飛んでくるのはトリだけではない

とは

飛んでくるのはトリだけではない

 打木うちき希美きみには、片づけねばならないものがあった。

 そう、それは社内イジメである。


 恋人である直人なおひととの交際は順調。

 最大の障害と思われていた彼の母親との関係は、定期的にストレッチという心と体のぶつけ合いを通じ、改善方向に向かっていた。

 まれに彼の母の暴走があるものの、いつもより『やや』強めのストレッチをすれば、数日は静かになるということを覚えてからは平和な日々が続いている。


 人を愛することが出来ない。

 そう思い込んでいた直人だったが、母親の干渉はなくなり、解決に向かいつつある。

 その喜びから、すっかり彼の性格は明るくなっていた。

 以前までは拒絶していた人とのかかわりも、今では積極的に行うようになってきているようだ。


「俺も、希美ちゃんのように努力したい。君にふさわしい男になりたいんだ」

 

 その言葉を伝えられた時、どれほど嬉しかったことか。

 二人は違う会社であるものの、取引先であること。

 直人が希美の会社を訪問することも多く、さらには互いの会社の場所が近いこともあり、時間が合えば昼の休憩を共にすることも増えてきた。

 

 微笑ましく過ごす二人を、ほとんどの人達は祝福の眼差しで応援してくれている。

 だがそんな二人に。

 いや、希美に対して深い嫉妬心を持つ存在もいたのだ。



◇◇◇◇◇◇



「打木さん、給湯室がすごく汚れていたんだけど」

「そうでしたか? 確かに先ほど私が使っていましたけど、それほどまでには……」

「最後にきちんと片付ける! それも出来ないなんて社会人失格よ!」


 先輩である伊地いじがわが、希美の机を強く叩いてにらみつけてくる。

 周囲は「またはじまった」という顔をして、希美に同情の目を向けてきていた。


「恋人が出来たからって、ちょっと浮かれすぎなんじゃない? そんな中途半端な気持ちで仕事をしないでほしいの。あなたみたいな人のそばにいなきゃいけない、こっちの迷惑を考えてほしいわ」


 最後に舌打ちをして、伊地川は自分の席へと戻っていった。

 同期からの話によると、彼女も希美と同様に直人に、恋心を抱いていたのだという。

 何度も告白したものの、直人からは全くまともに取り合われなかった。

 それなのに彼は希美と付き合いだし、あまつさえ同棲まで始めている。

 

 この事実に伊地川は怒り狂い、自分のとりまき達を使い、嫌がらせをするようになってきたのだ。


「希美ちゃん、大丈夫? 目の前で舌打ちするなんてひどいね」


 同期の女性が、心配そうに自分へと声を掛けてくる。


「あぁ、平気。ここ最近は毎日こんなんだもの。「ちっ」ていう音も、可愛くない鳥が鳴いているな、くらいにしか感じていないから」


 希美の言葉に、同期は目を見開くと困ったように笑う。

 だが、真面目な表情になり言葉を続けていく。

 

「先輩だからって、いくらなんでもひどすぎるよ。上司に相談しにいこう。私も一緒に行く……」


 軽く手を上げ、希美は言葉を遮る。


「大丈夫。それに聞いているでしょ、例のうわさ。私に巻き込まれたら大変だよ」


 これまでにも伊地川は、気に入らない女子社員をことごとく辞めさせてきたと聞いている。

 会社の上層部に彼女の親類がおり、その横暴さを訴えても、もみ消されてしまうのだという。

 彼女からの嫌がらせを恐れ、女子社員の中にはとりまきになるものも多い。


「だから私と仲良くすると、あなたまで悲しい思いをしちゃう。私はそれは嫌なんだ」

「希美ちゃん……」


 ぐっと唇をかむと、同期は顔を近づけささやいてくる。 


「変な噂を聞いているの。伊地川さんが、ガラの悪い人たちに何か相談をしているって」


 同期の声は震えている。

 それだけ彼女ならば、やりかねないということなのであろう。


「そう……。ならますます、私と話していてはだめだよ。話を聞かせてくれてありがとう。私も何か考えてみるね」



◇◇◇◇◇◇



 同期の言っていた噂が本当だと知るのは、それから数日後のこと。

 書類をポストに投函するため、希美は外出していた。

 その帰りに突然、腕を掴まれ路地へと引きずり込まれてしまったのだ。

 背後から抱きつかれ、不快感からぞわりと皮膚が粟立つ。

 希美は、巻き付いてきた腕と自分の体の間に両手を入れ、さらに体勢を低くしていく。

 体を起こすと同時に、両手をバンザイのように上げれば、相手の腕は外れ背後から「ぐあっ」と悲鳴が聞こえてくる。

 希美の腕時計が、相手の顔に直撃したのだ。


 コントロールには自信がある。

 痴漢撃退動画を見ながら、動きを模倣した甲斐があった。

 練習に協力してくれた直人も、顔面打撃の精度の高さに、顔を押さえつつ感心してくれたものだ。


 まずはここから逃げ出さねば。

 だが背後から、「ちっ」と聞き覚えのある舌打ちに足が止まってしまう。

 思わず振り返れば、いかにも『ガラの悪い』男が顔を押さえうずくまっている。

 その後ろで、スマホのカメラを自分へと向けている相手に希美は声を掛けた。


「伊地川さん、これはどういうことでしょう。そもそも就業中なのに、どうしてあなたがこんな場所にいるのですか?」


 ふてくされた表情で掲げていたスマホを握りしめると、伊地川はいまいましそうに答えてくる。


「あんたなんか酷い目に遭えばいい。それをみんなに教えてあげようと思っていただけ。それに私は今、『ここにはいない』の。あんたがどれだけ訴えても、私はこの時間は社内で打ち合わせをしていたことになるから」

「なるほど、お仲間にアリバイを頼んでいるということですね。そうやって今までも、罪のない女性を辞めさせてきたのですか」

「だから何? 邪魔だから、いなくなるようにしただけ。今回はうまくいかなかったけど、絶対に今までの女たちみたいに会社から追い出してやる!」


 自分には味方が多い。

 社内であれば、何かあっても身内が全てなかったことにしてくれる。

 その慢心もあり、彼女はぺらぺらと自分の犯行を語ってくるではないか。

 たった一人のわがままのために、どれだけの人が悲しんできたのだろう。

 こみ上げる怒りに、希美は口を開いた。


「あなたみたいな人は、……本当に許せない」


 万が一のために所持していたが、まさか使うことになるとは。

 そう思いながら鞄から小箱を取り出す希美の姿に、本能的に危険を悟った伊地川が逃げ出していく。

 追いかけようとするが、座り込んでいた男が希美の足を掴もうと手を伸ばしてきた。

 かろうじて逃れたものの、その隙に伊地川との距離が開いてしまう。


『証拠』はある。

 だが、これだけではまだ弱い。

 焦りを抱え、駆け出す希美の前を走っていた伊地川の体が傾く。

 風か何かで飛んできた丸い物体に気を取られ、体勢を崩したようだ。


 このチャンスを逃すわけにはいかない。

 持っていた箱から5センチほどのオレンジ色のボールを取り出し、彼女の周囲に人がいないのを確認すると、伊地川の足元へ向かって思い切り投げつける。

 カシャリという音と共にボールが割れ、オレンジ色の塗料が地面に広がっていった。

 

「な、なんなのよこれ!」


 自分の足元と靴に塗料が付いたことで動揺し、伊地川は立ち止まる。

 

「防犯用カラーボールです。洗ってもなかなか取れないらしいですよ。どう考えても、打ち合わせ中に付くようなものでもないですね」

「よくも、よくもそんなことを!」


 近づくにつれ漂う塗料の刺激臭に、希美は顔をしかめる。


「それとも会社で言いますか? 私にこんな臭いをつけられたのだと。それなら私は素直に『それは自分がやった』と皆の前で謝りますよ。あなたの手下に襲われたこともあわせて説明しますが」

 

 希美の言葉に、伊地川はすさまじい怒りの表情を向けてくる。


「ましてや、これだけ派手に行動しています。周囲にも見学されている方が結構いますからね」


 昼過ぎの時間帯ということもあり、何人かの通行人が二人のことを遠巻きに眺めている。

 ひとしきり彼らをにらみつけると、伊地川は希美へと叫んできた。

 

「私に逆らったこと、覚悟しなさい!」

「その覚悟の意味は分かりません。ですが、自分に後悔の無い選択を私はしていくだけです」


 何やらわめきながら、伊地川は走り去っていった。

 見届けることもせずため息をつくと、希美は元来た道へと戻っていく。


「……あった、これだ」


 地面に落ちていた10センチほどの茶色の球体を拾い上げる。

 フクロウのような、スズメのような形状のトリのぬいぐるみ。

 これが飛んでこなければ、伊地川に逃げられていたかもしれない。

 ぬいぐるみの汚れを優しくはらいながら、希美は考える。

 偶然に飛んできたとは考えにくい。

 何者かが、これを投げたのではなかろうか。

 周囲を見渡すも、巻き込まれるのを恐れてか人はいなくなっている。


「トリのお礼を言いたかったけど。会えずじまい、かぁ」


 ぬいぐるみの頭を撫でながら、ある女性の姿を浮かべ、希美はそう呟くのだった。

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