第5章 王家の塔

 その夜、俺は家族にそれとなく塔について尋ねた。

 近づくことすら許されていない塔なのだから、両親が何かを知っているとは思えなかったが、少しでも情報があればと思ったのである。

 「塔?王家の塔か?掟で近づけんから知らんなぁ。国王の即位の時には、あそこで儀式があるらしいが…。まあきっと、王族にとって何か大切なものがあるんだろうな。」

父さんはそう言って笑った。何も知らないみたいだ。まあそれもそうだろう。あそこは平民の俺たちが普段行かなくちゃならない用事なんてない場所だし、見張りだっている。行こうと思うことも普通はあまりないだろう。俺は、探検したいから行ってみたかったけど。

 「王族の大事なものってなんだろうね。母さんは何か知らない?中には何があるんだろうね。」

 「んー。中に何があるかなんて知らないわ。でも、あそこは兵士が交代制で見張っている。というのは聞いたことがあるわね。」

アルフレッドが言っていたことと同じだな。

 「そっかー。即位の儀式って俺たちでも見られるの?」

 「いいえ。即位の儀式は貴族だけよ。それも王族と、選ばれた一部の貴族しか参加できないのよ。兵士でも平民は参加できないみたいね。」

 「そうなんだ。じゃー平民の俺たちがあの塔を見るには兵士になって見張りの任務につくしかないんだね。」

 掟もあるし、平民の俺たちが儀式を見れないというのは、そんな気がしていたが、まさか、儀式に兵士が参加しないとは思わなかった。母さんの言いぶりからして、貴族出身の兵士は参加するということなのだろうか。これは、グリルとエルミナにも話しておいてもいいかもしれないな、と思いながら俺が考え事をしていると、両親から釘を刺された。

 「ジューク、あそこには行っちゃだめよ?」

 「そうだぞ。あそこに近づくのはだめだ。近づくだけで兵士につかまってしまうからな。」

 「わかってるよ。行かない、行かない。」

 掟を破ることにはあまり罪悪感はわいてこないけど、兵士につかまるのはどうしてか少し怖い。けれども、ここまで調べて、この先を調べないなんてできない。きっと、気になって何も手につかなくなる。それに、ちょっと大げさかもしれないけれど、この謎には、きっとこの国の未来がかかっていると思う。まあもっとも、大人の目を盗むのは得意なのだ。グリルとエルミナも、アルフレッドだっている。俺は、四人で協力すれば何とかなるような気がしているのだ。そうして、両親に取り繕った返事をし、その日は眠りについたのだった。

 今日は作戦会議の日だ。初めてあの本を見つけた時からはもう四ヶ月くらい経っている。当時はまだ寒さの残る春先だったが、今はもう夏だ。毎日太陽が燦燦と輝いている。俺は、うだるような暑さの中、アルフレッドとエルミナの住むあの変な家へと向かった。

 到着し、中に入ると、もうグリルも来ていた。いいな。家が近くて。確か、噴水広場から東西に走る通りを挟んだ区域に家があって、図書館がちょうど中間地点くらいだったはずだ。

 帽子を脱いでパタパタと仰いでいると、エルミナが水を出してくれた。冷たくておいしい。

 「いらっしゃい。毎度ここで悪いわね。」

 「気にしなくていいよ。あまり聞かれたくない話だしね。それよりも、さっさと始めちゃおう。」

 そうして、俺たちは、どうやって塔の入り口まで向かい合うかの作戦会議を始めた。

 「その、いろいろと決める前にいくつか聞いておきたいのだけれど、いいかしら。」

そう言いだしたのはエルミナだ。確かに、エルミナはあまり外に出ないみたいだし、街のこともあまり詳しくなかった。ここは一旦、エルミナの疑問を解消しておこう。

 「どうしたの?」

 「そうね。まずは、王家の塔の場所はどこなの?」

俺が促すとエルミナからの質問が飛んでくる。

 「西の森の奥だよ。大門から出るとすぐ西側に森が広がっているんだ。その奥に王家の塔はあるよ。」

俺の答えを聞くと、エルミナは首を横に振る。

 「そういうことじゃなくて、正確な場所が知りたいのよ。」

 「……。」

 「……。」

早速躓いてしまった。掟で近づけないのだから、俺もグリルもそこまでは知らない。

 「歩けば一刻半といったところじゃろうな。」

答えてくれたのはアルフレッドだ。さすがは経験者。頼りになる。何やら一階と二階を箱を持って行ったり来たりしているが、俺たちの話は聞いてくれているらしい。

 「そう、ありがとう。」

 「他には?」

 「ええ、二人は森の中には入ったことあるの?」

 「俺はあるよ。父さんと薪を拾いに。でもそんなに奥までは入ったことないかな。」

 「僕はもう少しあるかな。王家の塔はちゃんと兵士にならないと近づけないけど、森の巡回にはなんどかついて行ったことがあるから」

 「わかったわ。それなら、案内はお願いできそうね。」

 「うん、任せてよ。」

そう言うとグリルは胸を張る。不安だが大丈夫だろう。グリルは考え無しだけど、考えれば頭は悪くないのだ。

 「もう大丈夫?」

 「大丈夫。ありがとう。」

 「よしじゃあ、改めて、会議開始だね。何から決めようか。」

エルミナの反応を見てグリルが話を進める。俺は、とりあえず思ったまま話してみることにした。

 「まずは、時間じゃないか?昼間なら大門は簡単に抜けられるけど、塔の周りには見張りがいる。反対に、夜なら見張りは少ないかもしれないけど、大門を抜けるのが大変だ。」

 「そうだね。時間によっては持ち物も変わるかもしれないしね。」

グリルが返事をし、俺も頷く。しかし、エルミナだけは違った。

 「あなたたちは夜中に家を出ても大丈夫なの?」

どうやら俺たちの心配をしてくれたらしい。

 「大丈夫ではないけど、そうなったら何とか抜け出してみせるよ。どうせ掟を破るんだ。それくらいはもう気にしないさ。」

 「そうだね。バレちゃったらどっちにしてもおしまいだしね」

 「確かにそうね……。それなら、塔の見張り次第ね。」

 やっぱりそうなるよなと俺は思った。王家の塔は、兵士たちが見張りをしているらしいが、それが何人いるのか、夜もいるのかについてはわからない。兵士長の息子で、他の兵士とも交流のあるグリルなら何か知っているかもしれない。そう思い、俺はグリルに話を振った。

 「グリルはあそこの見張りのこと何か知らないのか?」

 「詳しくは……。でも、夜は間違いなく手薄だよ。夜の警備は人手が少ない分気を抜けないって言ってたから。」

 「それなら、夜にした方がよさそうね。」

 「そうしよう!じゃあ、次は、どうやって大門を出るかだけど……。」

これまた難問にぶつかってしまった。夜の大門は施錠されているうえに、当直の兵士もいる。そんなのをやり過ごして大門を通るのは至難の業だ。

 「なぁ、グリル。あの大門って俺たちだけでも開けられるのか?」

 「いやたぶん無理だと思うよ。でも、緊急用の勝手口みたいなのはあるから通るならそこかな。まあ、つながってるのは当直室だけどね。」

 「つまり当直の兵士がいる以上は街の外には出られないってことだな……。」 

 しばらくの間、俺たちは意見を出し合い、あーでもない、こうでもないと意見を交わしたが、うまく街の外に出る方法を見つけられないでいた。

 「ねぇ、もし大門の近くで夜中に何か起きたら、誰が対応するの?」

エルミナがそんなことを言い出した。

 「え?それは夜勤の兵士が現場まで来ることになってるけど、よほど緊急なら応援が来るまでは大門の兵士が対応するかも……。」

 「そう、じゃあその、よほど緊急なことが起きればいいのね。」

そう言うと、エルミナは何ともいたずらな笑みを浮かべる。それに俺はドキッとしてしまったが、これはきっと恐怖からくるものだろう。そうに違いない。

 「ちょっと、エルミナ。何をする気なんだ?」

 「大門の近くでちょっとした騒ぎを起こすのよ。例えば、ボヤ騒ぎとかね。そしたら兵士も出て来ざるを得ないでしょうし、その隙に外に出られるわ。」

エルミナがそう言ってにこりと笑う。本当に心臓に悪い。

 「それはさすがに危なくない?」

グリルまでも止めに入る始末だ。

 「大丈夫よ。あらかじめ薪を用意しておいてそれを燃やすの。それで近くに水も用意しておけばすぐ消せるでしょ?」

確かに、兵士が現場まで来て、火を消して、門まで戻る程度の時間があれば抜け出すことくらいはできるだろう。

 「なるほどな。それなら何とかなるかも……。」

 「いいの?ジューク。」

 「よくはないけど、確実だと思う。」

グリルはしばらく考え込んでいたけれど、その後何とか同意してくれた。こう見えてグリルは正義感が強い。誰かが傷つくようなことは絶対にしないのだ。だから放火なんて本当はしたくなかったのだろう。

 「よし、次は塔の見張りだけど…。」

 「行ってみるしかないよ。兵士の配置も人数も正確なところは分からないんだし。」

 「そうだな。とりあえず行ってみるか。」

 何とか作戦は決まった。それから俺たちは決行日と集合時間をを決め、その日は解散することにした。

 そうして、家を出ようとしたとき、アルフレッドに呼び止められた。

 「お前たち、これを持っていけ。」

 「なに?これ。」

 「儂の発明品の一つじゃ。塔の扉の前には兵士がおるからな。陽動くらいにはなるじゃろう。使い方はエルミナが知っておる。」

そう言ってアルフレッドは、俺にカシャンカシャンと音を立てながら足を動かす、ブリキでできた手のひらサイズの馬の模型を手渡した。

 ――初めて来たときに聞いたのはこれだったのか。

 受け取った馬の模型を見ているうちに、アルフレッドはまたよくわからない大荷物を背負って家を出て行ってしまった。少しくらい説明が欲しいものである。


  *


 約束の日が来て、俺とグリルは、大門近くの建物の陰でエルミナを待った。

 懐中時計を見る。現在の時刻は、夜の十二の刻。明日、大人は仕事なので皆とっくに寝ている時間だ。俺が約束の時間になったことを確認するのとほとんど同時に、火魔法の明かりを使った合図があった。

 物陰に隠れながら移動して、俺たちは彼女と合流した。

 「よし、合流できたね。」

 「まずは街の外に出ようか。」

 「そうね。準備はしてあるわ。」

エルミナには、昼の間に、街の大門から少し離れたとこに薪を積んでおいてもらった。その薪に火をつけて、騒ぎに乗じて大門から外に出る手筈だ。

 「それで、どうやって火をつける?」

グリルが問う。

 「ここから火魔法でつけるわ。」

 「エルミナって平気な顔ですごいこと言うよな……。って、火をつける?ここから?届くわけがないよ。」

 普通、魔法はせいぜい半径三メートル程度の範囲にしか効果を及ぼさない。使用者の魔力量にもよるが、国一番の魔法使いでも、五十メートルがいいところだろう。まして、エルミナの指さす薪は、百メートルは離れている。ジュークと同じ十二歳の女の子が、そんな距離で魔法を使うのは、異常なことだった。

 「できるわよ。簡単だわ。あなた達できないの?」

 「できるわけないよ!」

俺とグリルが小声で怒鳴る。エルミナは訝しげな顔をしたまま、魔法を使った。

 ――火が付いた。

 凄まじい魔力だ。エルミナが感魔紙に魔力を流したらいったい何色になるのだろうか。

 エルミナの魔法で、ボワッと小さく音を立てて薪を燃やし始めた。次第に火が大きくなり、そこから煙が上がっていた。少しすると周囲が少し明るくなるくらいの大きな火になっていた。

 「ちょ、ちょちょちょっと、あれはまずくないか?」

 「大丈夫よ。危なくなったら水魔法で消すから。」

 「そんなこともできるのかよ。」

 「できるわよ。当たり前でしょ?」

まったく当たり前ではない。俺とグリルは驚きを通り越して呆れていた。

 そうこうしているうちに、当直の兵士が火に気付いて消しに来た。

 「今だ。行こう。」

そうして、作戦通り、俺たち三人は街の外に出ることに成功した。

 西の森に入って王家の塔に向かう。街から出てしばらくは、追っ手を警戒して走って移動した。

 エルミナは、走るのが遅かった。彼女は、基本的に家から出ないし、今までまともに走ったことなんて、ほとんどないのだろう。運動神経は良くないようだ。

 「エルミナ、大丈夫か?」

 「ちょっと、待って。」

 「ここまで来れば大丈夫だから、少し休もうか。」

 「ええ、ごめんなさい。」

しばらく休んでから、今度は兵士に見つからないように、森の中を歩いて移動した。そして、少し歩くと、王家の塔が見えてきた。

 王家の塔は、近くで見るとかなりの大きさだった。まるで巨木のような円柱状のそれは、頂上が見えないほど高く、その高さを支えるのに相応しいだけの太さがある。また、国王即位の儀式の際にも使われる場所のためか、周囲はある程度整備されている。

 地面は街の道と同じような石の道が敷かれ、少し離れたところには、塔を囲むようにして低木が植えられている。

 俺たちは、その低木の陰に隠れて王家の塔周辺を見張っている兵士たちの動きを観察した。

 王家の塔を守る兵士たちは退屈そうだった。それもそうか。この塔は、街の人たちの生活には全く関わりがないのである。掟で禁じられていなくとも、滅多に訪れる人はいない。それに加え、今は真夜中である。いくら王宮から派遣されている兵士とはいえ、油断するのも当然だった。


  *


 俺たち三人は、暇そうにしている兵士たちに気付かれないよう、塔の入り口近くまで、隠れながら進んだ。低木沿いに塔の入り口近くまで来たとき、エルミナが小声で話しかけてきた。

 「一人や二人かと思っていたけれど、十人はいるわね。」

 「そうだな。グリル、全然手薄じゃないぞ?」

 「うん、驚いた。騎士までいるよ。」

 「騎士だって?そこまでして一体何から守ってるんだ?」

 「なんでもいいわ。でも、これはまずいわね。」

 「せめて、扉の前にいる兵士を何とかしないといけないね。」

 「なぁ、二人とも、思ったんだけど、この塔なんだか綺麗すぎないか?」

 「確かに綺麗ね。暗くてよく見えないけれど、王家のものだし、しっかり手入れされているのでしょうね。」

 「そんなことどうでもいいよ!それより、どうやって扉まで近づく?」

グリルが急かしてくるのをなだめつつ、俺はカバンから例のものを取り出した。

 「これを使おう。」

 「あ、ブリキの馬だね。でも、前みたいに動いてないよ?」

 「うん、あの後しばらくしたら止まったんだ。エルミナ、使い方わかる?」

 「ええ、わかるわ。尻尾がね、つまみになっているの。それを回すとまたしばらく動き出すわ。」

 「へぇ。すごいな……。」

そう言いながら俺はつまみを回した。それと同時に、激しく後悔した。

 〈ぎぃいい〉

つまみを回すと、馬の尻尾の付け根から音が鳴った。

 後で知ったことだが、この馬は、時計のゼンマイを改造して、別の動力に変換する実験の副産物だそうだ。

 ともあれ、今はそれどころではない。昼間なら、それほど目立つ音ではなかった。しかし、静まり返った真夜中の森に、響き渡ったゼンマイを巻く音は、明らかに異質だったのだ。

 「誰だ!?」

気付かれた。俺の心臓の音は跳ね上がる。

 「そこに誰かいるのか?」

 「やばい、二人とも逃げよう。」

俺たち三人は低木の陰を来た方とは逆方向に向かって走り出した。

 「……子供か?おい、待て!侵入者!侵入者!」

 〈ピィー!〉

俺たちに気付いた兵士は、周りの兵士に向けて叫んだあと、警笛を鳴らした。

 「走れ!」

俺たち三人は必死に走った。まだ遠いようだが、後ろから兵士が追って来ている。

 「待て!」

 「二人とも!こっちだ!」

しばらく走ったところで、俺たちは森の中に逃げ込んだ。グリルは大丈夫だろう。エルミナも何とか付いてきている。正直なところ、今はエルミナを気にするほどの余裕はない。

 「待って……ハァ、ハァ。」

 「頑張れ!エルミナ!」

振り返らずに叫ぶ。そのまま走り続けていたところ、グリルの声も聞こえた。

 「ジューク、まずいよ!このままじゃ追いつかれる!」

その声に振り返ると、追いかけてきている人数が増えている。囲まれてしまう前に何とかしなければならない。

 「グリル!どこかに隠れられるところ知らないか?」

 「ええ!?そんな急に言われても……。」

 「お願い。早くして。」

エルミナがもう限界だ。本当にまずい。

 「あそこだ!ちょうど近くに僕らが入れるくらい大きな空洞の木がある!」

 「よしそこにしよう!」

そうして俺たちはグリルを先頭に方向転換する。

 それを追って兵士たちも木と木の間を縫って追ってくる。

 「待ちなさい!」

クソッ、まだ追ってくるのか。

 「エルミナ!大丈夫か?」

 「もう無理!」

 「魔法で何とかならないか?」

そう言った途端、足音が一人分消える。焦って振り返るとエルミナが立ち止まっていた。

 「はぁ、はぁ、早く言いなさいよ。」

そんなことを言いながらエルミナが兵士の方を向いて手を前に突き出す。

 「風よ!吹き飛ばせ!」

すると、突風が砂埃を巻き上げながら兵士たちに向かって吹き荒れる。

 「ぐわあああ。」

虚を突かれた兵士たちの悲鳴が聞こえる。そしてさらにエルミナは追い打ちをかける。

 「二人とも目を閉じて!閃光よ!」

そう言った途端、光魔法で作り出された閃光が兵士たちの目の前で炸裂する。

 「目が!」

またも悲鳴。これでしばらくは足止めできるだろう。

 「すごいよ!エルミナ!」

 「ああ、本当に。国で一番じゃないか?」

 「はぁ、はぁ。そんなのは後よ!早く行きましょ。」

息を切らしながらエルミナが一喝する。その後少し走った所にグリルの言っていた木があった。何本かの木が絡み合って、根元に空洞ができているらしい。よじ登って上から出入りできるみたいだ。

 「ここだよ。さあ、入って。」

最初にグリルが入り、それに俺が続いた。最後はエルミナだ。

 「エルミナ!僕の手をつかんで。頑張れ!」

 「待って、ちょっ、キャっ!」

エルミナがこけた。

 「エルミナ。大丈夫か?」

 「ハァ、ハァ。ごめんなさい。膝を擦りむいた。兵士は?」

 「大丈夫、ひとまず巻いたみたいだよ。」

グリルが答えた。

 「俺が手当てするよ。」

俺は、カバンから布を取り出して、大急ぎで傷の上から巻く。

 「痛っ。」

 「あ、ごめん。」

 「大丈夫。ありがとう。」

傷口に直接触ってしまったせいで、エルミナは少し涙ぐんでいた。

 「動けるか?」

 「ええ、何とか。」

 「どうする?塔の近くに戻るかい?」

 「そうだな。もう少し、兵士たちの様子を見て、扉まで戻ろう。」

少し遠くに兵士たちの声が聞こえる。俺たちは、その声が聞こえなくなるまでそこで過ごし、その後何とか隠れながら元の場所の裏側の低木まで戻って来た。

 「兵士が一か所に集まっている。きっと応援を呼んで本格的に捜索するんだろうね。」

 「そうね。まだ数がそんなに多くなくてよかったわ。」

 「あの位置なら扉の前は大丈夫そうだ。今のうちに戻ろう。」 

 そうして、低木沿いに扉の近くまで戻って来た。見張りはいない。

 「誰もいないね。今しかないんじゃない?」

 「そうだな。行こう。」

扉の前まで来ると、その様子がよく見える。塔には精細な彫刻が施され、新品のように綺麗に手入れされている。

 「やっぱり、開かないね。」

こういう時、真っ先に突っ走るのはグリルである。いつの間にか両手で扉を押している。

 「アルフレッドさんが何をしても無理だったんだ。そう簡単には開かないよ。」

 「どうするの?街まで戻る?早くしないと見つかるわよ。」

 「もう少しだけ調べよう。」

俺はそう言うと、扉から少し離れて何か装置がないか探した。あの本にあったように、この国が以前栄えていたのであれば、そういうものがあってもおかしくないと思ったのである。

 グリルは、扉をこじ開けようとし、エルミナは、しゃがみこんで休んでいる。相当疲れたのだろう。

 兵士が戻るまでの短い時間では、満足に調べることはできない。せめて何か見つけて帰りたいものだが……。

 「何か見つかった?」

 「何も……。気になるのはこの綺麗すぎる塔そのものと、この彫刻だけだね。グリルは?」

 「こっちもダメだ。何をしても開きそうにないよ。」

グリルと話していると、森の奥から兵士の声が聞こえる。

 「いたぞ!」

 「お前たち!そこで何をしている!」

戻って来た。走って向かってくるがまだ少し遠い。さっきの調子でまた森の中を走れば何とか巻けるだろう。そう思って、扉の前で座って休むエルミナに声をかける。

 「エルミナ。立って!兵士が戻って来た!また走るぞ。」

そう言って俺は扉に片手をついてエルミナに手を伸ばした。すると、扉に施された彫刻が青白く、淡く光り始めた。

 「なにこれ?」

エルミナが立ち上がって、振り返りながら驚いている。

 「わからない。ただ触れただけで光りだしたんだ。」

驚いている間にも、兵士はこちらに走ってくる。そして、扉の光は次第に強くなっている。

 「とにかく逃げよう。」

 「そ、そうね。」

逃げようとしたが、間に合わなかった。エルミナが向き直った時には、俺たち三人はすでに周りを兵士に囲まれていた。

 「動くな!王家の塔に何をした!」

兵士が声を荒げている。

 「何もしてない!勝手に光りだしたんだ。」

 「まあいい。このあとしっかり吐かせてやる。」

兵士たちはじりじりとこちらににじり寄ってくる。

 そこで、俺の隣に立っていたエルミナが暴挙に出た。

 扉を背に、兵士たちと俺たちの間に、火魔法で火をつけたのだ。半円状の炎の壁である。

 「おいやめろ!火を消しなさい。クソッ、なんて魔力だ。」

兵士はもちろん、騎士ですら、エルミナの魔法に手も足も出ていない。

 「エルミナ。何するんだよ。」

 「捕まったらどうしようもないじゃない。人が増える前に何とか逃げるしかないわ。」

 「これじゃどこにも逃げ場がないだろ。」

言い争う俺とエルミナにグリルが声をかける。

 「ちょっと、二人とも。扉が!!」

王家の塔の扉が先ほどまでよりもさらに強い光を放っている。刻まれた彫刻に沿って光が見る見るうちに広がって行き、その模様がチカチカと明滅している。光の拡大が終わった瞬間、カッとまた明るくなる。俺たちが光る扉の様子を見守っていると、どんどん光は強くなり、次第に目を開けていられないほど強くなった。

そして、唐突にその光が消えた。何が起こったのかと目を開けると、眩んだ視界から驚くべき景色が浮かび上がってきた。

 「扉が、開いた。」

 「ああ、開いたというか、消えたな。」

 「行きましょう。」

俺とグリルは驚くばかりだったが、エルミナは少し違った。驚いているのは確かだが、中に吸い込まれるように歩いて行ったのである。

 俺たちが塔の中に入ると、騒がしかった兵士の声や、炎の壁がパチパチと燃え盛る音が消えた。俺が振り返ると、扉は元通りになっている。兵士たちが追って入ってくる様子もなかったので、俺たち三人は、互いに顔を見合わせ、小さく頷き合うと、塔の奥へとゆっくり進んでいったのだった。


 *


 王家の塔の中は暗い。二人の顔が見える程度の明かりはあるが、部屋の全体まではよく見えない。光源は、扉を挟むように台座に刺さった蒼い炎の松明二本のみである。

 俺たちが恐る恐る奥に進むと、扉の横の松明から、俺たちを囲むように取り付けられた松明がぐるりと灯った。王家のものにしては不気味だが、外から見ていた通り、かなりの広さだ。

 見渡すと、奥の方に階段が見える。他には何もなさそうだが、念のため一通り見て回ってから、俺たちは壁伝いに伸びる階段を上り始めた。

 階段を上っていると、少し上るたびに近くの松明が灯る。そういう魔法なのだろう。原理は全く分からないが。

 階段はかなり長く、終わりは見えない。つくりは質素だが、上品な手すりが付いている。ふと気になって懐中時計を見ると、最後に見た時から一刻ほどのところで止まっていた。きっと帰るころには朝だろうなと考えながら、ねじを巻きなおしておいた。

 それから俺は、塔の中を観察したり、朝帰りの言い訳を考えたりしながら上った。しかし、いい加減同じ景色にも飽きたので、階段の段数を数えながら上ることにした。

 しばらくの間、俺たち三人は会話もなく塔を上っていた。

 横を見ると、エルミナはすでにくたびれているし、グリルは、自分の懐中時計を見て大きなため息をついている。

 そうして、俺の段数カウントが五百を超えたあたりで、ふと、グリルが話を切り出した。

 「それにしても、どうして扉が開いたのかな。」

 「わからない。俺が触れたら、勝手に光りだしたんだ。」

 「それって、ジュークが特別だったってことかな?」

 「さあ、どうだろう。でもエルミナの魔法にも反応してたよな。」

 「そうね。わたしも驚いたわ。」

 「んー、あ、もしかして。」

 「あ、そういうことか。」

俺とグリルが同時に気付く。エルミナはきょとんとしている。

 「何?」

 「エルミナ、アルフレッドさんが魔法を使えないってほんと?」

 「ええ、全く使えないらしいわ。」

 「それってさ、魔力がないんじゃない?」

 「さあ、どうかしらね。それがどうしたの?」

俺とグリルの質問に答えながらエルミナは眉根を寄せている。

 「扉だよ。あの扉は魔力に反応していたんじゃないか?だからアルフレッドさんには開けられなかった。」

 「なるほど、そうかもしれないわね。」

 「へへっ。」

グリルが得意げな顔をしている。

 「けれど、それにしては、兵士の驚き方が変だったわね。」

 「どういうこと?」

鼻を折られたグリルが落ち込んでいる。俺は、エルミナの言いたいことが分かったので、言葉を引き継ぐ。

 「魔力で開くことを知っていたら、あの青白い光も知っているはずってことだよね?」

 「ええ、あの兵士たちは、あの光を見たことないように見えたわ。」

 「でも儀式にあんな一般の兵士は参加しないよ?父さんが言ってた。これ以上出世すると、儀式に出なくちゃいけなくなるから嫌だって。でもまぁ、そんな役職には平民を選んだりしないだろうけどね。」

 「そうなのね。それなら、あなたの言う通りかもしれないわね。」

 「へへん」

またグリルが得意そうになる。

 しかし、エルミナの言うことも一理あると思いながら、俺は聞いていた。例えば、儀式以外でも扉が開くようなことがあれば、あの光を見る機会はあるだろう。しかし、あの兵士たちの反応は違った。つまり、この塔を警備している兵士も扉が開くところは見たことがないのだろう。儀式に参加する、国の偉い人達、グリルの父さんよりもさらに上の一握りしか知らないのかもしれない。

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