第38話・さよなら異世界

 宿舎の部屋に戻ると、ディノが窓際の椅子に座って本を読んでいた。僕に気付いて本を閉じ、立ち上がる。


「どこ行ってたの、サイチ。待ってたんだよ!」

「ごめん。サイオスと話してたんだ」


 とっくに真夜中を過ぎている。先に寝ているかと思っていたが、ディノは一人では眠れないということをすっかり忘れていた。すぐに謝り、寝間着に着替える。


「サイチ、一緒に寝よっか」

「え。狭くない?」

「寝相が悪くなければ男二人でも大丈夫!」


 そう言いながら、ディノは自分の枕を抱えて僕のベッドに入ってきた。壁際に陣取り、上掛け毛布を持ち上げて僕を手招きしている。仕方なくベッドに上がり、並んで横になった。


「ゼノンに拾われたばかりの頃は毎晩一緒に寝てもらってたんだ。今はどんなにお願いしても断られちゃうから仕方なく別々の寝台で寝てるんだけどね」


 ゼノンの記憶でそんな光景を見たな、と思い出す。僕自身の記憶を見た時はアッサリした内容だったのに、ゼノンの記憶はかなり内容盛りだくさんだった。恐らく体がゼノンのものだったこと、精神魔術をかけたサイオスが記憶の中の孤児の一人だったこと、ディノが精神魔術の効果範囲にいたことが影響していたのだろう。だからこそ、ディノが保護されたくだりが再生された。他の隊員、例えばベニートやジョルジュが効果範囲にいたのなら、彼らとの出会いの場面が詳細に再生されていたはずだ。


「なんだか不思議だね。性格も喋りかたも違うのに、最初の頃はサイチのことをゼノンだとしか思えなかったんだ」

「そうなんだ?」

「だから、別人だって言われてもなかなか受け入れられなかったのかも。そのせいで嫌な思いをさせちゃったよね。ごめん、サイチ」


 この件で謝られるのは何度目だろうか。僕は思わず吹き出してしまった。くつくつと肩を揺らして笑っていると、つられてディノも笑う。


「……こんなに近くにいるのに、明日にはお別れしなきゃならないんだね」


 ひとしきり笑った後、ぽつりと呟くディノ。そちらに顔を向ければ、彼の目尻には涙が滲んでいた。


「ボク、本当のサイチがどんな顔をしてるのか、どんな声なのかも知らない。でも、ゼノンやみんなと同じ大事な仲間だって思ってるよ」

「ディノ」


 僕も同じ気持ちを抱いている。僕たちは仲間であり、大切な友人だ。たとえ二度と会えなくても、それだけは変わらない。


「おやすみ、ディノ」

「うん。おやすみサイチ」


 ゼノンの体よりひと回り小さいディノを抱きしめるようにして眠った。人肌を感じながら眠ったのは幼い時に母さんと一緒に寝た時以来かもしれない。そう思うと、朝の訪れが少しでも遅くなるようにと願わずにはいられなかった。







 空が白み始めた頃、第一分隊の全員が身支度を整えて食堂に集合した。軽めの朝食を済ませてから出立の準備に取り掛かる。


 とうとうみんなと別れる時が来た。


「サイチ。君が居てくれたおかげで我々は戦争を回避する機会を得た。感謝している」

「隊長のおっしゃる通りだ。僕も班を率いる立場として礼を言う」


 ウィリアム隊長が僕の両肩を掴み、瞳を潤ませながら感謝の言葉を述べる。それを斜め後方から羨ましそうに見ていたジョルジュも続けて僕に声を掛けた。


「せっかく剣の扱いに慣れてきたとこだったのにな。元の世界に戻っても鍛錬しろよ、サイチ」


 ベニートが拳で軽く小突きながら不敵に笑う。


「君の本当の体はまだ怪我が治りきっていないとゼノンから聞いている。くれぐれも無茶をせず、そちらの医者の言うことをよく聞いてしっかり養生するようにね」


 心配そうに眼鏡の奥の瞳を細めながら、マルセル先生が僕の頭をそっと撫でた。優しい手付きに、しばしされるがままになる。


「サイチさん、ちゃんとゴハン食べてくださいねぇ。食事は生活の基本なんですから」


 アロンはいつもの明るい笑顔だが、ポロポロと涙をこぼしている。彼が作る美味しい料理は、慣れない異世界暮らしで疲弊した僕の心を支えてくれた。


「サイチ、ボク淋しいよぉ!」

「泣かないで、ディノ」


 人目も憚らず泣き喚くディノの背を撫で、なだめる。そうしている間にも、ガロ班の面々から「元気でな!」と挨拶をされた。


 最後に、サイオスが僕の前に立った。彼は黒地に金の刺繍が施された丈の長いコートを羽織り、手には杖を握っている。


「さあ、キミがるべき世界へ還ろう」

「うん。お願い」


 杖の先端が僕の胸元に向けられた。これから精神魔術を用いてゼノンの意識と入れ替えるのだ。この体をゼノンに返し、僕は自分の体に戻る。二度と異世界に来ることはない。


 ふと思い立ち、自分に向けられた杖の先を握り、ずいとサイオスへと歩み寄った。突然の行動に驚いたのか、サイオスの瞳が大きく見開かれている。淡く輝く金の瞳が僕の姿を映していた。


「ありがとう。そして、さよなら。僕の親友」

「……マサチカ……!」


 嗚咽混じりに呼ばれた自分の名前を聞き、やっぱりそうだったかと確信する。次の瞬間には視界が切り替わり、僕の意識は異世界から弾き出された。





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