第2話・僕はそんな名前じゃない


 急激に意識が覚醒し、ゆっくりまぶたを持ち上げる。視界の端に人影が映った。誰かが心配そうな顔で僕を見下ろしている。


「ああ、良かった。目が覚めたんだね」


 優しい声が僕を気遣う。栗色の髪と青い瞳、丸眼鏡を掛けた男の人だ。白い上着を着ている。お医者さんかもしれない。


 僕はベッドに寝かされている。ここは病院だろうか。見覚えのない天井に困惑し、体を起こそうとしたら激痛に襲われた。痛む箇所は腕と脇腹。怪我をしているようだ。


「起きてはダメだよ。まだ傷口がふさがっていないんだ。今みんなを呼んでくるから大人しくしていてくれるかい?」

「は、はい」


 かすれた声で返事をした僕を再び寝かせてから、白衣の男の人は部屋から出て行った。視線だけ動かして室内を確認する。天井も壁も飾り気のない板張り。見覚えのない場所だ。


 どこかで倒れて保護されたのだろうか。記憶が曖昧で、意識を失う前の自分がなにをしていたのかすら思い出せない。誰かと話をした気はするけれど、相手の顔も名前も分からない。単なる夢にしては妙にリアルだったように思う。


 ベッドの上で仰向けのまま考え事をしているうちに扉の向こうが騒がしくなった。バタバタと複数の足音が近付いてくる。先ほどの白衣の男の人が誰かを呼んできたようだ。もしかして、会社に連絡してくれたのだろうか。


 勢い良く扉が開かれ、数人が一気に室内に飛び込んできた。


「ゼノン! 良かった、意識が戻ったか!」

「あのまま死んじゃうかと思ったよー!」

「ゼノンさん腹減ったでしょ。なんか食います?」


 僕が寝ているベッドを囲み、親しげに話し掛けてくる三人。全員知らない人だ。二十歳前後の青年で、みんな髪の色が違う。青、金、オレンジ。染めているのか鮮やかだ。それはともかく、僕に向かって『ゼノン』と呼び掛けていることが引っ掛かった。それは僕の名前じゃない。


「あの、どなたですか?」


 思わず問うと、白衣の男の人を含めた四人が固まった。あれ、声の調子がおかしい。僕ってこんなに低い声だったっけ。


「な、なにを言ってるんだ、ゼノン」

「ボクたちのこと忘れちゃったの?」


 青髪と金髪が戸惑いの眼差しで僕を見下ろす。いや、忘れるもなにも初対面だよね。こんな派手な見た目の知り合いがいたら絶対忘れないもん。


「僕はゼノンなんて名前じゃないです。人違いじゃないでしょうか」

「はあぁ!?」


 僕の言葉に全員が驚き、目を見開いた。


「先生、やっぱりゼノンは頭を打ったんじゃないだろうか。言動がおかしい」

「確かに。記憶障害かもしれませんね」

「やだーっ! ゼノンしっかりして!」


 青髪と白衣の男の人がヒソヒソ話し、金髪が涙目で僕にすがりつく。なんなんだこの状況は。


「だから、僕はゼノンじゃないです」

「なんでそういうこと言うんだよ、ゼノンはゼノンでしょ! ホントにどうしちゃったの?」


 それは僕が聞きたい。


「数日ぶりに目を覚ましたばかりで混乱してるだけじゃないですか? ほぉら、ゼノンさん。アンタはゼノンさんですよぉ」


 オレンジ髪が室内の壁に掛けてあった鏡を外して僕の眼前に突きつけた。映っているのは鮮やかな赤い髪と紺の瞳をした青年だ。僕が動くと鏡の中の赤髪の青年も動く。写真じゃない、これは鏡に映った自分の姿だ。


「誰これ!」


 思わず上半身を起こし、痛みで悲鳴を上げる。そうだ、怪我をしているんだった。うっかりしていた。再び枕に頭を沈め、愕然とする。


「ゼノン〜、大丈夫?」


 金髪が心配そうに見下ろしている。でも、彼が心配しているのは『僕』じゃない。『ゼノン』だ。


「あの、ですから、僕はゼノンとかいう名前じゃないんです。才智さいち 正哉まさちかと言います」


 名乗っただけなのに、全員から「は?」と怪訝な顔をされた。


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