第4話
散々各方面から責められて、吊るし上げを食らった国王は疲弊していた。
最後の頼みの綱である、友人のモリアーティ公爵も登城しない。
代わりに謁見の間に姿を現したのは、王太子の婚約者だったクローディアとその兄のエスティーダである。
「おお、よくぞ参った」
説得が叶うかの様に笑顔を浮かべるが、隣の王妃はといえば、そんな国王に呆れた眼差しを遠慮なくぶつけてくる。
儀礼的な口上を述べた後で、兄のエスティーダが跪いて報告をした。
「本日をもちまして、我が父シャルルは隠居をする事になりました。私が新しく公爵位を継ぐ事になりますので、まずはご挨拶に参りました」
「な……、そんな事は認められない…!」
今朝一緒に居たシャルルは一言もそんな事を言っていなかった。
(これは子供達による反乱だ!)
焦った様に答えた国王の横で、王妃は顔を輝かせた。
「まあ……!それは良かったこと」
「何も良くはない!ロドリックとクローディア嬢の婚約を続けなくてはならないというのに……!」
迂闊に口を滑らせた言葉に、クローディアが薄っすらと笑みを浮かべた。
「その件でございますけれど、口頭とはいえ、既に昨夜王太子殿下本人より婚約破棄の下知を頂いておりますし、わたくしもその場でお受けすると返事も致しました。父も先程家に戻りましたが、認めてくださいましたので、書類は全て整ってございます」
「ロドリックには私からもう一度言う。どうか、考え直して貰いたい」
そういう問題ではないのだが、明後日の方に説得にかかるのは血筋だろうか。
クローディアは王妃と視線を交わして、国王をじっと見つめた。
「ロドリック様のご意志は最早関係ございません。わたくしと我が家の総意でございますので。それに王族がそんなに簡単に言葉を翻しては沽券に関わるのではないですか?」
王妃に今朝言われた言葉を言われて、国王はむ、と言葉に詰まる。
それだけでなく、今日だけで散々似たやり取りを繰り広げて、何一つ思いのままにならずにこの時を迎えていた。
「……そなたも、ロドリックの廃嫡が望みか……」
力なく言われた言葉に、クローディアはふるふると首を横に振った。
「わたくしはその様な事は望んでおりません。愛する方と支えあって民に尽くしていれば、何れは王として認めて貰えるのではないでしょうか?でもわたくしはお支え出来ません。今までお支えしてきましたけれど、礼の一言もなければ、夜会用のドレスも贈られず、エスコートもファーストダンスも愛する御方とでしたから。誕生日の贈り物ですら、侍従任せでしたし、添えられたカードも……ですので、わたくしの誕生日すら覚えていないのではないでしょうか」
まさかそこまで蔑ろにしていると思わなかった国王がぽかん、と口を開けた。
王妃は知っていたので、横で頷いている。
「わたくしは陛下に書面で委細をお伝え致しておりますよ。読んだかどうかは知りませんけれど、ロドリックにも散々注意して参りました」
そして、クローディアも王妃の言葉に頷く。
「王妃殿下には母と同じくらいお世話になりましたのに、この様な事になって申し訳ありません。ですが、本日、昨夜の婚約破棄を受けて、帝国から留学なさっていた第三王子から婚約の打診を頂きましたの。王国では既に婚約破棄をされた傷物ですから、有難くそのお申し出を受ける旨お返事致しております」
今朝、屋敷に訪れた客人こそが、その隣国である帝国の第三王子であり、特進科で共に勉学していた生徒だったのだ。
身分は帝国の男爵令息と聞いていた人物だ。
見目麗しい男性だが婚約者のある身のクローディアは二人きりで言葉を交わした事もない。
ただ、授業の中で、たまに図書館で、授業に関する質疑を交わした位の友人とも言い難い仲だった。
***
「突然押しかけて申し訳ない。エルンスト・ファーネルと言う名前で学園には通っていたが、本名はアズレート・アザロフと言う」
その名前に、クローディアは目を丸くした。
一拍おいて、驚いたように言葉を紡ぐ。
「まあ……では帝国の第三王子殿下……」
思ったように名前だけで身分を言い当てたクローディアにアズレートは金色の瞳を輝かせて、美しい微笑を見せた。
「隣は私の護衛兼侍従だが、王子の侍従見習いとして仕えて貰っていた」
「ヴィタリーと申します」
要は付き人をさせつつ、情報収集をさせていたという事だとクローディアは頷いた。
事情は分かったが、何の用で来たのかはまだ明かされていない。
クローディアは淑女の挨拶をして、アズレートが座るのを待ってから長椅子に腰掛けた。
「昨夜の一悶着に便乗したいと思ってね。クローディア・モリアーティ嬢、君に結婚を申し込みたい」
予想の範疇内ではあるが、クローディアは首を傾げた。
母は帝国出身で、公爵令嬢だったので叔父や叔母は帝国人だし、その点も結婚には有利だとは思うが、継承権はそんなに高くない王子なので、後ろ盾が喫緊に必要と言う訳でもなさそうだ。
「アズレート殿下には魅力ある提案とは思えませんけれど……」
そう。
アズレートには魅力ある提案ではないけれど、婚約を破棄された側のクローディアには十分魅力的な申し出である。
帝国側に面した領地のあるモリアーティ公爵家ごと、割譲されれば十分帝国の利、ひいては継承権に影響がある位の利ににはなるかもしれない。
「もしかして、公爵領が狙いでして?」
「いいや君だ」
即答されて、クローディアはまたもや目を丸くした。
言葉もさして交わしていない、婚約者のある身としては伴侶として除外されていただろう存在だったのに、望まれているとは思わなかったのである。
「君が欲しいと思っていた。何れ君はあの男を切り離すだろうと思って見守っていたんだよ。昨夜は君を助ける暇もなかったが」
「あら、女同士の戦いに殿方が口を挟んではいけませんわ。……それに守られるだけで自分で対処できないお飾りの妻を得たい支配者なんて興醒めでしてよ。そういう殿方はただ囲って眺めて、愛玩動物のように可愛がりたいだけでしょう。わたくしの趣味ではございませんわ」
「辛辣で獰猛なのに可愛らしい」
冷たい言葉を褒められて、クローディアは不思議そうに目を瞬いた。
そんな風に言われるとは思わなかったのだ。
(可愛げのない言葉なのに、趣味がお悪いのね……)
「獰猛ですから、侮っていると喉笛に食らいつくかもしれなくてよ?」
「夫に選んでくれて、甘噛みしてくれるなら大歓迎だが」
ニヤリ、と笑みを浮かべて破廉恥な言葉で返されたのに、クローディアは不快な気分ではなかった。
それに、お互いに利用価値があるのであれば、政略結婚だとしても文句はない。
「貴方の野心がそれだけで納まるのか試して差し上げましょう」
「魅力的な受諾の言葉だな」
利害の一致した二人が微笑みを交わし、差し出したクローディアの手をとって、その甲にアズレートが口付けを落とした。
***
「そ……それは、真か?」
国王の問いかけに、隣にいるエスティーダが頷いた。
「はい。今朝、私もご尊顔を拝しております。また両国に納める婚約の書面もご用意頂いておりましたので、後はロドリック殿下とクローディアの正式な婚約破棄の書面を頂いて、正式な妹の婚約が成りますので、国王陛下には一刻も早い裁可を頂きたいと存じます」
言葉は丁寧だが、脅しである。
帝国と言う強国を盾にして、第三王子が王国の第一王子と婚約者の婚約破棄を目にして、新たに婚約を望んだのだから正式な破棄を早くしろ、と言う事なのだ。
一度公言した言葉は撤回出来ない、という正に究極の証左といえるかもしれない。
流石にこれ以上粘る言葉が見つからずに、国王はスペンサー侯爵から差し出された銀盆の上の書類を手にして、顔を顰めながら署名をした。
「申し遅れましたが、王妃殿下に母より伝言を預かって参りました。どうしてもお見せしたい物があるので、近々家に足をお運び頂きたいと」
「そうね、ルイーゼにも改めて謝罪したいもの。是非時間を作って参りますわ」
謝罪と言われれば、国王からも反対の言葉は出てこない。
廃嫡をするかどうか、それですら今はまともに判断出来ずに溜息を吐く。
(まずは件の男爵令嬢と話をしてみるか……)
王妃が今国王の頭の中を覗くことが出来たのなら、あまりの暢気さに身震いしただろう。
ただ今は、王妃も落胆の方が大きく、隣に座っている木偶よりも始末に悪い配偶者を視界に入れるのも嫌になっていた。
(将軍家と辺境伯を敵に回して、モリアーティ公爵家が帝国の王子と婚約、なのに何て危機感が無いのかしら)
***
リンゼイ侯爵家に訪れたナサニエルは、冷たくあしらわれるのを覚悟していたが望外の歓迎を受けて困惑していた。
婚約解消の書面を確認したリンゼイ侯爵と侯爵夫人は頷いて微笑み合い、慰謝料に関する書面を机の上に置いたままで静かに言った。
「慰謝料に関しては問題ないが、娘の話を聞いてからにしよう。ナサニエル殿には娘からどうしても伝えたい事があると聞いている。ここに呼ぶが、問題ないか?」
「ええ、ナタリア嬢がご迷惑でなければ是非、直接謝罪をさせて頂きたいです」
暫くすると白い清楚なドレスに身を包んだナタリアが現れて、入れ違いに両親と使用人が退出して行く。
応接室の扉は開かれたままで、廊下には侍女が待機しているが、部屋には二人きりである。
不思議に思ったが、まずはナタリアの様子が気になって、ナサニエルは立ち上がって深く頭を下げた。
「ナタリア嬢、我が愚弟が大変申し訳ない事を致しました」
「そ、そんな、ナサニエル様は悪くありませんのに……どうか顔を上げてくださいませ」
聞きなれた優しい言葉と声音に、ナサニエルの胸がぎゅうと締め付けられる気がした。
そして、涙が頬を伝う。
「こんなにお優しいナタリア嬢を、傷つけるなんて、何て事を……」
「いいえ、それが傷ついておりませんの……」
申し訳なさそうに漏らされた呟きに、ナサニエルは驚いて顔を上げた。
ナタリアは困ったように微笑んでいる。
「わたくしも、悪うございましたのよ。だって、随分前からわたくしがお慕いしていたのはナサニエル様だったのですもの」
「……えっ……」
青天の霹靂とはこう言う事を表すのだろうか、とナサニエルは呆然とした顔でナタリアを見つめる。
ナサニエルにとっても、ナタリアは健気な美しい少女で、その優しさに異性として惹かれても居た。
だが、弟の婚約者だからと諦めてもいたのだ。
「私の邪な恋心が、貴女を惑わせてしまったのでしょうか……」
「いいえ、神と民に奉仕する分け隔てのない貴方に惹かれたのです。それに、わたくしの誕生日にはいつもわたくしの好きな花を捧げてくれた、その事がどんなにわたくしの心を支えてくれたか……」
言いながら、ナタリアの目からも涙が零れ落ちた。
そして、続けて顔を書面に向けて、俯きながら続ける。
「女性の身でこんな事を申し上げるのははしたないと思われるかもしれませんが、どうかわたくしを憐れんで下さるのなら、慰謝料ではなく、わたくしを貴方の妻にしてくださいませ……」
「貴方のような心根の美しい女性を私は知りません。私から改めて言わせて下さい。どうか、私の妻になって下さい。生涯を神と貴女に捧げたい」
途中でナサニエルは片膝をついて、ナタリアに手を差し伸べた。
ナタリアは伏せていた顔を上げて、泣き笑いをしながらその手の上に華奢な手を重ねる。
「ええ、喜んで。わたくしも神と貴方にこの心と身を捧げます」
***
「何よ、何よ、何よォ!」
男爵家の部屋の中で、マリアンヌは暴れていた。
と言っても、枕を振り回して部屋に羽が撒き散らされた程度である。
「転生者じゃないとしたら何なの?エンディングまできちんと出来たのに、全員落としたのに何で最後の最後でおかしくなるの?!」
確かに兆候はあったが、マリアンヌは無視していた。
最初は確かに、苦言を入れる婚約者の女性はいたものの、攻略対象に涙ながらに訴えればそれで終わった。
いや、終わりすぎたのだ。
誰も文句を言ってこなくなり、虐めも起きない。
そもそも特進科に多く在籍している攻略対象の婚約者とは接点も生まれない。
平民の多い普通科では、腫れ物に対する扱いをされていて、無視はされなくても輪には入れないのだ。
何より授業も休み時間も、騎士科や普通科にいる攻略対象達と楽しく過ごしていたので気づかなかったのもある。
「別に、特進科じゃなくてもゲームは進めたし……」
現実的に勉強で特進科に入るのは無理だった。
でも、それは王太子であるロドリックも同じだ。
ゲームでは完璧で嫌味なクローディアという悪役令嬢と距離を置きたくて、わざと普通科に入るように成績を落としていたという設定だったのだが、実際のロドリックは普通に成績が振るわなかったように思う。
それに、校舎自体が違うので、婚約者と言葉を交わすのを見た事もなかった。
「でもその所為で、隠しキャラの帝国の王子には近づけなかったけど、あの人は逆ハーエンドと関係ないし……」
帝国の王子、アズレートは隠しキャラであり、そもそも特進科なので全く足取りが掴めなかったのだ。
イベントもランダム要素が強く、接点がない時点で詰みだったのである。
逆ハーエンドを迎えさえすれば、攻略できるキャラクターが増える。
その中に目当ての人がいた。
「でもこれ、失敗したって事?……えっ?どうやってやり直すの……リセットは……?」
人生にリセットボタンがない事を、マリアンヌは呆然として思い返した。
相談があると言って、逃げるように王城へと去ったロドリック王子とその取り巻きから連絡は途絶えたままだ。
王宮で逢っていた王弟殿下とは勿論連絡は取れない。
今朝の新聞を見れば、醜聞を恐れて王城から出ないだろう。
マティアス商会からは、跡取り息子である筈のジェイミーを遠い国へと商売に行かせた旨が手紙で届いた。
ついでに今後の取引は遠慮したいと綴られていたのだ。
「どうするの……どうすればいいの……?誰とくっつけばいいの?」
選択肢は出ない。
自分で考えて答えを出すしかないのだが、いつまで経ってもその答えを出せそうにないまま、マリアンヌは呆然と荒れた部屋の中を見回した。
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