第32話・罠
ざく、ざく、とブーツが地面を擦る音が深い森の中に響く。僕は壮年の警備隊隊員の背を追いかけるように歩いていた。周りに人はいない。僕とドレイクの二人だけだ。
「オマエ、ほんとに忘れちまってんのか」
「お恥ずかしながら、自分のことどころか仲間の名前も分からず困っております」
前を歩くドレイクから話しかけられ、苦笑いで答える。すると、「ハッ」と鼻で笑われた。
「その口の利き方、確かに前とは違うな」
「みんなからも言われました。別人みたいだって」
以前のゼノンなら絶対に使わない敬語と言い回しに安堵の声が返ってくる。敢えてそう思われるように受け答えをしているからだ。
第一分隊のみんなと作戦会議をした後すぐ第二分隊に伝令を出した。
『負傷していたゼノンが意識を取り戻した』
『だが、怪我の影響で記憶を失なっている』
『現場を見れば思い出すかもしれない』
『三日後に連れていくから案内してほしい』と。
伝令役を務めてくれたのはフランとデニルだ。彼らはドレイクに縁がある。連絡役のついでにさりげなく第二分隊の隊員に近付き、怪しまれない程度に情報を聞き出してもらった。
その結果、やはり不審な動きがあった。
第二分隊は昼の巡回をソシオ班、夜の巡回をドレイク班が担当している。活動方針は班長が自由に決められるが、時には別班と相談して分担することもある。ソシオによれば、最近ドレイクから巡回経路を指定される頻度が上がったという。それも、第三分隊と管轄区域を接する側ばかり。第一分隊と接する側はドレイク班が請け負うから、と。しかし、ドレイク班の隊員から話を聞くと、第一分隊との境目にはあまり出向いていないと証言が出ている。報告書に記載された巡回経路と実際の活動範囲に差異があるのだ。
ドレイクは意図的に巡回しない空白地帯を作っている。その間にヴァーロが人為的に魔素溜まりを作り、魔獣を生み出す。ロトム王国が戦争の準備をする時間稼ぎだ。
三日後を指定した理由は、時間の猶予があればドレイクからヴァーロに連絡を取ることが出来るから。記憶喪失であると知れば必ずドレイクは油断する。万が一を考えて逃げ出す可能性を潰したのだ。
「さぁて、この辺りだったかな」
森の入り口で馬から降り、徒歩で約十分。道らしき道もない場所でドレイクが立ち止まった。地面には赤黒いシミがある。血が染み込んだ跡だ。炎による浄化がされたからか、周りの草は刈られ、僅かに焦げ跡も残っている。ゼノンの記憶で見た場所に間違いない。
「ここで倒れているオマエをソシオ班が発見したって聞いてるぜ。酷い怪我だったから死ぬかと思ってたが、半月かそこらで歩けるまで回復するとはなァ」
「マルセル先生によれば、あと少し刺さった場所がズレていたり、発見が遅かったら危なかったそうです。きっと僕は運が良かったんだと思います」
僕はとっくに任務に復帰している。実際怪我は酷かったが、ゼノンの体力と常人を上回る回復の早さのおかげだ。
油断を誘うため、最近やっと歩けるようになったばかりだとドレイクには伝えている。ここに来る際も馬に相乗りしてきた。乗馬のやり方も剣の扱いも分からない、という演技をしている。
「……で、どうだ? なにか思い出せそうか?」
探るような視線が僕を舐めた。ドレイクはゼノンの記憶が戻り、裏切り行為が明らかになることを恐れている。だからこそ、本来ならばソシオ班がすべき現場への案内役に自ら手を挙げたのだ。
「うーん……見覚えがある気はするんですが、森の中なんてどこも似たようなものですもんね。分からないです」
「そうか。そいつは残念だな」
言いながら、ドレイクはあからさまにホッとした顔を見せた。
しかし、ゼノンが生きている限り安寧は訪れない。いつ如何なるタイミングで記憶が戻るか定かではない以上、この後彼が起こす行動はただ一つ。
「そんじゃ、忘れたまま死ねや」
振り向きざまに腰の剣を抜き、ドレイクが斬りかかってきた。後ろに飛び、紙一重で切先を避ける。今日の僕は怪しまれないよう武器を携行していない。まったくの丸腰状態だ。もし剣を持っていたとしても、十数年第一線で活躍してきたドレイクには勝てないだろう。
「ドレイクさん、危ないじゃないですか!」
よろける足を踏ん張りながら抗議する。初撃を避けられたドレイクは苛立ちを隠さず舌打ちし、再度剣を振りかぶった。間合いを取るために下がろうとするが、なぜか動けない。恐怖のせいで足がすくんだわけではない。まるで大きな手に体を掴まれ、この場に固定されたような感覚。
「か、体が、動かない……?」
戸惑いの声をあげると、どこからともなく愉快そうな笑い声が響いた。飛び立つ鳥が枝を揺らし、葉を落とす。はらはら舞い落ちる木の葉の中、繁みを掻き分けて一人の男が姿を現した。
「生きていたんだな。嬉しいよ、ゼノン」
片目を眼帯で覆い隠した紺色の髪の青年。
ヴァーロだ。
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