第5話・国境警備隊の仕事
アロンが医務室から出て行くと、入れ替わりでマルセル先生が戻ってきた。枕元まで歩み寄り、大きな手のひらを僕の額に乗せる。
「熱も下がったし、食欲もあるみたいだし、順調に回復しているね。君はもともと傷の治りが早いほうだから、この調子なら任務復帰もすぐ出来そうだ」
マルセル先生はニコリと微笑む。
目が覚める前は熱があったのか。怪我で炎症を起こしていたのかもしれない。だからこそ医務室に寝かされ、付きっきりで容態をチェックされていたのだろう。
「さあ、夕食の時間まで眠るといい。何かしてほしいことがあればいつでも声を掛けていいからね」
「は、はい」
上に出していた僕の腕を毛布の中にしまい直してから、マルセル先生は間仕切りの
衝立の反対側には格子窓がある。まだ明るいけれど、日は傾きかけているように見えた。窓の隙間から入り込む風が心地よくて目を閉じる。
知らない場所で知らない人たちに意味の分からないことを言われて疲れていたのか、三日も眠った後だというのに僕はまた睡魔に意識を乗っ取られた。
──ごめん、みんな、ごめん
──ぜんぶ俺のせいだ
眠りに落ちた瞬間、またあの真っ暗な空間で赤髪の青年の懺悔する姿を見た。それは、アロンが鏡で見せてくれた僕の今の姿そのもの。彼が『ゼノン』だ。
どうして彼は嘆き、謝り続けているのか。
どうして僕は彼の体に意識を宿らせているのか。
僕の体は今どうなっているのだろうか。
考えてもなにも分からない。情報が無さ過ぎる。なにひとつ明らかになっていないというのに、考え過ぎて頭の奥がズキズキと痛む。
「ねえ、ゼノン君、起きて」
体を揺すぶられて目を開けると、マルセル先生が焦った様子で僕を見下ろしていた。
「……
返事をする前に名前を訂正すると「ああ、そうだったね」とマルセル先生は肩をすくめた。
「寝入ってすぐ苦しそうな声を上げるものだから何事かと思ったよ。傷が痛むのかい?」
「あ、いえ。大丈夫です、騒がせてすみません」
「それならいいんだが」
僕自身は声を上げた覚えはない。おそらく、この体の持ち主である『ゼノン』の嘆きが表に現れたのだ。彼の意識は奥深くに引っ込んでいるだけで、完全に消えたわけではない、ということか。
「もう少し回復したら部屋に戻っても構わないよ。それまでは
「はい、わかりました」
満足に動けない状態で放り出されるより医師の目の届く範囲にいるほうが安心できる。素直に頷くと、マルセル先生は複雑そうな表情で曖昧に笑った。
意識を取り戻して以来、全員がそういう顔を僕に向けてくる。本来の『ゼノン』だったら言わないようなことを僕が口走っているからだろう。トラブルを避けるため『ゼノン』を演じるべきかもしれないが、どんな奴か知らないんだから不可能だ。
「あの、マルセル先生」
「なんだい? ゼノ、……サイチ君」
「……もうゼノンでいいです」
毎回訂正するのも面倒だと思い直し、僕はゼノン呼びを許容することにした。見た目はゼノンなのだからそう呼ばれるのが当たり前。一番柔軟に対応してくれそうなマルセル先生ですら毎回間違うのだから、他の隊員に至っては呼び方を変えさせて定着させるなんて不可能だ。
「僕はなぜ怪我をしたんですか」
「……任務中に、だよ」
確かに、目が覚めてすぐそう言われた。だが、見舞いに来ていた金髪と青髪は無傷だった。同僚だというのなら、彼らも共に任務とやらに出ていたはずだ。僕だけ負傷した意味が分からない。
「任務ってなんですか」
「国境警備だよ。君たちはロトム王国との国境近辺を毎日見回っているんだ」
「毎日?」
「そう、毎日朝晩」
そんなに頻繁に巡回しているなんて、国境付近でなにか起きているのだろうか。まさか戦争中じゃないだろうな。
「国境って範囲が広くないですか? 巡回するの大変だと思うんですけど」
「ロトム王国と接している部分だけだから、それほどでもないかな。うちの第一分隊だけではなく第二、第三分隊もあるからね。担当区域はあまり広くはないよ」
ロトム王国とアステラ王国の大きさや位置関係は分からないけど、他にも国があるだろうし、広範囲で国境を接しているとは限らない。なるほど、納得。
「ここには何人くらいいるんですか」
「第一分隊の隊員は君を含めて八人だよ」
それが多いのか少ないのかすら分からない。八人の中にはアロンやマルセル先生は含まれていないという。金髪と青髪以外の隊員はどこにいるんだ。
「僕、弱いんでしょうか。他に怪我してる人はいないみたいだし、僕だけが任務中に怪我をしたってことですよね」
医務室には他にもベッドがあるが、誰も使っていない。金髪や青髪はピンピンしていたし、この宿舎で怪我人は僕だけのようだ。よほど僕……ゼノンが弱いか、ヘマをしたことになる。
「気にすることはないよ。さあ、お眠り」
「……はい」
再び寝るように促され、渋々目を閉じる。マルセル先生に誤魔化されたと気付きながらも、今の僕には何も言えなかった。
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