第4話・世話焼き家政夫アロン

「ふんふふふーん♪  ふっふっふーん♪」


 ベッドの隣に置かれた丸椅子に座り、オレンジ髪が果物の皮を剥いている。上半身を揺らしながら鼻唄を歌う姿を横目で眺め、僕は頭を悩ませた。


 あの後マルセル先生と青髪、金髪は連れ立ってどこかに行ってしまった。代わりにオレンジ髪が医務室に残り、僕に付き添ってくれている。正直さっきの説明ではまだ現状が掴めなかったから誰かに聞きたいと思っていた。あと、知らない場所で一人にされたら心細いし。


「ねえ、君」

「なぁに? ゼノンさん」


 話し掛けると、当たり前のように『ゼノン』と呼ばれた。コイツ、さっきの話を聞いてなかったのか。いや、僕は今『ゼノン』の体なのだから彼が間違っているわけじゃない。おかしいのは僕のほうなのだ。


「君の名前を聞いてもいい?」

「アハッ、いいよぉ。その代わり、もう忘れないでくださいねぇ? ゼノンさん」


 いちいち訂正するのも面倒なので放っておく。

 オレンジ髪が手元から視線を上げ、僕のほうを向く。ぱつんと目の高さで切り揃えられた前髪、長めの後ろ髪は一つに括られ、頭にはスカーフを巻いていた。


「ジブンは『アロン』。この宿舎の家事全般を担当してるんですよぉ」

「へえ。じゃあ食事の用意も君が?」

「もっちろん!」


 僕の言葉に胸を張るオレンジ髪、アロン。炊事洗濯掃除を一人で請け負っているのか。家政婦、もとい家政夫といったところか。彼は皮を剥き終えた果物をひと口サイズに切り分け、僕の口元に差し出してきた。食べろ、ということらしい。


「……いただきます」


 軽く頭を下げてから口を開けると、中に果物を放り込まれた。ミカンに似ているけど固いし酸っぱい。でも食べられないほどではない。よく噛めば甘い気がする。


「ゼノンさん、これ好きでしょ?」

「う、うん。おいしい」


 喉が渇いていたから、果汁たっぷりの果物はおいしく感じた。もぐもぐしながら頷くと、アロンはニカッと笑った。僕の返答が嬉しかったらしい。


「もっと食べて、早く怪我治してくださいねぇ」

「待って。そんなに一度に食べられない!」


 気を良くしたアロンが次から次へと僕の口に果物を突っ込んでくる。こっちが身動き取れないからって好き放題するな。いや、お世話してくれるのはありがたいんだけど。


 アロンは果物を丸々ひとつ食べさせて満足したらしい。果汁まみれになった僕の顔をタオルで拭き、続けてベッドの毛布を引き剥がした。上に掛けられていた毛布を急に奪われ、ぶるりと体を震わせる。


「さぁて、次は体を拭いて着替えましょーねぇ」

「はぁ?」


 驚いているうちに、アロンの手が伸びてきた。どうやら僕は今、ガウンのようなものを一枚身につけているだけのようだ。怪我をして三日くらい寝ていたとマルセル先生が言っていたし、介護しやすい患者用の衣服なのだろう。アロンは腰紐の結び目を解き、僕のガウンを脱がしにかかった。


「ちょ、自分で脱ぐから……っ」

「ほらぁ、傷が痛むんでしょ? 大人しく寝ててくれたらすぐ終わりますから」


 容赦なくはだけられるガウン。袖から腕を引き抜かれ、素っ裸にさせられた。室温は低くはないが、急に脱がされたら流石に肌寒い。困惑する僕に構わず、アロンは固く絞った濡れタオルで体を拭いていく。慣れた手付きに、きっと僕の意識が戻る前にもこうして体を拭いてくれていたのだと分かった。


「ゼノンさん、おしっこ出ます?」

「いや、大丈夫。出ないです」

「三日間飲まず食わずでしたもんねぇ。出るモンもないかぁ。アハハ」


 ためらいもなく僕の股間をガシガシ拭くアロン。その様子を眺めながら、髪が赤いと下の毛も赤いんだな、なんて他人事のように思う。


 仮に今トイレに行きたくなったらどうすればいいんだろう。建物のどこかにあるんだよな、トイレ。場所が分からないから誰かに聞く必要がある。ていうか、まだ一人で立つのもツラいから連れて行ってもらわなくてはならないのでは?


 視線を自分の体へと向けると、腕と脇腹あたりにガーゼが貼られていた。他にも古傷らしき痕が幾つもある。もともと僕は運動が苦手で筋肉もなく、学生時代のあだ名は『チビ』または『モヤシ』だった。しかし、視界に映る体はがっしりとしていて腹筋が割れている。実際の僕とは正反対だ。


「ちょっと痛いかもしんないけど、ジブンのほうに体を向けてくれますぅ?」

「わ、わかった」


 言われるがままに横向きになると、僕の体の下にあったガウンが引き抜かれ、新しいガウンと入れ替えられた。すかさずアロンが背中側に回り込み、濡れタオルで拭いていく。


「はい、ごろんしてくださいねぇ」


 仰向けの体勢に戻ると、アロンは新しいガウンを着せてくれた。腕を袖に通して前を合わせ、腰紐を縛る。最後に毛布を掛け直し、ニカッと笑った。


「日が暮れたら夕食の時間なんですけど、食べられそうですかぁ?」

「う、うん。たぶん」

「じゃあ消化に良さそうなの作りますんで、楽しみにしててくださいねぇ」


 言いながら、アロンは濡れタオルや脱がせたガウン、取り替えた枕カバーを抱えた。彼は家事全般担当なので、僕の着替えも洗濯してくれるのだろう。


「ええと、アロン……さん」


 医務室から出ていこうとするアロンを呼び止める。


「あの、ありがとうございました」


 御礼を言うと、アロンは目を丸くして、たっぷり十秒ほど僕を凝視した後ニカッと笑った。


「アハッ、どういたしましてぇ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る