さよなら空想楽園

電磁幽体

「なんだか二律背反だよね」

背中あわせの彼女――彩花からそんな言葉を聞いた。


せまい部屋には渋めのジャズ・ロックが静かに満ちていて、なにを歌ってるのかわからない英語の歌詞が心地よかった。


「ニリツパイパン?」

「サイテー、いっかい死ね」

「バン。はい一機減った」

「もう」


背中ごしに、ふくらませた頬をわざとらしくパンクさせる音がした。


「ごめんって。ニリツハイハン、教えてくれよ」


おれの言葉もわざとらしいが、彩花の衒学げんがく的欲求(つまりは語りたがり)はそれを気にしない。


「互いに矛盾する肯定命題テーゼ否定命題アンチテーゼの二項がいずれも成立するってこと」

「日本語でテイクツー」

「ま、、」


そう言いながらリモコンをカチカチさせて音を跳ね上げる。

ジャズ・ロックがうるさいだけのロックと化す。

彩花の声がノイズにまぎれた。


「あー、二人とも違うように見えてってか?……って言うの恥ずいな」


なんて青くさいひととき。

彩花もそうだったらしい。

音量を戻されたジャズ・ロックが静かに響く。


「これは現状の再確認ですよ」

「治す気あんのかよ」

「さあね?」


背中から、肩をすくめる動きを感覚した。


「ところでさ、私まだ生えてないよ」


十六にもなって、マジかよ。




翌朝。

いつもの待ちあわせ場所に向かうと、彩花は塀にもたれかかっていた。


「五分遅刻。カップラーメンだったら麺がスポンジになってるよ」

「どんべえなら食べごろだって」

「私、二分派なんなだけど?」

「もはや小麦の束だろ」

「あの安っぽいコシがいいのに」


毒にも薬にもならない会話をかわしながら登校する。

教室に入ると、彩花はいちばん奥の机にカバンをおいた。

主人公の定位置みたいな窓際のアレ。

ただし物語のようにくじ引きではなく、彩花が交渉で得たものだ。

そのおこぼれに預かったおれは、となりの机にカバンを投げた。




おれの人生をひとことで言うと「逃避」だった。

必要なことをせず、嫌なことは忘れ、面倒ごとに関わらず……そうやって現実に背を向ける。

流されるがまま底辺校に入学して――彩花と出会った。


誤解のないよう予め言っておくと、彩花の性質も「逃避」だ。

ただし、おれとはアプローチがまったく違った。

彩花は

になにかが在ることを、強迫観念のごとく拒絶する。

まるで見えないものに怯えるように。

その対象は人間だけにとどまらず、成績や人望といった概念にも適応される。

意味がわからなくて聞いたことがある。


「なんでこんな底辺校トコに来たんだ?」

「馬鹿しかいないから」

「文字通り馬鹿にしてきたな」

「勘違いしないで、勉強できない馬鹿って意味。勉強できない馬鹿もいるから」

「それフォローになってんのか?」


結果、学業や規範といったあらゆる分野でダントツの最優秀者。

当たりまえだ。

手を抜かない兎に、亀の群れが勝てるわけないだろ?

人の輪から意図的に飛び抜けて、ほかの誰もが追いつけないようにして、彩花はなにもない背後の安寧を得た。

現実から逃避するために現実をつき進む、まるで矛盾した行動。


……ああ。

だから二律背反なのか。


――私は現実に対して前を向き、君は現実に対して背を向ける。


優秀な彩花がにいることで、まどろっこしいスクールカーストからおれは守られる。

その代わりに、彩花のはおれが守る。

背中あわせの相互依存。

なんてくだらない言葉遊び。


「わかるかよ、そんなの」


おれにしかわからないだろうな。


……それでいいと、

おもってしまった。




「しかし二人で世界を閉じるのはダメなのです」


スクールカーストの階層外、いわゆる不思議少女の伊奈はおれをたしなめた。


「ひとり図書室でひきこもってるヤツにだけは言われたくない」


わかっているけれど。


「なにおう。登場人物はみな形質無き生命体。読書歴からの交友関係には自信ありですよ」


無視、無視。


「ところでサーカちゃんは?」

「屋上、シロの世話」




屋上は解放されていないはずだが、彩花はなぜか鍵を持っている。

コネとか?

殺風景なコンクリートとフェンス。

物置があるぐらいだが、そこから猫の鳴き声がするのは気のせいではない。


「シロはどこから迷い込んだのやら」


白猫だからシロらしい。

彩花は仰向けになって、シロを胸に寝かせていた。

背中を防御してるところがポイント。


……猫専用の枕みたい。


「なんか失礼なこと考えてない?」

「小さくても有効活用できんだなって」

「あとで殴る宣言」

「うい〜ん、がちゃん!シーちゃんゆーふぉーきゃっちー」


伊奈がなんかやってる。


「いい子ですね〜、かわいーかわいーえへへー」


頭のゆるい空気にあてられたのか、シロは寝起きにも関わらずごろごろと喉を鳴らす上機嫌ぷり。


「あのね、サーカちゃん」


シロを抱きしめながら、伊奈は彩花に言う。


「シーちゃんを大切にしてるのは分かるのですが、屋上でのお世話はやめるべきだと思うのです……お外は危険でいっぱいなのです」


伊奈は不思議少女という電波属性を抜けば、その思考はおおかた正当だったりする。


「……まあ、考えるよ」


自主勉名目で休日も世話をしに来る彩花の気持ちは、決してうそっぱちじゃないけれど。

それでもそれは、閉じた箱庭感覚にほかならない。


昼休みを終わらせるチャイムが鳴る。




おれの趣味はこれといってないけれど、強いて言うなら洋楽を聴くぐらい。

日曜日。

ジャズの流れる味気ない部屋。

おれと彩花の休日は、いつもこうして互いの背中にもたれながら、ただただ無為に時間をすごす。


「音楽ってあくまでもサブじゃない?」


――ぱたん。

読みかけの哲学書を閉じたらしい。


「何かを成す為の作業用 BGM っていうか、メインにはなり得ない気がするのよね」

「んー……、えっと、電車でも歩きでも常に耳元シャカシャカさせてる人いるよな。

それってきっと、目的地に着くまですることがないから、なにもしない寂しさをとりあえず音楽で殺してる思うんだよね」

「そのこころは?」

「おれの目的地は墓場って感じ。むなしいよな」

「君のそういうところ、好きだよ」

「うっせー」


気があって。

似たものどうしで。

本当に居心地がよくて。



ーーしかし二人で世界を閉じるのはダメなのです。


最初から伊奈は見透かしてたんだろうな。

……わかっていたけれど。


にじり寄る焦燥感。

喉元までせりあがってきた言葉が、抑えきれずに溢れだす。


「――


おれの不意打ち。


「これからどうするって……何を?」


彩花の困惑。


「おれの逃避とおまえの逃避を、どうするって話」


おれの声が強くなる。


「ずっと高校生ってワケじゃないんだ。なのにおれはこのまま逃げ続ければ、親の脛に寄生するゴミ屑ニート一直線。

彩花はスペック良いけどさ、そんな逃避グセかかえてたらマトモに生きていけないぜ。

このままじゃふたりとも人生の落伍者らくごしゃだ」


おれの背中に、彩花の背中が強く押しつけられる。


「……その、こころは?」


まだ、強がってる。

だったら叩きつけてやる。

鳴りやまないジャズ・ロックのように。

空気が読めない電波少女のように。


「――彩花がシロをしてるから」


おれのものじゃない心臓が、背中ごしにドキリと跳ねた。


部屋ココだけじゃ息苦しいんだろ?だから学校アッチにも息継ぎできる居場所がほしかった」


誰も入れない屋上。

彩花だけが持ってる鍵。

そこに行かなきゃいけないシロりゆう


それだけ揃えばの完成だ。


「そんなとこだろ」

「……凄いね。どうして分かったの?」

「そういうところが、すきだから」


おれも彩花とおなじだから。


「じゃあさじゃあさ…………?」


絞りだすような彩花の声。

対しておれの声は、冷たかった。


「終わらせよう。


おれの背中から、ふと誰かの重みが消えた。



「――!」



泣き声まじりの悲鳴とともに、彩花は部屋から飛びだした。




――手遅れだった。

すでに箱庭は壊れていた。




翌朝。

一人で登校した月曜日。

彩花は口を噛みしめながら、おれを屋上につれていく。

伊奈も黙ってついてくる。

血のにじんだ唇で、彩花はこぼした。


「シロが殺された」


白猫はもう、白色に見えない。

蹂躙された冷たい死体。

無数のついばまれた痕跡からして、おそらくカラスの群れだろう。

あの小さくてつぶらな瞳をと間違えたのか、夢中になって抉りだそうとした痕跡が、気分をどす黒くする。


「シーちゃんの葬式、しようよ」


涙をポロポロとこぼしながら、伊奈は精一杯つむいだ。


「あとでお墓をつくろう」


おれは泣けなかった。


その日、三人は授業に出なかった。




あれから一週間。

三人は、再び授業をサボって屋上に集まった。

いつもの鳴き声はもう聞こえないのに、空はにくらしいほどに快晴だ。


伊奈は干渉しない。

物置に梯子でのぼり、そこに腰かけ足を揃える。

向かいあう二人を見下ろす。


おれと彩花は、いま、



「私のこと、嫌いなの?」

「好きに決まってる……もちろん、女の子として」


綺麗で可愛くて、考えがおなじで、おれがおれでいることを許してくれる。

好きにならないワケがないだろ。


「そう……なんだ……」


彩花はうつむくが、おれは気にしない。

……いや。

気にしないように、した。


「彩花といると、居心地がよすぎるんだ。よすぎて、焦るんだ。

ずっとこのままでいいか、閉じたままでいいか、っておもってしまう。

でも……その結果がなんだ」


罰が、おれと彩花に与えられたらよかったのに。

もし神様なんてのがいたとしたら、ソイツは人がいちばん嫌がることを知っている。


「じゃあ、どうするの?」

「現実逃避をやめようぜ。陳腐な言葉だけどさ――

面倒から逃げることをカッコいいなんて、もうおもってないよ。

……彩花の逃避はちょっと変わってるからさ、治すの大変だとおもうけど、一緒にがんばろ」


物置にすわる伊奈を見上げると、指で輪っかをつくってくれた。

一緒は三人になった。


「……分かった」


彩花は一息ついてから、うちあけるように語る。


「私も楽しかったんだ。戯れみたいな箱庭の日々。

でも、シロが死んで分かった……ううん、分からされちゃった。

そんな空想の楽園は、いつか壊れる。

――


――ぱちぱちぱちぱち。

伊奈の拍手が青空に響いた。


「はっぴーえんどー!そのまま勢いで誓いのキスを!」

「「するか馬鹿!」」

「はいちゅ〜う!ちゅ〜う!」


物置におかけになった不思議少女は電波の届かない場所にいましたが、電源が入ったとたんに感度良好でございます。


まあ、伊奈のそんな空気の読めなさに、おれたちふたりは救われてしまったワケなのだが。


「……ん、これ」


おれがひとりしみじみしていると、彩花はポスターをつきだした。

子猫の写真とともに大層な文言が書かれていて、一週間前までのおれたちなら笑っていたところだろう。


『あなたを待ち続けている命があります』


「家で飼うことにしたんだ。黒猫だから名前はクロ」


なんで保健所からなのか、なんで黒猫なのか、そんなことは聞かなかった。

なんとなくわかるから。

そういうところが、おなじで、すきだから。


「そういえば家行ったことないな」

「だって彼氏と勘違いされちゃうし…………ちゃんと付き合ってからじゃないと、ヤダ」

「おやおや〜。なにやら甘酸っぱい匂いがするのです。これはもしや……?」

「ソコの壊れたラジオ、毒電波を垂れ流すんじゃない」


言葉とは裏腹にホッとした。

また救われたらしい。

あとでなにか奢ってやろう。


「――さて、と」


……話も済んだし、やることやっとかないとな。


「え?なになに?」


おれは立ちあがって、仰向けに倒れた。


「おれは現実と向きあうぞっ!」


こんなセリフ、すこし前なら絶対言わなかったな。

青くささを捨てるための、青くさい決意表明。


それを見た彩花は、直立してうつ伏せに倒れた。

意外とノリいいな。


「私は現実に背を向けるぞー!」


おれは前を向き、彩花は背を向け、おなじ願いを。


そんなふたりの二律背反に、おれたちは声をあげて笑いあって、


すこしだけ、泣いていたんだ。




〈了〉

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