第5話

事件から10日後、卒業式を前にして淑女達は平民も貴族もモリアーティ公爵の庭に集っていた。

勿論、その中にマリアンヌはいない。

都合がつかなかった者も若干いるものの、殆どの女性の卒業生は参加していた。


「ナタリア嬢、ナサニエル様とのご婚約おめでとうございます」


本来はケレウノス伯爵令息と言うべきなのだが、弟のイザイアと分ける為に名前で呼ぶしかないのだ。

近いうちにナサニエルが伯爵位を継いで正式な伯爵となれば、その弟の存在も忘れられるだろう。


「有難う存じます。アンリエッタ様も、エスティーダ様とのご婚約おめでとうございます」


「ええ、嬉しいわ。だってクローディアという妹が出来たのですもの」


この短い間に、ブローズ公爵家とモリアーティ公爵家で婚約が結ばれていた。

エスティーダとアンリエッタも、家同士の付き合いもあって幼馴染で気心は知れている。

そして、家格も申し分なく、公爵夫人のヘンリエッタも上機嫌で了承したという。


「あら、もう一人の妹も忘れないでくださる?」


艶やかに流れるような黒髪のアリョーシャが首を傾げると、さらりと髪が肩から零れ落ちた。

アリョーシャはクローディアのもう一人の兄、ローティスと婚約を結んだのである。

こちらも幼馴染という程気安い仲ではないが、旧知の仲ではあり、スペンサー侯爵も喜んで了承した婚約となった。


主催のクローディアはあちこちに挨拶に訪れ、やっと最後に新しい姉妹の下にやって来た。


「お待たせを致しましたわ」


「いいのよ、クローディア。根回しは大事ですものね」


アリョーシャの魅惑的な微笑みに、クローディアも頷き返す。


「まさか、この短期間にこんな大事になるとは思いませんでしたわ」


***


相次ぐ婚約破棄、婚約解消に、縁の結びなおしが貴族間で行われていた。

その殆どがモリアーティ公爵家を中心にしたものである。


宰相であるハリー・アルターは、息子ヘンリーをすぐさま廃嫡とした。

公爵家に数ある爵位を全て継がせず、平民として放り出したのだ。

スペンサー侯爵家に慰謝料も納め、取り成しをブローズ公爵に頼んだが断られ、仕方なく若輩のエスティーダ・モリアーティ公爵に頭を下げたのだ。

結局、一番末の弟ミルファスの婚約者として、ヘンリーの妹であるミザリーを宛がい、ミルファスは将来的にアルター公爵を継ぐことになっている。

こちらも公爵家同士の幼馴染でもあるので、お互いの事は知っているし、何の不満もないようだ。

特に末っ子のミルファスが公爵位を継ぐ立場になるのは異例と言えば異例である。

だが、アルター公爵家が名を残すにはそれしかなかったのだ。

ヘンリーの弟であり、ミザリーの兄である次男のハンフリーは別の爵位を受け継いで公爵家から独立する事になるのは、元々の規定路線だったので、ハンフリーからも特に不満は出なかった。


ナサニエルとナタリアの婚約の影で、元婚約者でありナサニエルの弟でもあるイザイアは、廃嫡の上教会からも破門される事になった。

こちらも平民になる事が確定して、どうなっていくのか見当はつかない。

温厚なナサニエルが誰より怒り心頭なので、手助けをすると言う事は考えられない、らしい。

困ったように眉を下げたナタリアがお茶会で顛末を話した。

ナタリアと婚約が成らなければ、もしかしたら多少の手助けはあったのかもしれないが、最愛のナタリアを妻にする予定なのに、その女性を傷つけた男を手助けするというのは心情的に許せないのだろう。

法王リノスも同じ理由で、一切の援助はしなかったという。


ヴァルカスに至っては、父である騎士団長に鉄拳制裁を食らったらしい。

ボロボロにされた上で廃嫡され、入る予定だった騎士団にも入団拒否される始末だった。

勿論王都憲兵隊にいる兄からも虫でも見るかのように見られて、そちらにも入れないのは目に見えている。

浮気云々よりも、冤罪に加担した事が大きな理由だった。

残される道は一兵卒として、辺境配備に勤めるくらいしかないかもしれない。


そして、残された馬鹿親子である国王と、第一王子ロドリックは危機に直面していた。


まず母后である王妃教育の要が、早々にマリアンヌには務まらないと匙を投げたのだ。

曰く、基本的な淑女としての礼儀に欠けている。

その辺の貴族令嬢の5歳児よりも始末に負えないと評された。

曰く、基本的な勉学の素養もない。

学園で教わっている筈の勉学が出来ていない。

成績も底辺だったから当然と言えば当然だが、公務どころか普通の執務ですら覚束ない。

クローディアが一切の王子妃の仕事と王太子の仕事の割り当てから解放されて、ロドリックだけでは捌ききれなくなるのは自然の摂理である。

だが、マリアンヌでは助けになるどころかお荷物でしかないのだ。

一週間かけて漸く廃嫡の決心を国王が固め始めた頃、事態は急転した。


まず、現王妃のエレーナが出奔した。

同時期に側妃のクラリッサも祖国である隣国の公国へと里帰りを強行した。

それぞれ他の王子も連れて行ったので、残されたのは国王とロドリックだけになり、そこへ公爵家連名で王国からの独立を宣言されて、完全に王城は機能を失った。

重要なポストにいた国の要人達がいないのである。

関係者も登城すらせず、出奔した王妃の差配で使用人達も消えてしまった。

大きな城にぽつんと残された国王と、その息子に、侍従長が一人残って事の次第を説明すると、彼も引き止める声に耳も貸さずに城を退出したのである。


このまま城にいると命が危ういと気づいた王弟達も、それぞれ思い思いの隠れ家に身を隠した。

残されたのは母后と国王と第一王子のロドリックにマリアンヌの四人で、使用人達もいないまま、王の間で何も出来ずに呆然としている所にモリアーティ公爵であるエスティーダと、帝国の第三王子であるアズレートが手勢を連れて乗り込んだのである。

三日間何もない城で過ごしただけで、弱りきった4人の中で一番元気だったのはマリアンヌだった。


「ねえ、アズレート様、私をお嫁さんにして下さい」


アズレートの顔を見るなり、満面の笑みを浮かべてマリアンヌが身を摺り寄せた。

名乗った事もない本名を、見知らぬ女性に呼ばれたことに驚きはしたが、嫌悪しか浮かばなかったので、アズレートは眉を顰めたまま冷たく言い放つ。


「どなたか知らぬが、俺の名を勝手に呼ぶな。我が妻はそなたが冤罪をかけたクローディアに決定したのだ」

「殿下、その気狂い女に言葉をかける必要はございません。こちらの話を進めましょう。おい」


エスティーダは語尾を後ろにいる騎士に投げかけると、騎士がマリアンヌをアズレートから遠ざける。


「エスティーダ様でもいいですよ」


愛嬌を振りまいて言う姿を視界に入れずに、国王に向き合うように立つと、エスティーダは冷たく言葉を放った。


「こちらの要求はお伝えしたが、考えて頂けましたでしょうか?陛下」


「貴様ら、裏切ったのか?帝国に売ったのか?この王国を」


「人聞きの悪いことを仰いますな。最初に裏切ったのは陛下とその息子でしょうに」


冷たい眼で見下ろされて、ロドリックは僅かに後ずさった。

ロドリックは座学だけでなく鍛錬もサボっていたので、剣の腕も鈍らである。

戦っても勝ち目はない。


「それに帝国に売らずに済むように私がいるのだ。私と妻の国に生まれ変わるだけで済む。前国王として命尽きるまで面倒はみて差し上げよう。断れば、床が血で汚れるだけで済むのだが」


どちらでも構わない、というように生きるか死ぬかアズレートに提示されて、母后は耐え切れずに気を失った。

国王はそれを見て、観念した様に俯いて答える。


「分かった……そなたらの要求を呑む事にしよう……」


公爵家以下高位貴族の王国離脱ではなく、王権の譲位が成ったのである。

この話を断れば、自らの命が危うくなることも流石に国王も予測できた。

母と息子と自分の命を守る選択を選び取ったのだ。


そして、両陛下欠席のまま、学園の卒業式が行われた。

あの断罪劇を主導した高位貴族の令息達はロドリック第一王子を筆頭に、誰も参加していない。

マリアンヌも当然現れなかった。


***


有りもしない話である。

帝国が攻めてきた辺境で、前王が放り出した戦線を維持して帝国を押しとどめた英雄が現王である、アズレートであり、ブローズ公爵とモリアーティ新公爵だと人々には伝えられた。

モリアーティ公爵の地の一部が帝国に割譲され、その様な話が形作られて、クローディア王妃とアズレート新国王が誕生したのだ。

割譲された地も、クローディアにとっては叔父の家にあたる帝国の公爵家なので、あまり損のない取引だったかもしれない。

貴族達の中で密やかに行われた革命は、アズレートとクローディアによる統治が民に寄り添うものだったのと国を守った英雄という名目で、貴族達にも民衆にも温かく迎え入れられた。


密やかに起こった革命での変化は、他の貴族の領地と再編でもある。

アルター公爵家は慰謝料の一部として王の直轄領として土地を献上し、残りは王妃クローディアの弟であるミルファスが公爵として治めることでその家門を留めた。

ロドリゲス男爵家もすぐに廃嫡を決意し、新王と将軍に協力した形をもって、逆に陞爵となり伯爵に名を変える事になったのは異例の処置だったかもしれない。

それに対し、マリアンヌを養女にして徒に王族と高位貴族の間をかき乱したスワニー男爵家は取り潰しとなってしまった。

同じようにマリアンヌに翻弄された令息を持つ貴族家は、廃嫡している家門のみが残され、取り潰された家門が治めていた土地は新たに再配分される事になったのである。


「やっと、終わりましたわね、お兄様」


「ああ、思ったより大変だったな、大掃除は。王妃殿下」


「いえ、わたくしもここまで規模の大きいお掃除はするつもりがなかったのですけれど」


いつか公爵家の馬車の中で交わした会話の続きを、兄と妹は何気なく言い合った。


元はと言えば、王太子とその寵愛を受ける男爵令嬢に対する反撃でしかなかった。

最初から正直に婚約解消を申し出ていたなら、クローディアも喜んで身を引いたし、困難はあったと思うがマリアンヌが王妃になっていたかもしれない。


(……それは流石に無理があるかしら?)


マリアンヌは妙な人間だった。

自分の受け入れたい話しか受け入れる気がないので、会話自体成立しない事もある。

それにうまくいかない全てを他人に転嫁する癖があり、今も快適な地下牢でロドリックを責め立てているか、見目のよい騎士に擦り寄ろうとするかの二つしかないらしい。

結局、彼女の信奉者だったはずの男性達は、誰一人として面会にも来ないままである。


ロドリックも行動を制限されるだけでなく毎日のように責められていれば、最終的には廃人になってしまうかもしれない。

クローディアは二人と話す事もないので顔も合わせていないが、様子は少しだけ伝わってきた。

嫌いというほど嫌がらせもされていないし、関心も持てないのでこれからも関わることはないだろう。


ヴァルカスは結局、辺境に一兵士として勤務していたが、貴族として甘やかされていた彼には辺境の生活と、度重なる戦闘が厳しかったようで、結局市井に下りて、傭兵ギルドに身を置いた。

ヘンリーは他国で文官として務め、イザイアの行方は杳として知れない。


エレーナ王妃は出奔した当時、親友であるルイーゼ・モリアーティ前公爵夫人によって公爵家の領地に匿われていたが、そのまま帝国へと帰還した。

今は帝国の王宮で、自分が産み、連れ帰った王子と王女を育てている。

いずれは帝国の王族か高位貴族に子供達を娶わせるだろう。


「傾城傾国、女は怖いという事だな」


「あら、そこまでの美貌はございませんわ。それに女性を大切にしている男性は幸せにおなりです。ナタリア様とケラウノス伯爵を御覧なさいまし」


二人は仲睦まじく、教会の関係者にも、民にも幅広く祝福されて結婚した。

今も二人仲良く奉仕活動に勤しんでいる。

本当に純粋で優しい、見ていると和やかになる夫婦なのだ。

思い出したようにクローディアも優しく微笑む。


「では、私も帰宅して奥様のご機嫌を伺うとしよう」


エスティーダは立ち上がって、礼儀正しくお辞儀をした。

ミルファスが宰相を継ぐまで、エスティーダが宰相を務めている。

当然、今は激務の只中だが、有能な兄は疲れを見せずに優雅にこなしていた。


「ええ、お姉様に宜しくね。……毎日顔は合わせているけれど」


「お伝えしておきます、妹殿」


アンリエッタは先代のモリアーティ公爵夫人と同じく、王妃の補佐として毎日登城している。

優秀なアンリエッタは、側近としても友人としても、今は姉としても心強い支えとなっているのだ。


そして、麗しい兄と入れ替わりに夫となったアズレートが部屋に入ってきた。


「おや、もう帰るのか?」

「陛下、女性の機嫌を損ねると大変な事になるらしいので、慌てて帰るところです」


軽口を叩きながら、二人は笑顔で学生の延長の様に拳と拳を合わせた。


「それは邪魔をして悪かった。早く帰れ、エス」

「アズも一番怖い女性の相手を頼むよ」


「まあ、失礼ですこと」


微笑を浮かべるクローディアの元に、アズレートは歩み寄った。

こちらも激務の筈なのに、疲れを見せない精悍な美しさを湛える男性である。


「我が妻に口づけする栄誉を与えてくれ」


「許可致します」


仰々しい要求に、照れ隠しに澄ました顔でクローディアは答えた。

優しく口付けた後、ふわりとクローディアを抱き上げると、アズレートは長椅子に移動して、膝の上にクローディアを乗せる。


「さて、君の為に国を手に入れた。他には何が欲しいんだい?」


「あら。愛しい旦那様。貴方の野心を見せて頂くお約束でしてよ」


(ここは可愛らしく、何も要りませんわ、というところだったかしら……?)


どうにも今までの調子で、アズレートの前でも強がりを見せてしまいがちなクローディアはこてん、とその肩に凭れながら自分の失言に胸を痛めた。

そんなクローディアの頭を撫で、髪に口付けをしながら、アズレートは優しく言う。


「この激務が落ち着いたら、改めて新婚旅行などはどうだ?領地を巡りながら、美味しい食べ物と景色を献上しよう」


「まあ素敵!」


思わずばっと身を起こしたクローディアに、アズレートはまた口付ける。


「やはり君は可愛らしい」


「変わったご趣味ですわね」


可愛げのない返事をしてしまいながら、クローディアは甘えるようにアズレートの首元に顔を埋めた。


(素敵な旅行になるでしょう、きっと)


二人で巡る新婚旅行を思い浮かべながら、クローディアは幸せそうに眼を閉じるのだった。


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婚約破棄されたので、被害者ぶってみたら国が滅びた ひよこ1号 @hiyoko1go

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