定点観測

ゆかり

ここは舞台に似ている

「いらっしゃいませー」

 奈那子ななこは仕事帰りに時々居酒屋に立ち寄る。

 晩御飯を作るのが面倒な時や、ちょっと愚痴りたいときはここに来る。


「まいどっ!」

 カウンターに座ると、麻友まゆがおしぼりとお品書きを奈那子の前に置いて、にやりと笑う。

「また来てもうた」

 奈那子もにやりと笑う。


 麻友と奈那子は高校時代からの友達だ。演劇部で出会って以来、妙に気が合って卒業後も仲良くしている。

 麻友は結婚して夫と共に小さな居酒屋を営み、奈那子は会社勤めしながらおひとり様を楽しんでいる。


「今日は? 愚痴りに来た? それとも晩御飯?」

「両方! せやけどまずはご飯やなあ。お腹減りすぎて愚痴る元気もないわぁ」

「そっかぁ。ほな、何にする? 今日のお勧めはタラの芽の天ぷら。こごみにタケノコ、こしあぶらもあるでぇ」

「春の圧が凄いな。もう何が何でも春や、どやーって感じやな」

「旬のもんは旬に食べとかな。そやな、ほんなら春定食にしとき。お得やし」

「お得なん?」

「うん。ごっつうお得やで」

「なら、それにしとくわ」

「おしっ! 星ちゃーん、春定いっちょう!」

 麻友は半ば強引に春定食に決めると、厨房の夫、星太郎せいたろうに注文を通す。

「んで、飲みもんは?」

「うーん。もちろん」

「もちろん?」

「せーのっ」

 二人で声を合わせて

「とりあえずビール!」

 そう言って笑う。


 二人にとって『とりあえずビール』には別の意味がある。

 今でもあるのかは分からないが、二人が高校演劇をやっていた頃は春と秋に大会があった。

 春の大会は単なる発表会で順位をつけたり優劣を競ったりはしない。が、秋の大会は地区予選になっていて、ここで3位までに入ると県大会に出られる。

 奈那子達の学校は女子高だった事もあり、台本選びの時点でかなり苦労した。

 なにしろ女子しかいないから男性の出てくる台本だとやりにくい。

 誰かが男装しても良いが、そうするとシリアスなものは難しくなる。ミュージカル風にアレンジしてみた事もあったが、奈那子のいた演劇部はリズム音痴が多かった。

 バタバタと不揃いな足音ばかりが響き、たちまちコントと化す。ダメだこりゃ、である。

 そのせいばかりではないだろうが、秋の大会では1年、2年と予選落ち。最後となる3年の秋はどうしても県大会まで行きたかった。

 そこで一念発起し、台本から作ることにしたのだ。

 そのタイトルが『とりあえずビール』だった。

 卒業後、社会に出て数年。男性との格差に悩む同級生が集まり、居酒屋で愚痴を言い合う、と言った内容だった。

 既成の台本と違い、感情移入しやすく皆のびのびと演じた。おかげで初めて県大会への出場がかなったのだ。ギリギリ3位ではあったが快挙である。


 しかし、県大会はレベルが違った。

 中でも県大会出場は当然、全国でも毎年優勝候補にあがるという一校は別格だった。とにかく部員のオーラからして違う。演劇のために髭を伸ばしている生徒もいれば、普段から下駄を履いている生徒もいた。同じ高校生とは思えない。正直、臆した。顧問も名のある人らしい。

 もちろん奈那子達の演劇部は見事に砕け散ったが、それでも高校生活一番の想い出だ。

 以来、『とりあえずビール』は二人の間では特別な言葉なのだ。


「麻友もビール付き合ぃ」

「ほ? 奈那子、奢ってくれるん?」

「なんでやねん。自分とこのビールやんかぁ」

「いやいやいや、店の会計と個人の財布は別や」

 そんな冗談を言い合っていると、厨房から星太郎が言う。

「俺が奢ったるわ。二人に生中一杯づつ」


「やったー!」

 二人で乾杯だ。

「じゃあ、星ちゃんに」

「うん。星ちゃんに乾杯!」

 喉を潤したあと、春定食を食べながら奈那子は目的の二つ目に入る。


「わたしな、仕事してて時々思うねんけどな、ウチの事務所って演劇の舞台みたいやねん」

「ええっ? どういうこと? なんで?」

「なんかな、ちっちゃい出張事務所やから上司も滅多に来ぃひんし、社員がな、チョイチョイ上司の悪口言いに来よんねん。あと、同僚の悪口とか後輩への愚痴とかな。今は直ぐハラスメントや言われるやんか? せやし、もう事務所が、ほれ、あの『王様の耳はロバの耳』ってやつになっとんねん」

「おもろそうやな」

「いや、こっちの身にもなってえや。仕事に追われとるときに次々、そんなん来てみ? イライラするで」

「相手せんかったらええやん」

「そやねん。そやし、私な、むっちゃ無愛想にしとんねん。ネットとかで『こういう人は嫌われる』とかってタイトル見つけたら、それ見て勉強してんねんで。もう嫌われて他人が寄り付かへん人になりたいねん」

「ははは。なんやそれ。ええなあ」

「そやろ? なのにな、そしたら今度は社員同士で事務所で座り込んで喋りよんねん。横でいろんな話されたら気になるやん?」

「そりゃそうやな。しかも面白そうやしなあ。でもなんでそれが演劇の舞台なん?」

「あ、そうそう、まあ、私がイラつく話は置いといて。そうゆう人の出入りの感じとか、話の内容がな、舞台みたいやねん」

「いや、ちょっと解らん」

「説明が難しいな。私は事務所に座っとって動かんわけやん? そこへ人間が入れ替わり立ち代わりやって来ては、外で起きた出来事を喋りで展開していくわけやん? そこにまた別の人間が加わって物語になっていくんよ。と思ったら、そこに突然、滅多に来ん上司が現れて、サッといなくなるヤツもいれば、そろっと居らんようになるヤツもおってな。後は上司にゴマするヤツとか、急に仕事してるふりするするヤツとか。ほんま、演劇の舞台そのものやねん」

「あ、うん。なんか解る、その感じ。ほんまやな。台本書けるな」

「ま、下手したらコントやけどな」

「あはは。確かに。特にウチらはすぐコントになってまうもんなあ」

「あはは。ほんま、ほんま。けど、そう言うたら、この居酒屋も近いもんがあるな」

「そやな。そない言うたら確かにそやな。ウチもこっから動かずにいろんな話聞くわ。ほんまやな。ほんまにそうやわ」


 酔いが回ってきたのか奈那子は少ししみじみと言う。

「なあ、私ら二人ともまだ演劇やっとんのかもしれんな」

「そやなあ」

 麻友も少し、遠くを見る目になる。


「これ、サービス」

 そんな二人のセンチメンタルをぶち壊しながら、星太郎が厨房からお皿を持って現れる。

「特製バンバンジーや。トリ無しの」

「なんやそれ、ただのキュウリとトマトやんか」

「けど、奈那子さん、ベジタリアンやろ? トリ和えずのバンバンジーや」

「そやから、ただのサラダやんか」

「いや、タレはバンバンジーやし」


 お腹もふくれたし、奈那子は明日も頑張れそうな気がしている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

定点観測 ゆかり @Biwanohotori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ