第6章 塔のてっぺん

 塔の階段はかなり長かった。

 段数カウントは、グリルが話し始めた時点でやめてしまったが、体感では、上り始めてから二刻程は経っている。

 へとへとになりながら階段を登りきると、少し開けた場所に出た。一本道の廊下の左右に、いくつかの扉がある。そしてその奥にはまた階段。

 「ようやく登りきったわね。」

 「奥にまだあるよ。」

 「その前に少し休みましょう。もうダメ。」

 「そうだね、少し休んだらこの階を見て回ろう。」

俺たちは少し休憩してから、部屋を一つ一つ見て回ることにした。そして、俺たちは休憩中に塔に入ってからここまでの道のりを振り返る。

 「はぁ、疲れたぁ。それにしても長すぎるよね、この階段。しかも、まだ奥にあるし。」

そう切り出したのはグリルだった。

 「そうね。もういっそ引き返してゆっくり寝たいわ。」

 「エルミナ、本当に外に出ないんだな。そりゃアルフレッドさんも心配するよ。」

 「あなたたちが異常なのよ。どうしてあれだけ走り回った後に、平気な顔でこんなに長い階段を上れるわけ?」

エルミナがいじけたようにそう言うが、あんな魔法を平然と使ってのけるエルミナに言われたくない。

 「エルミナには言われたくないよ。あんな魔法見たことないよ。それに、俺たちが平気なのはいつも外に出て歩き回っているからだし。」

俺が口を尖らせて言い返すとグリルもそれに同意してきた。

 「そうだね。あんなの、兵士の魔法部隊の演習でも見たことないよ。」

 「演習だからでしょ。それに私も必死だったのよ。」

そういう問題の規模ではない。実は魔法が得意な大人ならできるものなのだろうか。塔の入り口では兵士たちもエルミナの魔法に驚いていた。あれはやっぱり普通ではないのだろう。

 「そうかなー。ま、何にしても流石に僕らも疲れたね。」

 「そうだな。もうしばらく階段は見たくない気分だよ。」

 「そういえば、ここ、王家の塔、なのよね。」

エルミナが改めてそんなことを聞いてくる。

 「ん?そうだけど、それが何か?」

 「ええ。王家のものにしては豪華じゃないというか、むしろ少し不気味じゃないかしら。」

 「そうだね。あの青い松明も僕らが近づくだけで火が灯るし、王宮みたいに明るくないし、確かに不気味だよ。」

 「うん。俺も思ってた。でも一個だけわかることもある。ここは街よりも魔法が使われている。あの松明がつくのも間違いなく魔法だろ?」

 「そうね。」

 「ここまで一つも部屋がなかったのも何か関係あるのかな?」

 「さあ、どうだろう。上の方に大事なものがあって下までは部屋を作らなくてもよかっただけなんじゃないか?」

 「それはわからないわね。この階に何かあればいいのだけれど。」

ため息をつきながら、エルミナが扉を眺めている。

 「さて、そろそろ行くか。」

そう言って俺は立ち上がる。ようやくここまで来た。この先にあるものが、アトロの秘密を解く鍵になるだろう。そう思い、扉の前に立つ俺たち。一歩前に出て、ドアノブを捻り中に入る。

 そこは、塔の中とは思えないほど広い空間。なにより、見覚えがあるその内装。中央には大きな机。三階分が吹き抜けになっていて、周りを囲うように本棚がずらりと並んでいる。

 ――ここって……。

声をかけようと振り向くと、二人が目を見開いて立ち尽くしていた。そう。あの無表情なエルミナまでもが、である。

 最初に俺たちが入った扉の先はあの図書館そのものだった。ただし、暗い。天窓があった部分は、ガラスではなく壁と同じ材質のものになっている。中の照明は廊下や階段と同様に蒼い松明がいくつも取り付けられていて部屋全体を照らしていた。そのほかの内装は、街の図書館と全く同じ。しかし、天井まである本棚には隙間なく本が収められていた。図書館とは、こういうもののことを言うのではないだろうか。

 この図書館には、数多くの本があったが、その傾向には偏りがあるように感じた。

 『アルメルにおける転移魔法実験』

 『強力な毒に対する治癒魔法の研究』

 『空間魔法の仕組みと危険性』

 『大陸薬草図鑑』

 『放浪医者の特殊患者録』

いくつかを手に取ってパラパラと捲ってみる。どれも使用感はかなりあるが、古いものではないようだ。雑多に収められた本の大半は、魔法に関するもののようで、あとは医術や薬学の本がそれに続く。物語の類は俺が見た範囲では全く見つからなかった。

 どれも、ものすごく読みたかったが、さすがにゆっくり読んでいる時間はない。とりあえず気になる本の表題だけ覚えて、後から探せるようにしておいた。この偏りは、必要なものだけを集めてきたということだろうか。でも、それだけであの図書館を埋め尽くすほどの本があるとは思えない。二階や三階を見ている二人にも聞いてみよう。

 それにしても、この塔は何の目的で使われているのだろうか。

 そんなことを思いながら、二階に移動している最中、階段の上からエルミナに声をかけられた。

 「ジューク。ちょっといいかしら?」

見上げると、彼女は見覚えのある一冊を抱えていた。

 「どうしたの?」

 「これ、みて。」

それは、以前グリルが見つけてきた本だった。しかしその本は、新品のようにきれいで、グリルが持ってきたものとは別のもののようだった。

 「それって、もしかして。」

 「ええ。あの本と同じだわ。」

 「どこにあったの?」 

 「向こうの本棚よ。」

 「魔法とか薬学とか、何かの研究資料見たいな本ばかりじゃなかったの?」

 「え?ええ。寧ろ、軽い感じのものばかりだったわよ?物語とか。いい場所ね。」

 エルミナがうっとりと笑った。普段無表情な彼女が笑うと、ドキッとしてしまう。普通にしていても大人が振り返るほど可憐なエルミナは、無表情くらいが心臓に優しい。

 気を取り直して、俺は本に目線を落とす。

 「それでこの本……。なんでこんなに綺麗なんだ?」

 「ええ、おかしいわね。かなり昔に書かれた本のはずよね。アルフが偽装といっていたのと何か関係がありそうね。」

 「そうだな。他には何も違いはないの?」

 「そうね。すこし、見てみましょうか。」

エルミナと、その本を開き、立ったままページを捲っていく。どうやら特に違いはなさそうだ。いたって普通の本で、前に見たものよりずいぶん新しいようだが、中身は同じもののようだ。

 「同じね。」

 そう言ってエルミナが本を閉じようとしたとき、最後のページに何やら絵のような、マークのようなものが書き込まれていることに気付いた。

 「待ってエルミナ。何か書かれてる。」

すると、エルミナは手を止めて最後のページを開く。これは、魔方陣だ。なんでこんなところに。ページ全体に大きく描かれているわけではなく、真ん中に小さく描かれている。魔方陣なんて複雑なものをよくこの大きさでかけたなとは思うが、無理というほどでない大きさではあった。

 「魔方陣だね!魔力流してみる?」

いつの間にか本をのぞき込むグリルに驚いた。二人して声を上げそうになったが、エルミナは一瞬眉根を寄せただけで、とくに何も言わずそのまま進めた。エルミナもグリルの扱いに慣れてきたみたいだ。

 「危なくないかしら?」

 「わからない。でも、これはなにか手がかりになるかも。」

 「僕がやってみるよ!二人はちょっと離れていて!」

グリルはそう言うと、魔方陣に手を置いて目を閉じた。

 「……。」

 「何も、起きないわね。」

 「そうだね。」

 「持って帰ってアルフに見てもらうのはどうかしら?」

 「そうだね!そうしよう!」

 そのあとも、三人でこの部屋を見て回ったが、この本以外はただの綺麗な図書館だった。グリルが言うには、三階には、建築や政治関連の実用書が並んでいたらしい。


 *


 それから、いくつかの部屋を回ったが収穫はなし。変わったものは見つからなかったのである。しかし、王家の塔というには、生活感にあふれた部屋が多かった。一般家庭の物よりは少し大きめのダイニングテーブルと、キッチン。脱衣所と浴室まであったが、これもまたどの家にもあるようなものと変わらない。水魔法と火魔法でお湯を沸かすだけのものだった。しかしそのどれもが、生活感を感じさせないほど新品のように綺麗だった。

 残された部屋はあと二つ。

 廊下の一番奥で、ほかの部屋とは違い、両開きの扉の部屋が向かい合わせになっている。その片方、奥の階段に向かって右側の部屋に、俺たちはまた三人一緒に入っていった。

 「ここは……、寝室ね。」

エルミナが残念そうにつぶやき、グリルもまた肩を落としている。

 「あぁ。ここもはずれだね。」

 大きな扉の両側を開け放ち中に入ると、すぐ正面に大きな天蓋付きのベッドが現れた。

 廊下から松明の青い光が差し込んで、真っ暗な部屋に敷かれた赤い絨毯を照らして、不気味さを増している。その不気味さが気持ち悪くて、部屋の中に逃げ込む。すると、例のごとく部屋全体の松明が灯って不気味さがマシになる。

 「この部屋は、ベッドだけみたいだね。この大きさは、やっぱり王族用かな?」

 グリルの言葉に頷く俺。この部屋は、他の部屋と違い、王族の物らしく高級感がある造りになっていた。しかし、そこに置いてあるのはベッドと足元のチェストのみ。部屋の入り口からそのほかのものは何も見当たらない。

 「そうだな。一応、使われてはいるみたいだな。他に手掛かりは……なしか。」

 「いいえ、そうでもなさそうよ。」

エルミナが、グリルの手を引っ張って、天蓋の木枠に松明の明かりを近づけた。そこには、複雑な書体で文字が彫られている。

 「これは……、名前かな?」

 「たぶん……。エルミナ、読める?」

 「ええ、一応。片方は、フリードかしら…。もう片方はエリーゼね。そう書いてあるわ。」

 「んー、その二人のための物ってこと?なんでこんなところに?」

 「わからない。また謎が増えちゃった。」

 「そうね。でもこの塔は王家のものというよりはこの二人のものなのかもしれないわね。」

 「え?儀式で使われているのに?」

グリルの問いかけにエルミナは黙ってしまった。俺はどちらの言うことも一理あると思いながら聞いていた。この階で見たほかの部屋からしても、大人数で使っているようには見えないし、王族が使っていそうなのもこの部屋くらいのものだ。他の部屋が王族の使用に耐えられるとは思えない。しかし、儀式で使われているのであれば、この質素さにも意味があるのかもしれない。そして、二人の話を聞きながら枕もとのほうまで回り込むと、部屋の片隅に、この豪華な部屋には似合わないものが集められていた。

 「ねぇ、二人とも、これ見て。」

俺が指さした先に二人の目線が飛ぶ。二人はそろってこちらに歩み寄り、俺が見つけたものを見て首を傾げている。

 「これは、ぬいぐるみかしら?」

 「そうみたい。」

そこに置いてあったのは、小さなライオンのぬいぐるみだった。俺の両手にすっぽりと収まってしまいそうな大きさだが、その造りはなかなかに精工で、鬣なんかはふさふさの毛が生えていた。グリルがさらに奥を照らす。すると、そこにはもう一つ小さなベッドがあった。柵が取り付けられたベッドの中には、いくつものぬいぐるみが並べられていて、綺麗に整えられていた。

 「このフリードって人か、エリーゼって人の趣味かな?」

 「いや、それはない。」

 「違うわね。」

なんでこいつはたまにこんなに頭が悪くなるのだろうか。エルミナと二人して冷たい突込みを入れた後、一番あり得そうなことを口にした。

 「子どもがいるのか?」

 「そうね、それもかなり小さい、赤ちゃんでしょうね。」

グリルがなるほどと手を打っているが面倒だったのでスルーした。この塔は誰かの家なのか?そもそも、部屋の内装がどれもちぐはぐだし、図書館ほどの広さの部屋なんか作れるはずないのだ。間違いなく魔法で作り出されたものだろう。

 「エルミナ、今までの部屋。どれもおかしいよな。」

 「ええ。どこにも窓がないわね。」

 「それに広さもおかしいよ。塔の中にあの図書館が収まるわけない。」

 「これって、空間ごと魔法で作り出しているってことなのかな?」

 「そうね。信じられないけど、それしかないと思うわ。」

おそらくは闇魔法だろう。属性魔法で唯一詳しく調べられなかったもの。空間そのものを作り出すことなんて人間の魔力でできるのかという疑問が浮かんだが、それを解決する答えについても同時に思い当たった。

 「もしかして、空間魔力を使ってるのか?」

俺のつぶやきに答えたのはグリルだった。その声色には動揺がうかがえる。

 「そ、そんな。アルフレッドさんのところで空間感魔紙を見たでしょ。この国には空間魔力なんてなかったじゃないか。おかしいよ!」

 「ま、まあ、落ち着けって。言ってみただけだよ。」

 「ご、ごめん。びっくりしちゃって。ないはずの空間魔力がここだけにあるなんて信じられないよ。」

 「そうだよな。」

 「でも、こんな魔法、一人の魔力で使えるのかしら。」

エルミナはやっぱりこの状況に納得いかないみたいだ。確かにこんな魔法、一人で作り出すなんてできるとは思えないのである。それはグリルも含め三人とも同じだろう。しかし、この国の魔力不足を知っている者からすれば、空間魔力を使っているということもまた、すんなり受け入れられないのである。

 そんな話をした後、俺たちは寝室を後にした。 

 「あとはこの大きな扉の部屋だけだ。」

 「うん!これまで何も分からなかったし、サクッと見て、また上へ行こう。」

 グリルは何も気にしていなさそうだが、俺は少し不安だった。 

 この国は明らかに何かがおかしいと思い、派手に掟を破って王家の塔まで来た。残された手掛かりはもうこの塔にしかない。俺はこの塔に来るまで、アルフレッドと話した時思い描いた空想が、もしかすると実現するかもしれないと、心のどこかで期待していたのだ。

 しかし、未だに何もわかっていない。

 これまでに見つけたものは、図書館そっくりな書庫にあったグリルが見つけたのと同じ本と、生活感のある部屋、王族が使うような豪華なベッド、そしてそのわきに置かれたぬいぐるみ。そして気になるのは窓がないこと、塔の広さに対してあり得ない広さの部屋。しかし、これだけでは謎が増えても解けはしなかった。この街は、昔栄えていて、何らかの原因で衰退した。そして月と空間魔力の因果関係。これらを解き明かせれば、また街が力を取り戻すのではないかという、俺たち三人とアルフレッドの四人で考えた仮説が、ただの妄想で終わって欲しくはなかった。すべてを解き明かす。その時には、王様にすべてを伝えよう。この塔を下りる頃には下に兵士たちも集まっているだろう。もちろん、グリルの父さんも。ちょうどいい。そのまま王様のところまで連れて行ってもらおう。だから、何としてもこの先で、この国の真相にたどり着くんだ。

 意を決して、俺は扉に手をかける。

 『ガタン』

開かなかった。

 「開かない……。」

 「うそ。」

エルミナがそう言って扉に手を伸ばしたらすんなり開いてしまった。

 「あれ?何か引っかかっていたのかも。ありがとう。」

おかしいなと思いながら扉を眺めていると、中に入っていったグリルが声を上げた。

 「うおー!すげー!!」

 「どうした!?」

俺も手掛かりへの期待と冒険心が擽られて声が大きくなった。

 「ここ、魔法の研究室だよ!きっと。」

 「ほんとね。魔法陣や魔法の本がいっぱいあるわ。」

 「すごいな……。」

 やっと見つけた。そう思った。まだ何かを見つけたわけじゃない。しかし、手掛かりがあるならきっとここだろうという予感があった。


  *


 その部屋は、他の部屋よりも幾分か明るかった。

 松明の明かりは今までと変わらないが、部屋のあちらこちらに散らばった、色とりどりの結晶が淡く光っている。また、部屋の四隅には、ひときわ大きな青紫の結晶が台座の上で光っている。

部屋の大きさは、先ほどの寝室と変わらない。中央に置かれた大き目の長机の上には魔法陣の書かれた紙が散らばり、何に使うのかわからない道具らしきものや、開かれたままの本もいくつか放置されている。

 こんな部屋を見つけて、俺やグリルの心が躍らないわけがない。

 グリルはいち早く机に転がった何かの道具を手に取っている。俺もその後に続いて魔法陣や魔法書を手に取ったのだった。

 エルミナが少し呆れた顔で俺の横に立つと、手を伸ばしてきたので、持っていた魔法陣の紙を一枚手渡した。

 「なんの魔法陣なのかしらね。」

 「わからない、とりあえず魔力を流してみたんだけど、反応がないんだ。」

 「危ない魔法だったらどうするのよ。」

 「ごめん、つい……。」

 エルミナは、はぁと一息ため息をつくと、でも確かめないとだめよねと言いながら、目を閉じて手に持った魔法陣に魔力を流した。

 すると、魔法陣が青く光り、部屋の隅の結晶もじわりと光始め、その後一気に光が強くなる。まぶしくなって目を細めた瞬間、すっとその光が消えた。

 「なんだ!?今の!」

グリルが目を見開いている。

 「わからない。たぶん、何も変わってないわ。ジューク。これ、あなたも魔力を流したのよね?」

 「うん、結構思いっきり。エルミナは?」

 「ほとんど、流してないわ。指先に少しだけ。」

そういいながらエルミナは、グリルにその紙を渡したが、魔力を流しても何も起きないようだった。

 「だめだ。僕じゃ何も起きない。でも、今の光り方、塔の扉が開くときと似てたね。」

 「よし、他の物でも試してみよう。」

俺たちはこの部屋にあるものを色々集めて片っ端から魔力を流してみた。しかし、さっきみたいに強く光るものはなく、光ったとしてもそれはエルミナが触れた時だけ淡く光る程度だった。

 「そうだ、エルミナ。さっきの本は?」

 「持っているわ。」

 「それにも流してみよう。」

 書庫で見つけた本。その最後のページには小さな魔方陣が書かれていた。俺は、見つけた時に魔力を流したが、反応がなかった。まずはさっき触れていなかった俺が試す。

 「だめだ。俺じゃやっぱり反応しない。」

 「あとは、私ね。」

 エルミナも本の魔方陣に魔力を込める。すると、魔方陣が淡く光りだした。エルミナが机の上に本を置くと、魔方陣から急激に白い霧が出て俺たち三人を包み込んだ。

 「わぁああ。」

 「なんだぁあ。」

 「きゃぁあ。」

霧で室内は真っ白になっている。近くにいたからか、不思議とお互いの姿は鮮明に確認できた。しかし、もともと設置されていた机や転がっていた道具の類、霧を出していた本さえもう見えない。部屋全体が真っ白い空間となり、まるで全く別の部屋に移動させられたかのような感じだ。

 「びっくりした。」

 「ええ。何だったのかしら。」

 「すげぇ。真っ白だ。」

周囲をぐるりと見渡す。何もない。そして正面に向き直ると、前方にぼやーっと一人の女性の影が見える。

 「ねぇ、二人とも、あの人。見える?」

 「見える。誰かなぁ?」

グリルは興奮しっぱなしだ。エルミナもコクリと頷く。俺たちはどうすることもできずにその女性の方を見ていると、徐々にその影は鮮明になってきた。

 肩ぐらいの高さで切りそろえられた銀髪が風に揺れている。顔はこちらを向いているが、目は俺たちを見ている感じがしない。

 ――エルミナに、似ている。

 その姿がはっきりと見えるようになったころ、霧の中から現れた女性はなんの脈絡もなく唐突に話し始めた。

 「あな…が、この幻を見……るというこ…は、塔ま………ね。さすが、わた………だわ。」

 「幻だって?」

 「幻影魔法かしら。前に物語に出てきたわ。」

声がとぎれとぎれでうまく聞き取れない。

 「時間が…いか…手短に…わね。エルミナ、あの人を…すけて。お願い。…しではダメ…た。あの…を助け……るの…あな…かいないわ。おね……い。」

 言い終わると、女性の影はスーッと消えていった。それと同時に霧も晴れ、俺たちの周りは元の研究室に戻っていた。

 「なんだったんだ?」

エルミナの名前を呼んだ女性。その銀髪はエルミナと全く同じ色をしていた。顔もどこか面影があるが、エルミナより表情が豊かだ。その女性が、あの魔方陣を仕掛けたのか?どういうことだ?そんな本が何でここにある。

 「私の、名前……。母……様、なの?」

エルミナは心ここにあらずといった感じになっている。それもそうだろう。急に幻影魔法にかけられたと思ったら、会ったことのない自分に似た女性が自分の名前を呼ぶのである。そうなるのも仕方ないだろう。

 「そう…なのかな……。いや、そうかも、な。」

 「誰かを助けてって言っていたね。」

 「ああ、どういうことだろう。それにあの人がエルミナのお母さんなら、どうしてこんなところに?」

 「んー。進んでみないとわからないね。わかるのは、魔方陣はエルミナにだけ反応したってことと、エルミナを呼んだあの女の人が、エルミナに何かを託そうとしていることだけだね。」

「そうだな。うーん、扉の時とは違って今度はエルミナにだけ反応か。」

そう言って、俺は自分の手を見る。

 ――あぁ。そういうことか。

 俺は、グリルとエルミナに見えるように自分の手のひらを見せた。

 「血?けがしたの?」

俺の手には擦ったような血の跡が付いていた。

 「いや、俺はしてない。これはたぶんエルミナの血だよ。手当したときについたんだと思う。もうかなり取れているみたいだけど。」

 エルミナは、最初こそ訝し気に見ていたが、俺が言いたいことを察したらしく、息をのんで話を聞く体制に入った。

 それから俺は、分かったことを二人に聞かせた。

 まず、この塔の扉についてだ。階段を上りながら、三人で考えた扉が開いた理由。その予想は不完全だった。あの時、俺たちは、魔力で扉が開いたと思っていた。それ自体は間違っていない。だけど問題なのは、それが誰の魔力で開くのかということだったのだ。

 俺たちは最初、アルフレッドには魔力がないから扉が開かなかったのだと思った。でも、少し考えればすぐにわかることだった。俺の魔力程度で光始めるなら、兵士がいたずらでもして扉に魔力を流せば、きっと簡単に開いてしまうだろう。そうなれば、兵士達くらいにはすぐに開け方が広まるだろう。

 しかし、あの時の兵士たちは、何が起きたのかすら分かっていない様子だった。きっと、今日ここにいた兵士たちは何も知らない。

 つまり、この塔の扉を開けられるのは、もっと限られた人だけだ。

 儀式のときに、扉が開かれるかどうかはわからない。もしかしたら、この国のごく一部の偉い人達は扉を開けられるのかもしれないが、大事なことはそこではない。

 俺は、もう一度エルミナの血が付いた自分の手を見る。

 最初に扉が青白く光り始めたとき、扉についたのはこの手だった。その時は、淡く、薄ぼんやり光っただけだ。しかし、そのあと、エルミナが取った行動。あの炎の壁を作った途端に、光は一気に強くなった。

 ここまで話して、もう一度二人を見やる。そして、そのまま続ける。

 「この塔の扉は、エルミナ、君の魔力で開いたんだ。俺やグリルじゃなく。というかきっと、君じゃなきゃダメだったんだ。」

 「エルミナ、すごいよ。もしかして王族なの?」

 「しらない。そんなわけない。」

能天気なグリルとは対照的に、エルミナは複雑な表情だ。自分の両手をぼーっと眺めながらグリルの問いかけに答えた。

 「それに……、あの時俺、魔力を流してないんだよ。本当に触れただけだったんだ。もしそれだけで反応して開いちゃうなら、今までにも、何回もうっかり開いちゃってるはずだろ?」

 「ああ、確かに!」

グリルが納得のいった表情で相槌を打つ。

 「うん。そうね。。」

エルミナは、心ここにあらずといった感じだが、何とか話についてきている。

 俺は、咳払いを一つした。話はまだ終わりではない。

 「エルミナ。さっきの寝室にあった、フリードと、エリーゼって人が、君の両親かもしれない。」

「それじゃあ、本の女の人がエリーゼさん?」

グリルがそう言ってエルミナを見る。

 エルミナも、気づいていたのだろう。しかし、気づかないふりをして、それを完全に意識してしまったというように、涙が目にたまっていく。

 「父様と、母様がここに……?」

 「まだ決まったわけじゃないけど、まだ上もある。そこでもう少し調べてみようよ。」

 「うん。ありがとう。」

エルミナは指で目じりを抑えて、きゅっと唇を引き結んだ。

 「ジューク、グリル。行きましょう。上へ。」

 「お、おう。」

 「行こう!」

今までに聞いたことがない、力強い声だった。

 部屋を出て、一番奥の階段を目指す。

 エルミナの顔には緊張の様子がうかがえる。グリルは、まあいい。

 俺たちは、この塔に入ってからまだ誰にも出くわしていない。もしかすると、この塔はずっと誰もいないまま、扉が開くこともなくただあり続けたのかもしれない。部屋の家具や本も綺麗だったけど、それなら埃くらい溜まるよな。やはり、未だ、この塔には不思議なことが多い。

 エルミナがこの塔に関係していることは間違いないだろう。しかし俺たちは今、勝手に入って来た侵入者という立場だ。誰かと出くわせば、何をされても文句は言えない。本当なら見つかる前に退散するのが正解だろう。でも今は、階段の上、塔のてっぺんにいてほしいと思う。フリードとエリーゼ。エルミナの両親かもしれない二人に。

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