アポカリプスを越えて 地球の動物

和泉茉樹

地球の動物

 みなさんもご存知のように、地球という我々の故郷は激変しました。

 地球人類が発展させた遺伝子編集の技術は人々の知らぬ間に生命の根幹を捻じ曲げ、それは環境、動植物、そして人類自身にまで及んだのです。

 我々の宇宙移民船が地球へ帰還するまでの二〇〇年の時の中で、「ゲノムハザード」と名付けられたこの破局は、我々の故郷を永遠に失わせてしまったのです。

 しかし、帰還者であり、改革者である我々はこの地球を再び人が住める土地とするべく、奮闘を続けています。

 まずは、今の地球を理解せねばなりません。

 ここでは現在の地球の動物についてご覧にいれます。


      ◆


 私が地球へ降り立って最も不便を感じたのは、地球の大気が我々、現人類にとって有害という点です。屋外ではスーツとヘルメットが欠かせません。非常に簡便化されているとはいえ、煩わしいものです。

 地球上では地上軍が編成されていますが、今ではおおよそ二つの役目が与えられています。

 一つは、地上に設けられたキャンプの維持管理を行う役目で、これに従事する兵士は「警備兵」と呼ばれます。ゲノムハザードの結果として異常な発達をした植物の除去や動物の襲撃などからキャンプを守るのが彼らの役目です。

 もう一つは、マスドライバーの建設や守備、さらなる新しいキャンプの設営のための開拓を行う役目で、こちらを受け持つ兵士は「解放軍」と呼ばれます。彼らは特に野生の動物や、地球上で生き残りながら人間とはかけ離れてしまった亜人類の討伐も行います。

 私は地上へ降りて後、地上軍の厚意により一人の優秀な兵士を紹介してもらえました。

 クリスティン・ベガ少尉は地球上での生活がすでに五年に及ぶ経験豊富な兵士です。彼女が私の案内役であり、護衛です。

 ベガ少尉は、実に快活で、美しく、それでいて頼りになる兵士でありながら、実に丁寧で、物腰の柔らかい人物でした。

 私は今回、地球上の生物をフィルムに収めるという目的を持って地上へ降りたのですが、ベガ少尉は二週間ほどのその撮影行に同行してくれました。これほど心強かったことはありません。地球とはデータの中の自然公園などとはまるで違う、全く人間の管理も常識も通用しない場所なのですから。

 ベガ少尉は私の計画を聞くと、幾つかの設備を軍からレンタルしてくれました。二人乗りのバギーと、それを空輸することができる小型の飛行ユニット、そして何よりも重要な小型のテントです。このテントは複雑な構造を持ち、密閉できるようになっている上に空気清浄機が装備され、中ではヘルメットとスーツを脱げる仕様でした。

 こうした装備が揃ってから、私とベガ少尉は地球の動物の撮影を始めました。

 キャンプから飛行ユニットで撮影予定地までバギーを運び、着陸地点からはバギーで場所を選んで走ることになります。かなりの悪路を走破できるのが地上軍のバギーの性能ですが、地上にはびこる植物のせいで、進める場所はかなり限られていました。

「よく見ていてください、小動物はそこらじゅうにいますよ」

 バギーを運転しながらベガ少尉がそういうので、私はカメラを周囲に向けました。ベガ少尉はゆっくりと車を走らせてくれたので、私はじっと周囲を見ることができました。

 さっと何かが目の前の植物の陰で動きましたが、最初、それが何かはわかりませんでした。

 後になってフィルムをゆっくりと再生すると、リスのような生物だとわかりました。尻尾が三つに分かれていて、色が真っ黒なのですが、確かにリスです。しかし知識の上のリスよりも驚くほど俊敏でした。

 バギーが先へ進むと、今度は猿のような生物と遭遇しました。十匹程の群れで、私とベガ少尉の乗るバギーを見ても逃げたりはしません。私はその様子をじっくりと撮影しました。

 猿は確かに猿なのですが、しかしその顔つきがどことなく人間にも見えて、不気味なことこの上ありません。人間が猿から進化したとしても、人間に近い猿というのは不気味なものです。

 ベガ少尉が何かを取り出したかと思うと、それは手榴弾のように見えました。少尉はバギーを運転しながら素早くピンを抜くと、猿の方へ投げました。猿たちは興味深そうに手榴弾を見ていましたがそれが炸裂するとさすがに悲鳴をあげて、どこかへ逃げて行きました。

「あの猿は学習能力が高いことで有名です」

 バギーを加速させながらベガ少尉が言います。

「最初は普通の銃の銃声でも逃げていましたが、今ではもう逃げようとしません。銃なんて銃声が大きいだけで、ほとんど自分に当たらないと気づいたんですね。散弾銃を使うことは地上軍の方でかなり制限しています。散弾銃について学習されると、効率的な駆除が難しいからです。そう、電気柵も学習されたという報告書を出したキャンプもありました」

 私はどう答えていいか、わかりませんでした。

 てっきり、地球はゲノムハザードによって数千年の時代を逆行したものだと思っていたからです。

 地球は確かに、植物に覆われ、動物たちの世界になり、人間の姿はそこにありません。

 ですが、決して時間が逆進したわけではないということが、猿の一件でわかりました。動物も植物も、進化しているのです。不自然であろうと、そこにはある種の淘汰が発生し、優れたもの、適応できたものが生き残る摂理が確かにあるのです。

 そんな世界で、私たち現人類とは何か、ということを考えずにはいられません。

 一〇〇年を超える時間を宇宙船の中で過ごし、何も変化することのなかった私たち現人類とは何なのか。

 私たちは科学技術を保持し、月や火星を別にすれば人類の中でも特別に優れた文明を維持しています。

 ただし、現人類はこの数百年で何ら進化はしていないのです。

 生物の正しいあり方、もっと言えば、正しい時間の過ごし方とは何だったのか。

 宇宙移民船の基礎的な要素として、移民とは数百年を眠って冷凍されたまま過ごすことになるのは絶対です。それはもしかして、極端な言葉を選べば猿を一〇〇〇年後の未来へ送り出すようなものだったのでしょうか。

 私はその疑問をベガ少尉にぶつけてみた。

 彼女はバギーを走らせながら、かもしれませんね、と実にあっさりと答えました。

「でも、人間はきっと二〇〇年前にすでに進化の袋小路にいた気もしますよ」

 そう続けた彼女に、私は目を瞬いてしまいました。

「だってそうでしょ。移民船でも、維持管理を受け持った人は二〇〇年くらいの間、世代を経て本来的な時間の経過の中を過ごしたわけです。確かに突然変異的なものは数が極端に少ないせいで起こりませんが、それはつまり、二〇〇年くらいじゃ種は進化しない、ということか、そうじゃなければ人間はもうこれ以上先はなかった、ということです」

 独自の理論を展開するベガ少尉に、私は若干、狼狽えてしまったのが本当のところです。そんな私に彼女は少し笑っていました。

 それから私と彼女はいくつかの動物を見ることになりました。馬のような動物もいれば、ヒョウのようなような動物も見ました。

 私たちのバギーに襲いかかってくる動物もいて、それはバギーに搭載されていた電気銃が退けました。その場面はかなり印象的で、動物が俊敏に飛びかかってきた次には瞬間的に強烈な閃光が炸裂し、爆音がヘルメットを震わせます。もしヘルメットがなければ肉が焼け焦げる匂いがしたはずです。

 それでも電気銃で排除された鹿のような動物は死ぬこともなく、不自然に跳ねながら離れていったでした。

 そうして二週間はあっという間に過ぎていきました。

 キャンプへ戻るため、最初に小型の飛行ユニットを切り離しておいた場所へ向かう途中、不意にベガ少尉がバギーを止めて頭上を見上げたことがありました。

 私はどうしたのかと思いましたが、ベガ少尉の視線の先を追うとどうやら鳥が飛んでいるようでした。

 かなり高い場所を一羽の鳥がゆっくりと旋回しているのです。

「あれは大きいですよ」

 ベガ少尉が静かに話し始めました。その様子はどこか、畏怖の念に打たれているようでもありました。

「地上に現人類が降りてすぐくらいに、巨大な鳥に人間がさらわれる事件が何回かありました。あの鳥は翼を広げると、十メートル近いとか」

 十メートルと聞いて改めて頭上を確認しましたが、そこまで大きいようには見えなかったです。ただ、ものすごい高い位置を飛んでいるとすれば納得がいく数字でもありました。

 あの鳥が私とベガ少尉を見つけたら、と思うと冷や汗がにじむ思いがしましたが、とりあえず私はその鳥にレンズを向け、目一杯に拡大しましたが性能が足りずに鳥の詳細を記録することはできないままでした。

 鳥はそのうちにどこかへ離れてしまい、姿は見えなくなりました。

 私たちはバギーで飛行ユニットの元にたどり着き、自己防衛システムで保全されていた飛行ユニットを再活性化した後、十分に暖気してからバギーと接続し、そのまま空に舞い上がることになりました。

 キャンプへ戻った私はベガ少尉に丁寧に感謝の思いを伝えました。最後には私たちは握手をしました。キャンプにある現人類の安全地帯であるドームの中で、です。もちろんグローブ越しではなく、素手で。

 ベガ少尉の手は華奢でしたが、よく使い込まれた、力強さを併せ持つ手だとその時に感じました。

 次に地球に降りるときも、彼女と行動を共にしたいと強く思いました。


      ◆


 私は試写室が明るくなってからも、シートにもたれて眉間にしわを寄せていた。

 一緒に映画を見ていた数人が、私に親指を立てた拳を向けてきたり、手を掲げたりして退室していく。私は首売ったり肩をすくめたりして応じた。

「ま、悪くない内容じゃないか」

 隣に座る私の上司の中尉がそんなことを言った。

「地球の実際を移民船の人々に伝えるにはちょうどいい、初歩的で丁寧な内容だ」

「ですけど、中尉、なんで私が少尉なんですか? 私、一介の軍曹ですけど、もしかして近いうちに二階級も三階級も昇進する予定があるんですか?」

 あれはなぁ、と中尉が笑いながら言う。

「制作側から、軍曹じゃ格好がつかない、せめて少尉にしてくれ、というものだから。別に構わんだろうと地上軍では指摘したんだが、取り合ってもらえなかった」

「汎用スーツに階級章がついていないのがせめてもの抵抗ですか?」

「あれは手間を惜しんだだけだ。制作側は気にもしていなかった。スーツの見栄えより、きみの階級を演出する方がよく見えたということさ。あまり深く考えるな」

 はあ、としか私は言えなかった。

「で、何か問題点はあったかな、ベガ軍曹」

「いいんじゃないですか。ああ、そう、あの最後の巨大な鳥を見るというシーンは中尉としては問題ないのですか?」

「とりあえず、合格ラインだった」

「私にもそう見えましたが、本当にいいんですか? あんなでたらめをやっちゃって」

 いいんじゃないかな、と中尉は片目をつむっている。

 巨大な鳥が地球にいるのは事実だ。移民船からの初期の降下部隊がその鳥にさらわれたのも本当。あの場面の撮影の時に鳥が飛んでいたのも間違いない。

 しかしの記録映画のシーンはほとんどでっち上げだ。

 実際の鳥はもっと小さく、十メートルもある巨大な鳥では全くない。

 あのシーンは映像的に編集されて、かなり真剣に加工されているのだ。

 制作側がどう考えていた、考えているかは私には不明だが、ぶっつけ本番の撮影でそんなに都合よく極めて危険な動物が映り込むことなどない。

 結果としてはかなり精密に加工されているのだが、詳細に画像を調べても編集加工には誰も気づかないだろう。バレたら大変なことになる。フェイク動画と言われても反論はできない。

 それにしても姑息だな、と思わずにはいられない私だった。

「ベガ軍曹、事実とは時に演出から生まれるものだ」

「それはまぁ、メディアで知る情報と、実際に体験して知ることは別だとは思います。でもそれは少数派の発想ではないですか? 大抵の人はメディアで知ることと体験することを同列に考えます」

「深く考えるな。きみの階級と一緒だよ。みんな、きみが少尉だと信じるだろうし、そんな人たちは、まさかきみが実際は軍曹だとは思いもよらない。少尉のきみこそが真実ということになる。何か問題があるかな、軍曹?」

 私はやや皮肉を込めて席を立ちと直立して敬礼してから答えた。

「何も問題はありません、中尉」

 なら良い、と笑うと中尉も席を立って私の肩を叩くと先に試写室を出て行った。

 結局、最後の一人になってから、私は思わず重い息を吐いた。記録映像に出演しろと言われた時にも反発したが、終わってみても納得のいかないことの多い仕事だった。

 ただ少数の撮影者と一緒に未開の地に分け入るのは面白かった気もする。

 地球上には、まだ現人類の手が入っていない場所が多くあるけれど、私は任務の性質上、そういうところへ飛び込んでいくことは滅多になくなっていた。地上に降りた初期にはあったけど、もう何年も前だ。

 あの記録映像の真偽や演出はともかく、地球というところがどういう場所なのか、それはそれなりに表現されていたと言える。

 それでも、と私は思った。

 次は別の誰かに案内役をやらせよう。

 私はどうも潔癖性すぎるからこの手の仕事は精神衛生上、向いてない。

 それだけは確実、事実だ。



(了)

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