なおみ new

瀬戸はや

第1話 霧ヶ峰のペンション

 

「今度のゴールデンウィーク信州に行ってみないか?」

長い休みがあると、僕は信州の方に行くことが多かった。信州が好きだとか 信州に決めているというわけではなかった。涼しくて空気が良くて、景色も綺麗なところということになっていくと、自然に長野県の方になってしまう。僕は学生の時分から 信州にはよく行っていた。海ではなく 山の方が好きだった。特に 白樺の林が好きだった。こい緑の葉に白い幹というだけで白樺は美しかった。白樺はそれ自体で、ほとんど完成されて美しかった。夏の信州はどこを見ても美しかった。 水も空気も何もかも普段家の近所で見かける当たり前の風景とたいして変わらないのだが、夏という季節のせいなのか見るもの全てが輝いて 美しく、夏の信州の山々には深緑の木々だけではなく、流れる川や湖の美しさも加わって信州の美しさをより一層 完璧に近いものにしていた。もうこれ以上何もいらないなと思うほどに夏の信州の山々は圧倒的だった。僕は その場にいて、その空気を吸っているだけで幸せな気持ちになれた。

直美 も山に行くことには賛成してくれた。ドライブでも山の方に行くことが多かったし、なおみも水や空気が綺麗なところは好きだった。

信州に行くなら1人でも良かったが、誰かと行くなら なおみが良かった。

それはおそらく、柔らかな部分に触ることを許してくれたからだろう。

女の柔らかな部分だけが孤独を忘れさせてくれる。直美の太ももの内側のたまらなく柔らかな部分が、この世の優しさの全てのように思えた。


国道19号で行こうか 中央自動車に乗ろうか迷っていたが、ゴールデンウィークの高速道路は、恐ろしく混むだろうから19号線で行くことにした。多治見のインターを超えたところから少しの間 中央高速道路と19号線がほとんど平行して走っているところがある。見てみると高速道路の方はほとんど動かない状態だった。全く同じ方角に向かっていくのに19号線はかなり空いていて普通に走ることができた。

19号線を北に折れ、諏訪湖から今日宿泊するペンションのある車山高原に向かった。


わたしペンションに泊まるの初めてなの。なおみは雑誌の写真を見ながら喜んでいた。いかにも高原にあるペンションらしい外観の それはおしゃれでリッチな感じだった。

ゴールデンウィークに泊まれる おしゃれな宿を特集したその雑誌は、若い女性でなくても見ていてワクワクしてしまう。


思ったより早く宿に着いてしまったので、駒ヶ岳の南側を巡って 安曇野へ向かった。痩せた土地のせいでそばぐらいしか作れなかった 安曇野が最近ではブドウの栽培が盛んに行われていた。ワイナリー もあったりして 洒落た感じに変わってきた。信州 しかも 安曇野に来れば 以前はそばばかり食べていた。さすがに 若い なおみを連れて蕎麦屋というのはいただけなかったので、どこかで それらしい店を探そうと車を走らせていた。国道沿いにやけに車がたくさん駐まっている店があった。覗いてみると ジェラートの屋台 だった。たくさんの若い男 や 女たちで店はとても混んでいた。

カラフルなイタリアンカラーと賑わう人たちに飲まれて、僕もなおみもはじめは 3段を注文しようとしたが2段にしておいた。三段は、さすがに 食べきれなかった。


「お昼どうする?」

「何でもいいよ。」

「じゃあ 蕎麦でもいいかな。」

「うん。私 お蕎麦 好き。」

昼はそばに決まった。


信州にはいくつもいい蕎麦屋があった。国道沿いを走っているだけでそれらしい蕎麦屋がいくつも見つかる。さすがに初めて入る店にはなおみ を連れて行くことはためらわれたが、そばが好きなら心配いらなかった。

安曇野のなだらかな斜面を上り車は安曇野と蓼科を結ぶ 峠道に差し掛かった。のんびりと 駒ヶ岳の南国を巡る道とは違って峠を越えるその道はかなり険しかった。以前 乗っていた車は標高の高いこの辺りでかなり苦しんでいたが、今は電気自動車 なので 関係なかった。何のストレスもなく 快適に車は走った。

ただ一つ 心配なのは信州に入ってからもあまり 充電用のスタンドを見かけないことだった。長野県でも イオンに行けば どこにでも充電スタンドはあるはずだが、いざとなったら茅野市のイオンに行こうと思った。

蓼科が近づき 道路の傾斜はかなり急になった。時折 雑木林の中に 白い白樺の幹が伺える。家の近くの公園に無理やり 植えられた白樺とは 幹の白さが違う。いるべき場所にいて 生き生きしているんだろう。


初夏とはいえ 昼の陽はいよいよ高く、時折過ぎ去った夏を思い出させる。たっぷりの日差しが全ての影を奪い去り、切ないほどに明るく昔見た風景のように平らにしていく。


ああ、また夏が来たんだなぁ。


子供の頃から夏休みは苦手だった。授業がなくなるからと、喜ぶ 子も多かったけど僕は夏休みが嫌いだった。小学生の頃の僕は受験もなにもなくて、1日の時間をずっと自分と向き合っているのがつらかった。行かなければならない 学校も、しなければならないことも 何もなくて自分一人と向き合っているのが苦手だった。

学校へ行って授業を受けてる方がずっと良かった。1日中 することがあって気が紛れた。何もないのは本当につらかった。

こんな子供になったのはいつの頃からだったろう。小学校の高学年になってからの夏休みからだったっけ

僕は確か夏に1人でいることが嫌いだったはずだ。いつの頃から そうなったのか忘れてしまったが 、ある日突然に そうなったように記憶している。その時から僕は 夏に1人にいることが嫌いになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なおみ new 瀬戸はや @hase-yasu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る