのだった。

 私はすぐにカストールを呼び出した。そしてその目の前に送られた包丁を放り投げ、どういうことかと問い詰めた。

 「何故兄上がくれたこの包丁に毒が塗られていたのだ。」

 「毒?なんの話だ。私がそんなことをするはずがないだろう。」

 「とぼけるな。こうして、今もエリーゼは毒に侵されている。解毒ができぬのだ。何故兄上が私を裏切るようなことをした。」

 「待て、フリード。私は本当に知らない。誓おう。」

兄は必死の形相で私に訴えかけてきた。それを見て少し冷静になった私は、一度兄の話を聞くことにした。

 「フリード。私はその包丁を自ら購入した。それも、いつものように王宮に商人を呼びつけたのではない。私自らが街に出向き、手に取り、お前たちのことを思いながら選んだ。だがそれだけだ。そのあとは贈り物として配下に整えさせた。配下たちが私を裏切るとは思えないが、そこですり替えられたのだろう。」

 「わかった。兄上のことは信じよう。しかし、兄上の配下までは信用できん。調べられるか。見つけ次第、殺す。」

 「お前……。」

兄が青ざめた顔でこちらを見て来る。平民となった私が貴族を殺すということの意味を正しく理解しているからだ。貴族殺害は国家反逆に当たる。だが、そんなことは知ったことではない。

 「いいから、調べてくれ。」

そういう私に、兄は一言分かったと言い、帰っていった。

 それから、私はエリーゼの解毒に全力を尽くしたが、一向にその手立ては見つからなかった。回復魔法を使用すれば一時は少し回復する。しかし、毒は消えることなく彼女の体を蝕み続けて行った。次第に、体は弱っていき、回復魔法の効きも弱まっていった。

 私は、この場所に自分の魔力のほとんどを使って、この塔を建てた。私とエリーゼの魔力にしか反応しないように扉に鍵をかけ、数ヶ月後には中の時間を止めた。塔の中で時間停止の影響を受けないものは精神を持つものだけだ。それで体は動く。だがその肉体の時間は停止しているため、毒の進行も止まる。

 「もうわかっただろう。エルミナ。お前の母親を殺したのは、この国すべてだ。エリーゼが倒れて以降、平民どもは一切何も言ってこなかったのだ。エリーゼはもともと付き合いが良く、街の者からも慕われていたのにだ。」

 私はエリーゼの死についてすべて話し終え、子供等を見渡す。倒れていた二人もいつの間にか立ち上がり、エルミナとともに玉座の前で腰を下ろしている。三人ともがうつむき、何も言わない。これ以上は時間の無駄だ。

 「わかったら貴様らはエルミナを置いてさっさと帰れ。」

 「まだ……、聞きたいことがあります。」

そういうのはエルミナだ。

 「母様は、この塔に入ったのにどうして亡くなったのですか?どうして私だけ、外に捨てられたのですか?」

 「お前はエリーゼの手によって塔の外に出された。そのほかにもエリーゼは私の反対を押し切って稀に街に出ていた。そのたびに毒の進行が進み、十二年前、この塔に入った所に倒れて死んでいた。」

 「それじゃあ、わたしを外に出さなければ、母様は死ななかったのですか?」

 「そうだ。」

 「そんなの……。そんなの私が母様を殺したみたいじゃないですか!どうして、どうして止めてくれなかったのですか。わたし、母様とちゃんとお話ししたかった。」

 「違う。エリーゼを殺したのはアトロだ。だから私は復讐を決意した。この塔に入った時に。解毒ができないとわかった時に。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る