第3章 12年前の捨て子

 グリルの言うヘンジイとは、街の西側、俺の家とは大通りを挟んで反対側の平民居住区に住む、よくわからない発明をして暮らしているおじいさんのことだ。街の人からは厄介者扱いされ、国に隠れて魔法の研究をしているという噂まである変人だ。ちなみに、俺もグリルも、このおじいさんとは全く面識がない。以前、異様に大きい箱のような帽子をかぶって、大声で独り言を言いながら歩いているのを見かけた程度だ。それだけでも変わった人物なのははっきりしているのだが、その日はそれだけではなかった。不審に思われたのだろう、兵士に声をかけられていたのである。ヘンジイと兵士は、その場で少しの間言い合いをした後、ヘンジイが急に怒り出し、兵士へと殴りかかっていったのだ。しかし、力の差は歴然なので、一瞬で取り押さえられ、西側の平民居住区の方へ連れ戻されていた。どうせ、その時が初めてではないのだ。兵士も慣れているようで、ヘンジイをケガさせることなく無力化し、やれやれといった様子だった。俺は、その一部始終を、変わった人もいるんだなと思いながら遠巻きに眺めていたのである。

 父さんと母さんにその出来事を話すと、あの人は人の話を聞かない上に暴力的だから近づくなと言われた。その人がヘンジイと呼ばれていて、街の有名人だというのはその時に初めて知ったのだ。そんな変人、会えと言われても会いたくない。誰が会いたいと思うものか。そう思っていたのに、今俺たちはその人の家の前にいる。

背の高い一軒家は、その高さに反して間口は狭く、正面に立つと些か不自然に感じるほどだった。家の横の壁沿いには、明らかにおかしな色をした植物の植えられた鉢が並べられ、廂からはジャラジャラと音が鳴る飾りが何本も垂れていた。扉の前には階段があって、五段くらい上がったところに扉がある。俺たちは、この扉を叩くかどうかで躊躇していたのだ。

 「ここか?」

 「うん。ここしかないでしょ。」

 「そ、そうだな。」

 俺たちがなぜ、こんなところにいるかというと、話は何日か前にさかのぼる。

 この前、図書館であの本を読んだ日、俺は家に帰ると、それとなく父さんと母さんにこの街のことについて尋ねてみた。

 「ねぇ、この街はなんでほかの街みたいに魔法式の街灯を使わないの?」

 「さぁな。魔法技術の開発は禁止されているしな。それに、ああいうのは作るのにすごくお金がかかるんだぞ。この国の街灯を全部変えようと思ったら国が破産してしまうよ。」

父さんはそう言った。確かにその通りなのかもしれないが、あの本にはもうすぐ実用化されるようなことが書いてあったはずだ。それなら、作る準備もしてあったんじゃないだろうか。もし材料と技術の両方がこの街から消え去ったのだとしたら、やっぱりあの本が書かれた後、この街に何かがあったのだろう。

 本を見つけた日は図書館で魔法を勉強するのに時間を使ったが、それは、調べる前段階として魔法の知識が必要だと思ったからである。疑問自体は何も解消されていない。そして、ある程度魔法のことを知ってもなお、あの本に書いてあることの真偽を自分たちだけで調べるのは難しかった。これでは街の歴史をしらべるなんてもっと先になりそうだと思った。

 その日から数日後、俺たちは魔方陣探しの探検に出かけた。まず手始めに、研究員が滞在したという大使館を探した。とはいえ、この街にそんなものがないことは知っているので、過去にあったことが分かるような痕跡を探すことにしたのである。そして、それは意外にもすぐに見つかったのだ。本に書いてあった噴水広場の東側には、集合住宅が四つで一組の状態でいくつか立ち並んでいた。土台の部分が段差になって、四つの建物で共有されている。建物自体は俺が住んでいるのと何ら変わりないが、おそらく、土台の部分だけが大使館だったころの名残なのだろう。それを見つけた俺たちは調子づいた。が、しかし、後にも先にも見つかったのはこれだけだった。 

魔方陣など、この街のどこにも見つからなかったのである。

 そんな日が続くうちに、俺も大人の手が必要だと、それなりに感じるようになっていたのである。大使館の名残のようなものが見つかって、本に書いてあることはすっかり信じていたのだが、そのせいで、謎が謎として確かなものになってしまったのだ。

 ――この街に一体何が起きたのだろう。

 その謎を解き明かしたい。グリルも俺も、そう思ってここに来ることを決めた。こんなこと、知っている大人に話すのは憚られる。やめろと言われるに決まっているからだ。その点、あの老人なら、他の大人にばれても大して相手にされないだろうという打算もあった。グリルが最初にここに来ると言い出した時は、なんて事を言い出すんだと思ったが、何日も進展がなく、もうこの手しかないと思い、ここへくることを決めたのである。

 「行くか。」

 「うん。」

そして、俺たちは変な家のドアをノックした。ノックしたのだが、返事がない。

 「留守かな?」

 「あのじいさん、いつもどこかほっつき歩いているからなぁ。」

そういってグリルが家のドアをガチャガチャやっている。

 「おい、まずいだろ。」

 「え?」

後ろから声をかけると、グリルはドアノブを握ったままこっちを振り返った。

 「あ。」

 「開いた。」

 何とも不用心である。とは思ったものの、この風体の家に入り込もうなんてもの好きはそうそういないだろうと、すぐに思い直した。そして、引き込まれるように中に入るグリルを追って、俺も中に入ったのである。

 「お邪魔しまーす。」

 部屋に入り、一番初めに目に付いたのは、左の壁沿いにうずたかく積み上げられた大小さまざまな箱の数々だ。この一つ一つが噂の発明品なのだろうか。ちょっと気になる。しかし、今はそんな場合ではない。ヘンジイを探さなくては。そう思い、反対側を見てみると階段があった。二階があるようだ。

 「僕、二階を見て来るよ。」

グリルがそう言い、俺の返事も聞かず階段を上っていく。まあいいかと思い、俺は下の階を見てヘンジイを探すことにした。

 これだけ物が多いと、どこかに人が埋もれていても気付けないのではないだろうか。奥の方に置かれた丸いテーブルとその周り以外は、床までものが散乱している。しかし、天井が高いか、これだけ散らかっている割にここは広く感じる。

 部屋の最奥は出窓になっていた。その前にも物が散らばっていて、右側の端は天井まで積まれた箱で隠れている。天井まで続く大きくて細長い窓はステンドグラスのようになっている。なんの模様かはわからないが、とても綺麗だった。そして、日光が照らしてその形を引き延ばし、より美しくその模様を散らかった床に描いていた。

 描かれた模様に見とれているうちに、グリルが二階から降りてきた。俺が振り向き、グリルは俺の目線に気付くと首を横に振った。どうやら二階にも誰もいなかったらしい。

 それにしても、さっきから何やら音が聞こえてくる。カシャンカシャンと鳴るその音の出どころは分からない。グリルが二階で何か触ったのだろうか?

 「さっきからなんなんだ、この音。グリル、何か触ったか?」

 「いや、僕は何も触ってないよ。ジュークも触ってないんだよね?」

やはり二人とも触っていなかった。なんて不気味な家なんだ。そう思っていると、今度は目の前の机に置いてあるポットから、急にヒューという音がした。ポットは何やら燭台のようなものに置かれていて、火は使っていない。それなのに、蓋はカタカタと動き、注ぎ口からは煙が上がっているのである。

 「うわ、何だ!?」

グリルが驚いてそちらに目を向ける。

 「お湯が沸いたのかな?」

そう言って俺がポットの蓋を上げると中の水は案の定沸騰していた。

 「大丈夫、湯を沸かしていただけみたいだ。」

俺がそう言うとグリルがホッと胸をなでおろす。

 誰もいないのに何でこうもいろんなものが動いているんだと、俺とグリルが不思議がっていると、突然背後からこえが聞こえた。

 「誰?」

 「……ひぇっ。」

喉から変な音が出た。その声に反応してなのかもう一度声がする。

 「誰なの?」


  *


 それは、静寂な湖面のように澄み渡った声だった。ただ聞いているだけで、心を奪われそうなほど引き込まれた。しかし、その中から漏れる感情はどことなく気怠さを感じさせるものの、多くは読み取れなかった。俺がどうにか振り返ると、そこにいたのは一人の女の子だった。先ほど積み上げられた箱で陰になっていた出窓の右端、そこに彼女はいた。箱の陰から顔を出して俺たちに声をかけた女の子は、俺たちがあっけにとられているのを見ると、面倒くさそうに立ち上がり、出窓の前に積まれた箱を階段代わりにしてゆっくりと降りて来る。星の輝きをすべて集めたかのような、長くてサラサラした銀髪を靡かせて、最後の一段を下りると、上品に着こなしている各所に白いフリルのついた黒のワンピースの裾を、片手でパンパンとはたく。もう片方の腕には、大きな本が落とさないようにと抱きかかえられている。そして、女の子は俺たちの前まで進み出ると、はぁ、と一つ溜息をついて一言。

 「あなた達、いったい誰なの?」

 しかし、俺の声は出ない。その問いに答えようとしたが、言葉に詰まってしまう。宝石のように美しい碧眼が俺を見る。年はおない年くらいだろう。身長は俺と同じか少し低いくらい、グリルと三人で並んだら、グリルが一人年下に見られそうである。幼さの残る顔立ちだが、目元だけは大人らしく見え、興味なさげな表情も相まって、その可憐さは神々しさすら感じるほどだった。そしてそれは、俺から言葉を奪うのに十分だった。女の子が表情を徐々に怪訝なものに変えていく間も、俺はただ見ていることしかできなかったのである。

 ふいに目が合う。俺は急に恥ずかしくなって目をそらした。

 「何か答えなさいよ。」

 気怠そうに言われ、俺は何とか声を絞り出す。グリルは何やってんだ。答えてくれればいいのに。

 「あぁ、ごめん。俺はジューク。もう一人はグリル。」

 「そう。知らないわね。そのもう一人っていうのはあそこの人?」

そういわれて振り返ると、グリルはもう別のものに興味が映っているようで、散らかっている箱の蓋を開けて周っている。もういいや、あいつは。

 「あぁ。うん。そうだよ。」

 「それで、何しに来たの?あなた達、アルフの知り合い?」

 「アルフって?」

 「ここの家主よ。」

 「あぁ、ヘンジイのことか。それで、ええと君は?」

そう言った途端、今まで気怠そうにしていた彼女が、さらにむっとした。

 「わたしはエルミナ。あと、あの人をそんな風に呼ばないで。」

 「ご、ごめん。」

声を荒げるでもないのに、その言葉には凄味があった。声は、俺たち同様子供のそれなのに、何か不思議な力でもあるのではないかと思うほど、惹きつけられてしまうのである。そんな声でピシャリと言われてしまうと、誰も何も言い返せないだろうと思うほどである。まあ、今回は同居人を悪く言ってしまった俺が悪いのだが。

 「それで、何の用なの?」

 「あ、その、俺たちは、アルフさんに聞きたいことがあって来たんだ。」

 「そう。アルフは今出かけているから、その辺で勝手に待っておきなさい。」

彼女はそう言って、今度は出窓の前の箱に腰かけ、本の続きを読み始めた。

 そうして、俺は、目的の人物に会う前に、この可憐すぎるほど可憐でミステリアスな雰囲気を醸し出す女の子、エルミナと出会ったのだった。

 エルミナとの最後の会話から半刻ほどの時間がたった。ふと懐中時計を見ると、時刻は、昼の十一の刻。昼食にはまだ少し早いが、そろそろお腹が空いてくるころ合いである。しかし、俺の頭の中はそれどころではない。

 ――気まずい。

 そもそもこの女の子は誰なのか。あのおじいさんに子供や孫がいるなんて話は知らない。この半刻、彼女は一言も発さずひたすらに本を読みふけっている。俺やグリルのことなどまるでいないかのように、何も気にせず振舞っている。俺は、この気まずさに耐えかねて、恐る恐る彼女に声をかけた。

 「あの、君はここで何をしているの……?」

 「本を読んでいるわ。」

見ればわかる。

 「そうじゃなくて。ここで暮らしているの?」

 「そうよ。」

 「そうなんだ。ヘンジ……」

そこまで言いかけた瞬間、空気が凍り付いた気がして、慌てて言い直す。

 「あ、ああ、じゃなくて、アルフさんは君のおじいさんなの?」

 「違うわ。それと、エルミナでいい。」

 「え。ああ、じゃあエルミナは家族じゃないけどアルフさんとここで暮らしているの?」

 「そうよ。」

どうして?とはなんだか聞きづらかった。なので俺は、その代わりの質問を何とか探して投げかける。

 「そうなんだ。エルミナは何歳なの?」

 「たぶん十二歳。」

 「へぇ、同い年なんだ。」

 「……。」

 話が全く続かない。エルミナは、俺の質問に適当に返事をしながらも、ずっと本を読んだままである。

 「その本、何を読んでいるの?」

 「物語よ。外国のだけれど。」

 「え?それってこの前届いたっていう?」

 「知らないわ。この前、朝図書館に行ったら見慣れないものがあったから借りてきただけよ。」

 「すごいな。外国の物語なんて、届いた日には誰が借りられるか競争になるのに。エルミナは運がいいんだね。」

 「そうかしら。そんなに読みたければ私の次に借りれば?一緒に行けばそのまま借りられるでしょ。」

なんだか空気が和らいだ気がする。本が好きなんだろうか。そうなのだろう、あの誰もいない図書館に朝一から本を借りに行くほどなのだから。

 「ありがとう。グリルも喜ぶよ。」

実のところ、俺自身は、そこまでこの本に興味はなかった。いつもグリルが読んだ後に読ませてもらうくらいだ。今回もきっとそうなるだろう。そう思い、俺はグリルを呼ぶ。

 「グリル!ちょっとこっち来て!」

 「何?今この家を探検していたんだけど。」

 「いいから。ちょっとあれ見ろよ。あの本。」

 「ん?何あれ。」

 「前に言ってただろ?外国の物語だよ!この前届いた。」

 「え?なんでこんなところに!」

 「エルミナが、届いた日に借りたんだって。」

 「すごい!」

そう言うと、グリルはエルミナに駆け寄った。寄ってこられたエルミナの方はというと……。ものすごく迷惑そうにしていた。眉根を寄せて、グリルから逃げるようにそっぽを向いている。今まで、基本的に無表情だったのだが、読書の邪魔をされるのは嫌らしい。エルミナは、本を読みながらでも俺との会話には一応付き合ってくれたし、結構器用なのかもしれないがあれはさすがに嫌なのだろう。まあ、あれを会話だと捉えていいかは微妙なところなのだが。

 グリルはそれを気にも留めず、無遠慮にエルミナに問いかける。

 「ねえ、その本面白い?僕、それを読むの楽しみにしていたんだ。」

 「そうね。面白いわよ。序盤で仲間だった騎士が中盤で……。」

 「わー!待って。言わないで。」

 「あら、感想を聞いてきたのはあなたじゃない。」

こいつ、顔に似合わずいい性格しているな。グリルが一番嫌がりそうなところを狙いすましたかの如く突いている。しかし、それは性格が悪いというよりも、どこかいたずらめいた表情と話し方で、さして悪い印象はなかった。意外と仲良くなれるかもしれない。そう思っていると、グリルがまたエルミナに話しかけた。懲りない奴だ。

 「その本、君が読んだら僕に読ませてよ。それで、僕が読んだら一緒に感想を言い合わない?」

 「何それ…?楽しいの?」

 「うん。きっとね。だって、同じ本を読んだ人同士で集まって、その本について話すんだよ。自分じゃ気付けなかったこともあるかもしれないし、友達がどう読んでいたかも聞けるのなんて面白そうじゃない?」

 グリルがそう言い終えると、エルミナが目を見開いたかと思うと、ゆっくりグリルの方を向く。その時にはもう、さっきまでの無表情に戻っている。

 「友達……。そうね。面白そう。わかったわ。」

お、意外な反応だ。エルミナは意外にも、こういう友達を探していたのかもしれない。その表情と、不愛想さから、他人になど興味がないのかと思っていたが、そうではないらしい。それならと思い、俺も乗り遅れないように声を上げた。

 「おい、ずるいぞ!俺も読みたいんだ!」

 「わかっているよ!ジューク。僕が読んだら次は君の番だよ。」

 「なんだよ。俺が教えたのに俺が最後かよ。」

 そう言って俺とグリルが噴き出す。エルミナは無表情のままだったが、かなり雰囲気が柔らかくなった気がした。少なくとも、最初のような気怠さや無関心な様子は感じられなくなっていたのである。

 「ところで……。」

グリルがまたエルミナに問いかける。

 「ところで、君は誰なの?」

 「……。」

場が静寂に包まれた。エルミナは、一瞬驚いたような顔になって、こちらを見て来る。俺は、その無言の問いかけに首を横に振ってから答える。

 「ごめん、エルミナ。こいつはこういうやつなんだ。グリル、さっき俺たちが話してたのを聞いていなかっただろう。この子はエルミナっていって、ここで俺たちが今までヘンジイって呼んでいたアルフさんと一緒に暮らしているんだ。」

 「そうなんだ。全然聞いてなかった。よろしくね、エルミナ!」

 「え、ええ、よろしく。」

案の定というべきか、グリルはこの家の探検に夢中で俺たちの会話を何一切聞いていなかったらしい。それにも拘わらず、不愛想なエルミナに気軽に近づいていき、すっかり打ち解けてしまっている。グリルのこういうところは本当にすごいといつも感心させられる。

 「俺も!よろしくな!」

グリルに倣って俺もエルミナにそう言うと、彼女はまたその綺麗な碧眼で俺とグリルを交互に見て、コクリと頷いた。


  *


 俺たちとエルミナが少し打ち解けた時も、部屋の中ではいろんなものが動いていた。入って来た時から聞こえているカシャンカシャンという音も相変わらず鳴っているし、火を使わずにお湯を沸かすポットのことも気になる。他にもさっきからパンの焼けるいい匂いも漂って来ている。いつの間に焼いていたのだろう。その一つ一つをエルミナに聞こうとしたが、気付けば本を読みふけっている。俺やグリルが声をかけても、そうね、か、知らないわしか返ってこないのである。

 グリルも、エルミナから離れ、先ほど同様箱の蓋を開けて周っている。そして俺はというと、たいしてやることもなく、ぐるぐると周りを見回して、部屋を観察していた。改めて見ると本当に変な点が多い。

 まず、この部屋には時計が多いのだ。俺の家にも壁に取り付けられた時計があるが、一つだけだ。しかし、この部屋には時計が目に付く範囲に三つもある。この箱の山の中には他にもまだ隠されているのだろう。

 さらに、さっき湯を沸かしていたポットの置いてある机の上には、バラバラに分解された時計がある。これも何かの発明に関係あるのだろうか。

 そしてもう一つ、この部屋の内装にも気になる点があった。この部屋は、平民の家というには些か高級すぎるのだ。部屋の柱や、階段の手すりには上品な彫刻が施されており、一介の平民、まして、国民から煙たがられるような変人が住んでいるのはかなり不自然だと言える。

 この国で一軒家に住むには、それなりの稼ぎがあるか、何かで国に貢献した実績が必要となるのだが、アルフにはそのどちらもないように思えるのである。そうして、俺が家の様子をグルグルと眺めていると入口の方からグリルの声が聞こえた。

 「おい、ジューク!あれ!」

 グリルに呼ばれるがまま移動して入り口横の窓から外を見ると、大きな機械のような荷物を担いだ痩せぎすの老人がこちらに向かって歩いて来ているのが見えた。ヘンジイもとい、アルフである。彼は、小走りで帰ってくると、大きな音を立てて勢いよくドアを開けた。

 「何故上手くいかんのじゃ。」

そうやってブツブツ言いながら家の中に入って来る。

 入口のすぐ横に立っていた俺たちに気付かないまま、机に転がっていたカップにポットからお湯を注いでそのまま啜っている。

 「あ、あの、アルフさん、こんにちは。」

 俺がそう声をかけると、驚いた顔でこちらを見てきた。どうやら本当に気付いていなかったようだ。

 「なんじゃお前たち。いつの間に入ってきた?なんでワシの名前を知っておる?」

 「初めまして。俺はジューク。こっちのはグリル。アルフさんが帰るのを待ってたんだよ。名前はエルミナが…。」

 「そうか。ワシはアルフレッド。お前たちがアルフと呼ぶのは許さん。」

 アルフというのは愛称だったらしい。それならそうとエルミナも教えてくれればいいのにと思ったが、あの様子じゃそれは無理だっただろう。

 「エルミナは、アルフレッドさんの家族なの?」

 「ん?まぁ、家族といえば家族じゃがな。血は繋がっておらん。」

 「……?」

 「捨て子じゃった。見つけた以上放って置けず、一緒に暮らしておる。」

 「捨て子、だったんだ。」

 「そうじゃ。今から十二年ほど前じゃった。」

それからアルフレッドは、早口だが思い出すように短く言葉を区切りながら当時のことを話してくれた。

 「あれは、確か、雨の日じゃった。当時ワシは街の南にある荒野の調査をしておった。ずぶ濡れになって街の近くまで変えると、街の大門のあたりで赤子の泣き声が聞こえたのじゃ。ワシがあたりを見回しても、周囲に大人の姿は見えんかった。掟で大門が閉まる時間までほとんどなかったから、とりあえずワシは泣き声のする方へ向かった。すると森の入り口にある木の根元に、高級そうなゆりかごが置いておった。」

 「そこにエルミナが?」

俺が口をはさむと、なぜかアルフレッドに睨まれた。しかし、そのまま俺の言葉に頷くと、続きは話始める。

 「うむ。そんなものを買えるのはこの街では貴族しかおらん。放って置いたらこの子が死んでしまうと思ったワシは、とりあえず連れて帰ることにしたのじゃ。そうじゃな。雨が降っていたのもあるが、ワシが赤子を連れているのも不自然じゃから、とりあえず身に着けていたローブを籠にかけて隠し、大門を通ってあとは普通に家に帰った。」

 言い終えると、アルフレッドは壁際まで行きガサゴソと箱の中を探り始めた。俺は、そんなアルフレッドに構わず、疑問をぶつける。

 「そうだったんだ。でもどうしてこの子の名前がエルミナだってわかったの?」

 「これじゃ。」

アルフレッドが、一通の手紙を手渡してくる。箱を弄って探していたのはこれだったらしい。俺はそれを受け取って裏表を確認するが宛名や送り主の名前はない。

 「これは?」

 「これが、エルミナのゆりかごの中に入っておったのじゃ。開けてみい。」

そう言うと、アルフレッドは目線で俺に読めと促す。それに従い封筒を開けると、一枚の手紙、というよりグリーティングカードが入っていた。しかも、そこに書いてあるのはたったの二行。

 『この子の名前はエルミナ。心優しきお方、この子のことをお救いください。』

 「これだけで?」

 「そうじゃ。」

頷くアルフレッドに手紙を返しながら、俺はもう一つ質問する。

 「でも、どうして街の外に……?ふつうは孤児院の前とかに置いていくんだよね?」

 「わからん。じゃが、どうせ貴族のメンツにかけてそんなことはできなかったとかじゃろう。」

 「そんなの、勝手だよ。」

 「大人とは、そういうものじゃ。」

 ――なんだそれ。

貴族のメンツ?そんなもので子供を捨てたというのか。いや、エルミナが本当に貴族の子供なのかはわからないが、どちらにしても、子供を捨てるなんていうのは大人の勝手だし、子供にとっては理不尽以外の何物でもない。俺は、そんなアルフレッドの話を聞いて腹が立ったのだった。

 アルフレッドが話している間、グリルも俺と一緒になって話を聞いていた。こいつがおとなしく話を聞いているなんて珍しいななどと思っていたところ、グリルがアルフレッドに問いかける。

 「それで、エルミナの両親は見つかったの?」

 「いや、見つかってはおらん。この国の貴族なんじゃろうが、じゃからこそ、そんな事実は決して認めんじゃろう。ワシも知り合いの伝手をたどっていろいろと探ってみたが、何もわからんかった。あとは、エルミナ自身が街に出て調べて回るしかないじゃろうな。」

アルフレッドは無念そうにそう言うが、仕方のないことだろう。そんな事実、あったとしても認めないように思う。しかし、アルフレッドが手を尽くしてダメだったというのに、エルミナにどうしろというのだろうか。そんな俺の疑問を代弁するようにグリルが質問を続ける。

 「調べるってどうやって?」

 「何を言っとるんじゃ。貴族街に潜り込むに決まっておるじゃろう。」

 「え、それは、掟で……。」

 「そうじゃな。でも、親に会いたいと思うのは当然じゃし、会いに行くのはこの子にとって許されるべき権利じゃ。」

 俺は、この老人のことを勘違いしていたみたいだ。街の大人たちは、アルフレッドのことをただの変な人物として遠ざけ、関りを持とうとしない。そのせいで、必要以上の偏見が生まれ、みんなの中でそれが固定観念を生み、本当のこの人の姿を靄の中に隠してしまっているようだ。これまでの話を聞く限り、アルフレッドは、捨てられていたエルミナを保護し、育て、本当の親を探すのにも協力している、尊敬すべき大人なのである。確かに部屋の中は変だし、外から見たこの家も変だから、こうして話してみないとただの変人に見られても仕方がないような気もするのだが。グリルも同じように思ったのか、アルフレッドの言葉に大きく頷き、今度はエルミナに問いかける。

 「うん、その通りだね。それで、エルミナは、両親を探しに行ったの?」

すると、エルミナは読んでいた本をパタンと閉じて体をこちらに向ける。そして、閉じた本の表紙を手でさすりながら答える。

 「行ったわ。何度かね。見つからなかったけれど。」

 「そうか…。」

 「そもそも、顔も知らないのだから探しようがないじゃない。」

 「でも、誰かに聞いて回るとかさ……。」

 「わたしみたいな子供の言うこと、大人が聞いてくれるわけないでしょ?それに、貴族の親に捨てられたなんて言ったら、貧しい子供が貴族のお金を狙っていると思われるのが落ちよ。」

エルミナが少し語気を強めて言った。エルミナだって会いたいのだろう。でも見つからないのだ。もどかしいに決まっている。

 「それに、どうせ見つからないのなら、私はこうして本を読んでいるだけで満足よ。それに、アルフは魔法が使えないから、私がいないと生活が不便になるのよ。」

そこまで言い終えると、また本を開いて黙り込んでしまった。グリルは考え無しだが悪い奴じゃない。今の会話で、エルミナの気持ちを察したのか、グリルもまた黙り込んでしまった。

 それにしても、子供を捨てなければならない理由か。貴族がそうする理由とすれば、隠し子か?そう思ったが、違うだろう。この国の貴族は平民に対して驕り高ぶったり蔑んだりはしない。貴族と平民との結婚も聞かない話ではないのだ。もし子供ができたとしても、第二夫人として娶ればいいのだ。となると、考えられるのは、貧困だろう。貴族が貧困で子供を捨てるなんて、外国では考えられない。しかし、それもこの国の貧しさならあり得るのである。実際にそれが起こったという話は今まで聞いたことはないが、あったとしてもおかしくないとは思う。衣食住を保証してくれているとは言え、完ぺきではないのだ。平民を大切にするという王族の方針のしわ寄せが、下級貴族に行っているのかもしれない。

 俺は、一つ溜息をついてエルミナに少し遅れて同意する。

 「確かに、エルミナの両親を見つけるのは難しいかもな……。貴族だったら余計に。」

エルミナがこちらをちらっと見てコクリと頷いた。俺がさっき考えていたようなことを、今までに考えたことがあるのかもしれない。

 ところが、アルフレッドは全く諦めていないらしかった。

 「いや、エルミナがこの街のすぐ近くに捨てられておった以上、この子の両親はこの国にいるはずじゃ。それなら探せば必ず見つかるのじゃ。」

力強くそういうと、エルミナの方を見て声をかける。

 「エルミナも、会いたいのじゃろう?」

しかし、エルミナはもうあきらめてしまっているようで、アルフレッドの問いかけにもさして反応を示さず、黙々と本を読み進めながら答える。

 「もういいのよ。顔も知らないのだし。正直、あっても素直に父様、母様と呼べるかわからないわ。」

その通りだと思った。俺だって、それまで顔も知らない大人が急に自分の親だと言われたって、父さん、母さんなんて呼べない気がする。エルミナの気持ちもわかる分、無理しなくてもいいのではと思う。だが、アルフレッドはそれに反対する。

 「ダメじゃ。お前は両親に会うべきじゃ。それに、ここでワシとずっと暮らしておるのもいいこととは思わぬ。」

アルフレッドは、本当にエルミナのことが心配なのだろう。少し語気が強くなっている。確かに、アルフレッドは街では変人扱いされている。そんな人間と一緒に住む少女など、同じように偏見の対象になるかもしれないのである。

 「イヤ。この街にわたしの欲しいものは何もないわ。」

 「それでも、お前はもう少し外に出た方がいい。」

 「だって、わたしが街を一人で歩いていると、みんなこっちを見て来るのだもの。私はあなたと違って何もおかしなことはしてないのに……。」

エルミナは皮肉めいた感じでそんなことを言っているが、俺にはどうしてそんなことになるのか、わかる気がする。俺だって、エルミナが一人で外を歩いていたら、見つめてしまうだろう。

 「いや、エルミナ、それは……。あ、いや、何でもない。」

俺は思ったことがつい口から出そうになったが言うのをやめた。今言うべきことではない気がしたし、何より俺自身そんなことを言うのは恥ずかしかったのだ。

 こうして、俺とグリルは、心優しい変人のアルフレッドに出会い、可憐な捨て子の女の子エルミナと、少し仲良くなったのだった。

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