第22話・彼の事情

 記憶が途切れた瞬間、僕は飛び起きた。嫌な汗が全身を濡らし、呼吸も荒くなっている。手が勝手に後頭部と腹部に伸び、確かめるように触れる。痛みや傷はない。これはゼノンの体で、才智正哉ぼくの体ではない、と確認してから息を吐く。


「サイチ、大丈夫?」

「う、うん。たぶん」


 枕元に置かれた椅子に座っていたサイオスは、片手に杖を持っていた。僕がこちらの世界に来たきっかけとなる記憶を精神魔術で読み取っていたのだ。彼の顔色は真っ青で、額には脂汗が浮いている。僕の心配をしている場合ではなさそうに見えた。


「……そうか。だから、あの時」

「サイオス?」


 あごに手を当て、なにやら呟くサイオス。名前を呼ぶと、彼はハッと顔を上げた。


「キミの体は元の世界で暴行を受けた。そのせいで魂が抜けている」

「死んだってこと?」

「いや、まだ生きている」


 僕は慎之介に会うために向井家に行き、そこで慎之介の父親から暴行を受けた。離婚を機に出て行った息子の友人を名乗る男が突然訪ねてきて腹を立てたのだろう。酔っ払っていたから、感情の抑制や手加減が出来なかったのかもしれない。脇腹を蹴られ、顔を殴られ、倒れて地面で後頭部を強く打った。まだ生きているとすれば、すぐに誰かが救急車を呼んで病院に連れて行ってくれたのか。




──俺の体から出た後、オマエはどうなる


──自分がどういう状態か知らないのか




 以前ゼノンから言われた言葉を思い出した。


「ねえ、サイオス。前に見た夢の中で、ゼノンが僕の体がどうなってるか知ってるようなことを言っていたんだ。もしかして、ゼノンは今」

「サイチがゼノンの体に宿っているように、ゼノンもサイチの体に宿っているのだろう。魂が抜けると体は死ぬ。ゼノンの魂が入り込んでいるからこそ、サイチの体は生きている」


 魂が入れ替わっている状態なのか。鍛えられているゼノンの体と違い、僕の体は弱い。きっとまだ動けないほど弱っているのだ。異なる世界で同時に重傷を負い、後悔を抱えていたから入れ替わってしまったのかもしれない。


 僕の後悔は、親友である慎之介の苦しみに気付かず酷い言葉をぶつけてしまったこと。


 ゼノンの後悔とは一体何なのか。彼の記憶はまだ読めていないから分からない。


「サイオス、そろそろ寝ようか。夜の任務に支障が出ちゃうよ」

「眠るべきだと分かってはいるんだけど」


 難しい顔をしたサイオスが自分の腹を手でさする。ぐう、と大きな腹の虫が鳴り、僕は目を丸くした。


「おなか空いた」

「……アロンさんに何か作ってもらおうか」

「うん」


 翌日も試みてみたけれど、ゼノンの記憶は読めなかった。僕とゼノンが同時に深い眠りに落ちていないと繋がらないのかもしれない。簡単にはいかないものだ。






 夜間巡回にも慣れてきた。体力さえ戻れば、ゼノンの体は重い大剣も難なく扱う。持ち前の反射神経で手足が勝手に動いてくれるので、小さな魔獣なら一人で倒せるようになった。もちろん、ベニートが支援してくれるおかげなんだけど。


 ロトム王国との国境に近いところに新たな魔素溜まりを発見した。辺りの地面は黒ずみ、ブーツの先が沈むほどぬかるんでいる。


「魔素溜まりの近くって、ぬかるんでいることが多いですよね。どうしてかな」


 僕が問うと、前に立っていたジョルジュが振り返った。魔素溜まりと倒した魔獣を浄化する青い炎に照らされ、彼の青い髪が更に青く見える。


「魔獣化した獣が他の獣を捕食したからだろう」

「え。じゃあ、これって」

「血だ」

「えええええ」


 血と聞いて、慌ててぬかるみから飛び出す。黒い理由は地面に染み込んだ血が酸化したからか。宿舎に帰ったらブーツを洗わなくては。


「でも、やけに血の量が多くないですか」

「大きな獣ならこれくらい出るんじゃないか?」


 見慣れた光景だからか、ジョルジュもベニートも大して気にしていない。しかし、血のぬかるみの近くに肉片や骨は見当たらない。さっき僕が見つけて退治した魔獣は小さかった。魔獣化したとはいえ、自分より何倍も大きな獣を倒して骨も残さず食い尽くすなんて出来るのだろうか。


 疑問に思っていると、視界の端で何かが動いたのでそちらに顔を向ける。


「ディノさん!」


 少し離れた場所で周囲を警戒していたディノが足元から崩れ落ち、地面に片膝をついていた。咄嗟に駆け寄り、顔を覗き込む。青い炎に照らされているからか、ディノの顔色は悪かった。辛そうに目を固く閉じ、唇を噛んでいる。額に触れると手のひらに熱を感じた。


「体調が悪いなら休めば良かったのに」


 僕の言葉に、ディノがふるふると首を横に振る。


「やだ、やだよ。役に立たなきゃ捨てられちゃう。ボクは第一分隊にしか居場所がないんだ。役に立たなきゃ」


 熱で朦朧もうろうとしているようで、ディノの声はかすかに震えている。彼の訴えたいことはまさに自分がジョルジュ班に馴染もうと必死になっていた頃の考えと同じで、その気持ちは痛いほど理解出来た。


 今夜の巡回はここで止め、帰還することになった。ベニートが自分の前にディノを座らせ、二人乗りで移動する。代わりに僕が殿しんがりを務め、ディノの馬の手綱を握って並走した。


 宿舎に戻り、装備一式を引っぺがしてから医務室のベッドに寝かせる。マルセル先生に診てもらうと、意外な診断結果を告げられた。


「睡眠不足、ですか」

「そう。ディノ君はここ数日まともに眠れていないようだった。食事もあまり食べていないとアロン君から報告を受けている。知らなかった?」

「……、……はい」


 僕がディノとの同室をやめ、サイオスの部屋に移った頃から元気がないとは気付いていた。でも、熱を出して倒れるほどとは思わなかった。わざと彼を視界に入れないようにしていたからだ。


「実はディノ君は重度の不眠症なんだよ。ただし、気を許した人が近くにいれば普通に眠れる。ゼノン君が怪我で療養している間、ディノ君はジョルジュ君に頼んで一緒に寝てもらっていた」

「……知りませんでした。僕は、何も」


 僕がまだ医務室で寝泊まりしていた頃、早く部屋に戻ってきてと懇願された。あれは一人では眠れないからだったのか。


「君がサイオス君と同室になってからは一人で耐えていたらしい。いつ君が戻ってきても良いようにしていたんだろうね」


 マルセル先生の言葉が胸に刺さる。


「ディノ君の不眠は後遺症のようなものだ。ウィリアム隊長に保護されてかなり改善されたけれど、まだ完治はしていないみたいだね」


 重度の不眠症。背中に残る痛々しい傷痕。頭を文字で埋め尽くすための読書。どれもが彼の過去が酷いものであったことを示している。


「ご、ごめん、ディノさん」


 医務室のベッドの傍らに膝をつき、ディノの手を握って謝罪した。涙があふれ、目尻から頬に伝って落ちる。すると、ふふ、と小さな笑い声がした。


「もう。『さん付け』はやめてよって言ったよね」

「ディノ……ッ!」


 薄く目を開いたディノが口元をゆるめている。数日ぶりに見た笑顔だ。胸がいっぱいになって思わず彼に抱きつく。


「ごめん、ディノ。本当にごめん」

「ボクこそごめんね」


 僕たちは、マルセル先生が居ることも忘れて大きな声で泣き、互いに謝り合った。



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