第35話・本音と本音

 少しためらった後、慎之介はベッドの横にある丸椅子に腰を下ろした。辛そうに眉間にしわを寄せて下唇を噛み、瞳を潤ませている。彼の視線は頭に巻かれた包帯、頬に貼られた湿布、そして点滴の針が刺さっている腕を順番に見てから最後に僕の顔へと向けられた。


「今日は話せそう?」

「うん、大丈夫」


 今までは意識がゼノンだったのでまともな会話が成り立たなかったのだろう。看護師さんによれば、そんな状態にも関わらず毎日欠かさず見舞いに来てくれていたらしい。よほどの忍耐力がなければ出来ないことだ。昨日も来てくれたけど、まだ睡眠薬が抜け切っていなくて話すどころではなかった。


「ごめん正哉。親父が酷いことして」


 慎之介はまず父親の暴力を詫びた。深々と頭を下げられ、あわてて手を伸ばそうとするが体がうまく動かせない。


「慎之介がやったわけじゃないし、謝らないでよ」

「でも」


 頭を下げたまま、慎之介は謝罪を続ける。膝に置かれた彼の両拳は固く握られ、かすかに震えていた。


「オレがなにも説明しなかったせいで、オレが勝手に距離を置いたせいで、オマエが、こんな」


 やはり慎之介はわざと僕に接触しないようにしていた。予想していたとはいえ、本人の口から聞くと辛い。距離を置きたくなるほど僕は彼を不快な気持ちにさせてしまっていたのだ。ぎゅう、と怪我とは異なる痛みが胸を締め付ける。


「謝らなきゃいけないのは僕だよ」


 僕の言葉に、慎之介はゆるゆると顔を上げた。彼の瞳からは大粒の涙がこぼれ、ズボンに幾つものしみを作っている。泣き虫なところはゼノンに似ているかもしれない。


「慎之介がお父さんからなにをされてるか、僕は薄々気付いてた。長い付き合いの中で何度か体の傷が見えたことがあるし。でも、どうしたらいいか分からなくて見て見ぬふりをしてた」


 学校側には事前に母親が相談していたらしく、慎之介は極力他の生徒の前で服を脱がなくて済むよう配慮がされていた。体育の授業で着替える時や身体測定の時は一人だけ別室。最初のうちは不思議がっていたクラスメイトたちも次第に慣れ、誰も言及しなくなった。


 でも、放課後に二人だけで遊んだ時に油断したのか、ちらりと傷が見えた時があった。明らかにおかしな傷痕に、僕は怖気付いた。理由を問えば楽しい空気が壊れてしまうと本能的に悟り、口をつぐんだ。僕は親友である慎之介が抱える問題を丸ごと『なかったこと』にしたのだ。


「それなのに、『両親がいる』って事実だけをねたんで愚痴こぼして。僕は無神経でイヤな奴だ。会いたくないって思われても当然だよ。……今回勝手な真似したせいで慎之介のお父さんに暴力を振るわせちゃって迷惑を掛けたよね。本当に、ごめん」


 僕の言葉に慎之介は「は?」と声を上げた。


「違う! 確かにショックだったけど、それくらいで正哉を嫌うはずがねえだろ!」

「じゃあ、なんで何度も飲みに誘ったのに断ったんだよ。僕の顔を見たくなかったからじゃないのか」


 ならば何故と理由を問えば、慎之介はまた辛そうに俯き、拳を握り込んだ。


「忙しかったのは本当だよ。親の離婚に向けて転居やら職場を変えたりとか色々あって。あと、飲み屋には行きたくなかった。近場の店にはいつ親父が来るか分かんねえし、酔っ払いに近付きたくなかったんだ」


 慎之介の父親は酔う度に家族に暴力を振るった。だから彼は酔っ払い自体が苦手なのだと言う。それと、と更に言葉が続く。


「……両親のいないオマエに親の離婚話なんかできなかった。近況を聞かれれば必ずこの話題になっちまう。だから、落ち着くまで会わないようにしてた」


 避けていた理由は僕に対する気遣いだった。言われてみれば、本気で避けるつもりならば連絡を断つことだって出来た。でも、繋がりは残していた。状況と気持ちが落ち着くまでの間離れていたかっただけなのだと分かり、思わず大きな溜め息がもれる。


「僕、てっきり嫌われたのかと」


 目の端から熱い滴があふれてこぼれた。手の甲で拭おうとしたら、慎之介が椅子から立って僕を抱きしめた。彼のシャツの胸元に僕の涙がしみ込み、じっとりと濡れていく。


「嫌いになんかなるかよ! オマエは大事な友だちだ。オレの、いちばんの親友なんだからな!」

「し、慎之介ぇ」


 そのまま抱き合った状態でわんわん泣いた。まだ力の入らない腕を慎之介の背に回し、ぎゅうとしがみつく。こんな風にくっつくのは小学生の頃以来かもしれない、と懐かしく思った。


 改めて自分の過去の失言を詫びると、慎之介は「正哉は知らなかったんだから仕方ない」と笑った。前にも誰かに同じようなことを言われた気がする。


「もし事情を知ったら正哉はオレを『可哀想な奴』だと思っちまうだろ? なにも知らずに普通に接してもらえたから、正哉と一緒にいる時すごくラクだった。正哉といる時だけ心から笑うことが出来たんだ」


 付き合いの長さは鳥居も同じだが、彼は親から慎之介の家庭の事情を聞いており、同情の視線を向けてくることが多かったという。鳥居が悪いわけではないけれど、変に気を遣われたくない慎之介にとっては嫌だったのだろう。


「家から出て、今はどこに?」

「母さんと隣の市にあるマンスリーマンション借りて住んでるんだ。親父が逮捕されて居なくなったから、時々自宅に荷物取りに戻ってる」


 逮捕と聞き、蒼褪める。


「ご、ごめん。僕のせいだよね」

「いや、もともと酒で色々トラブル起こして何度か警察沙汰になってたし、今回の件がなくても遅かれ早かれ親父は捕まってたと思う」


 虐待やモラハラ以外にも問題がある人物だったらしい。離婚成立後の逮捕だから慎之介たちに悪影響はないと聞き、僕はホッと胸を撫で下ろした。


 僕はずっと慎之介に謝りたかった。意識が異世界に飛ばされてしまったせいで遠回りをしてしまったけれど、ようやく目的を果たすことができた。


「話が出来て良かった。明日も来るよ」

「ごめん。もしかしたらまたボンヤリしてるかもしれない」


 一段落したら再びゼノンと意識を交換する手筈になっている。ゼノンと慎之介では会話は成り立たない。あらかじめ弁解しておけば怪しまれないはずだ。


「いいよ。オレが来たいだけだから」


 そう言って、慎之介は帰っていった。



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