END

 気づいた時にはどこか薄暗い部屋のなかにいた。ぐっと上体をあげる。辺りを見渡した。

「部屋? なんで」

 状況が飲み込めない。さっきまで門のところにいて、飛び越えようとしていたヱマを見ていたはずだ。なのに今はここにいる。ここに至ったまでの記憶がすっぽり抜け落ちたのだろうか。

 電脳に予めインストールされているウイルスブロックで診断をかけたが、異常は何一つとして見つからなかった。警察仕様のものをバージョンは古いがそのまま使っている、ウイルスもバグも見落とす事はない。

 とはいえ最先端の、つい数日前に出来上がったウイルスの場合は無理だ。流石にバージョンが追いつかない。義神経といいブロックといい、色々と古くなってきた身体を動かし立ち上がった。

 拳銃を右手に外部デバイスのライトで辺りを照らす。客室のようなところで、自身は古いベッドに横たわっていたらしい。やはり廃墟とは思えない程に綺麗だ。

 扉に鍵はかかっていない、拳銃を持つ手でドアノブを触り、足で開けた。銃口とライトを向けつつ慎重に踏み出す。

 廊下のようで、左右に続いていた。右は突き当たりが見える。先に玄関口に戻るかどうか一瞬迷った。

「ヱマ……」

 ここまでの彼女の様子を思い出し、足早に左へ向かった。

 門の外、ヱマは膝を抱えて俯いていた。風が吹き、木々がざわめく。鳥の声もしなければ虫の気配すらない。

 電脳から南美にメッセージを飛ばしたが反応はなく、通話を持ちかけてもコール音が虚しく続くばかりだった。メタバースは電波の問題で使えず、ネットもかなり遅い。

「ついてくるんじゃなかった」

 いや、そもそもこんな依頼、受けなければ良かった。ぎゅっと自分の腕を掴む。

「寒い……」

 鼻を啜り、顔をあげた。立ち上がる。このままでは埒が明かないし、彼がどこに行ったのかも分からない。何かに巻き込まれている可能性だってある。

 もう一度門を見上げる。痛さも衝撃も既に知っている。鬼はタフだ。彼女なら尚更、簡単には折れない。

 洋館は広く幾つも部屋があったが、作り自体は単純だった。階段を降り、一階に足を踏み出した。

 その時、じじっと頭にノイズが走った。顔を顰めて額に手をやる。ライトが天井を照らした。

「誰かおるんか?!」

 サイバー攻撃に近いノイズだ。不快感と共に、本当は感じていないが錯覚で鈍痛を覚えた。

 響き渡る自分の声。ノイズはまだ微妙に残っている。頭のなかに強制的にもやをかけられているような、嫌な感触だ。

「くっそ」

 ノイズがまた酷くなる。冷や汗が流れ、片眼を閉じた。銃を突き出す腕は震えており、かちゃかちゃと音が鳴った。

 その時、ぱっと閃光が走った感覚があった。身体から力が抜ける。何が起きているのか分からないまま、足を踏み出した。

 足元は白く、光っていた。顔をあげる。周囲を見る。真っ白な空間で、コードのような羅列が上から降り注いでいた。

「どこやここ……」

 先程まで洋館のなかに居たはずだ……状況が分からず、手元を見た。

 握られていたのは拳銃だ。然し自分が持っていたものとは違う。十年以上前のリボルバーで、AIもエイムアシストも何もかもついていない。

 全く分からないまま唖然としていると、不意に気配を感じた。身体が動く、銃を構えながら振り向いた。

 然しそこにいたのは身知った女だった。

「ヱマ、」

 銃身をさげる。刹那、笑って手を振っている彼女の側頭部に花が咲いた。

 眼を丸くする。笑ったまま横に倒れていくのを追った。

「ヱマ!」

 駆け寄った。身体を抱えあげると眠ったような表情で頭から血を流していた。

 銃弾が飛んできた方を見る。

「おい、嘘やろ、」

 硝煙が立ち上る拳銃を持っていたのは一人の男。暗い紫色の髪をオールバックにした耳の長い男で、眼の色は白く、南美によく似ていた。

「嘘や、」

 すっと銃口と視線が彼に向く。怒りの色を恐怖が塗り替えた。冷たいヱマの身体を抱きしめながら、男を見る。その眼は子供のようで、震えていた。

 男が近づく。かちゃりと銃の硬く冷たい感触が頭に当たった。

「お前の女はいつも最高やなあ」

 軽薄な声音。

「俺と似とる。お前は。性格も見た目も、」

「女の趣味もな」

 耳元で聞こえる声。同時に彼の頭のなかには襲われる彼女の姿が雪崩のように上映された。

 発狂しながら乱射した。かちっかちっとトリガーが虚しく鳴り、現実に戻された。

 洋館の一階で南美は尻もちをついた状態だった。右手には煙を吐く大和仕様の拳銃、左腕はそこに何かがいるように抱えているポーズをとっていた。

 あがる息。全身にかいた汗。震える右腕。そして吹き飛んだドアと、その向こうに見える壁に叩きつけられた酷い銃痕。

「なん、や」

 渇ききった口を潤すように唾を飲む。痺れる身体をなんとか動かし、ふらりと立ち上がった。ずきんっと頭が傷んで顔を歪める。

 まだ手が震えている。ヱマの頭が撃ち抜かれた様子も、腕に抱えた時の重さも、そしてあの男が突きつけてきた拳銃の硬さや火薬の臭いも、恐怖を覚える低い声も。なにもかも残っている。

 不安が湧き上がってくる。ヱマは無事なのか。

 失うのが怖い。眠ったような表情も、力が抜けていつもより重たくなった身体も、何度も光景と感触がフラッシュバックし、足がもつれた。

 うつ伏せに倒れ、鈍痛が走る。同時になぜか幼い頃の記憶が蘇り、あの白く薄闇で光る獣のような眼に見られている感覚に陥った。

 手をついて後ろを見る。勿論誰もいない。また後ろから視線を感じて振り向いた。

 誰もいない。いないはずなのに視線を感じる。

「やめろ、分かったから」

 白いシャツが汚れ、髪が乱れ、外部デバイスの画面が割れてもなお、南美はあの視線に囚われ廃墟の床を転げ回った。

「もうなんも奪わんとってくれ」

 そのうち彼は蹲り背中を丸めた。頭を抱える。

「ヤクザの息子は嫌やったんや勘弁してくれ」

 腕のあいだから弱々しい声が漏れる。震えたその声に、誰も何も反応はしない。

 当たり前だ。ここには南美以外に存在しないし幽霊なんてのも存在しない。

 ただ一階で大きな階段を前に子供のように蹲ってボソボソと言葉を続けていた。

 門の外、ヱマの手は血が滲むようになり、震えていた。どんどんと力が弱くなっていき、ジャンプを繰り返す元気も殆ど残っていなかった。

 何度コンタクトを取ろうとしても反応はなく、鳥の声は相変わらずない。

「南美」

 そう名前を呼んだところで彼は来ない。

「なんでこんな事してんだ」

 地面に座ったまま呟く。どんどんとこれが現実なのか夢なのか分からなくなってきた、表情から気力が抜け落ちていた。

 陽が傾いたせいだろうか、それとも雲に隠れたせいだろうか、更に寒く感じる。

 孤独で、誰も傍にいない。音も変わらず木々のざわめきだけだ。

 自分は正気なのか、そうじゃないのかすらあやふやになってくる。

 南美はここにいるのか。

 そもそも本当に南美とここに来たのか。

 なんなら、

 南美なんて人は最初から。

 自分が今まで経験して見てきた事は全て夢で、これが現実なのかも知れない。

 最初に彼を見た時は胡散臭いと思った。信用出来るか不安だった。だが不意に見せる横顔は真剣そのもので。

 彼が向けてくれる笑顔は時間が進むにつれて柔らかくなっていった。労う優しい笑顔。困ったような笑顔。意地悪な笑顔。キスをする前の愛おしそうな笑顔。

 色々と思い出す。短期間なのに長い記憶のように思えた。

「あれ、思い出せねえ」

 然しこのあいだ喧嘩をした時の内容や表情が出てこない。

「あれ、」

 彼の顔に傷があったかどうか、思い出せない。

「なんでだ」

 彼の愛車はなんだったか。好きなものは?

 確か辛いものが好きで、

 よく釣りに出掛けていて、

 狼の耳が生えていて、

 胸が大きくて、

 まだ子供で、

 名前は、

「だれだ?」

 なんでこんな場所にいるんだ。

「帰らねえと」

 寒い。なんで上着を着てないんだ。

「ん?」

 物が落ちる音がして視線を下にやった。水色の背をした外部デバイスで、拾い上げた。滲んだ血がつく。

 ロックを解除した。ぱっと切り替わった画面。そこには顔に傷のある男の写真があった。

「………………………」


「誰だ。こいつ」



 八月中旬、長野県某所の山奥にある別荘地から、古い時代のチップが回収された。だがそのチップ内には、今の最新技術でも再現するのが難しい程の高度なウイルスが入っており、丁度トンネルの入口付近からウイルスの領域になっていた。

 向かった五月雨の部隊はこれらを回収と同時に、White Whyの南美と琉生ヱマを発見、保護した。

 二人はウイルスに感染した状態で、南美は蹲ったまま永遠と何かを繰り返していた。隊員が近づいたところ、言っていた言葉は「すみませんでした」

 診断した結果ウイルスの感染が確認され、その場で一時的に電脳をハックしウイルスを抑える処置がとられた。然しハックした隊員によると、脳内に永遠とヱマが殺される映像と父親らしき人物に自身が殴られ続ける映像が流れており、同時に彼女が性的暴行を受けている光景を俯瞰で見せ続けられていた。

 電脳内の幾つかの神経回路は麻痺しており、完全に現実との区別がつかない状態だった。そして隊員による処置で一時的に戻り、手を差し伸べた瞬間、彼はまるで怯えている子供のように声をあげて振り払った。

 とても彼だとは思えない姿に気味の悪さを感じつつ、隊員達はあくまでも彼が“子供時代の南美”になっているのを前提に対応、保護した。

 琉生ヱマはトンネル付近で発見され、掌の負傷とウイルスの感染が確認された。隊員の一人が南美の事を問いかけると彼女は一言、「誰っスか」と答えた。

 電脳をハックした結果、一部の記憶データが一時的に削除されていた。それらは全て南美に関する事で、完全に存在を削除させられていた。あと数分遅ければ自動消去のフェーズに入り、本格的にデータが消えていた可能性がある。

 南美の対応をしている隊員から連絡を受けたさい、こちらは記憶を戻せば大丈夫だろうと考えた。然し戻した瞬間に頭を抱えて蹲り、発作のような症状を引き起こした。

 記憶を戻した衝撃によって頭痛を覚えたり、無呼吸になったり、何かしらの反応は出る。だが彼女の発作は別物であり、隊員が落ち着かせようとしたところ、「触るな!」と叫んで突き飛ばした。

 それにより突き飛ばされた隊員一名が負傷した。だが触るなと言った声音は普段より低く、また口調からして不自然だった。

 ウイルスによる影響かと隊員達は一先ず彼女に鎮静剤を打ち込み、南美同様に保護した。

 チップは解析不可能と結論づけられ、処分が決定した。負傷者、感染者が出た以上、長期の保有は危険だと判断されたからだ。

 一週間程二人は五月雨に併設されている病院に入院した。その間、彼らに依頼したであろう人物を五月雨、大和の両方で調査した。

 然しその人物は十五年以上前に死亡済みであり、同時に洋館の元所有者でもあった。逮捕が出来ない以上、チップの処分が速やかに行われた。

 後日、ウイルスが完全になくなり退院が認められた二人が五月雨を去ったあと、チップを軽く解析した機械が破損、一部隊員に影響があった。


「南美〜、バイト先のお客さんがうちに依頼だってさ〜」

 秋に近づき、冷たい風が事務所内を駆け抜けた。

「どーゆー依頼です?」

 南美が座るデスクに紙を置き、腰に手をやった。

「昔のレコードらしくて、そいつを探してほしいんだと。嫁さんが死ぬ前にそれを聞かせたいって言われて、流石に断れねえからさ……」

 あまりバイト先で依頼は受けてこないのだが、ヱマがそんな話をされて首を横に振るわけがない。南美は紙を受け取りつつ「しゃーないですね」と息を吐いた。

 その時、からんっとドアベルが鳴った。

 ばっと振り向き、南美は立ち上がった。

『なんですか二人して。そんなに私が戻って来るのが嬉しいならずっと近くにいますよ』

 だが入ってきたのははじめちゃんこと小型のドローン。南美は大きく息を吐きつつ落ちるように椅子に座り、ヱマはデスクから手を離しつつ「びっくりさせんなよマジ」と文句を言った。

 昔のレコードを探してくれ、その依頼内容に電子タバコの電源を入れる。

「嫌な体験、してしもうたなあ」

 ふっと煙を吐き出し、手書きで描かれたレコードの絵から視線を外した。

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White Why 長野の洋館 白銀隼斗 @nekomaru16

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