実りある世界
緋色ザキ
実りある世界
夢があった。
自分の人生を実りあるものにするという夢。
いまの僕の日々は、痩せこけた子犬のように貧相で温かみがなかった。
生きている意味なんて、感じられなかった。
「あなたが理想とする世界を体験できます」
あるとき、たまたまつけたテレビからそんなうたい文句が聞こえた。
どうやら、とある大学の脳について調査をしていた研究チームが理想の世界を体感できる装置を発明したらしい。
被験者を募集しているとのことで、僕はすぐに申し込んだ。
結果は当選。倍率は一説によれば百倍を超えていたらしい。
すべての運を使い切ってしまったのかもしれない。でも、そんなことはどうだっていい。
これで、ようやく僕は実りある人生を体感できるのだ。
当選結果と一緒に具体的な案内も送られてきた。それによれば、実験は一週間後の土曜日らしい。
とくに予定はない。まあ、あってもその日だけは全力で開けただろうけど。
すぐにその日はやってきた。
まず大学につくと、改めて説明をされた。
これは、頭に思い描いた世界を体感できるということ。それには、頭にヘルメットのような特殊な機械をかぶる必要があること。一つではなく複数の思い描いた世界を体感できるということ。
参加者は僕を合わせて二十人ほどだった。みな一様に人生に不満を感じていそうな人相をしていた。
僕も人のことは言えないが、どうやらそういう人間集まるらしい。
ヘルメットのような機械は一個しかないとのことで、向こうに指示された順番に並ぶ。
運のいいことに、僕は五番目になった。
かなり早くに夢を体感することができる。ワクワクがとまらない。
心臓はバクバクと音を立てていた。
「次の人どうぞ」
一人目はあっという間に終わった。一体どんな顔をして出てくるのだろうか。
一人目の男の顔を見る。ひどく戸惑った顔をしていた。
思わず首を傾げた。理想の世界。それはとても心地いいに違いない。なのにどうしてあんな顔をするのだろう。さては、引き戻された現実に絶望をしたのだろうか。きっとそうに違いない。
僕はそう結論づけた。
二人目も三人目も四人目も同じように戸惑った顔をしていた。
なんだか、ひどく不安になってくる。
実は中では理想の世界を見せるのではなく、なにか別の人体実験でも行っている。そんな訳の分からない想像までしてしまう。
でも、それでもいいのかもしれない。いまの人生に僕は意味を見いだせていないのだから。絶望が絶望につながっても、それはそれだ。
「次の方、どうぞ」
「よし」
そう小さく呟くと意を決して部屋に入った。
そこには眼鏡をかけた知的な青年が数人いた。
「こんにちは。今回かぶっていただくものはこちらになります」
ヘルメットのような機械を手渡される。
「もし、ここまでで大丈夫となったら手をあげてください。こちらで装置を停止します」
僕は頷くと、ヘルメットのような機械をかぶった。中は暗くてなにも見えない。
「使用中は目をつぶってください。それでは電源を入れますが大丈夫ですか」
こくりと小さく頷いた。
カチリと音がする。そして、ギーと微弱な起動音が聞こえた。
次の瞬間、脳裏に女性と子どもが映った。
若々しく可愛らしい女性とわんぱくな少年少女。
しばらくそんな光景を眺めていると、女性と目が合った。女性は不思議そうな顔をする。
「どうしたの、あなた」
「えっ」
思わず声が漏れた。あなた。つまり目の前にいる女性は僕の奥さんということだろう。
「うん?なんか変ね。熱でもあるのかしら」
そう言って額を触ってくる。
「別に熱くないわね。もしかして子どもと遊びすぎて疲れちゃった?そしたらゆっくり休んでて」
僕はそれに曖昧に頷いた。
これは、僕が夢見ていた世界だった。
綺麗な奥さんをもらい、子どもたちとのんびり過ごす。
その後も夢は続いていった。少しずつ子どもたちは大きくなり、奥さんは老けていった。
でも、お互いの愛情は色あせることなく、仲がいいまま。
そんな日々が続いてった。続いて、そして。
次の瞬間、景色が切り替わった。
僕は、バッターボックスに立っていた。マウンドにはピッチャーがいる。
振りかぶってボールを投げる。
直感で分かった。球種はスライダー。思い切りバットを振った。
カキーン。甲高い音とともにボールは二遊間を抜けていった。
二塁ランナー、三塁ランナーが生還し逆転サヨナラ勝利。
母校が初めての甲子園出場を果たした瞬間だった。
その後、甲子園でも大活躍しプロに進む。とくに挫折を経験することなく、新人王などさまざまなタイトルを手にする。そして大リーグに移籍。アメリカでも大活躍して……。
そこでまた世界は変わった。次はファンタジーの世界。僕は英雄。世界を救った。
その次は、世紀末の世界。そして、次、また次と世界が変わっていく。
それは、僕にとって理想的な世界。自分の都合のいいように動く、幸せな世界。
どの世界にいても、僕は苦しさや辛さから解放された。
鬱々と悩む日々はなかった。
どれくらいの時間が経っただろう。僕はゆっくりと手をあげた。
眼前が不意に暗くなり。夢の世界から現実へと引き戻された。
「お疲れさまでした。では感想をこちらに記載してください」
思ったことをつらつらと書き連ね、部屋を出た。僕はいま一体どんな顔をしているだろう。
きっと僕の前に部屋に入った四人と同じ顔をしているに違いない。
いまの僕の人生はつまらないものだ。でも、体感した人生は甘さを詰め込んだスイーツみたいだった。なんだかそんな空間はひどく息苦しかった。
研究室を出て空を見上げる。よく晴れた青空だった。
「はーあ」
僕は小さくそう声を漏らして、ゆっくりと歩き出した。
実りある世界 緋色ザキ @tennensui241
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