第36話・侵攻前夜の壮行会

 約束の時間が来た。僕の意識は体を通り越して深く底のない奈落へと落ちていく。数秒とも永遠とも感じられる時間と時空のあちら側に向かっているのだ。


「──あ、起きた」


 聞き馴染んだ軽やかな声が耳に届く。板張りの天井を背景に、視界いっぱいにカラフルな髪色の青年たちが僕を見下ろしていた。


「やあ、気分はどうだい? サイチくん」

「……平気です、問題ありません」


 マルセル先生の問いに応えながら、ベッドの上で上半身を起こす。ここはアステラ王国国境警備隊第一分隊の宿舎にある医務室で、僕のベッドの周りにはジョルジュ班のみんなが取り囲むように立っていた。体に痛みはない。どこにも怪我はないようだ。みんなにも目立った外傷はないことを確認し、胸を撫で下ろす。


「あの、作戦はうまくいきましたか?」


 ドレイクとヴァーロを誘き出してすぐゼノンと交代したため、その後どうなったのか僕は知らない。恐る恐る質問すると、青髪のジョルジュが誇らしげに胸を張った。


「もちろんだとも。隊長率いる我が第一分隊を中心として不穏分子の排除に見事成功した!」


 排除と聞き、ひやりと背筋に冷たいものが走る。もしや血生臭い事態になっているのではないかと思ったが、僕の顔色の変化に気付いたディノがすぐさま「あっ、誰も死んでないからね!」とフォローしてくれた。


「詳しくは食事しながら話そう。他の隊員は先に食堂で待機している」


 ジョルジュに促され、食堂へと場所を移した。


「サイチ。君のおかげで内通者の捕縛が出来た。まずは礼を言わせてくれ」

「いえ。こちらこそ感謝してます隊長」


 ウィリアム隊長が僕を出迎え、上座の席へと案内してくれた。


 第一分隊の全員が揃い、宴が始まった。テーブルにはアロンが作った料理が所狭しと並べられ、食堂内に美味しそうな匂いが満ちている。


「食事をしながら今回の件を報告しよう」


 そう言って、ウィリアム隊長は僕とゼノンの意識が交代した後に起きたことを教えてくれた。


 元の体に戻ったゼノンは丸腰だったため、真っ先にドレイクから武器を奪った。当然ヴァーロの能力による妨害を受けたが、サイオスの攻撃魔術で牽制。ドレイクたちは加減一切なしの魔術で戦闘不能に陥り、続けて周辺に待機していた第一第二分隊の隊員が踏み込んで制圧したという。難なく倒したように聞こえるが、恐らく苦戦したはずだ。


「ドレイクは国家反逆罪で投獄。ヴァーロに関しては能力が厄介なので、薬で眠らせた状態で王都の魔術院へと移送、処罰に関しては後々考えると決まった」

「……そうですか」


 とりあえず作戦がうまくいったと分かり、ホッと安堵の息をつく。


「それで、我々国境警備隊は王国軍と合流し、明朝ロトム王国に攻め込むことになった」

「えっ!?」


 思いもよらぬ言葉に、僕は驚愕の声を上げた。周りを見渡せば、第一分隊の全員はとっくに覚悟を決めた顔をしている。


「捕縛したドレイクから聞き出した話によれば、ロトム王国が戦争に向けて戦力を掻き集めているという。実際少し前から他の地域でも怪しい動きがあり、我がアステラ王国軍側も事実だろうと断定した。本格的に戦争が始まる前に叩いてしまおうという話になったのだよ」


 あちらの準備が整う前に先に攻め込む、ということだ。きっとただでは済まない。命懸けの危険な任務だ。下手をすれば命を落とすかもしれない。だが、戦争が始まれば罪のない国民が巻き込まれる。十年前の終戦からやっとの思いで復興した村や町が再び蹂躙されてしまう。彼らは被害を未然に防ぐために戦うのだ。


「サイチ、これは救出作戦でもある」


 大皿に盛られた唐揚げをひょいひょいつまみながら、隣に座るサイオスが口を開く。


「救出って、誰を?」

「サイチもゼノンの記憶で見ただろう。魔素適合者の少女だ」

「確か、ミアって子?」

「そう。ヴァーロによって他にも何人かの魔素適合者が戦力としてロトム王国に売られている。彼らを見つけ、保護しなくてはならない」


 同じ魔素適合者として放ってはおけないのだろう。サイオスはいつになく真剣な表情をしている。何も言えなくなり、僕はうつむいて膝の上に置いた拳を握りしめた。そんな僕に対して「ハッ」と鼻で笑う者がいた。ベニートだ。彼は串焼き肉を手に口の端を吊り上げて笑っている。


「シケたツラしてんじゃねえ。オレらは奇襲を仕掛ける側だ。よっぽどのことがない限り負けはしねえよ」

「ベニートの言う通りだ。そもそも表立って戦うのは王国軍の本隊で、僕たち国境警備隊は援護と救出作戦が主な任務となる」

「だから心配しないで。サイチ」


 ベニート、ジョルジュ、ディノの言葉に涙腺がゆるみ、唇を噛んで堪える。僕はもう彼らと共には行けない。彼らと肩を並べて戦うのはゼノンの役目だ。見送ることしか出来ないのだと思うと寂しくなった。


「さあさあ、今夜は壮行会ですよぉ! たっくさん食べてくださいねぇ!」


 重い空気を吹き飛ばす陽気な声と共に大皿を抱えたアロンが厨房からやってきた。新たに追加された料理は鶏の丸焼きだ。色鮮やかな焼き野菜が添えられており、一気にテーブルの上が華やかになる。


「ほら、サイチさん。どうぞ」


 アロンが切り分けた鶏肉を僕の取り皿に載せてくれた。早速食べると、口いっぱいに肉の脂がじゅわっと広がった。アロンの手料理もこれで食べ納めかと思うと余計に美味しく感じる。


「アロンさん、ありがとう。すごく美味しいよ」

「アハッ、そんなこと言われたらもっと色々食べさせたくなっちゃう♡」


 上機嫌で鼻唄を歌いながら、アロンは厨房へと引っ込んでいった。また追加の料理を作るつもりなのだろう。


 みんなと過ごす時間も、あと僅か。


「サイチ」

「うん?」

「食事が終わったら話がある」

「……ん。わかった」


 サイオスと約束をしてから、僕は何度目か分からない乾杯の音頭に合わせてグラスを掲げた。





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